「当会の技術について」カテゴリーアーカイブ

皮膚感覚2

私的に非常に忙しく、ブログの更新がなかなかできませんでしたが、前回に引き続き、皮膚感覚について書いていきたいと思います。まず、下の動画を見て下さい。

これは、合気会の二代目・故・植芝吉祥丸道主の演武の映像です。ご覧の通り、不思議な感覚を与えるほど、非常にやわらかい演武です。この映像を見て『凄い』と思える人は、大した感性の持ち主か、本当に分かっている人のどちらかです。

吉祥丸道主の演武の柔らかさは、非常に高度な皮膚感覚の技術と空間感覚の技術を駆使して行われている結果です。これだけ美しく演武できる方はYoutubeの映像でも少ないのではないかと思います。

とある昔、合気道の集まりで、「あれは弟子が勝手についてきているだけだからだ」ということを自分の弟子にカゲで話していた師範の方がいましたが、その人の演武はとても硬く、皮膚感覚も空間感覚の技術もは使われていませんでしたので、それが読み取れないのだなあと、私は見ていました。

皆さんも、経験でお分かりになると思いますが、弟子がどれだけ巧く立ち回っても、柔らかく見せることはできません。

巧く気の流れ(運動エネルギー)に乗って、それが受けに伝わっているから柔らかい動きが実現できるのです。

また、吉祥丸道主のすばらしさは、動きに途切れがなく、波が寄せては引いて、また寄せるがごとく、常に気の流れを起こしています。

吉祥丸道主が好んで使われている起こし方では、前進移動、回転、沈みです。当会でいうところの、骨の技術の第一式~第三式の技術ですので、会員の方には、非常に参考になると思います。

会員でない方でブログを読まれている方で、この意味を知りたいかたは、本ブログで「気について2 当身の大切さ」で、当身の4種類の用法として説明していますので、そちらを参照してください。

なお、吉祥丸道主は、相手を導くために、気の流れを起こしておられますが、技の中でこの骨の技術の原理を如何に使うかという点でも、非常に参考になると思います。

皮膚感覚1

ここのところ、私は、生徒たちに、井口師範から伝えられた合気道の秘伝である皮膚感覚の技術をつたえるのにどうすればいいかと何ヶ月も考えていました。そんなある日、以前、この技術が分からなく、悩んでいたときのことを思い出し、その頃のことをヒントに新たに皮膚感覚の技術を生徒に伝えるアイデアが浮かんできました。その思い出である「技に悩んでいた当時のこと」を小説風に書いてみたいと思います。

—————————————————————-

空一面が、灰色のどんよりとした雲に覆われ、雨がしきりに降っていた。梅雨時期の休日は外に出る気がしない。入梅特有のじめじめとした空気が充満した自分の部屋の中で、俺は、自分のベッドに仰向けに寝転がって、天井を見つめたまま、合気道の師匠・井口師範の言われていた言葉を考えていた。師匠の手が、つっ立っている俺の肩に軽く触れただけで、俺は倒され、そのとき師匠がいった言葉だった。

「合気道では、自分が中心で動かなあかん。自分が宇宙の中心となって自ら動くんや」
「合気道では、相手をどうしようとか思ったらあかん。相手を尊重せなあかんのや」

いくら考えても、2つの言葉は、まったく相反するようにしか思われなかった。
『自分が中心になって動けば、相手と衝突が起こるのは当たり前。どう考えてもおかしい』
と、俺はつぶやいた。

 ところが、あのとき、俺にかけた師匠の技は、ふんわりとしていて、まったく『やられた感』がなかった。
『えっ』
と、思った瞬間に、倒されていた。師匠が俺の肩に手をやり、わずかに師匠が動いたようにみえたその瞬間、俺は倒れていた。

 師匠の技はいつもそうである。師匠が動くと、自然とついていってしまっていることに気づく。だから、師匠の言う言葉を納得せざるを得ない。だから、師匠は、暗に何かを言ったという言葉ではなく、本心からそう思って発した言葉なのは分かる。

 だが、いくら考えても、己の身体で、その言葉を実行するのは無理があるように思われた。
『倒す意思がなくて、技はかけられない』。
と、俺はそう思う。
だが、「『相手を倒そうと思ってはいけない。』とは、一体どういうことなんだ?」
と、つぶやきながら、俺は、まだ天井を睨んでいた。

