合氣道の「一体となる」とは

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

合気道の開祖、植芝盛平翁は「合気道とは愛なり」と語ったと言われています。また、私の師匠である井口師範も「合気道は清濁を併せ呑む海のごとくなければならない」と教えてくださいました。これは、「相手のすべてを受け入れ、相手と一体となること」を意味しています。では、「一体となる」とは一体どういうことなのでしょうか?今回はこのテーマについて掘り下げてみたいと思います。

宇宙と一体になる

合気道の稽古では、「宇宙と一体になる」とか「相手と一体になれ!」という言葉をよく耳にします。では、まず「宇宙と一体になる」とはどういうことなのでしょうか?師匠は「宇宙の中心に立って技を行うことだ」とおっしゃいましたが、当初の私はその意味を全く理解できませんでした。

合気道の準備運動には、天鳥船の行や振魂の行が含まれています。これらは古神道の儀式に由来するもので、単なる信仰の一部ではなく、体の軸を安定させ、天地を貫く軸を形成するための重要な運動です。この運動を繰り返すことで、自分が宇宙の中心にいる感覚を得られるようになります。

この運動によって、天地の軸が明確になり、天の氣や地の氣を使った呼吸力が発現します。天地の軸を意識できるようになると、自分が宇宙の中心となる感覚を体験できるのです。前回の記事では「氣の性質」についてお話ししましたが、上丹田、胸の中丹田、下丹田が一直線に結ばれ、地から天を貫く天地の軸が形成されると、内外の氣が安定し、動かなくなります。これが「宇宙と一体になる」ということです。

相手と一体になる

自分が宇宙と一体になった感覚を得ると、理屈では「相手も宇宙の一部だから、宇宙の方が強い。相手をねじ伏せるのは容易い」と考えがちですが、実際はそう簡単ではありません。

宇宙の法則は調和に基づいているため、「相手をねじ伏せよう」と思った瞬間に、自分が宇宙と一体であるという感覚が崩れてしまいます。宇宙の中心に立っても、「我」と「他」という意識では真の一体感は得られません。大切なのは「相手も我も宇宙の一部である」という認識です。

そのため、形稽古においては、相手を「清濁併せ呑む大海」のように全面的に受け入れることが重要です。相手との衝突をゼロにし、完全に一体となることが求められます。次に、相手が自ら動くように導き、その結果が投げ技や固め技となるのです。

  • 受け入れ: 相手の力を自分の中心で受け入れ、天地に返す。
  • 合わせ: 相手との衝突を無くす。
  • 導き: 相手を自然に導く。
  • 結果: 最後に相手を地に導くことで、投げ技や固め技になる。

特に「導き」の段階では、相手が自ら動くように導くことが必要です。言い換えれば、相手を自分の身体の一部としてコントロールすることでもあります。これが真の意味で相手と一体となることの重要性です。

相手の立場に立つ稽古

このためには、日常的に相手の立場に立って考える訓練が必要です。相手がどう動きたくなるかを客観的に観察し、例えば座っている人を効率的に立たせるにはどうすればよいかを考えてみると良いでしょう。相手を立たせる際の動きの軌道は、自分が座って立とうとした場合に描く軌道と同じです。その軌道で相手を動かせば、自然と相手が立ち上がらせることができます。この理屈を知らなければ、無理に引っ張ろうとしてもうまくいきません。合気道の技も同様です。

上の写真は私が自ら立っているのでではなく、術者によって自然と立つように誘導されているのが分かると思います。

要するに、「導く」ということは、相手が自ら動くように反射を引き起こすことです。人は倒れそうになったとき、足を踏ん張るか、あるいは「倒れた方が安全」と判断した場合には、できる限りソフトに地面に着くように動きます。このように、安全のために脳が自動的に指示を出す軌道を描くことが「導く」ということです。

稽古での一体感

合気道では、取りと受けの役割を交代で行うことで、一体感を深めます。投げ技や固め技を身につけたいと思うかもしれませんが、合気道では交代で技を掛け合うことが重要です。これは単に不公平を防ぐためではなく、受けの役割と取りの役割を体験することで、一体となる意味を理解するためです。

受けの目的を考えると、「安全に倒れる」状況を客観的に感じるのは受けでなければできません。合気道の受けの役割は非常に難しく、相手が自分よりも下のレベルであれば、自ら倒れて最も倒れやすい軌道を教えてあげなければなりません。逆に、相手が自分よりも上のレベルであれば、しっかりと逆らい、相手が氣のトレーニングをできるよう配慮する必要があります。同等レベル同士になると、受けは相手の氣に反応し、スムーズに受けを取れるようにします。

取りが技を行うときは、自分を客観的に見つめ、相手と一体となり、どのように上手く導けるかが重要です。関節を極めることや、どう投げるかは結果に過ぎず、本質は相手との一体感にあることを理解することが大切です。

(一体化の技の例)

まとめ

合気道における「一体となる」という概念は、単なる技術や理論を超えた深い意味を持っています。宇宙と一体になることは、自分自身の内なる軸を確立し、天地のエネルギーを感じることから始まります。そして、相手との一体感は、相手を受け入れ、調和をもって導くことで生まれます。

このプロセスでは、受けと取りの役割を交互に体験することが重要であり、それによって相手との関係性や技の本質を理解することができます。合気道は、単なる武道ではなく、心と体、そして相手との調和を追求する道なのです。

私たちが合気道を学ぶことで、自己を深く理解し、他者との繋がりを大切にすることができるようになります。これこそが、合気道の真髄であり、私たちが目指すべき理想の姿です。今後もこの道を共に歩み、さらなる成長を遂げていきましょう。

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心と身体と氣の一致

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

今回は、合氣道を学ぶ上で避けては通れないテーマ、「氣」についてお話ししたいと思います。
この「氣」という言葉、皆さんも普段の生活の中で使ったことがあるんじゃないでしょうか?

