【脱力と骨の合わせ】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今日から合気道の「合わせ」について話していきたいと思います。

今回は、「骨の合わせ」についてお話ししたいと思います。なお、「骨の合わせ」というのは当会の技術の呼び方で、一般的な呼称ではありません。

 


井口師範の脱力と腑抜けの違い

井口師範はよく「力を抜かなあかん」とおっしゃいました。それで、腕の力をダラーンとぬいちゃうと、「それは単なる腑抜けや! 力を抜いても、呼吸力は入ってなかったらあかん」とお叱りを受けました。

呼吸力が入った脱力とは一体何だろうと思い、師匠の技を受けていると、師匠の手を掴んでいるにも関わらず、何とも言えない持ちにくい感覚があり、しっかりと掴んでいるのに掴んでいる感がない感覚がしました。

いうなれば、ラーメンで例えるなら、力を抜いているのに芯の通った強さをもっているというのは、茹で足らないラーメンで何か芯が残っている感じがするのを読者諸氏も経験したことがあると思いますが、そんな感じです。

一方、「腑抜け」とは伸びたラーメンといえるでしょう。歯ごたえもなく、フニャフニャで、どうにでもできるそんな感じです。

例えが非常に悪いのですが、食感で説明するとそんな感じでした。

 


脱力には脱力する方向が大切

井口師範の手を取ると、しっかり持っているのに持てていない感じのするこの不思議な感触はどこから来るのかと僕はかなり悩みました。

井口師範の動きを何度も何度も観察して、師範の手を思い切り握ったとき、微妙に動かされているのに気づきました。

一方、僕の場合だと微動だにしません。

ここに違いがあるのだと思い、自分自身の左右の手で、力加減を考えながら、色々な角度で握ってみました。

握るときにぶつかるところをできるだけなくすため、握る方向性を皮膚で感じ、握られた箇所がすべて同じ圧になるように稽古しました。

要するに、脱力には脱力する方向が重要ということです。

ここまでが、所謂「骨の合わせ」です。

骨の合わせは相手との力感をゼロにすることができますが、これは単に力の抜く方向が分かっただけです。

この力の抜く方向に自分の腕の重さを乗せるということを行います。

脱力で、本当に大切なの自分の腕の重さを相手にあずけるということが大切なのです。

これを井口師範は「相手に任せきる」という言葉で表現しましたが、腕の重さを預けてしまい、相手がその重さに影響されて、実は重心を崩しているというのが、脱力が効果を発揮する本当の理由なのです。

 


 

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【抽象度が髙い開祖の「愛」】

皆さん、お元気ですか。僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は多くの武道は「対立すること」を前提に技が組み立てれていて、合気道は「相手を受け入れる」ということが大前提であるという話をしました。

そのため、開祖・植芝盛平翁先生は大東流合気柔術から離れ、独自に合気道を立ち上げました。

今回は、開祖・植芝盛平翁先生のお言葉を振り返ってみたいと思います。


合気とは愛である

 

以下に開祖のお言葉を記しておきます。

◆  ◆  ◆

合気道とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。
世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。

合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させる事にある。
合気道の極意を会得したものは、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。
私はこの事を武を通じて悟った。
敵が『宇宙そのものである私』と争おうとする事は、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。

即ちわたしと争おうという気持ちを起こした瞬間に、敵はすでに破れているのだ。合気道は無抵抗主義である。
無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間ははじめから負けているのである。

では、如何にしたらその邪気を払い、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?

それにはまず、神の心を己の心とする事だ。それは、上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ、偉大なる『愛』である。

『愛は争わない』『愛には敵がない』何ものかを敵とし、何ものかと争う心は既に神の心ではないのだ。
これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。

だから、武技を争って勝ったり負けたりするのは真の武ではない。真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。

即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬ事である。
勝つとは己の心の中の『争う心』に打ち勝つ事である。
与えられた自己の使命を成し遂げる事である。

 


抽象思考が達人である証拠

開祖のお話しは非常に難解です。武道の達人ともなると、抽象度が半端なく上がります。

井口師範もかなり抽象度が髙かったため、具体的な事象にまとめ、そこから井口師範の言わんとしておられることを考える必要がありました。

翁先生のおっしゃる「愛」も我々が考える「愛」とはかなり違っていて、結果や行為からみると愛からかけ離れているように思えることですら、翁先生の中では「愛」と表現できるものなのでしょう。

