【意識の制御は目から】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、最近は合気道と意識についてスポットライトを当てていますが、その続きをまた書いて行きたいと思います。


技を効かせる意識がないのはもったいない

合気道は形稽古を行いますので、最低限逃れられないこととして、相手にこれからすることが分かっているという限定的な条件から技を掛けることができる必要があるということです。

それでも、合気道では取りの役割りを担当する人は技を掛ける必要があります。

ところが、相手が自分に逆らうと、技がかからないので、技をスムーズに進行するため、技を受ける役目の人がつい自ら飛んで受け身を取ったりとしてしまいます。

それが普通になると、いつの間にか、相手が飛んで当たり前という意識になります。

それでは、せっかく武道をしていながら、非常にもったいないと思います。

技がかからない理由をやはり追及していくという姿勢が大切です。


効かない人の共通点は目

技が効かないのは自分の責任であり、受けの責任ではありません。

その最大の理由を結論から先に言いますと、合気道の技で上手くいかない人に共通する点は目にあるということです。

例えば、片手取りという技の場合、相手に手首を取られると、上手くできない人は、概ね相手に持たれたところを見ます。

人間は一度何かにフォーカスを当てると、よりはっきりと見てしまおうと無意識に目を凝らしてしまいます。

すると、視野が狭くなり相手の体勢などがどうなっているかを観察できなくなります。

合気道の技のもっとも大切なポイントは相手のバランスを奪うという点にあります。

一点に意識をもっていると、相手の体がどうなっているかなど観察することはできませんので、相手をどう崩すかという意識をもつことができなくなります。

すると、力づくで腕を捻じ曲げてでも相手を倒すという動きに自然となってしまいます。

これでは、相手が倒れないのは無理もありません。

技を行っているときは、必ず相手の体全体を観察しておく必要があります。そのためには、一点にフォーカスを集中していてはだめなのです。


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【意識で考える】2

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

合気道をやっていて一番苦労するのは、師匠の言われている通りやっているつもりなのに「どうしてもできない」というところです。

それは「意識」が邪魔していることが非常に多い。見た通り、言われた通りやっているつもりでも、本質ができていないのです。


人間は意識した通り動いている

武道を長い間やってきて分かったことですが、人間というのは、自分の意識の通り体を動かしているということです。

合気道など約束事の形を稽古しているだけなのに、どうしてもうまくいかないということが合気道修行者には多いと思います。

僕も、「師匠に言われる通りしているつもりなのにどうして?」と悩んだことが多々ありました。

しかも、師匠の場合は非常に感覚的な人なので、「そうじゃない。こう!」という教え方でしたので、非常に混乱したものでした。

ところが、何度も稽古している中、どうして上手くできないのかという点が分かるようになってきました。

結果からいうと、それは意識の問題だけであるということだったのです。

例えば、極端な話をすると、扉は押すか引くと考えていると、扉を見ると押そうとしたり、引こうとしてしまいます。

ところが、構造を見る人がやると、「何だ!これは横にスライドしないといけないのか」と、動作をする前にちゃんと正しい開け方をする訳です。

そういったややこしいドアに一度でも巡り合ったことのある人はは「成る程」と思われると思いますが、それ以外の人には こういう話をすると「当たり前じゃないか!」と言われそうですが、技をする際にはこのような思い込みでやってしまっていることがあるということです。


力を抜くのは意識を外すため

では、技をするときにどういった注意が必要なのでしょうか?

技が思うようにいかない多くの修行者に共通することは、相手との接点を何とかしようとするということです。そういう意識があると、まず相手の力とのぶつかりが起こります。

相手の力とぶつかりが起こったとき、自分の筋肉はある一定方向のみに緊張しています。

すると、筋肉の性質上、一定方向の力を入れた場合、他の方向には動かすことができなくなりますから、当然、相手の筋力がこちらより強ければ、全く技を掛けることができないということになります。

そのため、合気道では力を抜けというのです。力が抜けて、リラックスしている状態からだと、あらゆる方向に筋力が使えます。

そこで次に大切なのが、手の動かし方です。相手に分からないように動かす必要があるのですが、せっかく力を抜いているのに相手に分かるように動かしてしまうから逆らわれてしまうのです。

相手に分からないように動かす技法が合わせなのですが、「相手の土俵で闘う」意識だと、すぐに相手に読まれてしまいます。

ですから、力を抜いたなら、相手に分からないようにどう相手を導くかという意識を持つ必要がある訳です。

ですから、合気道修行者は、特に決まった形を行いますので、特に動きが相手に読まれやすいので、相手に分からない体の使い方を研究する必要があるのです。


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【意識で考える】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回のお題目は「意識」ということです。では始めます。