たとえば──
「氣が抜けて怪我をした」
「氣が散って集中できない」
なんて表現、聞き覚えありますよね?

そう、僕たちは知らず知らずのうちに「氣」という言葉を使っている。でも、実際のところ「氣」って何?と聞かれたら、言葉にするのはなかなか難しいものです。

氣とは?!

「氣」とは、簡単に言えば生命力やエネルギーの流れのこと。
目には見えないけれど、僕たちの身体や心、そして自然との調和に深く関わっているとされます。

一般的に考えられている「氣」の性質はこんな感じです:

  1. 日常的に誰もが使っているが目には見えないエネルギー
  2. 健康や精神状態にも影響を及ぼす
  3. 武道では、「氣」を正しく使うことで無理なく効率よく体を動かすことができる

僕の師匠は「氣」の正体を明確には教えてくれませんでした。でも、稽古の中で感じる断片的なヒントと、東洋医学や様々な氣に関する書籍、そして合氣道の四つの技術(骨、皮膚、皮膚感覚、空間感覚)を組み合わせて考えていくと、どうやら「氣」は多層構造になっているようなんです。

井口師範の説明から導き出された「氣」の構造

僕なりに整理すると、「氣」は皮膚を境界にして内側と外側に分けられると考えています。

外の氣:

  • 最外殻の氣:視覚や聴覚と関連。ドーム状に体を覆っている。
  • 外殻の氣:皮膚表面に近く、触覚や皮膚感覚とつながっている。

内の氣:

  • 内殻の氣:皮膚の内側にあり、筋膜や経絡に関係する。
  • 核の氣:体の中心を貫く軸に沿って流れ、心身が統一されたときに現れる。

合氣道では、この内外の氣を**いかに「乱さず」、あるいは「乱すか」**が技の鍵になります。
取り(技をかける側)は自分の氣を一体に保ちながら動き、相手(受け)の氣をうまく散らすことで、崩しや投げにつなげていくわけです。

心と氣の関係

では、「氣」はどうやって動くのでしょう?
実は、心(意識)の動きがそのまま氣の動きに直結しているんです。

つまり、

  • 人は氣によって動いている
  • 意識が向いた方向に氣が流れる
  • 氣の量には限りがあり、意識の偏りで偏在が起こる

この性質を理解していないと、動きの中で氣がバラバラになり、怪我やバランスの崩れにつながります。

例:「物を掴む」動作と氣の流れ

ここで日常動作を例に、「氣」の変化を見てみましょう。

  1. 目の前にある物に視線を向ける
  2. 最外殻と外殻の氣がその物に向かう(=氣が前方に引っ張られる)
  3. それに伴って、手足の氣も前に向かい、物を掴む

このとき、氣は手に集中するため、体を支える部分の氣が薄くなりすぎることがあります。下図は外の氣と内の気が動き、外の氣は目標物に、内の氣は手先に集中したときの図です。内の氣が手先に向かえば、手から最も遠い部分の氣が欠乏します。また、外の氣が遠くに行くことで体を覆う氣の濃度が減ることでやはり氣が欠乏します。結果として、予想以上に重い物だった場合、腰などを痛める危険もあるのです。

合氣道の技は、こうした氣の流れと偏りを利用して相手を崩します。

技の応用:氣の導き方

技をかけるときは、相手の「外の氣」あるいは「内の氣」のどちらを導くのかを明確にする必要があります。

その上で、相手を不利な状態へと誘導し、投げや固めの技へとつなげていくのです。
つまり、氣の動きは単なる感覚ではなく、意識的にコントロールするべき対象なのです。

取りの心得:「氣を動かさない」意識

氣は意識とともに動く──
だからこそ、取りとして技をかけるときには、いかに自分の氣を乱さないかが非常に大切です。その鍵となるのが「天地の軸」の意識です。

天地の軸と三つの丹田

合氣道では、「丹田」(氣の中心)を3つに分けて考えます:

  • 上丹田(頭)  : 眉間の中央より4指分奥へ
  • 中丹田(胸)  : 2つ乳首の真ん中より4指分奥へ
  • 下丹田(下腹部): 臍より4指分下、4指分奥へ

この三つを縦に結んだ一本の線が「天地の軸」。


この軸を意識しながら動くことで、氣が分散せず、動きが安定します。

なお、余談ですが、合氣道では体の方向を変える場合は、男性であれば乳首の位置で4指分の奥の左右の軸のどちらか(火の軸、水の軸)を使います。(女性の場合は、胸が膨らむ前の自分が子供だったころならどの位置に乳首があったかを想定しその位置で4指分奥の左右の軸を意識すると良いでしょう) いわゆる「なんば歩き」がこの左右の軸を使った動きということになります。

ただし、常に三つの丹田を縦一直線に保つのは現実的ではありません。
稽古では「下丹田を起点に天地へ伸びる軸」として意識することが多く、他の武道でも下丹田だけを重視することが一般的です。

