【NLPと合気道の結び】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今年も残すところ本の僅かとなりました。

このブログの原稿用紙3枚分の記事連続投稿は今年1月4日より始め、一日も休むことなく新たな年を迎えようとしています。

ここまで続くとは思いませんでしたが、これは一重に多くの方々の支援の賜物と感謝しています。

ブログの読者の皆様、本当にありがとうございました。

今年は、NLP心理学という新しい武器を手にして、僕の武道とって非常に革命的な年になりました。

今年最後のブログとして、NLP心理学と合気道をどう結んでいくかについて今日はお話ししたいと思います。


古神道とNLP心理学

特に合気道というのは、古神道を学んだ開祖が編み出した武道ですので、合気道にも古神道の儀式が組み込まれています。

ところが、今までは開祖が組み込んだ古神道の儀式はあまり見向きもされず、単なる準備運動にしかなっていませんでした。

というのは、こういった儀式と、合気道の技との関連性がかなり希薄で、どうつながるかということを多くの人に理解する術がなかったからだと思います。

何故なら、合気道は体術ですから、学ぶ人には、こういった儀式が直接自分の動きにどうつながるかを示す必要があるのですが、それを説明する術がなかったのです。

しかも、昔の人は、戦争体験など、究極の状態に身を置いた経験から、何もいわずとも、何となくわかる人が多かったため、 宗教が悪で科学が善という戦後教育を受けた僕たちの感覚とはかなり乖離していたのも大きな原因です。

こういった教育を受けた僕たちは、もっと別のアプローチが必要で、NLP心理学ではかなりそういったヒントが入っています。

例えば、天鳥船の行という今は、単なる船漕ぎ運動として、準備運動の一環になっているものも、NLP心理学的アプローチで、宗教を信じない現代人にも非常に有効な効果を発揮することが、NLP心理学を学んだ今年分かりました。


武道では体感と体現が必要

多くの師範は、合気道は精神が大切と話します。

僕が経験した最も酷い話は、「合気道は空手や拳法など人を殴ったり蹴ったりするような次元の低いものではなく、精神を高めることに全力を傾けます」というものです。

武道を知らない人は、「なるほどその通りだ」と思えるかもしれませんが、『そんなに精神性が高いなら、何故、他と比べ、他を卑下する必要があるのか?』と考えてしまいます。

武道をやっている僕たちにとって、実は精神が正しいということよりも、技ができるかということの方が重要だと思います。

これが本音じゃないでしょうか?

いくら精神性の高いことを言っても、護身として全く役に立たないようなら、武道としてする意味を持たないように僕は考えます。

ようするに、武道では体感と体現が大切ということです。

神道の儀式をやってそれがどう技に影響がでるのかを物理的に納得する必要があるということです。

ところが、合気道とNLP心理学を結び付けると、その物理的な部分がはっきりするのです。

合気道の物理世界と精神世界をNLPで結ぶことで、より万人にわかりやすい武道ができるのではないかと考えています。


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【無意識にアクセス】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

僕は、世界一わかりやすい武道を目指していますが、そのため動作に関して、具体的な説明が必要だと考えています。

ところが、最近はこの説明には限界があると感じだしはじめ、やはり本人の「気づき」が最も必要ということが分かってきました。

それで今回はそのことについてふれていきたい思います。


無意識から意識へ

現状の合気道では、古い時代の行われていた古神道の儀式は現状にそぐわないということで、排除あるいは簡略化する傾向があります。

たとえば、天鳥船(あまのとりぶね)の行と振魂(ふりたま)のセットは、単に船漕ぎ運動として、振魂はしなかったりと本来の意味が消えつつあるようです。

ところが、このような儀式こそ実は有効じゃないのかと、最近になって僕は考えだしています。

合気道の動きを物理的、生理学的にとらえている間は、こういったことは問題なかったのですが、技を伝えるとき、自分の中で感じる無意識からくる感覚の大切さが最近分かってきたのです。

そう考えてみると、合気道の思想の中核は、如何に無意識を利用するかという点になってきます。

これには自分の無意識もそうですし、相手の無意識とのかかわり方も大切になってくるということです。


意識と無意識をつなぐには?!