要するに全てを包括する「愛」であり、調和、一体感などもその中に含まれていて、相手を投げてすら、「愛」と呼べるものとなるのです。

無理やり投げられたときはくやしさが残りますが、調和を持って投げられたときは、不思議さを感じるだけです。


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【合気は愛という理由】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回では、見るより感じる方が早く反応ができるということをお話ししました。

この感じるという点を重視することが合気道開祖が「合気とは愛である」といったことにかかわっています。

今回はこの関係に迫ってみたいと思います。

 


合気とは愛である!

 

合気道開祖・植芝盛平翁先生は「合気とは愛である」と言われました。

さらに、それに対する開祖自身のご解説のお言葉を読むと、非常に抽象的でかなり難解で一般の人には本当に分かりにいというか、読んでみてもさっぱり分からないと思います。

また、合気道の様々な師範もこの言葉を説明されていますが、僕はどの師範のご説明も曖昧で意味が分かりませんでした。

開祖の戦前のお弟子さんである養神館の故・塩田剛三師の話が有名です。

塩田師は「合気道は殺しに来た相手と仲良くなること」と説明しました。

殺しにくるような常識の通用しない相手の殺意を無くし、降参させ、その上で相手を許してあげる度量を持つには、愛が必要であると言えるかもしれません。

しかし、そこには塩田師が誰にも負けないという自信があるからで、一般人だと殺されてしまいます。

となると、「合気は愛」というのは達人レベルの人でないと言えないということになってしまいます。

 


井口師範の答え

 

そもそも元々の武道というものは相手と対立するものとして生まれ、如何に相手より優位に、相手を上手くコントロールして勝利するかという点を研究されて発展したものです。

そのため、「相手との対立からスタートする」というのが前提になっています。

格闘技の試合や柔道の試合などでも、ライバルとにらみ合って、殺気をぶつけあったりするシーンがよくあると思います。

一方、合気道では相手の気を感じることを優先します。

気を感じようとするためには、自分のチャンネルを相手に開き、相手を受け入れる必要があります。

徹底的に受け入れて初めて相手の意識が自分に伝わり、相手が動くのと同時、あるいは相手よりも早く相手の動きの先がとれます。

これを開祖は「勝速日(かつはやひ)」と呼びました。

勝速日を行うためには、相手を受け入れ、相手の気に合わせる必要があります。

それを「気結び(きむすび)」と呼びます。

この様に、合気道の前提は「対立」ではなく「相手を受け入れること」なのです。

この行為を「愛」と呼び、「合わせ」といいます。

ですから、合気道は対立の後の愛ではなく、最初から愛で相手と相対しているといえるのです。

そのため、合気道では技法としての「合気」を捨て、宇宙との調和という壮大な概念としての「合気」を目標としています。

 


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【合気道では気は感じるもの】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は「気を感じる」ということについて述べたいと思います。


視覚と感覚どちらが早いか?!

 

視覚と感覚を比較した場合、情報量は明らかに視覚情報の方が感覚情報より遥かに多いのは言うまでもありません。

情報量が多いということは、一度にたくさんの情報を得られるという点で、物事の理解では、視覚情報に勝るものはありません。

ところが、人間の認知は、過去の経験と知識によって行われるため、情報量が多いほど、処理に時間がかかります。

処理に時間がかかるということは、反応に遅れがでるということに繋がります。

ここで、実験をしてみたいと思います。この実験ではパートナーが必要です。

パートナーに掌を上向けてもらい、掌の真ん中にあなたの指を乗せます(下図参照)

【実験1】
準備ができたら、あなたは相手の掌を凝視して、相手の掌がいつ移動しても追従できるように心準備します。

そして、パートナーには、「用意! スタート!」で、好きなように手を動かしてもらいます。

あなたは、相手の動きに合わせてついていきます。

すると、どうでしょうか? パートナーが右に動かすふりをして、左に動かすなどすると、どうしてもあなたはついていけず相手の手から離れてしまいます。

 

【実験2】
次は、目をつぶって、同じことを行います。相手が動いたと思ったら、相手の動きについていきます。

するとどうでしょう? 目をつぶって行った方が相手の手の移動に追従できるのがわかると思います。

 

【実験3】

さらに、目をつぶって、同じことを行うのですが、あなたはできる限り指先に意識を持っていき、相手の気の変化を感じようと意識して、実験を行います。

実験2で既に一部の人の中には相手の気を感じて、完全に相手に追従できた人もいるでしょうが、今回は殆どの人が相手の動きに追従できたのではないでしょうか?