ちなみに、スポーツ選手のフォームをよく見ると、やはり下丹田を中心に天地の軸に対称に絶妙な重量バランスを取っていることに気づきます。要するに結果的に頭が軸からぶれても天地の軸がつくられているということが大切です。それにより、氣の移動が起こらず身体を痛めにくく、安定した状態が保てます。氣がバランスよく配分されている状況を作ることで最大のパフォーマンスが発揮できるのです。

まとめ

合氣道では、三つの丹田をつなぐ天地の軸を意識しながら、
意識、身体、氣の動きを一致させていくことが何より大切です。

それが、技を美しく、無理なく、そして強くする第一歩。

しかし、意識が常に下丹田にあるのは拘りになりますから、そういえば、丹田に意識があるという感覚です。また、天地の軸にしても同様で、無意識レベルで確かに存在し続けているがそればかりを意識している訳ではありません。人が意識を集中してしまうとそこに氣が集まり、移動してしまうので、丹田にしても、天地の軸にしても、忽然と存在しているという感覚になることが大切です。

井口師範は「ああしよう、こうしようと考えるのは不自然」、「自分が存在があるから、自分がある。ただあるというのが大切」とおっしゃいました。

「氣」という目に見えない力とどう向き合うか──
それが、合氣道を深めていく醍醐味でもあるのです。

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二教には天の氣を使え!

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

合気道の重要な動作「振魂の行」と「天の鳥船の行」についてお話ししたいと思います。この二つの行は、私たちの武道修行において非常に深い関係があります。

井口師範の振魂の行

僕の師匠、井口師範から教わったことがあります。「天の鳥船の行」と「振魂の行」は、天の気、地の気、水の気、火の気を使えるための行だということです。この話を聞いたとき、もっと深く知りたくなり、質問をしましたが、師範は「しっかりやっていれば、ある時にわかるようになる。それまで楽しみに待っていなさい」とおっしゃいました。

その後、僕はこの言葉を胸に、日常生活に「天の鳥船の行」と「振魂の行」を取り入れていきました。そして、ある日突然、振魂の行について新たな感覚が芽生えたのです。

新たな発見

その感覚は、師範が「振魂をゆっくり動かすと、こうなる」と示してくださった動作をさらにゆっくりと行ったときに訪れました。一般的に振魂の動作は、身体を小さく上下に揺らしながら、玉の印を組んだ両手を震わせるように指導されますが、さらに深い理解が必要です。

井口師範は、「身体が上に行くときは手は下に、身体が下に行くときは手は上に動く」と教えてくださいました。この教えを守りながら、ゆっくりと振魂の行を行っていると、ある瞬間、意識が上下に動く感覚を体験しました。

具体的には、体が上方に向かい手が下に向かうとき、上丹田にある意識が百会を抜けて上に、体が下方に、手は上方に向かうとき、下丹田の意識が地面に落ちるという感覚が突然でてきました。(下の写真)

振魂

最終的には上下の動きを小さくし、手の振りだけで、この意識の移動が起こるようにすることが実は振魂の行の目的ではないかと僕は考えています。それにより、天の氣の発動が見えなくなり対策することができなくなるからです。(下の翁先生の映像を見ていると殆ど上下の動きがありません)

天の氣

井口師範が以前行っていた技で僕にはどうしてもできないものがありました。この感覚を得たことで、それを試してみることにしました。それは「前に倣え」のように両手を前に伸ばし、下から支える相手を下に押す動作です。通常、この動作では相手を下に落とすことは難しいのですが、意識を天に向けてあげていくと、相手は簡単に沈むことができました。この体験から、天の気を使うことの重要性を実感しました。

全体重を掛けて力づくで相手を押し下げようとしても、通常は相手を落とすことができません。

しかし、手を伸ばした力学的に不利な状態でも、天の氣を使うと、相手を押すと簡単に相手が下に沈みます。

天の氣の二教への応用

ここの体験を通じて、天の氣の使い方が分かってきました。ある日、師匠に二教をかけてもらったとき、そこでもこの天の氣が応用されていることに気づきました。合氣道の投げ技は、基本的に相手を地に導くことが重要であり、ほとんどの技において天の氣を使うことができるようになっています。ただし、受け手にとっては非常に強い力で作用するため、怪我をさせてしまう恐れがあるので、慎重に使う必要があります。

まとめ

このように、合氣道に取り入れられている「天の鳥船の行」や「「振魂の行」など古神道の技法は、単なる宗教的な枠を超え、身体の正しい使い方に基づいていることがわります。また、先ほど示した動画での開祖の動きと古神道の指導者の動きが異なるっていることが判ります。このことから、合気道開祖が合気道の基本的な身体動作を得られるように改変しているようにも思われます。

現在、多様な思想を持つ人々が集まる中で、「天の鳥船の行」や「振魂の行」など宗教を発端とする技法を行わない道場も少なくありませんが、開祖が取り入れた修行法は本質を理解すれば些細なことです。ぜひ皆さんも「天の鳥船の行」と「振魂の行」に挑戦してみてください!

