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健康護身術を指導している橋本実です。

【毎日十年も続けると!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は3つの丹田についてお話ししましたが、今回はその3つの丹田と深いつながりがある宝玉というものの存在についてお話ししたいと思います。

 


十年も続けると不思議なことが起こる!

 

井口師範に師事して以来、僕は井口師範のご指示で、毎日毎日、天之鳥船(あまのとりふね)の行と振り魂(ふりたま)の行を続けていました。

それを10年つづけたある日、いつものように天の鳥船の行のあと、両足をしっかりと踏みしめて振り魂の行をしていると、自分の頭の天辺であるいわゆる百会から地面に自分を貫く軸ができたという意識が生まれました。

かまわず、そのまま振り魂を続けていると、突然その軸が地上高くドンドンと伸びはじめ、雲を突き抜けて、天まで伸びていきました。

さらに、僕を貫いた軸は地面を貫き、ドンドンと下に下に伸びていき地中深く、まるで地球の中心にでもとどくかのように伸びていきました。

すると、突然、地面から拳より少し小さな水晶でできた玉のようなものが、軸に沿って登ってきて、下丹田付近で収まりました。

さらに、上空から玉が一つ下りてきて中丹田に収まり、さらにもう一つ玉が上空から降りてきて上丹田に収まりました。

こういった神秘体験があってから、僕は、はっきりとした軸感を意識することができるようになり、正坐で座って両手を膝に置いたままで、他の人に両手首を上から体重を掛けて押し付けられても、持ち上げることができるようになりました。

これは視点を変えて科学的に考えれば当たり前で、現在の僕なら人に指導できますが、理屈抜きで体が反応し、できたことが大切だと思います。

 


日の宝玉・月の宝玉・大地の宝玉

 

これを井口師範にお話しすると、上丹田に出現したものは日の宝玉(ひのほうぎょく)、中丹田に出現したものを月の宝玉(つきのほうぎょく)、下丹田に出現したものを地の宝玉(ちのほうぎょく)というとおっしゃいました。

地の宝玉は地の力を集めるためにあり、月の宝玉は陰陽のエネルギーを集めるためにあり、日の宝玉は天のエネルギーを集めるためにあると説明されました。

どうやら、日の宝玉は天、月の宝玉は火・水、地の宝玉は地のそれぞれのエネルギーのセンターのようです。

また、天地の軸は、頭の天辺にある百会からまっ直ぐ鉛直に向かい、背骨に近い体の中空を貫くもので、その軸上にあるのが宝玉で、正確には、宝玉の位置と丹田の位置が違っています。

丹田の位置はどちらかというと、少し前面に存在します。

そして、丹田というのはそれぞれの宝玉からエネルギーを取り出すためにあり、自分を貫く軸は、天地自然からエネルギーを頂くときに使えるということでした。

 


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【3つの丹田と技の関係】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、世界の気の話から発展して、今のブログでは普通の人でも使える気という話になりましたが、今回は3つの丹田と気の話をしたいと思います。


3つの丹田

 

このブログでは何度か触れているように、人体にはエネルギーの中枢と言える部分があります。

ヨガではチャクラがエネルギーの中枢として有名ですが、合気道では3つの丹田がそのエネルギーの中枢となります。

3つの丹田というのは、下から下丹田(しもたんでん/かたんでん)、中丹田(なかたんでん/ちゅうたんでん)、上丹田(かみたんでん/じょうたんでん)といわれるものです。

場所は下丹田は、臍の下3寸といわれます。経穴(ツボ)では気海(きかい)の奥にあります。

ちなみに、寸とは人体の経穴(ツボ)を測る単位で、一般に1寸は親指の横幅のことで、人差し指~小指の4指を揃えたときの横幅が3寸とされています。

中丹田は、乳頭を結んだ丁度センターで壇中と呼ばれる経穴(ツボ)の位置の奥です。

さらに、上丹田は眉間のど真ん中にあり、経穴では印堂と呼ばれる場所の奥にあります。

また、神道では、世界を考えるとき、天、火、水、地の4つの要素で考えますが、天は上丹田、火と水が中丹田、地が下丹田に相当します。


 