 


見るより感じる方が反応が早い

このように、反応するという点においては、目で見る方が圧倒的に不利であるということがわかります。

さらに、気を感じようと意識すると、より鮮明に相手の動きが分かるようになります。

相手の気を感じると、より相手の動きが分かるようになるという結果から、相手の動きを感じるには相手の気を感じれば良いということが分かったと思います。

しかし、護身を考えたとき、感覚を重視するあまり目をつぶってしまうのはかなり危険だというのは誰でもわかることです。

そこで、合気道ではどうするかというと、「目で感じてしまえばいいじゃないか」ということになるわけです。

そして、井口師範からご指導いただいた古い合気道の秘伝にはその方法が存在しています。

 


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【人類普遍の気の概念と気の知り方】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道の目的は宇宙の気に合わすということでした。

今回は世界に共通する気の概念から、物理世界や物理法則も宇宙の息吹である気のエネルギーによって成り立っているということを知っていいただき、物理を利用することも、合気道では気を使うことであるというのを理解していただきたいと思います。


人類普遍の気の概念

 

少し前に、世界の代表的な気の概念について記事を書きましたが、細かく見ていくと、気の概念といってもかなり違いがありました。

ところが、気という考えは、世界中に存在し、そこから「人類普遍の気の概念」といえるべきものもあります。

それは、精神世界と物理世界の関わりを説明するという点です。

世界中で古代の人々は、宇宙というのを考察したとき、霊的な要素として精神世界と、物質的な要素としての物理世界の2つが対極的に存在し、その中間に存在するものを想定し、それぞれの相互作用で万物が存在すると考えられてきました。

澄んだ軽いものが精神世界、濁った重いものが物理世界、そしてその中間のものと存在を考えてきました。

しかも、物理世界にも霊的な要素があり、全てのものに宇宙の息吹ともいえる気のエネルギーが通っていると考えられています。

その純度が高いものが霊的要素を含む精神世界であり、純度が低いものが物質世界というわけです。

こういった精神世界と物理世界の関わりを考えたときに、世界の各地で人類普遍ともいえる気の概念が導きだされたのです。

そして、その気の概念に各地の文化・宗教・信念・迷信が結びつき、独自の気の考えに発展したと思われます。

 


気は見えないが感じることはできる!

 

気というのは、精神世界と物理世界を結ぶ見えざる何かと考えると、合気道での「宇宙の気に合わせる」ということがかなり明確になります。

しかし技に活かすには気を認知する必要があります。それで、人によってはその見えざる何かを見ることができるという人もいます。

合気道開祖は、相手の攻撃をすべて攻撃前に見ることができ、剣などの武器だけでなく、飛んでくる銃弾すらも全ての攻撃をかわしたといわれています。

しかし、合気道で護身術を考えたとき、そのような数百万人あるいは数千万人に一人が到達するような境地では一般の人には敷居が高すぎると思います。

ところが、井口師範は「気は目には見えない。だから目で感じるんや!」と言われ、気を扱うヒントを残してくださっています。

その秘密が目の構造にあります。一般に視野が広いとかいわれる言葉がありますが、視野には中心視野と周辺視野の2つがあり、気を感じるのは周辺視野で、気を認知するにはこれを使える必要があります。

 


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【宇宙の気と合わせるとは?!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回のブログでは、合気道の目的は「宇宙の気と合わせること」と書きました。

しかし、それではあまりにも抽象度が高すぎて意味がわからないと思います。

そこで今回からは、極限までチャンクダウン(抽象度を下げること)していきたいと思います。


宇宙の気と合わせるとは?!

 

「宇宙の気に合わせる」といわれると、なんだかわかった気になって、宇宙にある気のエネルギーを受け取ってその力で何かすると思われる人が多いのではないでしょうか?