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大和言葉から学ぶ合氣道

こんにちは、皆さん。お元気ですか? 僕は今日もメチャクチャ元気です。

今回は、合氣道と日本語の深い結びつきついてお話をしたいと思います。

合氣道と日本語の深い結びつき

日本語には、一見無関係に思える2つの言葉が、実は古来の大和言葉レベルでは深いつながりを持っていることが多いです。これらの言葉の背後には、日本人の自然観や精神性が色濃く反映されています。特に合氣道における「氣」の概念を考える上で、言葉のルーツから得られるヒントは非常に多いのです。

意外な「氣」と「木」の関係

「氣」と「木」という言葉は、一見すると関係がないように思えますが、実は同じ語源を持っています。この視点を持つと、両者は「生命力」や「自然のエネルギー」を象徴していることがわかります。「氣」は目に見えないエネルギーや生命の働きを表現し、「木」は大地に根を張り、天に向かって成長する生命そのものです。古代の日本人は、木が大地の「氣」を吸収して成長すると考えていました。また、「木」は大地の「氣」が形になったものであり、大きな木には神が宿ると信じられ、「神木」として崇められていました。このように、「氣」と「木」の関係は、自然の力に対する古代人の考え方を理解するための重要なキーワードとなっています。

呼吸という言葉と呼吸力の深い意味

合氣道でよく使われる「呼吸力」という言葉は、大和言葉の深い意味を示しています。呼吸は大和言葉では「息(いき)」と呼ばれ、「息」は「氣」を取り入れる動作を意味します。「生きる」「活きる」「粋(いき)」などの言葉も、すべて「氣」と密接に結びついています。呼吸とは単に空気を吸うことではなく、「氣」を体に取り入れて全身に巡らせる行為です。合氣道の「呼吸力」は、この「氣」を自在に使う力を指しています。

力とその源

さらに「力(ちから)」という言葉にも注目が必要です。「ち」という音は「地」や「血」ともつながり、どちらも生命やエネルギーの源を意味します。つまり、「力」とは大地や血液といった根源的なエネルギーが形となって現れたものです。呼吸力は個人の血から出る単なる筋力や体力ではなく、天地の「氣」を体に通し、自然と一体となって発揮される天地の力を利用するものなのです。

呼吸力の体感をするための合氣道の稽古

合気道の稽古には、「天の鳥船」と「振り魂」という準備運動が含まれています。最近では、これらの運動が神道に由来するため、思想や信教の自由を尊重し省略する道場が増えていると聞きます。しかし、実際にはこれらの運動は呼吸力を体感するために非常に重要です。これらの稽古を通じて、「天の氣」「地の氣」「火の氣」「水の氣」を感じ、それを体の骨や筋肉に通すことを学びます。ただし、合気道における呼吸力の技術は非常に秘匿性が高く、「天の鳥船」と「振り魂」のやり方は口伝であり、古神道のものとは異なるため注意が必要です。Youtubeで公開している開祖がこれを行なっている動画が参考になります。

この稽古の基礎となるのは丹田です。運動を行う際には、頭(上丹田)、胸(中丹田)、下腹(下丹田)の三つの丹田を一直線に揃えることが重要です。これにより、身体を貫く天地の軸が生まれ、呼吸力を発揮する準備が整います。「天の鳥船」と「振り魂」を行うことで、呼吸力の出し方が理解できるようになります。

継続的な鍛錬の重要性

呼吸力の出し方が分かったからといって、それで終わりではありません。より強い「氣」を扱うためには、骨や筋を鍛え、体を整えることが不可欠です。合氣道開祖・植芝盛平翁先生も私の師の井口師範も常に鉄の杖を振ることで、強い呼吸力が出るように体を鍛えていたと言われています。正しい身体の使い方としっかりとした基礎があってこそ、合氣道の強い呼吸力が発揮されるのです。

言葉のルーツを知り、自然の「氣」とつながる感覚を大切にすること。それが、合氣道の「呼吸力」を深く理解し、実践するための第一歩なのです。

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合氣道の「当て身」と呼吸力~安定した身体で生まれる打撃の秘密~

合氣道の当て身

合気道や古流柔術などの武道では、打撃技のことを「当て身」と呼びます。多くの武道にさまざまな当て身の技法がありますが、合気道の当て身は「呼吸力」という独特な力の出し方に特徴があります。

呼吸力とは何か?

呼吸力とは、単なる筋肉の力や息を吸ったり吐いたりする力ではありません。心と身体が一体となった状態から生まれる、特別な力のことです。私の師匠である井口師範は「呼吸力は天地の力を借りて行うもの」とよく話していました。つまり、合気道の当て身は、ただ腕を振り回すのではなく、体全体のバランスやエネルギーの流れを活かした打撃なのです。

安定した姿勢がすべての基本

呼吸力を発揮するためには、まず正しい姿勢が不可欠です。そのカギとなるのが「臍下丹田(せいかたんでん)」です。丹田は、おへそから三寸分下(東洋医学では親指の幅が1寸。親指の幅三つ分)の奥にあり、東洋医学では体のエネルギーの中心点とされています。ここを意識することで体の重心が安定し、物理的にも精神的にもしっかりと立つことができます。

さらに、丹田は3つあり、臍下丹田は下丹田といわれ、胸の膻中というツボの奥に中丹田、眉間の奥に上丹田があり、特に初心者は、上丹田、中丹田、下丹田を鉛直に一直線に並んで中心軸を作ることでより精度の高い当て身をするための姿勢を作ることができます。

なお、合氣道の技を行う際には、上中下の三丹田を結ぶ軸をあまり意識し過ぎると技に滞りが発生し、気の流れを阻害するので、当て身の稽古を行うときだけに注意すると良いでしょう。

当て身のための体の使い方

安定した姿勢ができたら、次は肘の使い方を覚えます。合気道の当て身では、「氣のライン」と「螺旋運動」が大きなポイントです。

  • 氣のライン
    これは、呼吸力が腕を通じて放出される理想的なラインのことです。たとえば男性の場合、右手では、右乳首の前方5~7寸(親指の幅5~7つ分)の位置に垂直に存在すると考えられています。このラインは、人体の中を流れる「陽明胃経」という経絡と重なり、東洋思想の「土」に属します。つまり、呼吸力は大地のエネルギーを借りることで生まれ、体の安定と力の流れを高めてくれるのです。
  • 螺旋運動
    肘の螺旋運動と聞くと複雑な動きをイメージするかもしれませんが、実際はわずかな捻り(約45度)です。見た目にはほとんど分かりませんが、この小さな動きが当て身の威力を大きく左右します。