「ぶつかってはいかん。相手との接点は、相手にまかせておけばよい。相手との接点は相手の力の方向に合わせておけばええんや。それで相手の力は消える。その上で、動くんや。相手とか自分とか考えたらあかん」
と、何年か前に、師匠が、両手取りの技を教えるときに、そう言われていたのをふと思い出した。
「確か、合わせるというのは、『いったんゼロに清算すること』だとも師匠は言っていたなあ」
と、俺はまたつぶやいていた。俺は、両手取りの技をイメージしながら、師匠の言ったことを思いだしていた。

 両手取りというのは、自分の片手首を相手に両手でつかませ、投げ技などをかける技術の総称で、通常は、両手取り四方投げのように、下に投げ技の名称がつく。この両手取りを行うポイントで、師匠は、相手にしっかり掴まれていても、『力感をゼロにした感覚で回りこめ』といったのである。

 さらに、詳しいポイントをいうと、相手との接点、要するに持たれているところだが、相手の力の方向に合わし、決して逆らわず、まるでコンパスで円を書くように、持たれた片手首の一点をコンパスの針とイメージして、体が鉛筆側というイメージで、円を描くように移動するのだ。そうすると、不思議なことに相手が自然とついてくる。

 初めてコンパスを使った小学生のころのように、コンパスで円を描くとき、少しでも針側に力がはいれば、針がずれて、円はかけない。これと同じように、両手取りのときも少しでも無駄な力が入ると相手に逆らわれてしまう。相手を引っ張る意思がなくても、自然と相手がついてくる。だから、正確には、相手がついてくるということは、実際は円ではないのだが、意識では円を描いている。この点が、実際の動きと意識とのギャップなのである。

「そうか。これが『相手を尊重し、しかも自らが動く』理合いか! すべての原理は既に、ここにあったのか。あれは、両手取りの技だけの理じゃなかったんだ! 全ての技に共通する原理だったんだ!」
と、俺は大きな声を上げて立ち上がった。
俺の頭の中に、イメージがドンドンと形成されていく。
『相手との接点は相手に一番近く自分に一番遠い存在。だから接点は相手と一体としつつ、相手と共有するという感覚が大事なんだ。その上で、自分が動き、気の流れ(運動エネルギー)を作る。さらに最終的のは、気の流れを接点に伝える。そうすれば、相手に気の流れが伝わる。そこで相手は動き出す。その時だ。その時、倒れるべき方向に『導け』ば相手は倒れる。これが相手を尊重するということだ!』
と、俺は、大きな声を上げて立ちあがった。

俺は、窓越しに外の景色を見た。いつの間にか、雨が止み、ところどころの雲の合間からは青空が覗き、南西の方角では、太陽の光の束がスポットライトの様に、遠くに見える山の一部を照らしていた。
 「もう、そろそろ、梅雨明けの時期か。明日は道場でこの理合いを試してみよう」
と、つぶやきながら、俺は目を輝かせてこの景色を見ていた。

 翌日の夕暮れ、俺は道場に立っていた。
 俺の足元はに、少し大柄な中学生が驚いたような顔をして転がっていた。

 俺は、その日の夕方、稽古が始まるよりも随分まえに道場に行き、昨日思いついた理合いをイメージしながら一人稽古しつつ、他の道場生の登場をワクワクとしながら待っていた。そこに現われたのが、この中学3年生の良樹だったのだ。俺は、良樹が道場に上がってくるなり、この理合いを試してみた。
「良樹、ちょっと技をかけるけどええか? 投げ技やから、気をつけてな!」
と、言って、俺は、良樹の肩に軽く手を置いた。と、次の瞬間!
 バンー!
良樹は、俺が立っている足元で突然受け身を取った。見事に技がかかった。
俺の足元で、良樹が転がっていた。これが、師匠の摩訶不思議なあの技が、俺にもできた瞬間だった。

良樹は、突然何が起こったのか理解できず、あっけにとられたような顔で、しばらく転がっていた。まだ生徒が集まっていない、稽古前の夕方の道場であった。くもりガラスの窓を通して道場に入ってきた夕焼けのオレンジ色の光が、なんともいえない美しさで、窓ガラスを輝かせていた。

