手首取りの技の意義について3

皆さん!
こんにちは!
お元気ですか? 僕はメチャ元気です。
さて、手首取りの技の意義は今回で3回目です。前回は運動エネルギーを使うというお話しをしました。

今回は、手首取りの技で本当に大切なポイントをまずお話ししますね。
それはマインドの問題です。要は「手首取りの技は、持たれたら遅い!」ということなのです。あれっと思った人もいるでしょう。「ウチの師範はいつも、手首を持たれたら…」といつも説明するのにどういうこと?と思われた人もいるかもしれませんね。

ところが、井口師範は「手首を持たれたら遅い! 横面打ちで頸動脈を打たれたのと同じ。取らせなあかん」とおっしゃいました。要は『相手に手首を持たせないといけない。持たれたら遅い』ということです。そのためには「先に手をだして、手首を持ちたいようにして導いてやる」というのが原理原則ということでした。

では、ただ単に手首を持たせばいいのかというと、そうではありません。自分がどう動くかという方向性により相手への手首の出し方が変わるのです。

以下では、範囲を限定して、片手取りの技のみについて述べていきます。

相手を自分の体の外側に誘導したいのであれば、手首は自分のかなり内側に差し出します。そうすると、相手の側面に移動がしやすくなります。ところが、自分の外側に手を突き出すと、自分の外側に相手を移動させようと自分が移動を始める際、まず自分の肩にぶつかって移動できなくなります。

また逆に相手を自分の内側に誘導するのであれば、手は外側に出すことになります。そうすることで、自分の内側に自分はまわりやすくなります。

このように力の方向性を予め判断して、内に回るか、外に回るかも決まるということです。形稽古では初めから内回りか、外回りか決まっているので、このとき、どの辺に手を出すと技が効きやすいかということを研究するのがいいと思います。もっと言えば、技によっても手の出し方がかなり変わるので、その工夫も非常に大切です。

例えば、一教と四方投げでは手の返す方向が違います。また、相手を流すのかその場で技を掛けるのか、さらには、逆半身か合半身か、などで全て持たせ方が違います。

その場で技を掛けるのを想定した場合、逆半身片手取り一教では、小指側を若干相手に向けた方が技はかけやすいですし、逆半身片手取り四方投げでは、人差し指側を相手に向けた方が技がかけやすいです。

皆さんも、いろいろな技で、いろいろな状況について研究してみてはどうでしょうか? そして、それぞれの技のそれぞれの状況で一瞬で判断できるようになっていただければと思います。

手首持ちの技の意義について2

皆さん!
こんにちは!
お元気ですか? 僕はメチャ元気です。
さて、手首餅の技の意義の第2回目です。

前回は、手首取りの技が何故合気道では必要としているかをお話ししました。それは「相手の土俵で争わない」ということでした。言い方を変えると「相手とぶつからない」ということです。

合気道は世界平和を目指す武道ですから、「相手とぶつからない」というのが非常に大切な事です。結局戦争は「相手と直接ぶつかる」ことが拡大して国家レベルでの争いになっています。だから合気道の「相手とぶつからない」という考えがどれだけ重要なことか分かると思います。この稽古にも合気道の精神が活かされているのです。

話はいきなり脱線しましたが、「相手とぶつからない」ために井口師範の教えでは具体的な方法があるとお話ししました。その方法は、物理的な方法、生理学的な方法、心理学的な方法の3つがあるともご説明しましたね。

では今回は物理的な方法のお話しをしたいと思います。当会の分類でいうと“地の技術”あるいは骨の技術に属するものですが、要は物理学でいう運動エネルギーを利用する方法です。
物理学では、力とは別に運動エネルギーと呼ばれるものが存在します。物理学では運動しているモノにはそれだけでエネルギーを持っていると考えるのです。

それは経験的に、止まっている車に当たっても大したことはないが、速い車に当たると死んでしまうという常識からも分かると思います。
だから動いている物体はそれだけでエネルギーがあるわけですから、このエネルギーを相手につたえてやれば相手は当然影響を受けるというわけです。

ところが止まっているモノを動かすには、それだけでエネルギーが要ります。だから、自分の体でさえ止まっているところから動き出すのにエネルギーが必要なわけです。

だから、自分がとまっていて、いきなり相手を動かそうとすると、かなりの運動エネルギーを相手に与える必要があります。物理学では運動エネルギーは力と移動距離の掛け算でしたので、相手の体重を動かすにはかなりの力が必要になります。

ところが自分が動いていれば、既に運動エネルギーが自分にあるので、相手が自分と同じ体重なら、自分の運動エネルギーを相手に与えてやれば相手は必然的に動くのが理です。
だから、大切なのは自分が運動エネルギーを持っていることが大切です。これは井口師範の言葉を借りれば「気の流れ」があるということです。