実際の当て身の流れ

例えば中段突きの当て身を行う場合、まず拳を引かず、肘を軽く曲げた「折れない腕」の状態で前方に構えます。肘はやや外を向け、氣のラインに沿って滑り込ませるように下に向けながら打撃を加えます。この一連の動きの中で、小さな螺旋運動が威力を生み出します。

まとめ

合気道の当て身は、単なる力技ではなく、体の安定と「呼吸力」、そして「氣のライン」や「螺旋運動」といった独特な体の使い方によって生み出される打撃です。このことから、当て身の中に合氣道の極意が集約されているともいえます。これらのポイントを意識して「当て身」を稽古することで、より深い合気道の技を身につけることができる非常に大切な一人稽古用の形とも言えます。今、合氣道界では殆ど稽古されなくなった「当て身」の価値を再度見直してみる必要があるのではないでしょうか。

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合気道 「型」から「形」へ

こんにちは、皆さん。お元気ですか? 僕は今日もメチャクチャ元気です。

今回は、合氣道を学ぶ中で多くの人が一度は疑問に思う、「形(かた)」と「型(かた)」の違いについて、武道としての合氣道という立場から師匠の井口師範から学んだことを私自身の考えも交えてお話ししたいと思います。

「形」と「型」――その言葉が持つ意味

合氣道の教則本や稽古でよく目にする「形(かた)」という言葉。他の武道では「形」「型」とあまりこだわらないのが一般的のようなので、「どうして合氣道だけ『形』にこだわるの?」と疑問に思う方も多いでしょう。実は、この違いには合氣道独自の哲学や稽古観が深く関わっています。

「型」とは何か

まず、「型」とは何でしょうか。型は、決められた順序や動作を正確に再現することに重点を置いた練習方法です。いわば「鋳型」のようなもので、誰がやっても同じ動作になるように決められています。これは伝統や技術を正確に継承するうえで非常に大切な役割を果たします。

「形」とは何か

一方、合氣道で使われる「形」は、単なる決まりきった動作の模倣ではありません。「形」には、固定されたものではなく、流動的で変化し続けるものというニュアンスが込められています。合氣道の創始者・植芝盛平翁は「合氣道は相手との調和を目指す武道であり、技は状況や相手によって常に変化する」と説きました。つまり、「形」とは、技の本質や原理を学びつつも、その時々の状況や相手との関係性に応じて柔軟に発展させていく、“型にはまらない型”なのです。

哲学としての「形」――調和と流れの象徴

合氣道の理念は「和合」や「調和」にあります。相手を打ち負かすのではなく、相手と一体となり、力をぶつけ合うことなく流れの中で技を生み出す――この精神が「形」という言葉に込められています。形稽古は、単なる動作の反復ではなく、呼吸、氣の流れ、心身の統一が一体となった状態を目指します。

例えば同じ「一教」でも、相手の力や動き、心の状態によって微妙に変化します。形は「守破離」の「守」にあたる基礎でありながらも、そこから「破」「離」へと発展し、個々の創造性や応用力が求められるのです。

動きの表現――「型」は再現、「形」は創造

他の武道では「型」にあまりこだわらない方もいるかもしれませんが、基本的には「型」は技術や動作の正確な再現を重視します。これは身体の使い方や間合い、力の伝達など、技術的な側面を磨くうえで非常に有効です。型を通じて基礎体力や集中力、精神力が養われます。

一方、合氣道の「形」は、基本動作や技の本質を学ぶ“出発点”であり、そこから自由に発展させることが奨励されます。形稽古で身につけるのは、単なる動作の模倣ではなく、「氣の流れ」や「呼吸力」、そして「相手とのつながり」といった目に見えない本質的な要素です。

教育的な視点――「形」が育む応用力と創造性

合氣道の形稽古は、基本動作(構え、体の変更、入り身転換、膝行、受身など)から始まり、相対での技の稽古へと発展します。形稽古を繰り返すことで、身体の使い方や間合い、呼吸の一致、心身の統一といった合氣道の本質が自然と身についていきます。

また、形稽古には「命のやり取り」という武道本来の緊張感があり、単なる運動やスポーツとは一線を画しています。形を通じて、技術だけでなく、心の在り方や精神性も磨かれていくのです。

なぜなら、合氣道の形を行うためには、単に身体操作の技術だけでなく、相手を受け入れ導くという心の働きも重要だからです。合氣道の形には、肉体的な要素も精神的要素も入っていて、それらが協調することで技が完成します。

開祖が試合を禁止し、形稽古にこだわったのはそのためです。形稽古では、技を行う「取り」と技を受ける「受け」の役割を明確にし、それぞれが自分の役割を全うし、超えないように行う必要があります。

これができて初めて「取り」と「受け」の氣の交流が可能になります。形稽古とは、取りと受けの氣の交流なのです。これが分からないと、単に「型」を演舞する、取りがまだ十分技が効いていないのに受けが勝手に倒れる、という意味のない稽古になりかねません。だからこそ、形稽古の意味をよく考え、受けも取りもそれぞれの役割を超えず全うすることが大切なのです。

