手首持ちの技の意義について2

皆さん!
こんにちは!
お元気ですか? 僕はメチャ元気です。
さて、手首餅の技の意義の第2回目です。

前回は、手首取りの技が何故合気道では必要としているかをお話ししました。それは「相手の土俵で争わない」ということでした。言い方を変えると「相手とぶつからない」ということです。

合気道は世界平和を目指す武道ですから、「相手とぶつからない」というのが非常に大切な事です。結局戦争は「相手と直接ぶつかる」ことが拡大して国家レベルでの争いになっています。だから合気道の「相手とぶつからない」という考えがどれだけ重要なことか分かると思います。この稽古にも合気道の精神が活かされているのです。

話はいきなり脱線しましたが、「相手とぶつからない」ために井口師範の教えでは具体的な方法があるとお話ししました。その方法は、物理的な方法、生理学的な方法、心理学的な方法の3つがあるともご説明しましたね。

では今回は物理的な方法のお話しをしたいと思います。当会の分類でいうと“地の技術”あるいは骨の技術に属するものですが、要は物理学でいう運動エネルギーを利用する方法です。
物理学では、力とは別に運動エネルギーと呼ばれるものが存在します。物理学では運動しているモノにはそれだけでエネルギーを持っていると考えるのです。

それは経験的に、止まっている車に当たっても大したことはないが、速い車に当たると死んでしまうという常識からも分かると思います。
だから動いている物体はそれだけでエネルギーがあるわけですから、このエネルギーを相手につたえてやれば相手は当然影響を受けるというわけです。

ところが止まっているモノを動かすには、それだけでエネルギーが要ります。だから、自分の体でさえ止まっているところから動き出すのにエネルギーが必要なわけです。

だから、自分がとまっていて、いきなり相手を動かそうとすると、かなりの運動エネルギーを相手に与える必要があります。物理学では運動エネルギーは力と移動距離の掛け算でしたので、相手の体重を動かすにはかなりの力が必要になります。

ところが自分が動いていれば、既に運動エネルギーが自分にあるので、相手が自分と同じ体重なら、自分の運動エネルギーを相手に与えてやれば相手は必然的に動くのが理です。
だから、大切なのは自分が運動エネルギーを持っていることが大切です。これは井口師範の言葉を借りれば「気の流れ」があるということです。

そして、ここで普通の人が感じる盲点に触れておきます。それは「自分が動くのにそんなに力を使った感じがない」ので、運動エネルギーを甘く見てしまうということです。ところが、ちょっと大きめの重さ30キロのタイヤが転がってきたら大概の人はそれを避けようとします。経験的にケガをするというのが分かっているからです。ところが相手が人間になると突然その感覚がなくなってしまいます。でも自分の体重と同じものが転がってきたときを想像すると、運動エネルギーもバカにできないと分かるのではないでしょうか。

また、逆に考えると、相手は人間の運動エネルギーを甘く見ているという点も技には非常に有効です。この点も見逃せないものです。