「意識より無意識が上」というと、心理学など詳しい人にとっては「当たり前じゃん」と言いたくなるでしょう。

僕も、心理学の本を読んで、無意識の力は凄いというのは、知識的にも、日ごろの自分を含め人間の行動からそう感じていました。

ところが、理屈じゃなく、気づきというか実感は本当にしていたのかというと、かなりあやふやです。

というのは、自分のやりたいことやりたくないことが僕の場合はっきりしていて、これをコントロールできれば何て素敵なんだろうと思っていたので、無意識をコントロールできないものかと日ごろから考えていたから、自分でも無意識を自覚していると思っていたからです。

ところが、骨の合わせの究極であるゼロの掛け算の技術をどう指導するかということで、これをもっと科学的説明ができないかと最近いろんなアプローチを考えているうちに、上手く骨の合わせができない自分に気づいていたのです。

今までは、ときどき、人に思い切り人差し指を掴ませて、それを簡単に挙げることができたのですが、科学的説明を考えだした途端、動きがギクシャクに感じるようになりました。

科学的説明を考える前は、思えば手が挙がるということだったのですが、指を持たれると、何故かこの方向というのが分かったのですが、その方向性の科学的分析を始めると、何故か分からなくなったのです。

要するに、無意識からくる感覚に委ねられたとき、その方向が簡単にわかりましたが、意識でコントロールしようとしたとき突然分からなくなったのですが、心を静めて、感覚に意識を持っていくと、この動作ができるわけです。

このように自分と無意識をつなぐには、自分がどの様に感じるているかという点に意識を持っていく必要があるのです。


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【相手の認識をコントロールする】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今、このブログではNLP心理学のフレームというものに焦点を当てていますが、今回は別の認知科学の角度からこれに関したことを書いていきたいと思います。


認識とはかなりいい加減!

人がものを認識する場合、その人が自発的に行っているものと考えられがちですが、実は人の認識は簡単に他人から制御されてしまう恐れがあります。

認識ということについて少し考えてみましょう。

今、どこかにあなたがいて、あなたは目の前のものを見て認識していますね。

ところが、あなたの目に映るものすべてが認識できていると思ったら大違いなのです。

この認識というのは実は穴だらけで、実際に見ていても見えていないことがかなり多いです。

例えば探し物ですが、車のキーを無くして一生懸命さがしたが見つからず、一緒に探してくれた他の人が見つけてくれた。キーが見つかった場所は、さっきから何度も見た机の引き出しの中だった。

このようなことは日常、僕たちが良く経験することで、見ていても見ていないということがよくあります。

ですから僕たちの認識というのはかなりいい加減なものです。


認識を揺るがせる

自分が認識している世界というのは、非常にいい加減で、危ういものであるということが理解できたと思います。

この危うさによって、自分の認識に他人が介在してコントロールさせる危険性を持ちます。

NLP心理学では、問題行動の解決の場合は、相手のフレームにアクセスして、認識を揺るがして、フレームを再構築するリフレーミングするわけです。

そのために、必要な前提が、相手の世界に理解と敬意を持つということです。

相手に理解と敬意をしめすことで、相手の世界に入り、相手の世界から相手が認識できていない事に目を向けさせるのです。

実は、この原理は合気道でかなり利用されています。

一例として、NLP心理学ではミラーリングという技法の応用があげられます。ミラーリングとは、相手の動作を真似して、相手と共有空間を作って相手の認識の世界に入る技術です。

具体的に合気道では相手に合わすということを行います。

これは、相手との心理的距離を一定に保つことで、相手とシンクロした共有空間を作り出すことで、相手の認識の世界に介入しこちらの意識したように相手をコントロールするのです。

ちなみに、この技術が上手くいくためには、相手に意図を悟られないための情報遮断が こういった心理操作をするために最も大切です。


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【合気道の形はミックスジュース】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、 先ほどフルーツジュースを飲みました。何種類かの果物が入っているジュースです。

僕は、フルーツジュースが好きです。色んな果物の味がハーモニーを奏でていておいしいと思います。

それと同時に、僕はこれは合気道の形だなと思いました。そこでそれについて触れてい見たいと思います。


形稽古の問題点

今も昔も、合気道の稽古は形稽古です。

合気道の形稽古は、様々なシチュエーションを形というパターンに凝縮したものを二人一組になって再現するものです。

こういえば、非常に高度な稽古がそこに存在するのが分かると思います。

ところが、合気道の場合の形稽古には問題点があります。

それは、高度な極意がかなり高濃度に凝縮されすぎていて、普通の人の理解をはるかに超えているという点です。

これは、ジュースで例えると分かりやすいかもしれません。

「オレンジジュース、いちごジュース、グレープジュース、リンゴジュース、メロンジュース、グレープフルーツジュースなどを混ぜて濃縮して粉末にし、その粉末に何が含まれているかを分かるか?」と言われたとき、それが分かるのは非常に限られた人だけで、特にそれぞれのジュースを一度も飲んだことがない人は全く分からないと思います。