———————————————————

次回は、もう少し皮膚感覚の技術を踏み込んで説明できればと考えています。

非日常的な動きと自然の理

当会で教えている合気道の秘伝は、とてもシンプルです。たった4つの原理だけです。
①骨の技術
②皮膚の技術
③皮膚感覚の技術
④空間感覚の技術

しかも、既に他界された合気道の師匠である井口師範は「これらの技術は自然の理と一致する」といわれていました。私も現在は、「まったくその通りだなあ」と思っています。

しかし、これらを生徒さん達に指導しますと、皆さん口をそろえて、「何が自然の理なのか分かりませんし、奥が深すぎてすぐにはできそうにありません」といいます。これは、実は、私も以前はそうでした。

何故なら、これらの原理が、私たちにとって、あまりにも非日常的すぎるからです。生まれてから今までに、使ってきた体の使い方とまったく異なる使い方を必要とするため、混乱を生じるのです。

私もそうでしたが、これを読まれている皆さんも、「何故、われわれにとって非日常な動きが、自然の理と一致するか?」と疑問をもたれているのではないでしょうか。

われわれが生まれてからずっと、「自然と身につけてきた動きである『日常的な動き』こそ、自然の理に一致する」と考えるのが普通だと思います。それなのに、「それが不自然で、非日常的な動きが自然」とは、まったく反対ではないかと思われていると思います。

それに答える前に、「日常で要求される動き」と「武道の動き」は違うということを言いますと、何となく「なるほど」と納得されるのではないでしょうか。

実は、われわれが身に付けてきた「日常の動作」というのは、非常に限られた範囲の動作なのです。そして、「日常の動作」は、物を持ち上げる動作が中心になっていて、武道のように人を倒すという動作ではないのです。ですから、日常必要とされる動作で、武道を行うには無理がありますし、当然アプローチも異なります。

しかも、「日常の動作」のものを持ち上げるという動作では、現代人のわれわれにとっては、特殊な仕事をしている人以外は、10キロ程度までのものを持ち上げるのが殆どなのです。「日常の動作」というのは、こういった非常に限られた状況下で行われる動作であるということなのです。

一方、「武道の動き」を考えたとき、大人を倒す場合、少なくとも体重40kg以上の人を倒すわけです。だから、そこに日常の動作を入れるには無理があり、それなりの技術の習得が必要になるということがわかっていただけると思います。

さらに、重さだけでなく、相手が二足歩行の人間であるという点も大切な問題になってきます。

ですから、立っている人を倒す技術というのは、日常の体の使い方以外の使い方を行います。その使い方こそが、日常使っている体の使い方よりも自然の理に則っているということなのです。だから、「合気道は自然の理に従う」というのです。

△○□の三角の術理

合気道修行者の方に△と言うことについて質問されましたので、今日はそのことについて説明させていただきます。

一般に、合気道の技は、△○□で構成されているとよく説明されます。
特に多い説明は「入り身で三角に入って、丸く捌いて、四角に抑える」というものです。

私は、大阪で合気道を学んでいるとき、確かに、そういわれるとそのような気がするのですが、なんとなくこじ付けぽく感じたものでした。
○はニュアンス的になんとなく分かるのですが、△や□といわれても、十分納得できないなあと感じました。

確かに、「入り身はイメージ的に矢印ぽい動きなので、三角だ」といわれれば三角ではあるし、四角は安定しているから、抑え技と解釈できるが、それでも何となく納得できないものがありました。

ところが、井口師範に師事するようになり、井口師範にこの質問をぶつけてみましたところ、
「三角は強い。では、三角の何がつよいか」と逆に聞き返され、言葉に窮したことがあります。

井口師範は、「ピラミッドも強い。これも三角だかや」といいました。

井口師範は感覚の人なので、感覚的な説明でしたし、問答を全て記載すると遠回りになるので、要点をお話しますと、三角形の強さは「底辺に対して頂点が強い」ということでした。

皆さんもご存知の三脚などの「3点支持」より、机の4点支持の方がが強いというのは経験的にご存知と思いますが、指導者で3点指示の説明をされる方がいらっしゃるというのを聞いたことがありますので、そうではないというのを特に強調しておきたいと思います。。

例えば、合気道の場合、相手と対峙するとき、半身をとりますが、この半身が三角だといわれるのです。ご存知の通り、その半身とは、前の足にあたるつま先を前に向け、後ろの足にあたる足は前のつま先に対して、L字あるいはレの字の形になるように立ちます。このとき力の使い方で後ろの足に当たる方の踵とつま先を結ぶラインが底辺になり、前足に当たる方の足が頂点という関係になるというようことで、だから、半身が強いということでした。