3つの丹田の使い分け

通常は丹田というと、下丹田を差すことが多いですが、技を使用する際に、物理的な作用を重視する場合は下丹田、精神的な作用を重視する場合は上丹田を、物理と精神の中間的な作用や混ぜた作用を重視する場合は中丹田を使います。

具体的には、呼吸力で相手を圧倒したいときは、下丹田を意識し、下丹田からのエネルギーを発散するように、体内を通して気を腕に運んで、相手を制圧します。

当然、物理の力として筋力を使いますが、使い方は気が流れる感覚がなければなりません。

力んだ場合は、気が一点に停止していて気が流れていない状況になっています。

特に、肩にある三角筋を緊張させる人が非常に多いですが、緊張させるのではなく、力を流すのが正解です。

この様に下丹田は物理的なパワーを引き出す時に使い、大地の力を有効に利用するため、両足と繋がっています。

中丹田は陽と陰のバランスを使って技を掛けるときにつかいます。言い方を変えると「気の合わせ」を起こなう時に使うのです。

相手が陽でくれば、陰に、陰でくれば陽にと変化をします。

中丹田は左右の両腕と繋がっています。

上丹田は、意識を使う技術の際に使います。例外としては、当会の打撃法の4式のように頭の重さを利用した物理的手法で使う場合もあります。

ちなみに、上丹田は両眼に繋がっています。

以上が、丹田の使い方です。


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【普通の人が使える気の原理】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、最近は世界中の気の思想に関して述べてきましたが、結論として、精神世界と物理世界の結び付きを気というものを通して説明されるものでした。

武道では、現実に目の前の相手に影響を与える必要があり、いくらイメージで相手を倒したとしても、現実に相手が倒れなければ意味がありません。

各種武道では、気をどのように扱うと物理世界に直接影響を及ぼすかが研究されていて、秘伝という方法をツール化した技術が伝えられています。

今回はそのツール使いこなすためには何が必要かを述べていきたいと思います。


精神世界と物理世界を直結しない!

 

武道でもっともやってはいけないことの一つとして、精神世界を直接、物理世界に結びつけることです。

早い話が、思ったことをそのまま実行すると失敗するということです。

 

何故なら、思ったことをそのまま実行すると相手に必ずその動作が読まれてしまうからです。

例えば手首を掴まれたとき、通常は人のその手を外そうとして、相手が持っている手首に最大の力を込めます。

すると、相手より自分の方が力が上であれば力で制圧することが可能ですが、相手が上ならどうすることもできません。

ところが、自分の意識を肘に持っていき、接点、要する相手が持っているところを軸にして、自分の肘を相手の体に当てるような動きをすると簡単に外れます。

これはテコの原理の応用でもありますが、稽古で同じ動きを何度もしていると、最後には相手が対応できるようになってきますので、この動作をすると成功する理由は、相手がこちらがどう動くかわからないからというのが最も大きな要因です。

この様に、物理世界では、相手に効果を与えるには、相手がこちらの動きが読まれないということが大切なのです。

これが精神世界を物理世界に直結しないということです。


精神と物理を気で繋げる

 

精神世界と物理世界をつなぐときは、必ず直結を避け、第三のアプローチを加える必要があります。

そこで登場するのが気という概念です。

ですから、気が分からないとできないというモノではなく、気があると思うことが大切です。

気を意識することだけで、相手はコチラの意識を直接読みづらくなります。

これは気を信じないと言っている人でも同じです。ただ、気があると信じる人の方が、接触点に行く意識がなくなる分、相手に情報を与えないという点においては非常に有利です。

ですから、信じなくても、あると思い込んでやることが大切なのです。

今回は簡単な気の効用として、「情報の遮断」のお話しをしました。

直接、精神世界から物理世界を支配しようとしないということが大切です。

 

 

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【普通の人が気を物理世界で活かすには?!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回までいろんな「気」についての考え方をご紹介しましたが、それぞれが気の詳細になるとかなり異なった見解が存在することがお分かりに思います。

概ね一致する点というと、「気」とは精神世界と物理世界の間の繋がりを説明するための半物質としての生体エネルギーと言ったところでしょうか?