このように高濃縮な形の欠点はココにあるのです。

確かに、形の中には、極意が多く含まれていますが、これをただ味わっているだけでは、そこに含まれている極意が殆どわからないのです。それが僕たちのような凡人なのです。

これが合気道の問題点です。


形稽古を補う

先日、ある武道家の人とお会いしたのですが、その方と僕の師匠が柔道も空手も高段者だったの話をしましたところ、

「やっぱり、そうですか? 私は合気道だけで使える人を見たことがありません。合気道の達人と言われている人は、殆ど、柔道など他の武道をやっていた人ばかりです」

と、おっしゃいました。

要するに、粉末ジュースの構成成分が分かるには、成分であるそれぞれのジュースの味を知っているからできるということです。

ということは、形稽古を補う必要があり、それを構成している極意を知っている必要があるということになります。

その上で、それぞれの成分である原理を分析できる必要があるということです。

合気道の道場でよく言われる、「ただコツコツと長い間修練しているとあるとき悟りが啓ける」というのは、僕は道場に長い間在籍してもらうための一つの経営戦略と思っています。

やはり、オレンジジュースを知らない人には、混ざった粉末ジュースの中からオレンジジュースだけを取り出し水で元のオレンジジュースに戻してやる必要があります。

「修行が足りない」の一言では済ますのは、指導者の努力不足だと僕は思います。

僕は、非常にラッキーなことに、井口師範の運転手をしていたので、よく一つの成分を取り出すような稽古をしていただいた経験があります。

しかし、この経験がなければ殆ど合気道は使い物にならなく、体の大きな中学生にすらビビっているかもしれません。


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【武道とカタレプシー】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回はフレームの破壊に関連のあるカタレプシーについて話したいと思います。


カタレプシーとは?!

カタレプシーというのは、硬直を意味する言葉です。

元々は、緊張病症候群で、 受動的にとらされた姿勢を保ち続け、自分の意思で変えようとしない状態になるものを指しますが、ここでは心理学でのカタレプシーについて述べます。

相手が行動を起こそうとするとき、何らかの心的モデルがあるのですが、そのモデルが中断された場合、無意識にその間中は体の動きを止めてしまい、再開されるのを待ちます。

例えば、名刺交換というフレームでは、名刺を渡そうとすると、相手はそれを受け取ろうとします。

これが一連のパターンとなっていますが、このフレームを、例えば、相手が受け取ろうとした瞬間に、手を止めて、自分の名刺を引き寄せて見ると、、相手は受け取ろうとした手をそのままにしてジーっとしてしまいます。

そして相手に、名刺をそのまま渡してフレームを再開すると、相手は その2、3秒の間の事を全く忘れ、中段があったことも気づきません。

このように、フレームを自然に中段すると相手は、フレーム中断から再開までの記憶が飛ぶわけです。

こういった特性を当然、武道で使わない手はありません。


武道でのカタレプシー

武道でのカタレプシーの代表的な例としては、中国拳法の高度なテクニックを見たことがあります。

パンチで攻撃する際に途中で手を止めて、その位置から再開してパンチを打ちだします。すると、相手は止まった状態になってパンチが確実に当たります。

しかし、特殊な訓練をしていない限り、再開したパンチは単なる手打ちとなり、相手へのダメージを与えることができません。

中国拳法には寸勁と言って、距離3センチぐらいから、爆発するようなパンチの打ち方がありますが、これができるとこのカタレプシーというは非常に恐ろしいものになります。

合気道ではどうかというと、相手に持たれた手を外す場合、相手の親指に特殊な術を施して手が抜けるようにする技術がありますが、相手と目を合わさずに、これを行うと、相手は何故か手を掴んだ時の状態のままじっとしています。