意識もまたプログラミング

合気道では、意識の置き方についてかなり厳しく指導されます。

例えば、意識を臍下丹田に持ってくるようにとかです。

ところが意識を臍下丹田ばかりに向けると技は上手くいきません。すると、「もっと肩の力を抜いて」など指導されます。

すると肩の力を抜くと全く力が出ず、どうしていいか分からなくなります。

これは何故なのかというと、最少は意識を臍下丹田に持っていっているのですが、相手に手を掴まれた時点ではもうすでに意識は手首に移動します。

さらに、これに逆らおうと力を入れると、つい肩の三角筋に力入ります。

すると、それと連動して背中の筋肉に力が入りその結果、腰当たりの筋肉だけが自由になるため、腰の筋力で何とか跳ね返そうとしていします。

これでは動きが非常に単純になり、相手はあなたの動作を簡単に読んでしまい、抵抗されるわけです。

これは、確実に、今まで身に付けた、手を動かすプログラミングが逆作用をしているといえます。


動作から再プログラミング

このように、身についた動作によって意識がコントロールされてしまうのです。

そこで、この身についた動作を最適な動作に再プログラミングする必要があります。

その方法は、物理学的アプローチ、生理学的アプローチ、心理学的アプローチと3つあり、一概に説明できるものではありませんが、最も大切なのは、生理学的なアプローチです。

生理学的アプローチというのは、まずはどのようにすると構造上強くなるかという骨格上の使い方を中心捉える必要があります。

それには、太極拳の含胸抜背、尾閭中正、堤肛などが参考になります。これは肩甲骨を開いて胸を凹にして、背骨を直線に立てて仙骨を後傾(出尻の逆で尻を引く)させることで、中心力がつかえるようになります。

こうしたアプローチを知っている状態で、三角筋に力が入らないように動作を変えていく必要があるのです。

それによって、動作から意識が移動するということをなくします。すると、意識は自由にコントロールすることができるようになり、その次の段階として、意識を使った技術に移ることができるのです。

ですから、結局は、生理学的アプローチ、物理学的アプローチができて初めて、心理学的アプローチが可能になりますので日々の自分の動作に無理がないかをチェックする必要があります。


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【生理学で考える】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は「合わせ」については生理学で考えてみたいと思います。


生理的な反応を利用する

生理的な反応を利用する場合、2通りの場合が考えられます。

一つは、接触して行う場合ともう一つは非接触で行う場合です。

接触して行う場合は、相手がどのような皮膚の刺激に対してどう反応するかという知識が必要になります。

また非接触で行う場合は、目です。相手が目で判断してどう動くかということが問題になります。

接触していても目も大切なのですが、接触と非接触では状況がかなり違うので注意が必要です。

というのは、目で見てから反応するのと、皮膚で感じて反応するのでは反応する速度がかなり違います。

その例としては、二人一組で行うテストが分かりやすいと思います。まず、パートナーに手のひらを上にして前に出してもらいます。

自分の人差し指から薬指までをくっつけた状態でパートナーの掌の上に乗せます。

そこで、 パートナーに自由に手を動かしてもらいます 。あなたはパートナーの手の動きをよく見て、パートナーの手から落とされないように追従するようにします。

するとパートナーが、いきなり動かしたりすると、あなたは少し遅れるはずです。

次にあなたは目をつぶって、指先の感覚を敏感にして、パートナーが手を動かすのを感じ取りながらついていこうとしてください。

これをすると不思議なことにあなたはパートナーの動きに十分追従できるのです。

このように見て行うのと、感じて行うのでは相手の動きに追従する場合かなり違いがでます。

この違いを十分認識して、あなたは技を出す必要があるのです。


タメを作らない動作

人は力を入れようとすると必ずタメを作る癖があります。これは人類に共通した癖のようです。

ですから、特別な訓練をしていない人の場合、必ずタメをつくります。

そして、もしタメを作らない動作ができると、相手はあなたの動きに非常に混乱します。

ですから、タメを作らなくても力の出せる技術というのも学ぶ必要がありますし、研究する必要もあります。

ところが、人にはタメをつくらないと強い力がでないじゃないかという常識があります。

確かに、中国拳法においても、非常に強力な打撃法として、発勁打法というものがありますが、やはりこれでも蓄勁といって、タメをつくることを教えます。

このことから考えても、タメのない動きは良くないと思われがちですが、実は合気道の目的は、相手を殺すことではないのです。

相手を制すること、相手と合わすことが目的なので、相手を死に至らしめるほどのパワーを出す必要がありません。

ですからタメが必要ないと言えるのです。こうした、非常識の常識を理解し、その上で技として使えるようになる必要があります。

以上の観点から自分の技を見直して再構築するのが必要なため、合気道は非常に難しいといわれるのです。


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【物理で考える】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