要するにドラゴンボールの世界です。

宇宙の気を集めて、放出すると惑星一つが大爆発するというような感じです。

ところが、合気道ではそうではありません。

宇宙の気に合わせるというのは、言い方を変えると宇宙の理に合わせるということです。

物理を無視することではありません。寧ろ、物理を味方につけるのが合気道といえます。

ですから、言い方を変えると、合わすというのは、自分の力に変えるといえると思います。

そうなると、人の気に合わせること自体も、宇宙の気に合わせるというのと同等のことになるのです。

 


宇宙創成と武産(たけむす)合気

 

井口師範は「気に合わせる」秘伝として様々な技術を伝授してくださいました。

「話は簡単! ただ、こう相手の気に合わせるだけや」というご説明で、非常に抽象度の高く、何がどう気に合わせるのか?という点がその時点ではサッパリ分かりませんでした。

それで、かなり理解の薄い弟子でしたが何度も何度もかなりの種類の秘伝をお教え下さいました。

井口師範は「秘伝には名前が無い。名前があったらだわってしまうからや」とおっしゃいました。

しかし、名前がないと中々覚えられないので、僕は勝手に名前は付けましたが、物理学、生理学、心理学などに基づいた合わせになっています。

しかもそこから派生した技が存在し、非常に混沌としています。

さらに、僕が理解できたもの以外にも合わせがあると考えられますから、合気道では非常に多くの合わせを使って、その都度、状況に合わせた組み合わせで無限の技が存在することになります。

このように混沌とした中から、無限の合気道の技が産まれることから、武産合気(たけむすあいき)と呼ばれます。

こう考えると、混沌の中から様々な銀河が生まれ、星々が生まれる宇宙創成と繋がりが感じられます。

星が生まれることも、星々の活動も、結局は宇宙の営みなわけですから、宇宙の気のなせることです。

そこで、井口師範はおっしゃるわけです。
「一見すると全く同じ技に見えてもすべては違う。一期一会や」

 


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【精神が曲がっていると技が効かない?】

皆さん、お元気ですか。僕はメチャクチャ元気です。

さて、フェイスブックの方で、僕の記事を読んだ読者の方からコメントが寄せられました。

その要約としては、
「師範の技がその人に通じなかったそうですが、その師範が『合気道の精神が欠けているからだ』と叱った」ということです。

要は「精神が曲がった奴には儂の技は効かん!」
ということです。

合気道を護身術と考えた場合、暴漢になる人は必ず精神が曲がっている奴ですから、この師範に学んだ技護身には効かないと公言しているようなものなので少し笑っちゃいました。

 


最高の一つなんて存在しない

 

多分、この師範の方は、一つの技に対して、アプローチが一つしかないのだと思います。

そのため、自分のアプローチが効かないと、自分のやってきたことの否定になるため、他人を責めてしまったのだと思います。

人は答えをすぐに一つに求めてしまいがちです。

例えば、どの武道が一番強いか? 完璧な技の掛け方は?などです。

しかし、目的地があっても、それに到達する方法はいくらでもあります。

例えば、富士山の頂上に行くにも、登山ルートだけでも何ルートもあります。

また車で行くのか? 電車で行くのか?、高速バスを使うのか?とさまざまです。

井口師範は「合気道の技は一期一会」とおっしゃiいました。

合気道の技は毎度同じであってはいけないのです。

そのため秘伝があり、様々な秘伝を身に付けて自然と使えるようになるのを合気道では目指します。


合気道では、本質は技法ではなく、状態

 

次に大切な点は本質が何であるかということです。

例えば、片手取り四方投げの本質は何でしょう?

