自分が宇宙の中心という考え

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、井口流合氣道では「自分が宇宙の中心」という考えがあるというと書きましたが、これに対する質問がありましたので、今回はそれについて答えたいと思います。

このブログを読むと

合氣道開祖・植芝盛平翁先生は、合氣道は世界平和が目的であると言われたといわれています。井口師範が言った「自分が宇宙の中心」という考えから、合氣道が如何に世界平和と関係があり、それが合氣道には試合がなく形稽古だけである理由がわかります。それによって合氣道で稽古すべき技の目標がわかるようになります。

目次

宇宙の中心としての自分
周囲の影響と自分の選択
「自分は宇宙の中心」と世界平和
まとめ

宇宙の中心としての自分

私たちが世界を認識する際、目や耳、鼻、舌、体といった感覚を通じて情報を取り入れ、脳に伝えています。この過程では、他人が介在することはありません。つまり、個人が世界を認識する時、自分自身が宇宙の中心としてその世界を捉えているのです。しかし、実際に目にした世界が他の人と全く同じように見えているかどうかは、証明することができません。

例えば、「緑」という色を思い浮かべると、多くの人が緑色をイメージします。しかし、そのイメージが他の人と同じであるとは限りません。極端な例ですが、あなたが思う緑が、他の誰かにとっては赤かもしれないのです。このように、自分が認識する世界はあくまで自分自身のものであり、他者の認識とは異なる可能性があります。

このように考えると、自分が認知した世界はあくまで自分のものです。私たちの世界は内面と外面で構成されており、私たちは自分の世界の中心、すなわち宇宙の中心にいると言えます。

伝説では、釈迦は「天上天下唯我独尊」と言って生まれたといわれます。これは後世の人がつくった伝説とのことですが、これは、それぞれの人が「自分は尊く宇宙の中心である」という自覚を持つことを宣言している言葉です。ここに合氣道の共通点が存在しています。

周囲の影響と自分の選択

私たちは自分の世界の中心にいるはずですが、周囲の環境に大きく影響されることもあります。不幸は身の回りで起こる現象であり、私たちは日常的にそれに振り回されています。世界的なコーチングの巨匠、アンソニー・ロビンズの弟子であるクリス岡崎氏は「命があるだけ儲けもの」と言っています。どんな困難に直面しても、命がある限り解決策は必ず存在するのです。

残念ながら、多くの人が不幸を感じ、自殺を選ぶという悲しい現実があります。しかし、これは最終的に本人の心が選んでいることでもあります。

実際に、借金で追い詰められた人が外国に逃亡し、そこで成功し、日本に凱旋したという話がよく聞かれます。このような例からわかることとして、「自殺するしかない」と考えるのも、冷静に考えれば自分の思い込みに過ぎません。

仏教では、心を「意」とし、外界を認識する感覚として捉えていますが、心の反応も本来の自分ではないのです。般若心経には「無眼耳鼻舌身意」「無色声香味触法」とあり、眼も耳も鼻も舌も身も、さらには意(こころ)も実体が無い、すべてが空であると述べています。これは、外界の現象を否定し、私たちの認識が相対的であることを示しています。

「自分は宇宙の中心」と世界平和

井口師範は「形稽古では、自分よりも下の者に全力で逆らわれても技がかからないといけない」と教えています。なぜなら、自分が宇宙の中心であれば、宇宙に逆らえるものはないからです。

井口師範は「相手の土俵で戦うな!」と繰り返し言いました。これは相手と力の衝突を避けることを意味します。相手との力の衝突がなければ自在に相手を制御できます。ちなみに、相手の力と衝突するのは相手にこちらの動きが読まれているからです。それが読まれなくなるためにはその技術が存在するということも暗に示しています。それを使えば相手を不意打ちすることになるというのが理解できるでしょう。すると力が要らないという意味もわかるでしょう。

そういった技術を体得し、ついには無意識で行えるようになると「我すなわち宇宙」「我は宇宙の中心なり」を体で理解するということになり、技において相手の力に関係がない自分の動きが唯一だということができるようになります。

この考えをさらに広げて行けば様々な事象、例えば人間関係にも通じます。すると「我は宇宙の中心なり」ということが理解でき、その結果、自分が如何に尊い存在かわかります。さらに、それぞれの宇宙があり、それぞれが各人が尊く唯一の存在であることがわかります。

自分も他者も尊い存在であると理解すれば、争いはなくなり、世界は平和になるでしょう。合気道の稽古は、それを身体で実現するために、相手と競う試合を禁止し、形稽古に専念しています。これが合氣道開祖・植芝盛平翁先生が目指した真の合氣道であると師匠から聞きました。

まとめ

以上が、井口師範が「自分が宇宙の中心」であるという意味の説明です。合氣道の場合、体術である以上、この考えが技に生き、実際に体現する必要があります。

具体的にはこの考えを実現するため「和合の精神」として相手と衝突しない技が必要であり、さらに相手を導く技が必要になります。非常に抽象度の高い概念ですが、各自修行をして、自分なりに抽象度を下げて具体的な技として実現する必要があるのです。

その上で、抽象度を上げて、相手と一体となり、その主役が己自身にあるというようになり、技が完成すれば、真に「自分が宇宙の中心」ということになるでしょう。それを目指すのが私たち合氣道修行者です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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氣と抽象度の関係

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。さて、皆さんは氣ということについてどのような考えをお持ちですか? 今回は僕が考える氣について説明したいと思います。よかったら最後までお読みください。

本ブログを読むと!