その間に、相手の横をすり抜けると、1、2秒止まったままになります。

更に、気に当たる技術、気に当てる技術、気を誘導する技術というのも、実はカタレプシーを応用したものです。

例えば、気に当てる技術の中でかなり高度なものとして、合気道の遠当ての術というものがありますが、原理は同じです。

遠当てとは、相手が行動を起こそうとして、動き出した瞬間にこちらから何かのアクションを起こすと、一瞬カタレプシーになり、この瞬間、合気道では相手の中に入って技を仕掛けるわけです。

合気道の遠当てでは、相手のフレームが開始する寸前の頭を抑える必要があり、非常にタイミングが見妙で、相手の兆しを掴むことができないと成功しません。

このように見ていくと合気道や武道の技術にもこういった心理学的アプローチが沢山使われていることが分かります。


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【フレームを壊す】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は人は何か動作をするとき、必ずある一定のパターンの枠の中で行っているという話をしましたが、これをフレームというとお話しました。

NLP心理学では、リフレーミングといって、例えば負のフィードバックにはまっている人の心理のフレームを一度壊して、再構築することを行いますが、武道の場合はフレームを破壊して相手を戦闘不能な状態にし、リフレーミングはしません。

しかも、特に合気道の技には、このフレームを壊すことで技をかける技術が隠されています。

今回は、もう少しフレームを壊すという点について述べてみたいともいます。

漫才師がやるフレームの壊し方

かなり昔の話で、漫才師が誰であったのかすら記憶にないぐらい過去なのですが、思わず笑いで吹き出してしまったシーンが頭に残っています。

それは、一方が相方からハンカチを借りるシーンだったと思いますが、ハンカチを思わず受け取り損なって、下に落としてしまったのです。

すぐさま、ハンカチを渡そうとした人が、「あっ」と言って、急に屈んだかと思うと、ハンカチを拾うのではなく、自分の靴ひもを結びなおしたのです。

このやり取りがおかしくてつい笑ってしまいました。

これは、一般的なパターンである【ハンカチを落とす → 屈む → 拾う】のフレームを皆が持っていて、屈むという動作をした後の次の動作の期待はハンカチを拾うです。

ところが、次の動作で全く無関係なことを行って、その期待を全く裏切ることで、フレームを破壊しているわけです。

このようにコメディアンたちは、常識のパターンの枠を壊すことで笑いを作ることをよくおこなっています。

このように、フレームには、個人個人のフレームもあれば、ほとんどの人が持っている一般化されたパターンとしてのフレームも存在します。

武道と漫才の共通する点は、この一般化されたパターンのフレームを壊すことで、笑いをとったり、相手の思考を停止させることができるのです。


合気道でのフレーム破壊

合気道では、よくあるパターンとして次のものがあります。

  1. 弟子が師匠の手をしっかりと片手で掴みます。
  2. 師匠はその掴んだ手をもう一方の手で軽く触れます。
  3. さらに、その手を外して投げ技に移ります。

このフレーム破壊の術理を知らない人がこのシーン見ると、あたかも弟子がワザと手を離して、師匠に投げられているように映ります。

いわゆるヤラセというものに見えるわけです。

しかし、フレームという点で考えてみると、弟子がとるべきフレームは以下のようになります。

  1. 相手の手首を持つ
  2. 相手の手を固定して動かなくし、技が掛からないように邪魔をする

このフレーム内では、「相手は、動かない手を何らかの方法で動かそうとするだろうから、その力に逆らえばよい」という思考もパターンの中に含まれるわけです。

ところが、別の手で軽く触れられるというのは、その動作は弟子のフレーム内にない行為です。

その行為で、一瞬フレームが壊れてしまうのです。

これと同じように弟子が行うと、軽く触れるよりしっかり切り離した方が手は解きやすいだろうと考えます。

すると、しっかりと切り離そうとする行為は、手を持った方の想定内の行為(相手は手を離そうとしている)になりますので、十分に対応できるため、簡単に手を離してくれることがないのです。

このように、相手の一つの行動パターンのフレーム外の行動をすることで、相手のフレームが簡単に壊れてしまいます。

こういったことが合気道の技の随所でみられるので、2チャンネルではヤラセだとかよく言われるのです。


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【フレームと合気道】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は合気道には如何にNLP心理学の要素が隠されているかという点についてお話ししたいと思います。


