井口師範の合気道における「気」の考え方

一般的に、合気道ではよく「気を出せ!」と指導者は指導しますが、「気」とは何かという指導はされないのが普通だと思います。

それで納得される方の多くは、漫画ドラゴンボールで表現されているような「気」を思い起こされるようです。確かに、そのようなものがあるなら、巨大な構造物を破壊したり、空を飛んだりと、夢を広がりますが、実際にそんなことできる人にお目にかかった人がいらっしゃるのでしょうか?

井口師範は、心の世界を「霊」とし、現世すなわちこの物理世界を「体」として、「気」は「霊」と「体」をつなぐものと説明してくださいました。言い方をかえると、「心的世界」と「物理世界」をつなぐものとおっしゃったわけです。そういう意図で、己の「思い」を、この世界に実現するための媒介となるのが「気」だと言われたのです。

要するに、「霊主体従」でなければならないということです。技を行う点で非常に大切なことは、「気」は、「心」と「物理世界をつなぐもの」で、「心そのもの」ではないという考えです。それは、「霊」だけではだめで、「体」がそろわないとだめだということです。「思えばなる」のではなく「動作(行動)」が伴わないといけないということです。

また、「気」は「生体エネルギー」という人もおられますが、生物だけが持っているものではありません。自然界、宇宙、すべてに「気」は、存在していると、井口師範は言われました。

ですから、「気」には、超常現象的なことも含まれますが、井口師範は、自然界(物理世界)を無視して、合気道は成り立たないともおっしゃっておられました。ですから、井口師範は、自然の動きも「気」の表れと、常々私に言われていました。

「曰く、自然は自分たちにいろいろなことを教えてくれる。海原を見ているだけで、合気道の稽古になるんや。何故なら、自然も気の流れの表れだからや。僕は、波を見て合気道の極意を学んだ。だから、自然を味方につかないとあかんのや」

「曰く、山に雪が積もり、それが、下へ落ちようとする“気”をはらむ。ついには、わずかな空気の振動でも、雪崩が起こる。そういうものが“気”や。人の体も同じや、倒れるべきところに倒す。『ああしよう。こうしよう』と違うんや」

物理を無視した動作は、“気を無視した自然に反すること”というわけです。要は物理現象を味方につかないといけないということです。地球上のあらゆる生き物で、自然と共生して生きています。

例えば、念力でスーパーマンのように空を自由に飛び回れれば本当に素晴らしいことでしょうが、それはまた物理を無視していることになると思います。もし物理の法則を使っているのであれば、念力を使って空を飛ぶ生物が多数存在しているはずですが、一般にそういう生物は科学的に認められていないのは、自然の法則に反している証拠ではないでしょうか。

井口師範は、自然界には「心」がないが、「兆し」の前のなるべき状況になる「志向性」がある。また、「気」は「兆し」「流れ」や「勢い」として存在していると説明されました。

井口師範のおっしゃった「雪崩」という現象で説明していきます。雪崩が起こる前は、「勢い」はゼロですが、今にも雪崩が起こるという状況(指向性)があり、起こる前に「兆し」として存在していて、いったん雪崩が起こると、「気の流れ」が起こり、それに「勢い」がでます。その「勢い」という「気」が破壊をもたらすのです。

合気道でも、これと同じです。相手に対して、「技を行おう」という「意図」を「心」(霊)で持ち、身体がまだ動いていない状況で「兆し」(溜め)を作って、「流れ」を起こし、「勢い」を持たせ、「勢い」を最大とするというのが合気道での「気」の一連の流れです。

みんなの学校の体育の時間

9月17日の件ブログにアップするのを忘れていたのでアップしておきます。これは和歌山市の商店街ぶらくり丁の活性化のプロジェクトで、街づくりの活動の拠点みんなの学校の体育の時間として、護身術教室の講習を行ったものです。
みんなの学校のブログでも、報告がありましたので、こちらも見ていただければと思います。