『当然、四方投げでしょう』と思いますよね。

しかし、井口師範は「投げたり、固めたりはほんの枝葉。本質は別のところにある」とおっしゃいました。

師匠によれば、相手を導いて崩して、技をかけるところまで持ってくることが合気道の本質だということでした。

今、その本質に気づいて、そこで最高の技法は何かと考えて他から技法を学ぼうとする人がいます。

例えば、合気道のベースとなった大東流合気柔術で使う「合気」という技法を学ぶ人達です。

しかし、それは、開祖が大東流から離れ、合気道を設立した理由から逆行してしまっています。

合気道では「合気」とは「宇宙の気に合わすこと」であり、言い方を変えれば、合気道精神が具現化したときに自然と相手が技にかかる状態です。

合気道では一つの「合気」という技法ですべてに対処するのではなく、精神が研ぎ澄まされ宇宙と一体となった境地で、体が勝手に適切な動作を行う状態を合気道では「合気」と呼ぶのです。

それを目指すから合気道なのです。


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【毎日十年も続けると!】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は3つの丹田についてお話ししましたが、今回はその3つの丹田と深いつながりがある宝玉というものの存在についてお話ししたいと思います。

 


十年も続けると不思議なことが起こる!

 

井口師範に師事して以来、僕は井口師範のご指示で、毎日毎日、天之鳥船(あまのとりふね)の行と振り魂(ふりたま)の行を続けていました。

それを10年つづけたある日、いつものように天の鳥船の行のあと、両足をしっかりと踏みしめて振り魂の行をしていると、自分の頭の天辺であるいわゆる百会から地面に自分を貫く軸ができたという意識が生まれました。

かまわず、そのまま振り魂を続けていると、突然その軸が地上高くドンドンと伸びはじめ、雲を突き抜けて、天まで伸びていきました。

さらに、僕を貫いた軸は地面を貫き、ドンドンと下に下に伸びていき地中深く、まるで地球の中心にでもとどくかのように伸びていきました。

すると、突然、地面から拳より少し小さな水晶でできた玉のようなものが、軸に沿って登ってきて、下丹田付近で収まりました。

さらに、上空から玉が一つ下りてきて中丹田に収まり、さらにもう一つ玉が上空から降りてきて上丹田に収まりました。

こういった神秘体験があってから、僕は、はっきりとした軸感を意識することができるようになり、正坐で座って両手を膝に置いたままで、他の人に両手首を上から体重を掛けて押し付けられても、持ち上げることができるようになりました。

これは視点を変えて科学的に考えれば当たり前で、現在の僕なら人に指導できますが、理屈抜きで体が反応し、できたことが大切だと思います。

 


日の宝玉・月の宝玉・大地の宝玉

 

これを井口師範にお話しすると、上丹田に出現したものは日の宝玉(ひのほうぎょく)、中丹田に出現したものを月の宝玉(つきのほうぎょく)、下丹田に出現したものを地の宝玉(ちのほうぎょく)というとおっしゃいました。

地の宝玉は地の力を集めるためにあり、月の宝玉は陰陽のエネルギーを集めるためにあり、日の宝玉は天のエネルギーを集めるためにあると説明されました。

どうやら、日の宝玉は天、月の宝玉は火・水、地の宝玉は地のそれぞれのエネルギーのセンターのようです。

また、天地の軸は、頭の天辺にある百会からまっ直ぐ鉛直に向かい、背骨に近い体の中空を貫くもので、その軸上にあるのが宝玉で、正確には、宝玉の位置と丹田の位置が違っています。

丹田の位置はどちらかというと、少し前面に存在します。

そして、丹田というのはそれぞれの宝玉からエネルギーを取り出すためにあり、自分を貫く軸は、天地自然からエネルギーを頂くときに使えるということでした。

 


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【3つの丹田と技の関係】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、世界の気の話から発展して、今のブログでは普通の人でも使える気という話になりましたが、今回は3つの丹田と気の話をしたいと思います。


3つの丹田

 

このブログでは何度か触れているように、人体にはエネルギーの中枢と言える部分があります。

ヨガではチャクラがエネルギーの中枢として有名ですが、合気道では3つの丹田がそのエネルギーの中枢となります。

3つの丹田というのは、下から下丹田(しもたんでん/かたんでん)、中丹田(なかたんでん/ちゅうたんでん)、上丹田(かみたんでん/じょうたんでん)といわれるものです。

