皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、今回は僕の井口合氣道との出会いを小説風に書いてみました。宜しければ読んでいただけると嬉しいです。
かつて私が大阪で合氣道を学んでいた三年間は、常に満たされない思いを抱える日々だった。稽古で教わる型は華麗であったが、運動能力に自信のない私には、それを現実の「護身術」として使いこなせるイメージがどうしても持てなかったのだ。技を活かせないのは自分の未熟さ、運動能力のなさが原因だと自己嫌悪に陥っていた。
そして、その諦めが決定的な絶望に変わる出来事が起こった。
先輩が駅で酔っ払いのサラリーマンに一方的に因縁をつけられ、合氣道の黒帯でありながら、なすすべもなく耐えるしかなかったという話を聞いたのだ。華やかな技の裏側にある現実的な限界を知り、私は心底から合氣道に幻滅した。真に人を守る力ではないのなら、学ぶ意味はない。そう結論づけ、私は道場を去った。
転職で故郷の和歌山に帰ってしばらく経ったある日、大阪での用事を終え、再び和歌山へ向かう電車に揺られていた。その時、「運命の瞬間」は、前触れもなく訪れた。
突然、乗車してきた男に暴行を受けたのだ。
突然のことに、全身は硬直。過去に習った合氣道の型が頭の中を木霊するが、相手の攻撃を捌くことすらできない。ただ腕で顔を覆うって防御するだけ、結局何一つ抗うことも無しに、ただひたすらに暴力を受け続けるという、この上ない無力感が身体を石のように重くした。何よりも、周囲の乗客の冷たい視線が痛かった。誰も助けに入らず、ただ傍観する彼らの存在が、暴力以上に私の孤独と絶望を深めていく。
男が去り、私はまるでゴミのように地べたに横たわった。心底からの絶望に苛まれながら、私はこの瞬間、護身術の必要性—いや、真の力を身につける必要性を、全身の細胞で痛感した。ただ、私は何よりも何一つできない自分が悔しかった。この出来事が、一度は捨てた合氣道へと再び私を駆り立てる、抗いがたい力となった。
達人の記憶と「本物」への渇望
和歌山の家に戻り、私はすぐに合氣道への再入門を決意した。一度は幻滅した合氣道だったが、幼い頃に父の警察官の先輩に合氣道の達人がいたという伝説を思い出したからだ。プロ力士と対峙し、刃物を持った十数人の無法者と単身で渡り合ったという、まるで小説のような、信じがたい話。
「本物の合氣道は存在する」—その信念が、私の心を突き動かした。目指すべきは、あの時の無力感を完全に打ち砕く「本物」の教えだ。
手にした合氣道の本の情報を頼りに、私は運命の道場を見つける。開祖の直弟子である井口雅博師範が指導する、「本部直轄井口道場」だった。師範の名が冠された、全国で唯一の特別な道場。その響きに、胸の高鳴りが止まらなかった。
初めて道場の門を叩いた時、師範に大阪での苦い経験をすべて話した。師範は厳しい眼差しで私を見据え、突然こう言った。
「じっと立っているから、何か技を掛けてみなさい」
私は思わず言葉を詰まらせた。「そのような状態で技を掛ける稽古はしておりません」。
その答えに対し、師範の叱責が飛んだ。
「じっとしている相手に技が掛けられなくて、素早く変化する相手に技が掛けられると思うのか!」
この瞬間、私の心に稲妻が走った。『これこそ本物だ』。長年の疑問と迷いを一瞬で断ち切る、真理の言葉だった。私は即座に入門を決意した。
後に分かったことだが、父が語ってくれた、プロ力士と渡り合ったという合氣道の達人こそ、まさにこの井口師範その人だったのだ。運命が、私を真の師のもとへ導いたことに、鳥肌が立った。
極意の真実と数年の遠回り
井口師範は常々、合氣道の極意として「氣の流れ」「呼吸力」「螺旋形」の三つを説いていた。当時の私にとって、その言葉はあまりにも曖昧で、大阪で学んだ先輩たちの解釈もバラバラだったため、真意は霧の中だった。特に「呼吸力」といえば、「力も感じずに、いつの間にか相手が倒されているもの」という、漠然としたイメージしかなかった。
しかし、井口師範の教えは、私が知るものとは全く次元が違った。
初めて受けた座り技呼吸法。それは、人間の力ではなく、まるで重機と対決しているかのような、とてつもなく強大で「とても敵わない力」だった。あまりの力の大きさに、一時は「これは単なる馬鹿力ではないか」と疑念を抱いたほどだ。
だが、師範の教えを信じ、「天の鳥船の行」を続けるうち、私は確信を得る。この呼吸力は、天と地の氣を受けて発揮される、人間個人の力を超えた、まさに天地の理に基づいた力であると。そして、自分の氣を滞りなく動かすことこそが、「氣の流れ」の真髄であることも、数年をかけてようやく理解できるようになった。
振り返れば、最初から師範が正しかったのだ。素直に師の言葉を受け入れていれば、これほど長い年月を遠回りせずに済んだかもしれない。その理解の遅さが、今も悔やまれてならない。
伝承への使命
この壮絶な経験と、極意への遠回りを通じて、私は指導者として言語化の重要性を痛感した。今は道場において、一つ一つの動作や意識の持ち方を、より細かく言葉で伝えることを心がけている。合氣道を通じて得た真の力と経験を、次世代に伝えることが、私の使命だと感じている。
私の人生最大の幸運は、井口道場に通い始めたタイミングにあった。古参の弟子たちのクーデターにより、大半の門弟が道場を去った直後だったため、井口師範という達人の指導を、直接、濃密に受けられる環境にあったのだ。さらに、師範のご自宅が私の自宅の途中にあったため、お車での送迎役という光栄な機会をいただき、師範の気が乗ったときには、車を停めて何度も個人的な指導を施してくださった。
絶望の淵から私を救い、真の道を示してくださった井口師範には、今も言葉に尽くせないほどの感謝を捧げている。
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