当会で教えている合気道の秘伝は、とてもシンプルです。たった4つの原理だけです。
①骨の技術
②皮膚の技術
③皮膚感覚の技術
④空間感覚の技術
しかも、既に他界された合気道の師匠である井口師範は「これらの技術は自然の理と一致する」といわれていました。私も現在は、「まったくその通りだなあ」と思っています。
しかし、これらを生徒さん達に指導しますと、皆さん口をそろえて、「何が自然の理なのか分かりませんし、奥が深すぎてすぐにはできそうにありません」といいます。これは、実は、私も以前はそうでした。
何故なら、これらの原理が、私たちにとって、あまりにも非日常的すぎるからです。生まれてから今までに、使ってきた体の使い方とまったく異なる使い方を必要とするため、混乱を生じるのです。
私もそうでしたが、これを読まれている皆さんも、「何故、われわれにとって非日常な動きが、自然の理と一致するか?」と疑問をもたれているのではないでしょうか。
われわれが生まれてからずっと、「自然と身につけてきた動きである『日常的な動き』こそ、自然の理に一致する」と考えるのが普通だと思います。それなのに、「それが不自然で、非日常的な動きが自然」とは、まったく反対ではないかと思われていると思います。
それに答える前に、「日常で要求される動き」と「武道の動き」は違うということを言いますと、何となく「なるほど」と納得されるのではないでしょうか。
実は、われわれが身に付けてきた「日常の動作」というのは、非常に限られた範囲の動作なのです。そして、「日常の動作」は、物を持ち上げる動作が中心になっていて、武道のように人を倒すという動作ではないのです。ですから、日常必要とされる動作で、武道を行うには無理がありますし、当然アプローチも異なります。
しかも、「日常の動作」のものを持ち上げるという動作では、現代人のわれわれにとっては、特殊な仕事をしている人以外は、10キロ程度までのものを持ち上げるのが殆どなのです。「日常の動作」というのは、こういった非常に限られた状況下で行われる動作であるということなのです。
一方、「武道の動き」を考えたとき、大人を倒す場合、少なくとも体重40kg以上の人を倒すわけです。だから、そこに日常の動作を入れるには無理があり、それなりの技術の習得が必要になるということがわかっていただけると思います。
さらに、重さだけでなく、相手が二足歩行の人間であるという点も大切な問題になってきます。
ですから、立っている人を倒す技術というのは、日常の体の使い方以外の使い方を行います。その使い方こそが、日常使っている体の使い方よりも自然の理に則っているということなのです。だから、「合気道は自然の理に従う」というのです。