先日個人指導をした人が、指導者に「取りが上手くできないのは受けの責任」と言われたと言っていました。
私の師匠である井口師範も、「受けが上手いのは、技が上手い証拠」と言っています。
ところが、この2つの言葉は同じに聞えますが、一部は正しいですが、全く違うことでもあります。
今日はこのことについて話したいと思います。
自分勝手に飛んで行っては話にならん!
井口師範は、「受けが上手いのは、技が上手い証拠」と良くおっしゃいました。
僕はそれを勘違いして、如何に上手く綺麗に技を魅せられるような受けをしようかと色々と工夫をしました。
井口師範に師事してからまだ日が浅い二年ぐらいのころ、飛び受け身が得意だった僕は、小手返しの指導の際の模範演武の際は師範の演武の相手をさせていただきました。
そんなある日の稽古の際に、井口師範が皆に模範演武を見せるために僕を指名しました。
『あっ、小手返しだな』とピンと来たので、受けの準備が頭の中でできていました。
それで、井口師範が片手を取るように手を出して来たので、僕は如何に綺麗に受け身ができるかだけを考えてすぐさま受け身を取る体勢にはいりました。
「自分勝手に飛んで行ったらあかん。それは武道と違う。気の流れに入らないとあかん」
僕は、井口師範の気の流れに従ったつもりでしたが、気持ちを走らせすぎ、少し動くのが早かったのです。
正しい受けとは
また、ある時、井口師範は次のようなことを言われていました。
「受けは相手の技量に応じて受ける。師の受けをとるなら、全身全霊で師の技を受け取るつもりで受けるもの。でも気の流れを切ると受けが上手くいかず、汚い受けになる。そのさじ加減が技が分かっているかどうかを分ける」
つまり、技量のつたない相手には正しい方向に幹引きながら受け、自分より技量が上の相手には、相手がどのように技を掛けているかを体で感じながら受けるのがよいということでした。
常に冷静で、手前勝手な受けにならず、よく相手を観察しつつ、相手の動向を体で感じながら、しかも綺麗に受ける必要があるということです。
確かに、自分で勝手に飛んでいく受けは、自分主導で、見た目格好良く見えます。特に、アクロバティックな受け身は、取りの技の凄さよりも、受けの凄さに感嘆してしまいます。
しかし、これは人に見せる演武上でのことで、基本は取りの技術を向上させることであり、そのための形稽古なので、取りの技術向上という意識が受けには必要です。
しかし、主体はやはり、取りにあるので受けだけの責任に押し付けると、取り自体の成長につながらないので、非常に問題があるとは思います。
この当たりが受けの難しいところです。
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