しかし、どの思想にしても、気を扱う場合、最終的には宇宙の根本神たる何者かを理解するための技術が中心となっています。

そのため、精神世界と如何につながるかという方向性が重視され、精神世界とのつながりが、最終的に物理世界とのつながりに変化をもたらすという考えです。

 


武道は物理ファースト

一方、武道を行う場合、出発点は物理世界とのつながりで、相手を如何に制するかという点です。

ここで、ある柔道家(会った当時四段)の方から聞いた話をしたいと思います。

その柔道家の人は柔道が初段のとき、合気道開祖の話を本で読んで、気の世界にあこがれ、柔道に活かしたく合気道を習いだしたそうです。

しばらく習っていると、そこの師範(七段)の方が、「お前、柔道やっているそうやな? 何でもええから技を掛けてきなさい」と指名したそうです。

そこで、彼は本気で師範に組み付くや否や、道場内にバシーンと畳を叩く音がこだましました。

それは、一瞬で背負い投げが決まった瞬間だったそうです。

それ以来、道場に行くのが気まずくなり、合気道を辞めてしまったそうです。

どうやら、その師範は、柔道の経験もなく、組手や乱取りやスパーリングはおろか、人と争った経験が殆どなく、それでいて自分は強いと思い込んでしまたようです。

ですから、「我々は精神性が高い」と他の武道を見下す合気道師範がいますが、やはり物理世界で通用しないなら意味はありません。

せめて、素人相手に技がかかる護身術として使えなければ、何のために必死で汗をながしているのか分かりません。


物理世界で気が使えるのが合気道の秘伝

合気道は武道であり、当然護身術として使えなければ意味がありません。

そのためには、どうすれば技に相手が掛かるかを考えると、人間には物理と精神の2つの世界があり、その要素を使用することを考えた場合、次の方法が考えられます。

  1. 物理的に崩す
  2. 生理学的な反応を利用して崩す
  3. 心理学的な反応を利用して崩す

これら3つの方法のいずれかの方法かあるいは複数の方法が、精神活動と一致したときに人は気が流れたと感じます。

その方法を気と結びつけてツール化して細かい技術にしたものが合気道の秘伝です。

思想は精神世界から物理世界を、武道は物理世界から精神世界へと向っているといえます。

 


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【気をどう捉えるか?!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、何回かにわたって、色々な思想での気の捉え方を説明してきました。

それによって、全く異なる点と共通した点とがあることがわかります。

僕は、この共通した点が人類に共通に感じる気の感覚であり、異なる点が民族や思想によって認知される部分だと考えています。

そういった点で気を捉えたとき、自分達が気に対してどう向かい合えばよいかというのが分かるのではないかと思うのです。


気の性質が違う理由は?!

 

今まで、タオイズム、神道、神智学、インド哲学などの気に関して述べました。

まだまだ、それ以外にもあります。たとえば、インディオの呪術であるナワーリズムには、自然のエネルギーとして気とよく似た概念があります。

ところが、それらを詳細を比べるとかなり性質の異なる点が多々あます。

一方、物質、例えば石を世界中の人に見せても、常識的に考えるとすべての人は同じように見えているものと考えられます。

科学的に存在を考えるとき、条件が同じなr誰が観測しても同じであるのが重要です。

そうすると、気の捉え方でそれぞれ異なるということは、気を否定的にとらえざるを得ません。

しかし、認知科学や脳科学、心理学などでは、過去の経験や知識によって人間は目の前にあるものを認知していると言われています。

ですから、実は石を見ても、実際はそれぞれの民族では違った見方をしている可能性があり、それは個人個人によっても違うかもしれません。

実はある人が見ると、その石に巨大なエネルギーを見たり、神を見るかもしれません。

また逆に邪悪な邪霊やよくないエネルギーが見えたりするかもしれません。

結局は、どう認知するかが問題だということです。

それぞれの民族は独自の文化や教育があり、それが気を捉えるのに非常に影響しているものと考えられます。

それゆえ世界の気に関する認識に違いがあると思われます。

 


結局、合気道では気をどう扱うか?