フレームとリフレーミング

人は何らかの行動を起こす際、必ず一つのパターンに従って行動します。それは、物事を理解する場合でも同じです。

このように一つのパターン、枠組みのことをNLP心理学ではフレームと呼びます。

人は、一つのフレームに選ぶと、行動がそのフレームの中で支配されます。

例えば、仕事が忙しくやることが多く中々自分の読書の時間が作れないという悩みのある人がいるとします。

この人が「時間がない」というフレームの中にいる間はいくら考えても解決策は思い浮かばないものです。

ところが、「本当に時間が無いのか?」と疑ってみたとき、「通勤の電車で通う間に本を読めばよい」という答えにたどり着くかもしれません。

これをNLP心理学ではリフレーミングと呼ます。要するにフレームを作り替えるわけです。

このように人間は一つのフレームの中でいる間は決してそのフレームから出ることができません。

NLP心理学では、その人がどうとらえるかという「心の枠組み」を考え、問題を解決するために、上記の例のようにリフレーミングという手法を使います。

これは、思考だけでなく、人間はあらゆる行動でフレームを採用しています。

合気道には、このフレームを利用することで技を仕掛ける技術が沢山あります。


合気道では相手のフレームを壊す

ところが、リフレーミングというのは、一旦、一つのフレームをキャンセルして、新たにフレームを作り出す必要があり、そこにタイムラグが生じます。

実は、合気道では、NLP心理学でいうフレームを壊すことで、相手を一瞬空白状態し、それを利用して技を掛けるという技術があります。

というのは、合気道の場合、受けと取りをきめて、受けの人が攻撃をした後、取りの人が投げ技や固め技を行うという形稽古を行うわけですが、受けが行う攻撃事態が一つのパターンをもったフレームなわけです。

合気道では、相手のそのフレームの一連の動作の途中に別の要素を入れることで介入し、相手のフレームの一連の流れを壊すことで、相手を無力化します。

この介入には相手の意表を突く テクニックが必要です。

このテクニックは基本的には秘伝となっていて、一般の合気道の道場で普通に稽古していても教えてくれるものではありません。

しかし、基本的には、攻撃者の「こうすれば、こうなる」という思考パターンを破ってやれば、攻撃者は一瞬だけ動きが止まってしまいます。

例えば、刃物で刺そうと思った瞬間、目に何かが飛び込んできたら、思わずその動作が出来なくなってしまいます。

ここで大切なのは相手の予想を裏切るということですので、自分の情報を相手に与えないことが最も大切です。

それができれば、紙切れ一枚でも、相手の動きを止めるのに十分です。紙を丸めて、投げるだけです。

ただし、タメを作って投げると相手に察知されますので、咄嗟に投げる稽古は必須です。


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【護身術を考える】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、最近身勝手な考えで他人を犠牲にしても何とも思わない人が増えている現状から、やはり護身は必要とますます僕は思います。