今回は、合気道の「合わせ」を行うための再プログラミングについて話したいとと思います。


力×時間がパワーを決める

合わせを行うのに、僕たちは今まで獲得した動作を再調整する必要があります。

僕たちの基本的な癖というのは、まずはバランスを取るというところにあります。

そのため、まず足を踏ん張って、相手の力に対抗するという行為が自然と出ます。

これは、攻撃をする際もそうです。例えば、相手にパンチを打ちだす際は、パンチを打ちだす瞬間が最も安定するようにタイミングを合わせて行います。

相手の手を取りに行く場合は、相手の手を引っ張るのが目的であれば、相手の手を持った瞬間に相手を引っ張れる最も安定した態勢をとります。

このように、人の中には決まったパターンで決まった動作をしますので、相手は容易にその動作の意図をくみ取って、自分が最も安定した状態でそれに対峙しようとします。

しかし、力の伝え方は、踏ん張って安定させてから行うだけではありません。物理を勉強すると、相手を動かすには力だけではなく、力積、つまり物体に加える力と時間が問題だと言われています。

要するに、どんなに衝撃力が強くても、その持続時間が短いと相手を十分に動かすことができませんが、小さな力でも、持続時間が長いと相手を動かすに十分なパワーなりえるということです。


運動エネルギーも大切

相手を動かすという点からすると、運動エネルギーを伝えるということも大切です。

相手を動かすというのは、基本的に相手に運動エネルギーを与えるということです。ですから、相手に加える力と時間の積が大きいほど相手へ運動エネルギーを与えるということになります。

ところが、相手に運動エネルギーを与えるという点において、力積だけを考えるのではなく、自分を加速していおいて、自分自身に運動エネルギーを持っておいて、それを相手に伝えるという考え方もあります。

さらに、作用反作用の法則を用いることで、一瞬に相手に運動エネルギーを伝える方法もあります。

それには、相手と真逆に動くことです。これは中学の理科などで学ぶので知識としては分かっていても、この真逆に動くというのは、心理的には非常に厄介です。

このように、運動エネルギーを伝えたり、起こしたりするということは、日常僕たちがやっている動作の安定を作り出してから筋力で押したり、引いたり、当てたりするという方法とかなり違うため、何度もやって体で覚える必要があるのです。

そうした指導を受けて、初めて体が動くようになり、相手は日常接することのない動きによって混乱し、技にかかってしまうのです。

これが合気道の合わせの一つの原理となっています。


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【合わせと意識】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は合わせは誰もが達人レベルでやっているという話をしました。ところが、合気道での合わせが全く上手くいかないのはどういう訳かという問題点が残ります。

その一つとして相手にこちらのしようとすることが読まれているからだという話をしましたが、そのことについてもう少し詳しく述べていきたいと思います。


動作はプログラミングされたもの

「合わせ」を行うためには、僕たちが自分で獲得してきた動作の見直しをする必要があります。すなわち今まで獲得した動作というのはプログラミングされたもので、それにないものは再度プログラムをする必要があるということです。

僕たちが生まれて、自然に身についた動作は、多かれ少なかれ周りの影響を受けて身についています。

赤ちゃんが二足歩行するのは、家族が二足歩行をして歩いているから、それを見て赤ちゃんは二足歩行を学びます。

僕たちは親や兄弟の動きを学ぶことで動作を獲得しているということは、彼らが経験したことのない動きを勝手に獲得できないということになります。

そこで、合わせの問題ですが、こういった学習の結果、合気道修行者にとって「合わせ」というのが非常に困難に感じるようになっているのです。

前回もお話ししましたが、僕たちは、相手が自分を崩そうと動いたとき絶妙なバランスで、相手の力に逆らえるように動きます。

その結果力が強すぎて倒れるということがありません。ただ、相手の力が自分の力よりも上回っている場合、無理やりねじ伏せられることはあります。


意識の違いが大切

合気道で上級者の技を受けると、非常に不思議な感覚を覚えます。それは、無理やりねじ伏せられた場合には感じられない不思議さです。

力でねじ伏せられた時は、何ともいえない相手への敵意がわいてきますが、合わせられた場合は、「どうして?」という感じで、倒されてしまいます。

この違いが大切です。この違いを相手に感じさせるためには、今まで身に付けたプログラムの書き換えが必要です。

そのため、相手の知らない技術を覚え、自分の中に落とし込む必要があります。

その前に、「相手の土俵で闘わない」という前提が必要になり、相手と力勝負をしないという強い決意で臨まなければいけません。

そして「相手の土俵で闘わない」ために、自分の意識革命が必要になります。こういうと「精神論か?」と思われるかもしれませんが、そうではなく、フォーカスする点が違うから相手とぶつからないのです。

