井口師範が何故無名か?に答える!

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。今回は井口師範についてお話しします。実は、私の弟子が知り合いから「井口師範の話はでたらめではないのか?」と言われたため、井口師範について詳しく知りたいと希望がありました。そのため、この記事ではその指摘に応える形で書いています。

今までこのような井口師範に関しての批判を受けても、「技を受ければわかる」と取り合ってきませんでしたが、希望にこたえて今回井口師範について、「無名なのは何故か?」という点に答えたいと思います。

これまでに他の人からも指摘された点がいくつかあります。それは、インターネット上に井口師範に関する情報がほとんどないということです。具体的には、以下の2点です。

  1. 開祖の直弟子なのに無名なのはおかしい。
  2. 井口師範が開祖の直弟子であること自体が怪しい。

まず、1についてですが、インターネットで調べても井口師範に関する情報は当会のHP以外にはほとんど見つかりません。このため、開祖の直弟子ということすら疑問視されています。2についても同様で、より懐疑的な意見が出てきます。しかし、開祖も井口師範も既に故人であるため、証明は難しいですが、次の話から推測するに、井口師範が開祖の弟子であったことは間違いないと私は考えています。

井口師範は元々和歌山県警の警察官で、柔道四段だけでなく、剣道や空手の高段者でもありました。ある日、合氣道の開祖が和歌山県警に来た際、井口師範は挑戦しましたが全く歯が立たず、その後弟子入りを決意しました。その後、毎週末に夜行列車で東京の合氣道本部に通い、修行を重ね、最終的には師範となりました。合氣道関連の書籍では、井口道場が本部直轄の道場として唯一名前が挙がっています。(本部直轄名古屋道場とありますが、個人名がついているのは本部直轄井口道場だけです)こういった特別な名前がつくことでも開祖や関係者とも親密だったことが分かると思います。

開祖の出身県の和歌山から毎週毎週、東京に通って熱心に稽古をしていたため、井口師範は開祖に非常に可愛がられていました。そのため、他の古参の弟子たちからは嫉妬されていたと言います。井口師範は「僕の技は秘伝だから人には見せない」と言い、演武会にも参加しなかったため、マスコミにも名前が出ることはありませんでした。

また、井口師範がどれほど古参の弟子たちに嫌われていたかを示すエピソードがあります。師範の葬儀の際、家族宛てに合氣道本部から手紙が届き、お悔やみの挨拶もなしに、井口師範が開祖から受け取った書や品々を早急に返すよう求められました。井口師範の奥様は「守央さん(三代目道主)はこんなことをする人ではない」とおっしゃっていましたので古参の方そうされたのでしょうが、故人の家族に対する無慈悲な対応には驚きました。(ちなみに下の写真は井口師範のご自宅にお正月のご挨拶に伺った際の写真ですが、見てわかるように開祖直筆の合氣道の書が飾られていました)

井口師範や家族に対する古参の方の対応のひどさは単に嫉妬だけでないのかもしれません。井口師範は柔道、空手、剣道などを徹底的に学んでいたため、稽古相手としては非常に手ごわく加減がなかったようで、他の修行者にもよく思われていなかった恐れがあります。ですから古参の弟子たちも井口師範にやり込められた方も少なくなかったと推測します。その際の恨みを抱かれた可能性もあります。ちなみに、私の父も警官であったため井口師範を知っており、当時の柔道のことを思い出して「手加減がないので、柔道を組むのを誰もが嫌がっていた」と語っています。このような井口師範の武道に対する徹底的な拘りが古参の方の怒りを買った恐れがあります。その井口師範が開祖に可愛がられていたのですから古参の人たちにとってはまさに目の上のタンコブだったのかもしれません。

井口師範は古参の弟子たちに嫌われていましたが、井口師範を支持してくれる人もいました。二代目吉祥丸道主や、心身統一合氣道の創始者である藤平光一師範、和歌山熊野塾の引土師範、大阪合気会の田中万川師範、佐々木将人師範などです。下の写真は、井口師範と二代目吉祥丸道主のものです。

井口師範と二代目道主が肩を組む姿は、開祖の遺骨を和歌山の高山寺に運ぶ際に、大阪の天王寺駅において吉祥丸道主からお遺骨を受け取って同伴したなど、開祖や開祖の家族と親密にしていたことが背景にあると思います。このような経緯があったからこそ、二人の関係が築かれたのだと思います。

さらに、空手の柳川師範の著作物、『武道家のこたえー武道家33人、幻のインタビュー」に井口師範の記事があります。残念ながら、この書籍は紛失してしまったため、出版社のホームページ(https://webhiden.jp/book/book16/)の写真を載せておきます。

さらに、甲南大学合気道部の設立にも携わっているため、甲南大学合気道部のHPの沿革のページの一部を示しておきます。

以上、井口師範の実在や開祖の直弟子であったことを示しましたが、大切のはやはり師の残してくださった技です。私が受け取ったものは本の一部かもしれませんが、それでも後世に伝えることができればと願っています。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。

もし記事の内容がよければ、ぜひ下記のボタンをクリックして、ブログ村への投票をお願いします。

  にほんブログ村 格闘技ブログ 合気道へ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

井口・合氣道の「合わせ」とは?!