形稽古の実践とその意味

合氣道の形稽古は、基本動作(構え、体の変更、入り身転換、膝行、受身など)から始まり、相対での技の稽古へと発展します。形稽古を繰り返すことで、身体の使い方や間合い、呼吸の一致、心身の統一といった合氣道の本質が自然と身についていきます。

また、形稽古には「命のやり取り」という武道本来の緊張感があり、単なる運動やスポーツとは一線を画しています。形を通じて、技術だけでなく、心の在り方や精神性も磨かれていくのです。

何故なら、合氣道の形を行うためには、単に身体操作の技術だけではなく、相手を受け入れ導くという心の働きも重要だからです。合氣道の形には、肉体的な要素も、精神的要素も入っていて、それらが協調することで技が完成するようになっています。

合氣道開祖は、試合を禁止し、形稽古にのみに拘ったのはそのためです。形稽古では、技を行う側である「取り」と技を受ける側の「受け」の役割を明確にし、それぞれが自分の役割を全うし、それを超えることがないように行う必要があります。

それが出来て初めて取りと受けの気の交流が可能になります。要するに形稽古とは取りと受けの気の交流なわけです。これが分からないと、取りがまだ十分技が効いていないにもかかわらず、受けが勝手に倒れたりという本来の武道である合氣道としては意味のない稽古となりかねません。そのため、武道としての合氣道を目指すなら、形稽古の意味を十分考えて、受け取りがそれぞれの役割を超えず全うすることを目指さなければなりません。

「形」と「型」を超えて――合氣道が目指すもの

合氣道が「形」という漢字にこだわるのは、技術の習得が形式的なものにとどまらず、深い理解と応用、そして調和の精神へとつながることを目指しているからです。

「型」は伝統を守るための大切な枠組みであり、「形」はその枠組みの中で自由に変化し、発展していくための道しるべです。合氣道の形稽古を通じて、僕たちは技の本質を学び、心身の調和を図り、日常生活や人間関係にも活かせる「生きた武道」を体現できるのです。

まとめ

合氣道で「形」と「型」にこだわるのは、単なる漢字の違いではありません。それは、合氣道が目指す「調和」「流れ」「創造性」といった本質を追求するためです。形の中にそれを体現し、技の中で心の在り方や人との関係性、そして自分自身の成長をも学ぶことができます。

合氣道修行者は、合氣道の形を行う際に、

  • 単なる「型」になっていないか?
  • 合氣道の「形」を「型」だけで十分と考えていないか?
  • 単なる「型」を万能視していないか?

こうしたことを常に意識してほしいと思います。

これから合氣道を学ぶ方も、長年稽古を続けている方も、「形」の持つ深い意味と可能性にぜひ目を向けてみてください。形を大切にし、その本質を探求することで、合氣道の稽古はより豊かで奥深いものとなるでしょう。

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合氣道の杖が開く、新しい「氣」の世界

井口師範から受け継いだ本質の技

こんにちは、皆さん。お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、今回は私はこれまで合氣道の稽古を続ける中で、井口師範から伝授された「杖(じょう)」の技術と、その奥深い価値について考え続けてきました。今回は、合氣道の杖がなぜ今こそ見直されるべきなのか、そしてその真価がどこにあるのかを、私自身の体験と気づきを交えながら、合氣道を志す人に向けて語りたいと思います。

杖は「合氣道の本質」を体現する

合氣道の稽古で杖を手にする機会は、近年では減ってきているかもしれません。しかし、井口師範から学んだ杖術は、単なる武器術にとどまらず、合氣道の根本原理――「呼吸力」「氣の流れ」「螺旋運動」――を身体で理解するための最高の教材でした。

杖を使うことで、私たちは「中心(丹田)」の意識、全身の連動、そして相手との繋がりをより鮮明に体感できます。体術だけでは曖昧になりがちな「氣の流れ」や「呼吸力」が、杖を通して驚くほど明確に感じ取れる瞬間があるのです。

井口師範から受け継いだ「シンプルすぎる秘伝」

僕が井口師範から学んだ杖術は、たった3つの基礎に集約されていました。

  1.  基本的な杖の使い方
  2. 「呼吸力」を鍛える3つの対人稽古の形
  3. 「氣の流れ」を鍛える3つの対人稽古の形

この技術はあまりにもシンプルで、僕以外の他の師範の弟子たちはその価値に気づかず、軽視してしまったほどです。しかし、僕は繰り返し稽古する中で、「形の奥に隠された本質」に気づきました。井口師範は「この技術は秘匿せよ」と仰いましたが、師範が他界された今、その真価を伝えずに消えてしまうことを恐れ、僕の道場でも本腰を入れて伝える決意をしました。

「氣の流れ」の実体験――他流派との比較から見えたもの

僕が神道夢想流杖道の体験会に参加した際、型稽古が一通り終わった後、指導者の一人から「好きなように杖で掛かってきてください」と促されました。僕は半信半疑で、井口師範から学んだ「氣の流れ」の形を使ったところ、相手があっけなく吹き飛ばされてしまったのです。

この瞬間、僕は「井口師範から授かった技術は、他流派にも存在しない独自のものだ」と確信しました。神道夢想流の技術も素晴らしいものでしたが、合氣道の杖が目指す「氣の流れ」「呼吸力」「螺旋運動」とは根本的にアプローチが異なることを、身をもって知ったのです。

杖術が合氣道体術を深化させる理由

合氣道の杖術は、体術の理解を飛躍的に深めてくれます。たとえば、杖を操作する際には「中心の安定」「全身の連動」「相手との一体感」が不可欠です。これは体術で求められる要素と完全に一致しています。