ところが、△でなくても、床についている足が二点でも、その二点を結ぶライン上から押されれば十分強いので三角という必要性はないと思われる方がいらっしゃるかと思いますが、入り身でご説明をするともっと納得していただけるでしょう。

そこで、入り身ですが、合気道では、移動する際に、他の武道のようにステップでためを作ってジャンプするように移動せず、後ろ足に当たる方の足を軸にして、その軸を前に傾斜するようにして移動をします。その際、後ろ足の足元(踵とつま先のライン)が三角の底辺となり、進む方向に移動する前足が頂点となるように移動するわけです。だから入り身は三角なのです。

ただし、この際の足先の力の入れ方に口伝(秘伝)があり、急加速できる方法がありますが、公のブログでは話せませんのでご了承ください。
なお、この移動方法には次の2つのメリットがあます。
①移動開始が相手から見えにくく瞬間に移動したように思わせる点
②ためを作る時間がないので、相手がためをつくっている間に相手の虚をつけるという点

これが井口師範の言われる入り身が三角である理由です。ですから、合気道修行者の方で、ためを作ってから動いていらっしゃったら、ためを作らないで動く動きを研究される必要があると思います。

井口師範から教わった△の技術は、入り身だけでなく、実際は三角を使う場面はたくさんありますが、あまり多く書きすぎると混乱されると思いますので今回はこれだけにさせていただきます。

「気」について3 重みを作り出す当身

いつもご購読ありがとうございます。前回の記事から少し時間がたってしまい失礼しました。前回の記事から、少し仕事が忙しくなった上、合気道修行者の方や中国拳法修行者の方の個人指導があり更新が遅れてしまいました。

では、前回の続きです。前回のブログでは、当会の当身(パンチなどの打撃技)の分類を説明しましたので、もう少し当会の当身について説明します。

当会の当身の基本は、「陽」の技法です。「陽」技法の定義は、「相手に与えようとする運動エネルギーの方向に先ず己の重心を加速して、相手との接点となる部分を加速し、相手に運動エネルギーを伝える」ということになります。

これでは何を言っているのか分からないと思いますので、相手に正面突き(ストレートパンチ)を行う場合で説明しますと、
①足を踏み出して体を加速。(運動エネルギーを作る)
②体が動き出してから手を加速してパンチを出す
③相手にパンチを打ち込む
ということになります。

要するに、体の動きより遅れてパンチが出るということです。それでは、テレホンパンチ(パンチを打つ前に相手にわかってしまうパンチ)になるのではと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、実は相手から見ると、体の動きは、「間をつめるための動き」としか映らないのです。といいますか、当身する側はそのような動きをするのです。

これを、もう少し具体的に、合気道の演武でおなじみの突きで、当会の第一式の陽の技法を説明します。ここでは、左半身(左足を前に踏み出した構え)から一歩踏み込んで右パンチを出す場合を例にとって説明します。

①右拳を腰辺りに握り構え、左半身になります。
②右足を大きく踏み出し、少し遅れてパンチが相手の腹部(鳩尾)をめがけて移動するようにします。
③パンチが相手に当たった時点で、引き足(後ろ足になる左足を少し前方(右足の方)に引き寄せる)をとります

ここで重要なのが、③の引き足です。何故なら、引き足をすると、右足を出したあと、パンチの届く距離は引き足の分だけ前に伸びるからです。

多分文章だけでは、合気道の当身について、分からないと思いますので、また、いつか機会あれば、映像を撮って実際のパンチをご紹介したいと思います。

「気」について2 当身の大切さ

先ず最初に、いきなり難しい表現で恐縮ですが、「取り(技を掛ける側)の意思どおりに制御された運動エネルギーで行われた技と、『気』を意識して行われた技はまったく同じように感じる」ということを覚えていただきたいと思います。

何を言いたいのかといいますと、受け(技を受ける側)は「巧妙な物理的な働きの技」と「気の働きの技」の区別がつかないということです。

また、「あなたに向かって、50キロの鉄のかたまりを、近くからでもゆっくりと投げてこられたらどうしますか?」という質問に対して、大概の人は「それを避ける」と答えるでしょう。