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、。今回は当会で指導している「合わせ」というものにフォーカスして説明をしていきたいと思います。飽くまでも当会が定義する「合わせ」という考え方なので、他の方々がのべる「合わせ」とは異なるかもしれません。ですので、他の方の考えが間違っていると主張している訳ではありませんので誤解されないようによろしくお願いします。

本ブログを読むと!

今回は「合わせ」ということについて当会での考えを述べたいと思います。本ブログを読むことで合氣道の技を行う上で、相手と接点ができた際に先ず何をすれば良いかがわかります。特に合氣道のような形稽古を行う武道では、どのような技をかけて来るかが技の受け手に分かるため、対抗するのが容易です。しかし、「合わせ」を使用し次の段階の「導き」にスムーズに移行できれば、例え相手が対抗しようとしても難しくなります。このブログでは、先ず「合わせ」の定義を知り、次の「導き」にどうつなぐかについて述べることにより、合氣道の形稽古を納得できる形で稽古できることになります。

目次

●「合わせ」とは?!
●「合わせ」と「単なる脱力」の違い
●「合わせ」の重要なポイント「結び」

「合わせ」とは?!

私の師匠、故・井口師範は「相手の土俵で戦わない」とよく言っていました。これは、相手と直接ぶつからないことを意味します。

井口師範の合気道の指導では、専門用語がほとんど使われませんでした。そのため、「合わせ」というような言葉は使わず、技を説明する際にはさまざまな表現が用いられました。「力を抜け」「相手の力に合わせる」「ぶつからないようにする」「相手の氣を逃がす」「相手の氣に合わせる」など、状況に応じて言葉が変わります。

当初、私はこれらの説明が一貫していないと感じていましたが、井口師範がこれらの言葉を使うのは、技が始まる相手との接点ができた時だと気づきました。

具体的には、相手との接触ができ、相手を自分の思うように動かす準備が整った段階で、これらの説明がされていたのです。

私は、相手を自分の意図通りに動かすことを「導き」と呼び、その前段階、つまり相手との接点ができた時点を「合わせ」と名付けました。

さらに、「合わせ」とは、相手の力や氣とぶつからず、こちらの力や氣が相手に伝わりやすい状況を作る準備段階を指します。

「合わせ」と「単なる脱力」の違い!

相手の力とぶつからない状態を考えると、まず思い浮かぶのは「力を抜く」ということです。しかし、実際の戦いでただ力を抜くだけでは、相手に制圧されてしまいます。

単に「力を抜いた状態」では非常に危険です。「赤子の手を捻る」という表現があるように、受け身でいると相手にやられてしまいます。

しかし、赤子の動きには武道にとって参考になる点もあります。以前、耳鼻科の医師に「甩手(すわいしょう)」という氣をらせん状に体幹に通して体を捻る気功法を教えた際、私は「一瞬だけ力を入れるのではなく、常に筋肉と連動して体を捻ってください」と伝えました。

その医師は、「どの赤ちゃんについても言えることですが、赤ちゃんの頭を押さえて固定しても、固定できないという経験をいつもしているが、この原理が働いていたということがこの動作で分かって納得できました」と言いました。耳鼻科なので頭が動かれると困るので動かないように固定するそうですが、物心ついた子供や大人は頭を押さえる固定ができるそうですが、赤子にはどうすることもできないので非常に気を使うそうです。

要するに、赤子が頭を捻るときは氣が通っているが、大人は首の筋力だけで行うということです。つまり、力が抜けているように見える赤子でも、氣が通っていれば大人の力でも止めることができないということです。

この例からわかるように、「合わせ」とは氣が入った状態で、相手と力がぶつからない状況を作ることです。これにより、相手はこちらを制圧できなくなります。この点が「合わせ」と「単なる脱力」の大きな違いです。

「合わせ」の重要なポイント「結び」

先ほど、「合わせ」と「単なる脱力」の違いは、氣が入っているかどうかだと説明しましたが、さらに大切なポイントがあります。

それは、相手と氣が繋がっているかどうかです。この氣の繋がりを私たちの会では「結び」と呼んでいます。「結び」があることで、自分の作った氣の流れが相手に届くようになります。合氣道の氣の技では、自分の体だけに氣が通っているだけでなく、相手に氣が届いている必要があるということです。

「結び」によって、相手と自分が一体となり、相手を自分の手の延長のように自由に動かせるようになります。これにより、次の段階である「導き」が可能になります。このように、「合わせ」において「結び」は非常に重要な要素です。

もし記事の内容がよければ、ぜひ下記のボタンをクリックして、ブログ村への投票をお願いします。

  にほんブログ村 格闘技ブログ 合気道へ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村