皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、前回では、見るより感じる方が早く反応ができるということをお話ししました。
この感じるという点を重視することが合気道開祖が「合気とは愛である」といったことにかかわっています。
今回はこの関係に迫ってみたいと思います。
合気とは愛である!
合気道開祖・植芝盛平翁先生は「合気とは愛である」と言われました。
さらに、それに対する開祖自身のご解説のお言葉を読むと、非常に抽象的でかなり難解で一般の人には本当に分かりにいというか、読んでみてもさっぱり分からないと思います。
また、合気道の様々な師範もこの言葉を説明されていますが、僕はどの師範のご説明も曖昧で意味が分かりませんでした。
開祖の戦前のお弟子さんである養神館の故・塩田剛三師の話が有名です。
塩田師は「合気道は殺しに来た相手と仲良くなること」と説明しました。
殺しにくるような常識の通用しない相手の殺意を無くし、降参させ、その上で相手を許してあげる度量を持つには、愛が必要であると言えるかもしれません。
しかし、そこには塩田師が誰にも負けないという自信があるからで、一般人だと殺されてしまいます。
となると、「合気は愛」というのは達人レベルの人でないと言えないということになってしまいます。
井口師範の答え
そもそも元々の武道というものは相手と対立するものとして生まれ、如何に相手より優位に、相手を上手くコントロールして勝利するかという点を研究されて発展したものです。
そのため、「相手との対立からスタートする」というのが前提になっています。
格闘技の試合や柔道の試合などでも、ライバルとにらみ合って、殺気をぶつけあったりするシーンがよくあると思います。
一方、合気道では相手の気を感じることを優先します。
気を感じようとするためには、自分のチャンネルを相手に開き、相手を受け入れる必要があります。
徹底的に受け入れて初めて相手の意識が自分に伝わり、相手が動くのと同時、あるいは相手よりも早く相手の動きの先がとれます。
これを開祖は「勝速日(かつはやひ)」と呼びました。
勝速日を行うためには、相手を受け入れ、相手の気に合わせる必要があります。
それを「気結び(きむすび)」と呼びます。
この様に、合気道の前提は「対立」ではなく「相手を受け入れること」なのです。
この行為を「愛」と呼び、「合わせ」といいます。
ですから、合気道は対立の後の愛ではなく、最初から愛で相手と相対しているといえるのです。
そのため、合気道では技法としての「合気」を捨て、宇宙との調和という壮大な概念としての「合気」を目標としています。
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