カテゴリー別アーカイブ: 個人指導

【伝わる難しさ】

実は、個人指導を行いました関東の合気道修行者の方から、行った講義内容についてのまとめについてメールがすぐに届いていました。

下記の画像がその内容に対する添削です(秘伝が書かれているので文字はつぶしています) 黒字がその方のまとめ、赤字が私が訂正した部分。
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個人指導では、かなり説明を重視して時間をかけておこないましたが、こう見てみると、直接個人指導をしても、伝わる難しさがよくわかると思います。

さらに、この方は、論理的思考の持ち主で、非常に頭の回転がよく、的確に私の指導に対して動ける人です。
それにもかかわらず、思い違いの部分がかなりあります。

私も、ジークンドーをしていたころ、ジークンドーの特別講習会に何度か参加しましたが
なかなか、うまく説明を文章にすることができませんでした。

そういった点から見ても、このようにすぐにまとめられるという点で、この方の頭の良さや凄さが分かると思います。

ですから、文章や映像だけではかなり伝わり難いというのが分かります。今回、講習の内容をこのように送っていただくことで、
自分の説明の足りない部分が見えてきます。

非常にありがたいことです。

【人は見かけによらない】—個人指導

Facebookから警告を受け、Facebookの記事と時期をずらしているので、かなりタイムラグがありますが、、5月3日、午前中、午後、夜と今日一日合気道の指導で明け暮れました。

ところで、人は見かけによらないと言いますが、本当に、今回は驚きました。

午後1時前、私は、緊張と期待の入り混じった面持ちで、数日前に個人指導の依頼をした初対面の方の来訪を待っていました。

当会での個人指導を申し込む方の中には、いろいろな武道を経験している人も少なくなく、他の武道家のセミナーにも参加されている場合もあり、押しなべていえることは、県外からくるだけあって、皆、かなり稽古熱心で向上心が高く、技術も高い。

「そんな人の要望にどう応えるか?」
などと、考えていると、
突然ドアをノックし、
「失礼します」
と、かなり温和な感じで、とても武道をしているように見えない普通にいる「とってもいい人」といった雰囲気を持った方がドアを開けました。

いざ稽古に入り、相手の実力を調べるために私を体を押してもらったところ、柔らかい中に強い芯のようなものを感じます。

これは、かなり体幹を鍛えている人に共通する感覚です。

私は養神館系の人の受けを受けたことがなかったので、『養神館合気道はかなりの体幹をつくるんだな』と感じていました。

ころが、この方、合気道の技を受けてみると、その強い体幹が余り活かせていません。

この異常なアンバランスに不思議さと違和感を感じました。

私が、当会の技術をいろいろと説明していく途中で、その謎が解けました。
彼は、グレーシーで名高いブラジリアン柔術のインストラクターの資格を持っていたのです。あの強い体幹は実は、ブラジリアン柔術から来たものだったのです。
ブラジリアン柔術では、彼の一つ下のクラスである緑帯で柔道二段と同等といわれています。柔道二段となると、柔道でもかなりの実力です。
ですから、インストラクタークラスの紫帯をもっている彼の実力のすごさはおよそ想像できると思います。

このような方にも、井口師範の秘伝が十分通用し、
「秘伝の技術は合気道だけでなく、打撃系や柔術でも使えますね」
と彼に言っていただき、彼の希望に十分応えられたがわかりとてもうれしく思いました。
いやー、人は見かけにはよらないものですねえ~。

「囚われ」と「こだわり」

先日、中国拳法の方の個人指導を行いました。
予定の時間より少し遅れるという連絡が入りましたので、道場内がちょっと冷えていたので、体を動かしてウォーミングアップしておこうと、ジークンドー(截拳道)の動作を稽古をしていました。

そこに、その方が登場し、私の動きを見て、
「かなり速い動きですね。人と対したときも同じ動きができるのでしょうか?」
と、質問されました。そこで私は
「では、好きなように構えてください。攻撃をしますので、それに対応してみてください」
と、相手が構えた瞬間、ジークンドーで相手を攻撃しました。

すると、
「とても速すぎて全く対応できません。前回に学んだ技術も全く使えませんでした。」
と、いいました。

そこで、
「では合気道の術理で、そんなスピードに対応できるものなのでしょうか?」
と、いう質問されました。

その対処方法は、「皮膚感覚の秘伝」と「空間感覚の秘伝」を使うことになりますが、これは前々回からこの方に指導しているものです。これではブログを読んでいる方にはわからないと思いますので、“間合いを制する”のがポイントになるとお考えください。

要するに、パンチやキックは当たる位置があり、しかも効果のある位置というのはさらに限られた位置になりますが、その位置に来る瞬間に攻撃が来るのですから、その一瞬前に相手を捕らえることにより、その後の攻撃をできなくします。