身勝手な犯罪と理想の護身術

さて、先日、新幹線殺傷事件の裁判の判決が出ました。

犯人は無期懲役刑が出て喜んで万歳をしたそうですが、赤の他人を殺すことで、自分の願いを叶えるという本当に身勝手な考えにほとほと呆れてしまいます。

ただ、刑務所が犯人が想像しているようなところではないでしょうから、徐々に自分の行いで後戻りできない状況に気づいたとき喜んでいられる訳はないでしょう。

しかし、最近はこういった非常に身勝手な考えをもった人がかなり増えているように思います。

そういった状況を振り返ると、やはりちょっとした護身の知識だけでも必要と僕は考えます。

海外の人達から私たち日本人は非常に犯罪に対する危機管理能力が非常に低いといわれます。

新幹線内殺傷事件にしても、被害者の男性は正義感から、素手で刃物をもった相手に挑んだと聞いています。

確かに日本人は、正々堂々に強い相手に真向から立ち向かうことを美点としますが、死んでしまったら元も子もありません。

僕が、以前セミナーを行ったとき、まず要望がでることは次のことです。

「私は暴力が嫌いです。ですから、人を殴ったり、蹴ったりはとてもできません。そんなことをせずに綺麗に相手の制し方を教えてください」

特にこれは女性に多いのですが、自分よりもずっと力の強い男性が刃物をもって襲ってくるときに、綺麗に相手を制することが真面目にできると信じているのです。

ですが、一、二時間のセミナーで日ごろ運動もしていない女性が、いきなりそんなことができると考えるのにはいつも驚かされます。

多分、テレビ番組で合気道の高齢で小さな達人が数人の大の男を投げ飛ばすシーンを見て、自分でもできると思っているのでしょう。

しかし、そんな理想的な護身術の技術を持っている人は、本当に寄りぬかれた本の一握りの達人しかできません。

しかも、達人は数時間の練習で達人になったのではなく、何十年と地道な稽古を続けてそいうった境地に達したのです。

はっきりと言えることは、そんな理想的な護身術は、一般人にはできません。


普通の人でもできる護身術とは

普通の人でもできる護身術は、相手を制することを考えるのではなく、危険から如何に脱出するかを考えるべきです。

お金で済むなら、お金を出せばよいと思います。そのために、例えばサイフを2つもつという方がよっぽど護身になると思います。

ただ、今の日本は非常に身勝手な人が増えていて、ちょっとしたことで全くの赤の他人を平気で殺せる人がいます。

まったくのとばっちりかもしれないけれど、それでも、それにあたった場合、無残に殺されるより、対処できる術を持っている必要があると思います。

僕は合気道を始める切っ掛けは、ただ弱そうだからということで、電車の中で暴行されたことで、誰も助けてくれる人がいないことから、自分の身を自分で守ろうと決意したからです。

とは言っても、僕自身、現在の合気道の稽古だけでは、護身は不可能と考えています。

そういうと合気道をDisるなと合気道をしている人から苦情がきますが、合気道の稽古で護身できるのは、本の限られた素質がある人だけだと僕は断言できます。

何故なら、特定の形を稽古して、それを臨機応変に相手の攻撃に応じて応用できるというのは至難の技だからです。

護身の技術は複雑な様々な要求がされる形の中で稽古するには、非常に難しすぎます。

やはり、シンプルな稽古でないと、パニック状態に近い頭の状態では、思うようにでないのです。

さらに「合気道では刃物で攻めて来たらこうする」などと考えてやっているよりも、まず武器を探すことが大切です。

護身でのポイントは相手の意表を突くにはどうするか?

その一点が大切です。この点に注意して合気道で養った感覚を使用するのなら、本当に合気道の技は役に立つと思いますが、

そのためには、日常のものをどのように武器にするかとか日ごろから考えておく必要があるのです。


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【脳科学と合気道】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

脳科学の本など読んでいると、ある意味で、合気道と他の武道の違いなどが分かっていろいろと面白いです。

今回は脳科学における武道・格闘技比較です。


コンフォートゾーン

以前、僕のブログで質問が来た内容で、当会の稽古は、実戦に対してどのようなことに留意して指導しているかというものがあります。

というのは、いざというときに、難度の高い技法を使うのは非常に難しいのではないかということで、そういったときは力を使う稽古をしておくことも重要ではないかということでした。

確かに、この方が言われている通りで、いざという場合にかぎって知的な思考ができなくなります。

その理由は脳科学で説明されています。

脳科学や心理学では、人が慣れした親しんだ環境にいる状態をコンフォートゾーンと呼びます。

人はコンフォートゾーンにいるとき、脳が最大のパフォーマンスを出せるようになっています。

この環境だと、IQがかなり上がり、知的活動をするには非常によい状況です。

ところが、原始の時代は、狩りなどでは自分の慣れ親しんだ環境から、危険な環境に入って行う必要があります。

狩りでは、考えているよりも、闘争本能をむき出しにして、本能的に体を動かす方が危険を避ける意味で非常に都合がいいのです。

そういった場合、自動的に、IQを落として身体活動のパフォーマンスを上げます。

これに関して、格闘技の試合で、必死になって戦っていたら、闘争本能に支配され、気がついたら試合に勝っていたということを 格闘技の選手がときどき話すことでも分かると思います。

この様に、多くの格闘技では自分を追い込んで、コンフォートゾーンから飛び出して、闘争本能をもろに引き出すことで、最大のパフォーマンスを出します。

このように、格闘技で行われる自分を追い込むことは、確かに、戦場というコンフォートゾーンからかけ離れたところでの戦いに適した方法かもしれません。


合気道や日本の古武道はどう考えるか?

一方、合気道や日本の古武道では、このコンフォートゾーンから抜け出たと闘いを否定しています。

合気道や日本の古武道の場合、真澄の状態、要するに明鏡止水の境地と呼ばれるものを目指します。

いわゆる、最高に集中したゾーンと呼ばれるものを目指すわけです。

そのため、合気道では、無駄な力を抜くことを指導され、リラックス状態で最高のパフォーマンスを出す稽古を行います。


護身術ではどうか?