止まっている50キロだと、これを持ち上げようとする力自慢がいるかもしれませんが、動いてくる物体だと、状況が違います。

これは、経験的に、重いものが移動すると、それ以上の力が働くというのを知っているからだと思うのです。その力が大きいというは、正確には、力学でいう運動エネルギーが大きいということです。

私が学んだ合気道では、「相手を動かしたければ、先ず自ら動け」と指導します。これを受けて、「なるほど、愛をとなえる合気道」と道徳的に納得されては困ります。これは精神論ではなく、物理的な話なのです。先ず運動エネルギーを作って、相手に伝えるという意味です。

では、体重50キロの人が動くとどうでしょう。人が動くとあまり大したことがないように感じますが、理論的には、上記の「50キロの鉄のかたまり」の例と同じ運動エネルギーを持つことになります。ですから、これだけのエネルギーを、実際に食らったら、やはり吹っ飛んでしまってもおかしくないのです。

このように「運動エネルギー」を大きくすることが、合気道の技には有効だということです。

そこで、次に問題となるのが「運動エネルギーを作る」方法です。ただ闇雲に動けば隙ができるだけで武道としては役に立ちません。適切な運動エネルギーの作り方が必要になります。

それに関して、合気道の達人であった井口師範は、「気を起こす体作り」ということで、単独で当身(打撃の技術の総称で、掌、拳、肘、肩、膝、足などを対象にぶつける技術)の稽古を指導されました。すなわち、当身技にその基本があるとしたのです。

当身は、単なる「相手を打撃で痛めつける技術」ではありません。当会では、当身は「体に運動エネルギーを生み出す大切な基本」と考え、実行しています。

ただし、当会の当身は、他の打撃系武道のパンチとは若干異なったポイントがあります。それは、体の重心の置き方と運動エネルギーの作り方にあります。当会には、「運動エネルギーを伝える」という立場から「運動エネルギーを作り出してから伝える」陽の技法と「運動エネルギーを生み出しつつ伝える」陰の技法があります。

また、動作方法にも4種類あり、同じ方向にパンチを出すのでも、体の重心の移動の仕方や体の使い方が異なります。それらは、次のようになっています。
 第一式 重心の移動方向が直線上に移動する当身
 第二式 回転運動を利用する当身
 第三式 重力を利用して天地方向に移動する当身
 第四式 縦の振り子運動を利用する当身
これら4技法に陽と陰が加わり、当会では、当身八法と読んでいます。

そして当身では、「意思(思い)通りに相手に気(運動エネルギー)を伝える」という感覚を磨きます。この当身技ができるようになると、投げ技に応用ができるようになり、投げが変って来ます。

ここで誤解されてはいけないのが、「相手を投げる前に当身をいれて崩して」というのではないということです。投げの際に、相手に運動エネルギーを伝えるという意味です。そういった意味で、当身技は基礎の基礎、投げ技を効率的に行う体作りのための稽古ということになります。

具体的な当身の技法については、文や映像では誤解を与えるため、実際に体感で伝えるしか方法がないのが残念です。もし興味のお持ちの人は、当会では無料体験を行っていますので、私を訪ねてください。

「気」について

全国的に合気道の道場では、初心者のうちから、多かれ少なかれ「気」を指導しているのではないかと思われます。そして、長年の熱心に稽古さえすれば、その「気」をコントロールすることができ、物理的な力を使わなくても、あらゆる敵を制することができると、考えられている人が多いのではないでしょうか?

ところが、初心者の方ではなく、高段者になった人で、「気」が理解できた人はどれぐらいいらっしゃるのでしょうか? 

私も、二十年近く合気道を修行しましたが、「気」に対する答えはでませんでした。才能がないといえばそれまでですが、それは多くの合気道家が行き詰る点のようです。

ところで、井口師範が指導された「気」を、別の角度で整理分析し、別のアプローチで初心者に教えると、合気道を十年以上修行し、「気」が理解できるようになったという人がようやくできるような技術を週2回の稽古で1ヶ月ほどでできることを発見しました。

井口師範は「気」を使った技術をさまざまな「秘伝」という形で私に教えてくださいました。そして、それら秘伝を、前回の井口師範の秘伝で書いたように、よくよく分析しましたところ、状況により、さまざまな様相があるように感じ、一度別のアプローチを試みました。それが当会で教えている「骨の技術」~「空間感覚の技術」の基本となるものです。