当会の技術を学んだ空手家の人で、この意識革命を武道革命と言われた方がいらっしゃいますが、この意識の違いが大切なのです。


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【合わせは特別ではない】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

今回では、合わせというのは、実は誰もがやっていることで、達人でもなんでもないという話と、では思うように合わせができないのは何故かというところに焦点をもっていこうと思います。


合わせは特別なものではない

合気道で「合わせ」をするように言われると、殆どの人は非常に苦労します。

それで、合気道修行者は、「合わせ」が完全に分かるようになるのに数年から数十年費やすることも珍しくありません。

というと、「合わせ」が完全にできるのは、才能ある特別な能力の持ち主と思ってしまいがちです。

ところが、別の見方をすると、実のところ、二足歩行して普通に歩ける人の「合わせ」は、達人レベルということができます。

例えば、あなたは人が倒そうと衣服を引っ張っても、マネキン人形のようにそう易々と倒れることはありません。

これは、相手の行動から、相手の力を読み、バランスを取っているからです。

このことを考えると、相手の状況を読み、対処するということに関して非常に巧みであるといえます。

ぶっちゃけこれは、相手への完全な「合わせ」であるわけです。


何故合気道の「合わせ」が難しいのか?

合気道では指導者に力を抜いて「合わせ」なさいとよく言われます。

ところが、いくらそういわれても、中々その「合わせが」できません。

そこで、進歩的な合気道修行者は、別のところで身体操作などを学び「合わせの技術」を習得しようとします。

すると、自分の道場に帰ると、不思議と技が効くようになります。そこで、その修行者はようやくホンモノに出会えたと感激するのです。

ところが、しばらくすると、自分の技が効かない人が現れ始め、やっぱり自分の技が効かないと思ってしまいます。

これは何を意味するのかは、もう賢明な読者の方にはお分かりだと思いますが、最初の頃は、相手がこちらの技に慣れていないため、こちらの情報が読めず、技にかからないのです。

ところが、慣れてくるにしたがって、コチラの情報が十分にとれるようになると、次から次へとこちらの技に逆らえるようになります。

これが原因です。要するに技を効かせることができるというのは、コチラの情報が遮断されているというのが最大の前提になっているわけです。


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【時点思考からの脱却】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

本日「技の研究会」を行いました。そこで、最近ブログでやっていることを技でやってみようと、話しから入って説明を試み、ブログの内容が十分会員に伝わっていないことがわかりましたので、今回のブログではもう少し、説明を加えようと思います。


時点を合わせるとは

本ブログでは、日本語の「あう」という言葉から出発して、「あわせる」というのは「合計」すること、要するに「併せる」ということだと説明しました。さらに、「あう」から「あい(愛)」という言葉が出てき、さらに、合わせることで「調和」を生み、さらには技では「勝速日(かつはやひ)」という発想にたどり着くということでした。

前回は、「合わせる」というと、どうしても一時点を想定してそのタイミングに合わせるということについ意識が行ってしまうが、時間の唯一の一点だけに合わせるというのは良くないという説明をしました。

ところが、これらのことを弟子たちに話しても、中々理解してもらえないということで、実際に技を行って説明して、ようやく理解してもらえました。


時点を見る動きから変える

「ある一時点」という表現が難しいかったのですが、これには人が二足歩行をしているということをまず抑える必要があります。

ヒーローの人形などを例にとると分かるのですが、棚などに飾っておくのに、ただ立たせるだけなら安定して立っていますが、ちょっと振動を与えると、人形は倒れてしまいます。

このように本来は二脚で立つというのは非常に不安定なのです。そのため、人はある攻撃を他人に加えようとすると、攻撃前よありも、相手に攻撃を加えた時点が最も効果的になるように動きます。

例えば、正面打ちで眉間を割るつもりなら、正面打ちが当たる瞬間が最も安定している必要があるわけです。

このように二足歩行の場合、目的が決まると、その目標に到達した瞬間だけが最も安定してます。人はそ瞬間を目指して動くのです。

合気道では、相手の初動から連続的に相手の動きを観察していて、変化が起こった時点から、相手のゴールの動きを想定してその前に自分が動くことで相手を安定させないようなゴールを設定に変更するのですが、実際に体で行いながら、説明しないと文章では限界があります。


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【ゴールから考える】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は調和ということで合気道の技の考え方を説明しました。今回はさらに一歩進んで、調和をとるための思考方法について書いていきたいと思います。


ゴールは何か?