合氣道では氣の説明が非常にあいまいで、指導者によってまちまちな回答が来ます。この理由を本ブログでは明らかにすることで、合氣道修行者の人は氣の概念が分かり、技に活かすヒントになります。

目次

氣とは抽象度の高い概念
抽象度とは
合氣道の技と抽象度
当会の指導方法
氣の理解
まとめ

氣とは抽象度の高い概念

僕の師・井口師範は、「合氣道は『氣』が全てや」とよく話していました。そう聞くと、氣とは何か、氣を感じなければ合氣道はできないのかと疑問に思うかもしれません。しかし、氣について調べれば調べるほど、その実態は掴みどころがなく、ますます分からなくなります。

僕は、気功法、東洋医学、占いの文献などを調べましたが、合氣道の「氣」について明確な答えは見つかりませんでした。しかし、長年、当て身の稽古や天鳥船、振魂を繰り返す中で、天地に繋がる感覚が徐々に形成されていくにつれて、「氣」というものが何となく分かるようになってきました。

「氣」は、体感するものであると説明することもできますが、理科系脳の私は、その感覚を言葉で説明した、どうしても考えてしまったものでした。そして、結氣とは抽象度の高い概念を感覚として捉えたものだという結論にいったったのでした。

抽象度とは

抽象度とは、概念の汎用性や一般性を表す言葉です。

例えば、私たち人間は、「生き物」という言葉が出てきた際に、その言葉の定義をいちいち考えることなく、文脈に応じて理解することができます。しかし、「生き物」という概念がない人にとっては、具体的な例を挙げて説明する必要があります。

この具体的な例を挙げる行為が、抽象度を下げることです。

「生き物」の中の「犬」を例にとると、さらに抽象度を下げていくと、「柴犬」「秋田犬」「グレーハウンド」「チワワ」といった犬の種類が挙げられ、さらに「誰々さんの家のチワワの太郎」のように、特定の犬にまで絞り込むことができます。

合氣道の技と抽象度

達人になればなるほど、技の抽象度が高まります。そのため、言葉では説明しにくいものになります。井口師範のような達人になると、「技は自然に出るのが一番」という言葉で片付けられてしまい、その奥深さは言葉では説明しきれません。

井口師範は、「本部直轄井口道場の合氣道は、気の流れ、呼吸力、螺旋形が極意」と常に話していました。井口師範の技は、これらの要素が渾然一体となったものでした。そのため、感覚的に指導されるので、同じ技でも毎回違った表現を使うため、当初は一貫性が欠けているように感じ、理科系脳の僕には非常に分かりにくかったのを覚えています。

井口師範は、自分の技を思いつくままに説明し、それを「秘伝」と呼んでいました。しかし、全ての技が「秘伝」であり、秘伝には名前がありませんでした。「秘伝には名前が無い、あるとこだわりができる」と井口師範は言っていましたが、こだわりがないと覚えられないという問題点もあります。

当会の指導方法

こうした問題点を解決するために、当会では、より抽象度を下げて指導するように心がけています。

例えば、「気の流れ」については、陽の用法、陰の用法の 2 つの技術として説明し、そこに「螺旋形」の技術である「錐揉みの技術」「軸崩しの技術」、「粘勁」、「引っ掛け」などの技術を加える稽古をおこなったり、「呼吸力」については、天の氣、地の氣、水火の氣の技術として、別々に説明しています。

しかし、あまりにも抽象度を下げ過ぎると、技の数が煩雑になり、とても覚えられないということにもなってきます。当会で説明する技術でも行う人によって上手い下手があります。ということはそれぞれの中にも必ずさらなるノウハウが存在するわけです。

氣の理解

「ブラッククローバー」というアニメで、黒の暴牛団団長ヤミ・スケヒロが「人の目線、呼吸、筋肉の動き、何となくの氣配、そういった人から発せられるエネルギーを総称して氣と呼ぶ」というセリフがありました。これは、氣の抽象度を下げて説明したもので、非常に分かりやすいと思いました。

しかし、これは相手の気を感知するという立場からの説明です。井口流合氣道では、「自分が宇宙の中心」という考えがあり、まず自分の気を理解することが大切です。それが「気の流れ、呼吸力、螺旋形」です。そして、その上で相手との関係性における気の感覚を理解していく必要があります。

まとめ

氣は、抽象度の高い概念であり、様々な要素が複雑に絡み合ったものです。合氣道の技を極めるためには、様々な技術を身体に通し、経験を通して氣の感覚に昇華していく必要があります。

この文章は、氣と抽象度について、僕の考えをまとめたものです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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