当日は朝から雨がたくさん降り、受講者がかなり少ないのではないかと心配していましたが、午後から雨がやんだこともあり、受講者は7名あり、男性3名、女性4名、内男性1名が見学でした。内、武道経験者は太極拳をしていた女性の方1人と見学の方だけでした。

講習内容は次の通りで、当会の4つの秘伝の初伝の技術を素人用にアレンジして伝授しました。
1 つかまれたときの手の解き方・攻撃の仕方・攻撃のかわし方など数種類(骨の技術)
2 相手にこちらの動きを読ませない方法(空間感覚の技術)
3 ナイフをもった相手の撃退術(皮膚の技術)
4 後ろから首に組み付いてこられる(チョークスリーパーホールド)場合の撃退法(皮膚の技術)
5 傘で凶器をもった相手をの撃退術(皮膚感覚の技術)

多くの皆さんは、みんなの学校の活動に共感されてこられている方が主で、護身術教室だからというよりも、毎回変わる体育の時間を楽しまれている様子ですで、またみんなの学校の近くの方で自転車で来られるような方ばかりでしたので、当会への入会希望される方は多分ないと思いますが、参加していただいた皆さんは、それぞれの技を納得していただいたようです。

最初、ある男性は「2時間って長いですよね。体力がもちますかねー」と言っていましたが、2時間をすぎても、皆さんから活発な質問をいただき、事務局スタッフの方が「もう、そろそろ」と言われるぐらいでした。

それから、講習前に、見学の方とお話ししましたところ、空手道・合気道の師範で、力のいらない護身術というフレーズに興味をもってこられたとのことでした。

この方は遠く離れて見学されていましたし、井口師範に対抗していた方のお弟子さんでしたので、秘伝を盗まれないように、できる限り技の原理をわからないよう受講者だけにわかる感覚を重視して伝え、秘伝にかかわる大切な説明はトーンを落として説明し、その方にはあまり聞こえないように配慮しました。

そのためか、みんなの学校でのブログでは、誰でも簡単にできるような説明をされていますが、力を入れさせない技術が凝りこまれていたので、スタッフの方もわからなかったものと思われます。

講習会の後、その空手・合気道の師範の方につかまってしまい1時間以上立ち話をすることになりましたが、ご自分の技術にかなり自信をお持ちになっておられ、当会との方向性も異なっていましたし、(実際の効果を体験されなかったので低く見られたのだと思いますが、)当会の原理を学ぶという気持ちは一切無いようでしたので、秘伝を盗みにきているわけでなかったので安心しました。

形稽古の意味

昨日、関東からの来客以外に、実は、中国拳法の経験者の方が技を学びに来られました。その人と軽いスパーリング的な技の出し合いを行い、こちらが技を掛けましたところ、
「いつどのタイミングで、合気道のどの技の出そうと意識するのです?」
という質問をいただきました。

要するに、質問の内容は、以前に、「勝速日の技術」で、相手の攻撃がとどかない遠い間合いにある内に、相手を捉えることを意識するように指導しているので、その時点で技を決めていいるのか、それとも別の時点で技を決めるのかということです。

私は、
「『勝速日』では相手を捉えるだけで、技はきめません。相手を捉えたときの体勢で、掛けやすい技をかけます。要するに、それぞれの技で掛けやすい体勢というのがありますから、技は決まってくるのです。だから、技と形がいろいろとあり稽古する必要がある訳です。形の特性を知り、今の自分の体勢がどの形のどこ近いかを理解することが重要です。」
と答えました。

ちなみに、合気道では、最も大切なのは、技に持っていく前に相手を捉えた状態にすることです。これを合気道では『合わせ』といいます。その次に技が来るのです。ですから、井口師範は「技は枝葉」と表現しました。でも、枝葉であっても大切な合気道の要素であることは間違いありませんので、どうでもよいということではないと思ってください。

こうに説明しますと、中国拳法の方は、中国拳法の形はかなり抽象的で、実際の用法を説明されても、どことなく納得できないところがあったそうですが、この話で、形の重要性と意味がすごく納得できたとのことです。