合気道の形で調和を取るというのは、どういうことかと突き詰めると、あるゴールに向かって一つになるということがいえます。

では、合気道の技において、ゴールとは何だったでしょうか?

これについては以前にもお話ししたと思いますが、「投げたり、固めたりは枝葉」という僕の師匠の言葉どおり、投げたり、固めたりする前に、相手との合わせというものが存在していないといけないのですが、その合わせの最終形態がゴールです。

では、合気道の形において合わせの最終形態とはどんな状態でしょうか?

それは、自分が宇宙の中心と一体となって安定して、自分の動きの中に相手を巻き込んでいる状態です。

要するに、自分が安定している状況で、相手が重心を奪われた状態になっていることが、最終的なゴールです。


勝速日(かつはやひ)

ゴールが分かると、次はそのゴールを作るためには、今の自分はどう動くかという発想が大切になってきます。

相手が来てからという発想ではなく、相手が来る前に自分がどう動くべきかという発想でないといけないということが分かります。

要するに待ちの状態ではなく、合気道の技の中により積極的に如何に相手に関わってくるかということが大切のわけです。

ですから、合気道は見た目は相手の攻撃を待って行っているので受け身の武道とよく言われますが、心では、より相手に関わろうとする能動的な武道なのです。

しかも、相手を制するのではなく相手と調和し和合するのを目的にしているため、先を制するという考えがないのです。

そこにあるのは勝速日(かつはやひ)という考え方で、勝速日というのは、もともとは日の出で太陽が昇った瞬間に日差しがすぐに自分のところに届くぐらいの時間ということですが、それぐらいの反応で動くということです。

そのためには、初めから相手に合わせておくということが必要になってきます。来た瞬間に向けて合わせるのではなく、初めから合っているから、相手にとって勝速日、すなわち気が付くとやられているのです。


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【調和】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道の「合わせる」ということについて先日から色々と述べてきましたが、「合わせる」というのは「調和」だということだという結論になります。

そこで、「調和」ということから「合わせる」ということで技を考えてみたいと思います。


調和から考える合わせ

「合わせ」というのを考えたとき、普通、ある瞬間を想像する人が多いと思います。

これは、前回もいったように、本来の日本語の中に、外国後の要素が知らぬうちに入ってきているため、どうしても、合わせというと、相手と自分とかいうように、主と他というように2つの別々の要素で考えてしまいがちです。

そうすると、タイミングを合わせるといっても、ある時点で合うということを連想してしまいます。

そうすると、非常に合わせるというのが困難で、何分の一秒でも拍子がずれると合わなくなるということが起こります。

ところが調和という点から合わせを考えることにすると、それはもはやある時点という考えが消滅します。

調和ということを考えに入れたとき、いつなのかというと、あらゆる時点で合っている必要があるという考えになってきます。実はこの考えが非常に大切なのです。

すると、はじめも終わりもなく、相手と常にシンクロを起こす必要があるという発想になります。

そなるともはや一点で合わせようとする意識が消え、如何に相手と調和した動きをとるかという問題です。


相手と調和するには?!

ところが相手と調和するだけでは技になりません。それにはイメージが必要であり、さらに「中心が何か? その主体が何か?」という意識が重要になってきます。

先ず、イメージというのは、太極図と呼ばれる白と黒のオタマジャクシが互いに向かい合ったイメージです。

白いのがあなた、黒いのが相手です。あなたは、相手の動きと調和して一体となり、相手の動きを吸収し、そして一つの宇宙となるというイメージが技には必要になってきます。

そして主体は技の掛け手であるあなた自身ということです。

要するに、調和するのが、主体が自分であるという意識が大切なわけです。

さらには、技の中心がどこかという点も大切です。この技の中心というのは、動きの中心でもあり、物理的な中心ということです。

それは、自分と相手とで作り出す宇宙の中心でもあるわけです。

そういったイメージと主体性を持って技を行うと考え方が変わり、技というものをどう構成するかというのが見えてこないでしょうか?


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