皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
僕は、世界一わかりやすい武道を目指していますが、そのため動作に関して、具体的な説明が必要だと考えています。
ところが、最近はこの説明には限界があると感じだしはじめ、やはり本人の「気づき」が最も必要ということが分かってきました。
それで今回はそのことについてふれていきたい思います。
無意識から意識へ
現状の合気道では、古い時代の行われていた古神道の儀式は現状にそぐわないということで、排除あるいは簡略化する傾向があります。
たとえば、天鳥船(あまのとりぶね)の行と振魂(ふりたま)のセットは、単に船漕ぎ運動として、振魂はしなかったりと本来の意味が消えつつあるようです。
ところが、このような儀式こそ実は有効じゃないのかと、最近になって僕は考えだしています。
合気道の動きを物理的、生理学的にとらえている間は、こういったことは問題なかったのですが、技を伝えるとき、自分の中で感じる無意識からくる感覚の大切さが最近分かってきたのです。
そう考えてみると、合気道の思想の中核は、如何に無意識を利用するかという点になってきます。
これには自分の無意識もそうですし、相手の無意識とのかかわり方も大切になってくるということです。
意識と無意識をつなぐには?!
「意識より無意識が上」というと、心理学など詳しい人にとっては「当たり前じゃん」と言いたくなるでしょう。
僕も、心理学の本を読んで、無意識の力は凄いというのは、知識的にも、日ごろの自分を含め人間の行動からそう感じていました。
ところが、理屈じゃなく、気づきというか実感は本当にしていたのかというと、かなりあやふやです。
というのは、自分のやりたいことやりたくないことが僕の場合はっきりしていて、これをコントロールできれば何て素敵なんだろうと思っていたので、無意識をコントロールできないものかと日ごろから考えていたから、自分でも無意識を自覚していると思っていたからです。
ところが、骨の合わせの究極であるゼロの掛け算の技術をどう指導するかということで、これをもっと科学的説明ができないかと最近いろんなアプローチを考えているうちに、上手く骨の合わせができない自分に気づいていたのです。
今までは、ときどき、人に思い切り人差し指を掴ませて、それを簡単に挙げることができたのですが、科学的説明を考えだした途端、動きがギクシャクに感じるようになりました。
科学的説明を考える前は、思えば手が挙がるということだったのですが、指を持たれると、何故かこの方向というのが分かったのですが、その方向性の科学的分析を始めると、何故か分からなくなったのです。
要するに、無意識からくる感覚に委ねられたとき、その方向が簡単にわかりましたが、意識でコントロールしようとしたとき突然分からなくなったのですが、心を静めて、感覚に意識を持っていくと、この動作ができるわけです。
このように自分と無意識をつなぐには、自分がどの様に感じるているかという点に意識を持っていく必要があるのです。
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