要するに、戦いの中では、様々な体勢になり得ますが、そのとき、それぞれの体勢から形の中にある技で適切なものに移っていくことができることを考えると、一見無駄な動きをしていると思える形にも重要な意味があるのだと理解できたということです。

井口師範から「合気道の技は一期一会、同じ形でも、毎回少しずつちがう」と教わっていたので、「完璧な形ができればあらゆる相手に効く」ととなえる合気道指導者に対し軽蔑を持って見ていたところもあったのですが、「完璧に形の意味が理解できてれば」という意味でいわれているのなら、それは正しいことを言っていると思います。一方、「機械的に精密にある形を完璧な軌道で再現する」という意味なら、まったく分かっていないということになります。このように言葉とは曖昧なので、話す言葉で相手の技術をわかった気になるのはよくないと反省しました。

さらに、もう一つの反省点は、私自身も形に関して指導する際に、この点が抜けていたと、もう一度考えさせられた稽古でした。今後、技の稽古では、そのポイントを加えて指導する必要があると思いました。他の武道をしている人との稽古は、違った視点で自分の技を振り返ることができるので、指導している私自身も勉強になり、いい刺激になります。

関東からのお客様

今日は関東から大東流合気柔術の修行者の方が技を学びにこられました。

大東流というのは、Youtubeで見たことはあるものの技にかかったことがありませんでしたので非常に興味をもっていました。私の予想では、Youtubeや教則本などで、大東流というのは、当会の骨の技術と皮膚の技術と反射の技術を使ったものじゃないかと思っていました。

当然、技に悩みをもってこられたのですから、大東流の達人ではありませんので、神秘的な技を掛けていただくということはありませんでしたが、当会の技術を紹介しましたところ、私の予想通り、上級者は、当会でいうところの骨の技術と皮膚の技術と反射の技術を駆使して技をかけているようです。

わざわざ関東からこられるだけあって、かなり熱心に稽古されました。

当会の技をお教えする上で、ネックだったのが皮膚の技術と皮膚感覚の技術の違いを思うように説明できないという点でした。

これについては、もっと説明ができるようにならないといけないと思い、もう少し研究が必要と感じました。

まだ、技ができていないので、頑張って稽古されるとのことでした。ただ、知識だけでも、10年、20年先まで進んだとお喜びいただき、関東に帰って行かれました。理解できたように思えても、技を見てもらわないといけないので、また和歌山にこられるとおっしゃっておられました。

井口師範のお墓参り

今日は、仕事が休みでしたので、井口雅博師範のお墓参りに行ってきました。

井口師範のお墓は、現在の紀の川市にあり、私の家から車で小一時間ほどかかる場所にあります。今回は原付で行きました。

井口師範がご健在のころ、車でご自宅までお送りした道を原付で走っておりますと、稽古の帰り道、いつも立ち寄った酒屋さんがありました。

そこの自動販売機で、師範がキリンラガービールを、私は師匠のおごりでコカコーラを買い、車に乗りながら飲んだのが昨日のように思いだされました。

師匠がお亡くなりになって早や12年立ちますが、当時の酒屋さんはまだやっていて、非常に懐かしく、うれしく思いました。

しかし、そこから師匠のお墓まではかなり距離があり、冷えたビールをお供えしたかったので、懐かしむすだけにして立ち寄らず、師匠のお墓に近いコンビニで、師匠の好きだったキリンラガービールの缶を買いました。

花屋さんで買ったお花と冷えたビールを師匠のお墓にお供えしたのが下の写真です。なお、お墓の俗名は、井口師範の武道家としてのお名前でなく、戸籍の名前・行信となっています。

それから過去の写真を見ていますと、懐かしい写真が何点かあったのでついでに張っておきます。二代目吉祥丸道主と師匠が写っている写真や、開祖・植芝盛平翁先生の書を前に師匠ととった写真、私の四段の授与式の写真などです。

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