場所は下丹田は、臍の下3寸といわれます。経穴(ツボ)では気海(きかい)の奥にあります。

ちなみに、寸とは人体の経穴(ツボ)を測る単位で、一般に1寸は親指の横幅のことで、人差し指~小指の4指を揃えたときの横幅が3寸とされています。

中丹田は、乳頭を結んだ丁度センターで壇中と呼ばれる経穴(ツボ)の位置の奥です。

さらに、上丹田は眉間のど真ん中にあり、経穴では印堂と呼ばれる場所の奥にあります。

また、神道では、世界を考えるとき、天、火、水、地の4つの要素で考えますが、天は上丹田、火と水が中丹田、地が下丹田に相当します。


 

3つの丹田の使い分け

通常は丹田というと、下丹田を差すことが多いですが、技を使用する際に、物理的な作用を重視する場合は下丹田、精神的な作用を重視する場合は上丹田を、物理と精神の中間的な作用や混ぜた作用を重視する場合は中丹田を使います。

具体的には、呼吸力で相手を圧倒したいときは、下丹田を意識し、下丹田からのエネルギーを発散するように、体内を通して気を腕に運んで、相手を制圧します。

当然、物理の力として筋力を使いますが、使い方は気が流れる感覚がなければなりません。

力んだ場合は、気が一点に停止していて気が流れていない状況になっています。

特に、肩にある三角筋を緊張させる人が非常に多いですが、緊張させるのではなく、力を流すのが正解です。

この様に下丹田は物理的なパワーを引き出す時に使い、大地の力を有効に利用するため、両足と繋がっています。

中丹田は陽と陰のバランスを使って技を掛けるときにつかいます。言い方を変えると「気の合わせ」を起こなう時に使うのです。

相手が陽でくれば、陰に、陰でくれば陽にと変化をします。

中丹田は左右の両腕と繋がっています。

上丹田は、意識を使う技術の際に使います。例外としては、当会の打撃法の4式のように頭の重さを利用した物理的手法で使う場合もあります。

ちなみに、上丹田は両眼に繋がっています。

以上が、丹田の使い方です。


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【普通の人が使える気の原理】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、最近は世界中の気の思想に関して述べてきましたが、結論として、精神世界と物理世界の結び付きを気というものを通して説明されるものでした。

武道では、現実に目の前の相手に影響を与える必要があり、いくらイメージで相手を倒したとしても、現実に相手が倒れなければ意味がありません。

各種武道では、気をどのように扱うと物理世界に直接影響を及ぼすかが研究されていて、秘伝という方法をツール化した技術が伝えられています。

今回はそのツール使いこなすためには何が必要かを述べていきたいと思います。


精神世界と物理世界を直結しない!

 

武道でもっともやってはいけないことの一つとして、精神世界を直接、物理世界に結びつけることです。

早い話が、思ったことをそのまま実行すると失敗するということです。

 

何故なら、思ったことをそのまま実行すると相手に必ずその動作が読まれてしまうからです。

例えば手首を掴まれたとき、通常は人のその手を外そうとして、相手が持っている手首に最大の力を込めます。

すると、相手より自分の方が力が上であれば力で制圧することが可能ですが、相手が上ならどうすることもできません。

ところが、自分の意識を肘に持っていき、接点、要する相手が持っているところを軸にして、自分の肘を相手の体に当てるような動きをすると簡単に外れます。

これはテコの原理の応用でもありますが、稽古で同じ動きを何度もしていると、最後には相手が対応できるようになってきますので、この動作をすると成功する理由は、相手がこちらがどう動くかわからないからというのが最も大きな要因です。

この様に、物理世界では、相手に効果を与えるには、相手がこちらの動きが読まれないということが大切なのです。

これが精神世界を物理世界に直結しないということです。


精神と物理を気で繋げる

 

精神世界と物理世界をつなぐときは、必ず直結を避け、第三のアプローチを加える必要があります。

そこで登場するのが気という概念です。

ですから、気が分からないとできないというモノではなく、気があると思うことが大切です。

気を意識することだけで、相手はコチラの意識を直接読みづらくなります。

これは気を信じないと言っている人でも同じです。ただ、気があると信じる人の方が、接触点に行く意識がなくなる分、相手に情報を与えないという点においては非常に有利です。

ですから、信じなくても、あると思い込んでやることが大切なのです。

今回は簡単な気の効用として、「情報の遮断」のお話しをしました。

直接、精神世界から物理世界を支配しようとしないということが大切です。

 

 

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