残念ながら、やはり一般人である僕たちは、いざというときどころか、通常の稽古においても明鏡止水の境地というのは非常に難しいと思います。

これは、2チャンネルでもよく議論されますが、合気道は役に立たないと言われる理由の一つです。

確かに、明鏡止水の境地を目指すのは大切で、リラックスして 、相手の動きをできるだけ冷静に判断して、それで相手を制する稽古は高次元を目指すに必要不可欠でしょう。

実際問題、いくら道場でそのような状態になたとしても、実際の場でそうなれるのは、かなり実戦の修羅場を超えた人だけとなると思います。

僕の暴漢と闘った経験でも、暴漢を制した後にもかなりの興奮状態が続き、気を抜いたとき、はじめて手足がブルブルと震え、息が激しくなっている自分に気づきました。

ブルブルと震えていても、恐怖のためではなく、異常な興奮状態のため、ノルアドレナリンの過剰分泌のために、戦う必要が無くなった時点で、行き場をなくしたため、震えが来たのだと思います。

そういった経験から、日ごろの稽古している単純な動作が、そういった緊急事態では特に有効だとがわかりました。

そのため、高度な技術も大切ですが、護身を考えたとき単純な動作で相手を制圧する技術はもっと大切だと思います。

ですから、打撃技法や目や金的(睾丸)を攻撃する急所攻撃の稽古も護身では非常に大切です。


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【螺旋】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今年も残すところ10日ばかりとなりました。そこで、今年の当会での指導の問題点を考えてみました。


合気道の基本も極意も螺旋

井口師範は「合気道の極意は、呼吸力、気の流れ、螺旋形」とおっしゃいました。

螺旋は中国拳法で言えば粘勁と呼ばれるものと同じで、当会では、準備運動の際に、気功を一部入れていて、その中で単人粘勁という動作を入れています。

人間は基本的にある一定の方向の力に対してはすぐに反応できます。ところが力があっちこっちに変化すると急に対応できなくなるものです。

これは、反応速度というものがあり、認知してから動作に移すまで時間がかかるためです。

ですから、合気道では一点で一定の力で相手を押すということはせず、螺旋を使って、力が掛かる部分を移動させていくわけです。

螺旋は技術的には、当会の皮膚感覚の技術に分類できますが、接触面を螺旋状に変えることによって、相手にとって読みにくい動作となるため、相手を導くのに非常に都合がいいのです。

ところが、会員の皆さんどうやらそのことに関してあまり理解できていないことに最近気づきました。

一応は理屈では旋は理解できているようですが、技で意識して使ってはいないようなので、来年からは螺旋の相対稽古を入れていくことにしました。


4種類の螺旋

ちなみに、片手で掛ける螺旋には4種類あり、左右の手で考えると合計8種類になります。右手で掛ける螺旋を例にあげますとつぎのようになります。

  1. 相手の右手の外側と右手の内側を最初に接触させてから 相手の手に蛇が螺旋状に巻き付くように巻き付いていくことで相手の手を動かす 行う内回し螺旋。
  2. 相手の左手の内側と自分の右手の外側を接触させてから、外まわし螺旋。
  3. 相手の右手の内側と自分の右手の内側を最初に交差させて行う交差の内まわし螺旋。
  4. 相手の右手の外側と右手の外側を最初に接触させて行う交差の外まわし螺旋。

この螺旋の動きが基本になって、合気道の技が行われ、特に非接触の対打撃系の技に明らかな螺旋を用います。以下がその一例です。

内まわし螺旋

正面突き小手返し投げ、正面突き回転投げなど

外まわし螺旋

横面打ち四方投げ、横面打ち入り身投げ、横面打ち小手返し投げ

交差の内まわし螺旋

正面打ち、横面打ち、正面突きなどでは、小手返し投げと入り身投げです。

交差の外まわし螺旋

正面打ちなら、一教、二教、回転投げ、横面打ちなら、一教、二教、三教、四教、回転投げ、入り身投げなど、正面突きでは小手返し投げと入り身投げです。

相手の力とぶつからないために、合気道の各技は螺旋を用いています。

ですので、来年からはかなり意識できるように螺旋を指導するつもりです。

そのため、螺旋を基本稽古の中に組み入れ、各会員がどこにどの螺旋が使われるのかをしっかりと意識できるよう指導するつもりです。


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