さらに、杖を通じて「氣の流れ」を体感することで、体術の動きにも自然と「螺旋運動」や「呼吸力」が宿るようになります。実際、杖の稽古を重ねた後は、体術の技がより滑らかに、無駄なく決まるようになったことを実感しています。

今、なぜ杖なのか――合氣道の未来への提言

現代の合氣道では、杖の稽古が軽視されがちです。しかし、それは「合氣道の本質」から遠ざかる危険な兆候でもあります。形だけをなぞる稽古では、やがて本当に大切な「氣の修練」「呼吸力の体得」が失われてしまうでしょう。

僕は、井口師範から受け継いだ「シンプルすぎる奥義」を、今こそ多くの合氣道家に伝えたいと強く思っています。杖を通じて「氣の流れ」「呼吸力」「螺旋運動」を体感し、合氣道の本質に近づく――それこそが、現代合氣道に必要な「原点回帰」ではないでしょうか。

最後に

合氣道の杖は、単なる武器術ではありません。それは、あなた自身の「氣」を磨き、「呼吸力」を高め、「中心」を確立するための最高の道具です。
ぜひ道場で杖を手に取り、「本質の技」を感じるように稽古してみてください。あなたの合氣道が、さらに深く、自由に、そして力強く進化することを、心から願っています。

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合氣道における「氣の流れ」の探求

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、今回は合氣道で重要な「氣の流れ」について述べたいと思います。合氣道修行者であれば誰もがふんわりとした技に憧れるものですが、それを実現するのが「氣の流れ」の技法です。最後までお読みいただければと思います。

「呼吸力」と「氣の流れ」

この違いは、開祖が意図した「呼吸力」と「氣の流れ」に起因していると考えられます。私の師匠、井口師範は、合氣道の極意として「呼吸力」「氣の流れ」「螺旋形」を挙げ、それぞれの意図を理解しながら技を行うことの重要性を教えてくれました。

  • 呼吸力を意図した技: 術者はそれほど力を出した感じがないが、受け手はまるで重機に巻き込まれるような強力な力を感じ、受け手は抵抗できずに投げられたり倒されたりします。
  • 氣の流れを意図した技: 空気のように捉えどころがなく、訳もわからずに倒されたり投げられたりする感覚です。

技の特性

「呼吸力」を意図した技は、大地と重力の力を借りており、術者が強い力を出している自覚がなくても、受け手は非常に強い力を感じます。一方、井口師範の「氣の流れ」の指導では、相手の「氣」を感じ取り、その「氣」に合わせて導くことが求められます。最も重要なのは、相手の力と衝突せずに自分の「氣」に相手の「氣」を乗せることです。

氣の流れを理解するための稽古

井口師範が伝えた杖の形を用いた稽古では、「呼吸力」を養成するものと、「気の流れ」を体感するものがあり、「気の流れ」を理解するには、後者の形が非常に効果的です。この形は時間にすると数秒で終わるシンプルですが、以下の手順で行います。

  1. 受けも取りも中段右構えを取ります。
  2. 取りが受けの杖を軽く横払いし、それを受けが止めます。
  3. 受けが杖を払おうとすると、取りはその力を吸収しつつ自分の杖を上方に上げ、接点をずらします。
  4. 接点を一尺(約30㎝)ずらし、右手が接点を超えたら、接点を支点に杖を回転させて相手の右側に移動し、左構えを取ります。最後に受けの顔面に杖の先端を突き込みます(寸止め)。

この稽古を通じて、「氣の流れ」の技がどのようなものかを理解できます。その後、通常の合氣道の形稽古を行う際に、受け手に逆らってもらい、受けの力を吸収しつつ導くことで、「氣の流れ」を活かした技の習得が可能になります。

(なお、この技は実際に受けてみないと感覚がわからないため、映像で確認しても理解ができません。)

技の奥行きと修行

「呼吸力」と「氣の流れ」の二つのアプローチを使い分けることで、同じ名前の技でも異なる表現ができ、技にさらなる奥行きを与えることができます。しかし、「呼吸力」「気の流れ」の技法の追求にも「これで終わり」という終点はありません。さらに、合氣道では、これだけではない様々な技法もあり、一生が修行と言えるような深い世界がいつまでも続きます。私たち合氣道修行者は、さらなる先を目指して稽古していきましょう。

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合気道の「折れない腕」技術について

皆さん、お元気ですか? 僕はめちゃくちゃ元気です。さて、最近は整体の仕事について少し忙しくなり、ブログがなかなか更新できなくなり、ご無沙汰ですしています。

今回は、合氣道の基本として習う「折れない腕」がなぜ大切なのかについて話したいと思います。

合気道修行者の多くが知っている「折れない腕」という技術。しかし、実際にはこの技術を指導しない合気道指導者も存在するという話も耳にします。今回は「折れない腕」がどのような技術なのか、そしてその重要性や応用例について詳しく解説していきます。

「折れない腕」とは?

