5/27 夜の部の稽古

5月27日夜の部の稽古 参加者は女子2名。

基本稽古(その場稽古、移動稽古、相対稽古)とリクエストに応えて、感覚トレーニングを行いました。

感覚トレーニングは、下記の映像のようなトレーニングです。
一見、気を使った飛ばしの映像のように見えますが、物理学的な原理と生理学的な原理と心理学的な原理を使ってやています。

技術にはちゃんとした根拠がありますから、少し稽古すればだれでもできる技術です。できる限り神秘的な解釈を少なくして稽古を行うのが当会の特徴です。

http://kenkogoshin.tank.jp/blog/wp-content/plugins/videopop_plus/videopop.php?vid=1369880116

当会の護身術の説明

当会では、合気道・気功・中国武術の動きを、十数年かけて研究し、力を用いない技術を科学的な根拠に基づいて分類し、わかりやすくまとめたものを護身術として教えています。

当会の技術は、一見とても不思議でわざとらしく見え、また、初めて技をかけられた人はキツネにつままれたような表情をします。

しかし、一見は特別な技術に見えても、物理学、生理学、心理学のいずれかで説明できるものばかりです。

ですから、女性・シニアの方・スポーツが苦手な方でも、無理なく学ぶことができます。

「クラスで2番目に強い」と小学部の生徒が自慢を!

護身術を教えておよそ2ヶ月目の小学6年生の子供が、「俺、クラスで2番目に強いんや」と自慢していました。仮にA君としておきます。このAくんは暴力はあまり好きでないタイプの子供で、体格は平均より少し大きめです。

話を聞くと、クラス1番は空手を数年やっている子供だそうで、空手の大会で入賞ばかりする子供だということですが、人と争うことはないそうです。A君はクラス2番の子供に喧嘩を売られて、この子供に勝ったことで、クラス2番になったそうです。

ことの顛末は、この元クラス2番の子供を仮にB君としておきますが、このB君は、少しヤンチャで、事あるごとに、おとなしい子供に理由もなく殴ったりけったりしていたそうです。しかし、喧嘩になると、誰もB君にかなわないので、ほとんどの子供は黙ってされるままになっていたそうです。

ところが、先日、このB君が、いつも他の生徒にしているように、理由もなく、A君に殴りかかってきました。そこで、A君は、とっさに護身の型を使って反撃したところ、B君を後方に吹っ飛ばし、倒してしまいました。驚くほど後ろに吹っ飛ばされて倒れたB君は、思いの外の出来事で、恐怖とともに力の差を思い知らされ、それ以来ずいぶんと大人しくなったとのことです。

喧嘩になるという間もなくあっけなく幕切れになったので、周りの子供たちがA君のパワーに驚いたそうです。

A君は平和主義ですから、他人に悪いことはしませんので、いじめられていた子供たちが喜んでいます。B君が悪さをしようとしても、A君が来ると大人しく引き下がるようになったとのことです。

「どうして護身術なの? 合気道でいいじゃない?」と質問されました。

護身術として合気道を教えているのなら、合気道でいいじゃない?ということなのです。

それに対して、

現状の合気道の多くの道場は、あまりにも多種多様なニーズに応えすぎているため、護身と言う点だけで見た場合、護身術として使えるようになるには時間がかかりすぎると思ったため、あえて護身に焦点をあてる必要があると考えた

というのがその答えです。

現在、日本の合気道の多くの道場では、多種多様なニーズに応える体勢をとっています。具体的な例をあげますと、「武道としての合気道」、「護身術としての合気道」、「美容としての合気道」、「気分転換としての合気道」、「健康体操としての合気道」、「有酸素運動としての合気道」、「演武(見せるため)の合気道)」……などです。

このように、さまざまなニーズに応えるということは、さまざまな人ができるという長所があり、素晴らしいことではあるのですが、逆に幅が広すぎるという点も短所となるのではないでしょうか。

というのは、護身や武道を考えた場合、ある程度は本気に対抗するということが必要になります。ところが、相手が「そんな気はないよ」では、十分稽古にならない場合があります。

ちなみに、実際に、一部の師範の方や合気道の黒帯を取られている方の中でも、「護身など興味がないし、使えるわけがない」と堂々とおっしゃる方もいらっしゃいます。

多様性に対応するというのは、悪いことではないと思いますが、どこで通り魔のような犯罪者があらわれるかすら予測がつかない上、女性やシニアの人をターゲットにする犯罪が増えている現状を踏まえますと、まっとうに生きている人が、護身術をある程度身につけておくのは悪くないと私は考えます。

そういう訳で、私は、護身術と銘打って教えることとしました。