この方には、前回の間合いを制する稽古でかなりのところまでできるようになっていたのですが、速い手足の動きに気をとられ、術理が効かず、全く動けない状況になり、ただのサンドバック状態になった訳です。

井口師範は、「当たらないところに居(お)れば当たらない」と、おっしゃいました。
要するに、パンチや蹴りが当たるには、当たるのに最適な距離があるわけです。その距離を武道では間合いといいますが、それを如何にうまくコントロールするかというのが、「空間感覚の技術」です。

ところが、この人は、「手がどう動くか? 足がどう動くか?」と考えておれば、意識がそれに囚われ、間合いを意識することが疎かになり、前回実現できていた動きが出来なかったのです。

実は「囚われる」というのは、私もよくすることです。指導している際に、一つの術理にこだわりすぎるため、急に技が効きにくくなったりすることをときどき感じ、後で、『ああ、こだわっていたなあ』と反省することがあります。その術理を教えるにはある程度こだわらないといけないのですが、こだわりすぎると腕に力が入ったりするわけです。

そして、この人に、前回と同様の説明を繰り返しましたが、前にできていた動きがなかなかできません。どうしても防御に意識が行き、前回の動きすらできていませんが、当の本人は、自分がそれに囚われていることに、なかなか気づかず、指示通り動いているように思っています。

ですから、いくら「囚われている」と示しても、それでも自覚ができません。約2時間かかって、ようやく自分の「こだわり」に気付くと、また前回の動きがもどってきました。
それで、この人に向かって、私は最初に行ったジークンドーの動きで攻めましたところ、その人は巧く捌くことができました。

このように、自分の「こだわり」には、中々気づかないものです。その「こだわり」は思い込みからでたものです。最初に来られたとき『こんなに速い動きではどう対処していいのかわからない』と思ったのだと思います。

その結果、『無理』という先入観が無意識の中に形成され、それを解くのに2時間要した訳です。人間は、この『無理』という発想や、『この技は必ずこうする』という誤った先入観があると、技がうまくいきません。また、それが大きな修業の妨げになりますので、巧く行かないときは、上級者に相談するのが一番いいと思います。

形稽古の意味

昨日、関東からの来客以外に、実は、中国拳法の経験者の方が技を学びに来られました。その人と軽いスパーリング的な技の出し合いを行い、こちらが技を掛けましたところ、
「いつどのタイミングで、合気道のどの技の出そうと意識するのです?」
という質問をいただきました。

要するに、質問の内容は、以前に、「勝速日の技術」で、相手の攻撃がとどかない遠い間合いにある内に、相手を捉えることを意識するように指導しているので、その時点で技を決めていいるのか、それとも別の時点で技を決めるのかということです。

私は、
「『勝速日』では相手を捉えるだけで、技はきめません。相手を捉えたときの体勢で、掛けやすい技をかけます。要するに、それぞれの技で掛けやすい体勢というのがありますから、技は決まってくるのです。だから、技と形がいろいろとあり稽古する必要がある訳です。形の特性を知り、今の自分の体勢がどの形のどこ近いかを理解することが重要です。」
と答えました。

ちなみに、合気道では、最も大切なのは、技に持っていく前に相手を捉えた状態にすることです。これを合気道では『合わせ』といいます。その次に技が来るのです。ですから、井口師範は「技は枝葉」と表現しました。でも、枝葉であっても大切な合気道の要素であることは間違いありませんので、どうでもよいということではないと思ってください。

こうに説明しますと、中国拳法の方は、中国拳法の形はかなり抽象的で、実際の用法を説明されても、どことなく納得できないところがあったそうですが、この話で、形の重要性と意味がすごく納得できたとのことです。

要するに、戦いの中では、様々な体勢になり得ますが、そのとき、それぞれの体勢から形の中にある技で適切なものに移っていくことができることを考えると、一見無駄な動きをしていると思える形にも重要な意味があるのだと理解できたということです。

井口師範から「合気道の技は一期一会、同じ形でも、毎回少しずつちがう」と教わっていたので、「完璧な形ができればあらゆる相手に効く」ととなえる合気道指導者に対し軽蔑を持って見ていたところもあったのですが、「完璧に形の意味が理解できてれば」という意味でいわれているのなら、それは正しいことを言っていると思います。一方、「機械的に精密にある形を完璧な軌道で再現する」という意味なら、まったく分かっていないということになります。このように言葉とは曖昧なので、話す言葉で相手の技術をわかった気になるのはよくないと反省しました。

さらに、もう一つの反省点は、私自身も形に関して指導する際に、この点が抜けていたと、もう一度考えさせられた稽古でした。今後、技の稽古では、そのポイントを加えて指導する必要があると思いました。他の武道をしている人との稽古は、違った視点で自分の技を振り返ることができるので、指導している私自身も勉強になり、いい刺激になります。