僕は、こういった思索を繰り返している中で、「結局、合気道では気をどう扱うか?」という点にただりつきました。

そこで、合気道として考えるべきことは、まず技に活かせているかという点だと考えました。

要するに、いくら気を感じても、色が見えても、物理現象である技に活きないと意味がないということです。

いくら強力なサイコキネシスを持っていて、数百グラムのものを浮かせられても、物理的に人を投げ飛ばすには全く使えません。

というか一般の普通の人には使えません。

そういった点から、精神、半精神半肉体、肉体という三つの観点から気を考え、技を整理することで気を誰もが簡単に扱えるようになると当会では考えています。

 


 

 

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【ヨーガなどインドの哲学から見た気】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、色々な思想や宗教での気というものについて最近書いています。

今回は、バラモン教やヨーガなどインドの思想について紹介しようと思います。


古来インドの思想

バラモン教やヨーガでは、宇宙の根本神としてブラフマンと人間の本体である魂にあたるアートマンがあるとします。

そしてアートマンは永遠に不滅であり、死ねば輪廻転生して新たな体に宿ります。

さらに、空(アーカーシャ)と生命エネルギーであるプラーナにより宇宙が出来ていると考えられていて、そこより、宇宙を構成している要素として、空、風、火、水、地の5大元素が出来ているとします。

なお、五大元素というと物質的なものを想像してしまいますが、物理的な物(物理世界)から神的な物(精神世界)への段階的な分類としての元素と考えた方がよさそうです。

ですから地がもっとも低い現世的なもので固体に近いもの、一ランク上がったのが水で液体にちかいもの、さらに気体と上がっていくほど純粋なものになっていくと考えるといいかもしれません。

ちなみにブラフマンはアーカーシャからできていて、アートマンはプラーナからできていて、最終的に修業によって、アートマンである魂が宇宙の根本神であるブラフマンと一体となることで修業の完成とされています。

これらの思想は非常に哲学てきで、あまり詳しい話になると非常にややこしくなるのですが、要するに気にあたるものがプラーナ―です。

そして、このプラーナですが、身体の中のナディーという管の中を流れているとします。

こういうと、かなり中国の気の思想に近いように感じますが、中国の気の思想では、気の流れるルートは十二経絡とその他八脈の二十本に対して、ナディーはなんと7万2千本あるとされています。

また経絡とはまた違ったルートを取っていて、しかもチャクラと呼ばれる7つの生体エネルギーのセンターに繋がっているとされています。


仏教と気

仏教はインドで起こった宗教ですが、、プラーナを研究するよりも、意識構造の研究が盛んで、例えば唯識論では、五感と意識と二種類の無意識により、今見ている世界が成り立っているとしています。

コンピュータの進歩が著しい昨今、この世はバーチャルリアリティと言う人がいますが、仏教では2千年以上も前から、そういった発想があった訳です。

気というのは、意識世界と物理世界の橋渡し的な性質を持っていますが、仏教では成仏を目指し、自分の認識を変えることによって世界の成り立ちを変えるという発想をしていて、目の前の物理を変えるというアプローチはないため、気を使った技術はあまり残っていません。

 


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【神智学から見た気!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今ブログでは、色々な気の考え方について述べていますが、今回は西洋の神智学ではどうかというところを述べたいと思います。


神智学

 

神秘的直観や思弁、幻視、瞑想、啓示などを通じて、神とむすびついた神聖な知識の獲得や高度な認識に達しようとするものである(出典 Wikipedia 神智学より)。

神智学には、東洋の気の思想にあたるものとして、オーラという人間の肉体を覆う生体エネルギーの場があると考えています。

さらに、神智学では、オーラは何相にも別れているとします。そして人間の身体は、肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コザール体、ブッディ体、アートマ―体、モナド体の8層からできているとしています。

レベルの低い肉体から順に、レベルが高くなっていて、モナド体が最も高次元のエネルギーとされています。

このように、神智学では次元のことなる気を想定しているわけですが、東洋的な気に関係があるとおもわれるのは、エーテル体とアストラル体です。

エーテル体は幽体ともいいますが、肉体のすぐ外にあるオーラで、肉体と密接に関わっていて、宇宙エネルギーを体内に取り込む役割も果たしており、生存や活動するために使う機能のバランスを保ち、生命力に関係しているということになります。