その「気」を使った技術を、大きく分けてみますと2つに分類できます。その2つとは、接触している場合と非接触の場合に働く「気」のあり方があるということです。さらにそれらは次のように、別のアプローチから説明できます。

●接触してはたらく「気」
①物理的に作用するのがメインで運動エネルギーで説明できるもの
②感覚的に作用するのがメインで運動生理学等で説明できるもの

●非接触ではたらく「気」
③人間の無意識の反応を利用するもので心理学的に説明できるもの
④「テレパシー」でしか説明できない超心理学的なもの

これは飽くまでも私の見解であり、これはおかしいと思われる方も、たくさんいらっしゃるでしょうが、このように理解することで、多くの合気道家がぶつかる壁を突破できるのではと思います。私が指導した一部の合気道家の方の中にも、このアプローチで、「道場で唯一別次元で合気道をしている感覚でできる」といわれた方もいらっしゃいます。本ブログが、少しでも、合気道に悩んでおられる方のヒントになればと考えています。次回は、①について述べていきたいと思います。では、お楽しみに。

井口師範の秘伝1

井口雅博師範は「秘伝には名はない。一々名前などあるとそれにこだわりができる。合気道は自然の理を体得しなければならない。こだわりがあったらあかんのや」とおっしゃいました。

しかし、こだわりがないと、覚えないのです。それに気づいた私は、井口師範から秘伝を教わるたびに適当に名前を付けて覚えていきました。

そして、あるとき教わる秘伝技術に共通点があることに気づきました。それは、物理学(力学)的な技術、身体の反応を起こす生理学的な技術、心理を利用する心理学的な技術、さらにそれらを組み合わせた技術となっていました。それらをさらに整理し、名前をつけ直しました。それを図式にあらわすと下記のようになります。ただし秘伝といっても4つだけと言うわけでなく、師範に教わった秘伝が①~④のどれかに分類できるということです。

①骨の技術 → 力学的な技術を中心とした秘伝
②皮膚の技術 → 生理学的な技術を中心とした秘伝
③皮膚感覚の技術 → 皮膚の技術を高度化した秘伝
④空間感覚の技術 → 心理学的な技術を中心とした秘伝

骨の技術は、力学的な技術といっていますが、てこの応用とか見た目でわかる技術のことではありません。骨の技術では、「気」を運動エネルギーと捉えて、運動エネルギーを起こす技術と伝える技術の総称です。

当初は「当身の技術」とか「当身八法」などと名づけていましたが、当身だけでなく、修行していく中、投げにも必要な技術がそこにあることがわかり、「骨の技術」と名づけました。

というのは、人間に骨がないと、力学的なエネルギーを効率よく伝えることができません。ですから、「骨でどうこうする」というわけではなく、要は「運動エネルギーを作り伝える技術」です。

皮膚の技術は、まさしく生理学的な反応を利用する技術で、この技術がないと、「力をつかわない護身術」とはならないといっても過言ではないぐらい重要な技術です。。合気道を十年以上して二段・三段・四段になって、結局「ウエイトトレーニングをするしかない」とか「他の武道をやらないと合気道だけでは無理」とかいう人が後を立たないのは、この皮膚の技術がわからないからです。

当会で、皮膚の技術を習得された方は、それぞれの道場に戻ると、「座り技呼吸法では、高段者を含めても誰にも負けることがない」といわれる所以です。是非合気道をされている方はマスターして欲しい技術です。そしてこの技術が完全にわかると、合気道を十年以上した人の中で本の一部の人しかできない「三角座り(体育座り)で肩を押されても、倒れない」ということができるようになります。

実は、私はSNSのmixiで5・6年前から2・3年前まで、この技術を懇切丁寧に説明をしてきましたが、結局、その技術が元々できる人以外は、だれも理解してもらえることができませんでした。ついには、兵庫県、愛知県、広島県からわざわざこの技術を習いに来られた方たちがいました。というのは一度、技を受けないと分からない技術であるからです。

さらに、空間感覚の技術は、例えていうなら、「止まっている電車に乗っているときに、反対側の電車が動き出すと、止まっている自分の電車が動いているように感じることは多くの方が経験すること」だと思います。このような心理学的な反応を利用する技術です。

私は、できる限り多くの合気道を愛する方に、井口師範の秘伝を知って欲しいと願っています。またブログでは少しずつそれぞれの技術の説明をしていきたいと思っています。