「折れない腕」とは、心身統一合気道の創始者である藤平光一師が合気会の師範部長に就任していた際に、気の出し方を指導する中で教えられた技術です。この技術は、相手に対して自分の腕を曲げさせないようにすることで、相手の力を無力化し、自分の技を成功させるための基本的な要素となります。

技のやり方

「折れない腕」の練習は、2人1組で行います。一方が「折れない腕」を作る役割を担い、もう一方がその腕をチェックする役割を果たします。具体的な手順は以下の通りです。

  1. 腕を差し出す: 技を行う人が前に腕を差し出します。
  2. 力が入りやすいようにつかむ: チェックする人は相手の腕を力一杯に折り曲げられる体勢で相手の腕を掴みます。
  3. 気を通す: 技を行う人は掌を開き、腕に気を通し、手から気を放出させます。
  4. 力強く折っまげる: チェックする人が力いっぱいに相手の腕を肘で曲げようとつかみます。
  5. 成功の判断: チェックする人が力いっぱいに腕を折り曲げようとしても曲げられなければ、「折れない腕」は成功です。

この技術は、相手の力を受け流すだけでなく、自分自身の内面的な強さを引き出すための重要な練習でもあります。

「折れない腕」を知らない理由

多くの合気道修行者が「折れない腕」を習ったにもかかわらず、その利用法を理解できていない理由はいくつかあります。

  • 個人の応用力に依存: 「折れない腕」は基本的な技ではありますが、その利用法は個人の応用力に委ねられています。そのため、技を行う際にいつ、どこで使うのかを理解できていない修行者が多いのです。
  • 指導者の違い: 一部の指導者がこの技術を重視せず、他の技術に重点を置く場合もあります。これにより、修行者が「折れない腕」の重要性を認識する機会を失ってしまうことがあります。
  • 固定概念:「腕は曲げながら使う」という固定概念によって、「折れない腕」が使えないと思っている人が多いようです。腕は肩関節で曲がるだけでなく、回る(回旋できる)ということを理解していないため、三角筋を使って相手に対抗してしまいます。ところが肘を軽く曲げ(軽く屈曲)て、回旋すれば実は腕は思う以上に自由度が増えるのです。この腕の回旋運動を利用すれば、男女差のような多少の力の差があっても充分に使えます。

なお、世の中には平均的な力の十倍以上も出せる人間がある割合で存在します。このような特別な人はかなりの例外としても、2倍程度の力が出せる人はかなりいると思いますので、回旋運動で十分力を出せる訓練は必要と考えています

応用例

「折れない腕」は合気道の技の基本であり、さまざまなシチュエーションで利用できます。以下にいくつかの具体的な応用例を挙げてみましょう。

1. 力の差を超える

「折れない腕」を使うことで、片手取りや両手取り、さらには諸手取り(片手両手取り)などのシチュエーションで、男性と女性の力の差があっても、強く持たれても技をかけることが可能になります。この技術を習得することで、相手の力に左右されることなく、自分の技を実行することができます。

2. 打撃系攻撃への対応

「折れない腕」は、打撃系の攻撃に対しても有効です。相手の攻撃を受け流すことで、相手を金縛りにするような効果を発揮します。この技術を使うことで、相手の力を受け止めるのではなく、逆にその力を利用して自分の技に変換することができます。

まとめ

「折れない腕」は合気道における非常に重要な技術であり、基本的な技の一つです。この技術を習得することで、合気道の技をより効果的に使うことができるようになります。指導者によってはこの技術を教えない場合もありますが、その重要性を理解し、しっかりと練習することが大切です。

合気道の修行を通じて「折れない腕」をマスターし、さまざまな技に応用していくことで、より深い理解と技術の向上を目指しましょう。

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4月1日。空はどんより、でも心は晴れ。亡き師との不思議な再会。

皆さん、お元気ですか? 僕は今日も最高に元気です!

さて、4月1日は僕の合気道の師匠、故 井口雅博師範の命日。今年も、大切な師匠のお墓参りに行ってきました。

当日は、残念ながら空はどんよりとした曇り空。気温も14度と、春とは思えない少し肌寒い一日でした。昨年と同じように、朝9時50分に家を出発。車を走らせ、まず近くのスーパーヒダカヤへ。お供えのお花と、師匠が好きだったキリンラガービール…を探したのですが、見当たらず。今回は、キリン一番搾りの生ビールを代わりに買いました。師匠、許してくださいね。

お墓へ向かう途中、桃山町を通ると、鮮やかなピンク色の桃の花が満開!その美しさに目を奪われながら、師匠の眠る那賀町へと向かいました。曇り空だったのが本当に残念。せっかくの絶景を写真に収めることはできませんでしたが、今回は師匠のお墓の写真だけ、皆さんと分かち合いたいと思います。

合気道を長年続けていると、本当に不思議な体験をすることがあります。もう何十年も前に師匠から教わったはずの技が、ふとした瞬間に鮮明に蘇ってくるんです。

先日、僕が主宰するIAM護身術教室で螺旋の動きを教えていた時のこと。まるで師匠にそっと手を添えられたような、あの時の感触が突然よみがえってきたんです。無意識にその感触を再現してみると、今まで言葉でうまく説明できなかったこと、そして自分自身も気づいていなかった技の核心に、ハッと気づくことができたんです。本当に、師匠との繋がりを感じる、不思議な瞬間でした。

こうして、時を超えてもなお、井口師範と技を通して繋がることができる。今年も師匠のお墓の前で、その深い繋がりへの感謝と、これからも教えを受け継いでいけるよう、静かに手を合わせました。

僕もおかげさまで60歳をとうに過ぎ、ずいぶんな年になりました。それでも、師匠の偉大さには遠く及ばず、自分の才能のなさを痛感することもあります。師匠には申し訳ない気持ちでいっぱいですが、少しでも師匠の教えに近づけるよう、これからも精進していく決意を新たにした一日でした。

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合気道と護身と健康を考えるブログ