アストラル体は星幽体とも言い、エーテル体よりもレベルは高く、エーテル体の上からすっぽりと覆うように取り巻いていて、感情の発現を司っていると言われ、人間の意識や精神に関わっています。

そして、私たちが死を迎えた時は、エーテル体と同様にアストラル体も消滅します。

 


神智学での訓練

 

神智学での訓練は主に、エーテル体へ働きかける意識コントロール訓練とアストラル体に働きかける意識コントロール訓練が中心でこの二本柱で修業を行うことになります。

エーテル体の訓練を行うことで、エーテル体が生命霊と呼ばれるものへと進化し、自分の気質を意識的に変化させてバランスを取ることができるようになります。

具体的には、エーテル体の3つ働き、「感覚を与える働き」「イメージを具現化させる働き」「肉体の運動精と生命エネルギーの運動や移動を可能にする働き」を意識的に用いる訓練を行うのです。

アストラル体の訓練では、アストラル体の機能とし感情を司っているので、感情に働きかけることで、理性的に感情や欲望 コントロールすることを学び、感情に振り回される低いレベルの状態から意識的に脱出し、霊的により進化された自分へと作りあげていきます。

 


 

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【神道から見た気!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回の気の正体について、神道ではどうなっているのかという点をお話ししたいと思います。

 


古神道の人間の解釈

 

神道の気の話をする前に、理解する必要があるのが神道の人間の解釈です。

神道では、まず人というのは、霊(ひ)を止めるから人(ひと)というと考えます。

そして、霊というのは、大宇宙の根本神から分けられた分け御霊(わけみたま)のことです。

そして、分け御霊が正常な直霊(なおひ)であるとき、体に気である生命エネルギーに溢れ、生命活動が順調に行われます。

一方、分け御霊に異常がおこり曲霊(まがひ)になったり、直霊の調和が乱れたときに気が枯れた状態、すなわち穢れた状態になり、体に不調が出たり、行動に異常が出たりします。

このように、日本の古来の考えは、気というのは外からもらうものではなく、魂が本来の状態に戻ったとき、自然と湧き出るものと考えています。


神道における気

 

日本語は非常に「気」のつく言葉が多いです。
気が付く、気が利く、気が強い、気になる、気のせい、気が大きい、気を付ける、気を付ける、気に掛ける、気が狂う…。

このように述語でもかなり多いですが、さらに名詞になると、強気、弱気、短気、やる気、負けん気、陽気、陰気…

名詞の方は、中国から入ってきた言葉もあるので、タオイズムの影響を受けたものも多いと思いますが、述語として使っている言葉は古来のやまとことばが元になっているものが多いと思われます。

このように日本では中国から文化が入ってくる前に「気」という考えがあり、元々は中国文化の「気」とは性質が若干異なっていました。

日本語で穢れという言葉がありますが、これもヤマト言葉です。これは汚れているということではなく、古来、気を「け」と呼ぶこともあり、気が枯れた状態を穢れと呼びました。

ですから、さまざまな体調や精神の不調など、すべて気が枯れた状態であるとし、古神道などでは禊ぎを行い、気が枯れたために起こる悪い気を払い清め、魂自身を奮い立たせて、順調な魂の活動を導くことで、良い気を湧き出せせることができるのです。

以上から、日本の「気」という考えは、魂が正しい活動を行うようになったときの状態として、生命エネルギーである気が溢れるものと考え、それにより、神の分け御霊として、人は神の御業を行えるようになると考えます。

 


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【タオイズムから見た気!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道ではよく「気に合わせろ!」と指導されますが、「気に合わせる」って、何でしょう?