そして、ここで普通の人が感じる盲点に触れておきます。それは「自分が動くのにそんなに力を使った感じがない」ので、運動エネルギーを甘く見てしまうということです。ところが、ちょっと大きめの重さ30キロのタイヤが転がってきたら大概の人はそれを避けようとします。経験的にケガをするというのが分かっているからです。ところが相手が人間になると突然その感覚がなくなってしまいます。でも自分の体重と同じものが転がってきたときを想像すると、運動エネルギーもバカにできないと分かるのではないでしょうか。

また、逆に考えると、相手は人間の運動エネルギーを甘く見ているという点も技には非常に有効です。この点も見逃せないものです。

手首持ちの技の意義について1

皆さん
メリークリスマス!
お元気ですか? 私はメチャ元気です。

さて、今回は前回の続きです。片手持ちの意義について話していきます。

合気道では、手首を取りに行く技が多い。しかし、実際の場面では、男が女の子やを捕まえるときや、子どもを捕らえるときぐらいしか手首をつかむ場面というのはないのではないでしょうか。

格闘の際、警戒している相手の手首を捕まえに行くというのは実は非常に難しい。手の先にある手首は手を早く動かすと捉えにくいからです。

それなのに、合気道ではかなりこの稽古を行います。これについて不思議に思った人も多いのではないでしょうか。私も、井口師範の道場に入る前の以前の道場で、この質問をしたら先輩に、「合気道は護身術だから」と教えられました。その時は納得したが、開祖の翁先生は合気道は武道であるといわれているので、護身術だからというのもおかしい話ですが、そのときは納得してしまいました。

しかし、井口師範に師事して、その意味が分かりました。それは自然な動きをするのに、相手に固定された状態でも「気にしない」という意識作りが大切だということでした。

持たれたことを意識しないで動けるようになることで自分の本来の動きができるからです。人は、相手に手を持たれるとどうしてもその箇所が気になります。その結果、相手の最も力が入りやすい場所で抵抗するということをしてしまうものです。

要するに相手の土俵で戦うということです。これは正々堂々を好む日本人にピッタリの考え方なので、多くの日本人がそう反応します。これでは、力の強い人にかなうわけがありません。そこで、合気道では、相手の土俵に入らず、対処することを学ぶ必要があるのです。それが手首取りの技の稽古であるわけです。

そうは言っても具体的にどうするかということが分からなければ、何年たっても稽古にはならないでしょう。というのは、人は相手と力をぶつけることで力加減を測るという生まれながらの特性があるらです。だから、それをやらない具体的な方法が必要なのです。

ところが、多くの道場では具体的にはその方法を教えてはないようです。単に「力を抜け」とか「気を出せ」と教える程度が関の山ではないでしょうか。そういった点では、一番親切なところが藤平光一先生の気の研究会、現在の心身統一合気道だろうと思います。それでもかなり感覚的で才能のある人が非常に有利なように思われます。

このように基本的には合気道は才能のある人が習得できるシステムになっていると、才能の無かった私には思われます。幸いなことに、私は井口師範に師事でき、井口師範はより具体的な技術を教えていただけました。

とは、言っても、井口師範自身は武道の達人でしたので、かなり感覚的な説明でした。ですので、その説明の本当の意味が理解できるのに非常に年数を要しました。でも、分かってみると、非常に明確な秘伝でした。ただ、説明が感覚的すぎたので、理解ができなかっただけです。でも、本当に井口師範が教えたかった本質がわかると、井口師範の偉大さが分かりました。

その方法には3つあります。物理的な方法、生理学的な方法、心理学的な方法です。
そのどの方法も、相手が持っている手首である「接点を動かさない」というのが共通した基本です。井口師範は「手首を持たれたら、手首は相手に与る。そして動けるところを動かせる」「相手を動かしたかったら、まず自分が動け」などとおっしゃいました。そこに実は秘伝があったのです。

次回は、もう少し踏み込んで手首取りの話をしようと思います。お楽しみに!

合気道の形稽古の意義

翁先生が開かれた合気道には試合がなく、形稽古だけをするのが本来の形です。
ところが、現在、試合を提唱する人がいて別団体を作っています。では、翁先生は何故、試合を固く禁じたのでしょうか?

私の師・井口師範はおっしゃいました。
「形稽古が試合にもなっているから必要が無い。わざわざルールを決めて試合する必要がどこにあるのか。そんなことを言う人は合気道を全然分かっていない」

井口師範は、形稽古の方が試合より難しいともおっしゃいました。何故なら、合気道の形稽古は必ず二人で行い、一人でするものはないからで、形稽古では相手が自分が何をしたいのか知っているので対処しやすい状況にあり、それに抵抗されずに技を掛ける必要があるからです。

しかも、こういう状況下で、合気道の形にはそれぞれ意義、目的があり、そのような形を作っています。それは当然ですよね。意味もなく適当に形があるのではないということですね。

本ブログではその形の中で、特に「片手持ち」「正面打ち」「書面突き」「横面打ち」など合気道の各技の名称の上についているそれぞれの意義について述べていきたいと思います。