というより、そもそも「気」とは何かということをあまり疑問に感じない人が多いと思います。

というか合気道では「気とは何か?」という質問はどちらかというとタブーで「気は気だろう!」と言われるのが落ちです。

せいぜい「気とは宇宙を支配するエネルギーとか、宇宙のエネルギーでどんなことも可能にするもの」とか説明されるぐらいで、かなり抽象的です。

そこで改めて「気とは何か?」と考えていきたいと思います。

その前に、まずは「気」というものについて、色々な考え方があるので、それらを紹介していきたいと思います。

先ずはタオイズムからです。

 


タオイズムの気

 

先ずは、WHOでも認められている東洋医学の気の理論の元になっているタオイズムから見ていきましょう。

タオイズムとは老荘思想のことですが、それについて書くととんでもないぐらいの記事の数となりますので、超簡単に気に関するところをタオイズムに沿って説明します。

タオイズムでは、宇宙の根源として道(タオ)が存在していて、その相対面である徳が現れて、それにより有と無が生じ、そこから神(しん)、気(き)、精(せい)が生じ、万物が生じたとしています。

神を簡単に説明すると、法というか、法則や指向性や原理といった言葉に相当するのではないかと思います。

気は物質を構成する以前のもので、精とは物質となった際のエネルギーにあたるものと考えていただけるといいのではないでしょうか。


気は神によってコントロール

 

人体にもこの神・気・精があり、人体には、経絡という気の流れがあり、人体のあらゆる現象は経絡の気の流れによるもので、病気は経絡の気の流れの異常から起こるものとされています。

気功やタオイズムでは、最も体(物質)に近いエネルギーである精を練って気に変え(練精化気)、さらに気を練って神に昇華させ(練気化神)、それにより新しい身体を得て不老不死になるというのが仙人とされています。

そうすると、世界にある気を自在にコントロールできるようになるということです。

ここから、漫画「ドラゴンボール」に代表されるような、日本人が一般に考える「気」が万能のエネルギーという発想が生まれたわけです。

そうなると、人から気を奪うとかいう人も現れます。

しかし、「気」を万能のエネルギーにするのはそれを扱う「神」によるもので、神が練れていなければ、奪った気を自在にあやつることはできません。

ちなみに、気功や仙道で多くの気を集めるのは、多くの気をコントロールできるようになるためで、神を練る(練神還虚)ということが本当は目標なのです。

 


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【合気道の力の考え方】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、読者の質問から出発して、前回は第三の方向性について述べましたが、力を使うという部分が明らかにしていなかったので、合気道での力の考え方を書いていきたいと思います。


一霊四魂三元八力とは

先ず最初に、合気道では、よく力を否定し、気ですべてを行うと解釈されることが多いですが、合気道では力には8種類あり、その力を適材適所で使います。

ですから、力に対抗するため力を抜くといのもありますが、それだけではないということです。

具体的な話をすると、合気道の大切な考えとして、一霊四魂三元八力という思想があります。これは、古神道の本田親徳の思想に基づく考えです。

人というのは、霊(ひ)を止めるということから霊止(ひと)と呼ばれているということで、人には霊と肉体があると考えるわけです。

僕は精神世界と物理世界という表現をしていますが、霊(精神)と体(肉体)という2つの構成要素を合気道でも考えます。

そして一霊四魂は霊(精神)を、三元八力は体(肉体)を表しています。

精神面の一霊四魂についてはるあまり詳しく述べると話がややこしくなるので、以下は体であり物理面である三元八力について説明したいと思います。

三元八力というのは、三元である流体、柔体、剛体(固体)をより八つの力、動、静、引、弛、凝、解、分、合が生じるということです。

この様に合気道では力を否定するのではなく、さまざまな力を肯定し、状況によって使い分けられるのが正しいと説くのです。

 


大切なの気の流れがあること

 

元々は合気道では力の否定というのはしていないというのが分かったと思います。

また、井口師範は「気の流れ」を重視しました。体の使い方で気が流れているかどうかを重視しました。

井口師範は「技を行う時、気が流れているのを感じなければならい」とよく言われていました。

要するに、気という停止したエネルギーが技の質を決めるのではなく、気の流れがあることが大切ということです。

では、気の流れと力の肯定とどういった関係があるかということですが、技を使う時の問題は、止まった力を使っているか、変化する力を使っているかということだと言えば分かると思います。

変化する力というのは流れる力のことで、一点に固定されない力のことです。

大体、力比べになるというのは、互いに一点に力が固定されているときに起こります。

当然、一点に固定された力の場合、筋力が上の人が勝つにきまっています。

ですから、力の使い方をどうするかということが合気道の修行者の考えになる必要があるのです。

 

 


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