合気道で「力を抜く」とは?

合気道では、指導者がよく「力を抜け!」といいいますが、
『これが分かるようで、結局は、分からない。分からないのは自分だけなのだろうか?』
と、思いつつ、
「はい」
と、返事してしまうのが日本人の修行者のつらいところではないでしょうか?

ちなみに、布団に寝転がっているときが、大概の人の一番力が抜けているときだと思うのですが、どうでしょうか?

さらに、
「果たして、立ったり、座ったりした状態で、そんな寝転がったときと同じように力をぬくことが可能なのだろうか? でも、師範がいうから間違いがないのだろう」
と、考え込んでしまう人もおられるかもしれません。

正直にいいますと、このように、どこかおかしいと考えられている方は、正常な思考の持ち主だと思います。本当に力を抜いてしまったら、立つことすらできません。筋力を使わずに人間は立つことすらできません。

これに対する反論として、
「ヨガの空中浮遊のように、気のパワーが強ければ、空中に浮くこともできるとのだから、気さえ出せばどうでもできるはすです」
と、反発される人がいるかもしれません。

しかし、皆さんもそのような空中を飛ぶことができる人を実際に見かけたことがあるでしょうか? 私も同様、そのような生身の人物を、生まれてこの方まだ見ていません。

確かに、数グラムのものを触れずに気で動かすというのをテレビで見たことがあります。しかし、直接目の前で見たわけではありませんので、面白く見せるためにトリックがなされていても分かる術がありません。でも、一歩譲って、例え数グラムのものを気で動かせると仮定しましょう。果たして、それだけの力で、筋力を使わず、重たい身体を自由にコントロールすることが可能でしょうか? しかも、それができるのは特殊な人ですから、われわれ凡人にとうていできることではありません。

多くの人は、「気」を、ドラゴンボールを代表とするマンガなどでよく出てくる特別なエネルギーと考えていて、気さえ貯めれば、地球サイズの星でも、ぶつけると粉々にできるといようなものを考えられているようですが、井口師範の示す「気」とは、確かに不可思議なものもありましたが、そのような現実から懸け離れたモノではなく、もっと身近なモノでした。

それには、心の有様や無意識を含む「意識」的な意味が含まれていて、筋力を否定することではありません。井口師範は「『気』が出なければ、立つことすらできない」と話されいます。ですから、井口師範が示した『気』とは、意識で制御できる現象をさすものと考えていただくといいと思います。

そこで、「力を抜く」という話にもどりますが、これは、腕力を使わないということです。要するに、肩の筋肉である三角筋や力こぶの筋肉である上腕二頭筋など腕の筋肉を使わないということです。

「腕を動かそうと思ったら、腕の筋肉を使わないとできないではないか。それに、上で言っていることと反するのではないか」
と、反論がでると思いますが、そこで登場するのが、当会では「骨の技術」という技術なのです。

例えば、相手を押そうとした場合、腕を曲げてから、グッと腕力を使って相手を押すのが普通だと思いますが、「腕を伸ばしたまま相手を押してください」というと、だれでもすぐにできますね。

その場合、腕の力は使わず、足の力で相手を押している訳です。要するに、関節を通じて、骨を骨で押しているわけです。このように、理屈でおいても、腕力を用いない方法が説明できるのです。

ただ、骨で骨で押すというだけでは技術とは言いがたいです。何故なら、それだけですと、少し腕力の上の人に簡単に捻じ伏せられてしまうからです。それ以上に、骨に伝える力の生み出し方、力の伝え方などの問題が次に待ち構えています。

当会では、その方法の一つとして、手で行う当身を「骨の技術」の入門として生徒に教えており、急激な力の生み出し方と伝え方を覚えていただきます。これは、単に相手を打撃するための稽古というのではなく、他の秘伝の技術で活きて来る技術であり、基礎養成も目的も兼ねています。

また、「骨の技術」として、この瞬間的な力の伝わり方以外に、連続的に伝える動作も稽古し、「足の三角」の理論を教えています。このブログでも、気が向けば、当身の理論や、足の三角の理論などお話ししたいと思っています。

今回の話しは、詳細にわたって書くと膨大な文字数になるので、詳細ははぶきましたが、合気道で悩んでおられる方に、少しはヒントになったのではないかと思います。少なくとも力を抜く方向性は理解していただけたと思います。

ただ、力を抜く方向性で、さまざまな技術が必要であるということもわかっていただけたと思います。その点は、後は、ご自分で考えていただければと思います。いくら考えても、さっぱり考え付かない上、どうしても気になる方は、一度ご体験に来てくださればと思います。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

一般稽古スケジュール
http://kenkogoshin.tank.jp/schedule.html

当会ホームページ
http://kenkogoshin.tank.jp/

合気道の呼吸力

合気道では呼吸力が大切といわれています。しかし、指導者により考え方がまちまちで、合気道修行者は、ほとんどその実体はわかっていないというのが実情ではないでしょうか。

井口師範は、「呼吸力を使うと、重いものを軽くひょいと持つことができる」
と、説明しています。

ところで、多くの指導者は、「呼吸力とは、力を使わない技術」というような指導をし、弟子たちに「力を使うな」と指導します。

すると、弟子たちは、「取り(技の掛けて)が呼吸力を出したときは、受け(技の受けて)は、力をまったく感じず、フワッとした感覚になるはずだ」と勘違いをします。これが呼吸力だと、多くの合気道修行者が考えていることではないでしょうか?

ところが、井口師範の呼吸力をまともに受けたときの感じは、まるで軽自動車VSブルドーザーの押し合いのような、こちらの力が圧倒的なパワーにつぶされるという感がありました。
「翁先生(合気道開祖)の呼吸力もすごかった」
と、井口師範は言っていました。

また、
「吉祥丸二代目道主に、座り技呼吸法で、呼吸力で逆らったとき、呼吸力がぶつかって、指が変形した」
と、言って、私に曲がった指を見せて、
「『井口さん、私はまだまだ負けませんよ』と僕を睨んで言っとった。それから、後で、大阪の田中万川(大阪合気会の創始者)が『井口さん、相手は二代目やで、ちょっとぐらい加減せなあかんで』と言われた」
と、笑いながら私に話してくださいました。

このように、多くの合気道修行者は勘違いをしています。
実は私も、井口師範に師事し初めたとき、同じことを考えていました。
というのは、呼吸力というのが分からなくて、いろいろな本を読んで調べたのですが、そのようなことを言っている人が圧倒的に多かったのです。

そこで、
「呼吸力というのは、本などを見ると、人それぞれ言っていることが違うようですが、一体どのようなものなのでしょうか?」
と、井口師範に質問しましたところ、
「曰く、それな、どれも正しくて、どれも正しくない。
何故かというと、それは呼吸力の一面しか捉えてないからや。
呼吸力は、受け手の受け方次第で、感じ方が違う。ある時は、まるで雲か霞を押してるごとくフワフワして力がはいらなかったり、まるで戦車を手で押しているかのように圧倒的な力でやられたりとな。
僕のようにな、時々とはいえ、翁先生や吉祥丸二代目道主に遠慮なく逆らう人は滅多にいないから、呼吸力の実体がわからんモノが多いんや。そやから、皆、まちまちなことを言うんや」
と、応えてくださいました。

ですから、万全の備えをしている相手であれば、呼吸力をまともに受けたなら、相当な力と感じるものなのです。

例えば、私がある道場の方に、呼吸力の出し方を教えましたところ、その方が、自分の道場で呼吸力を出して行うと、
「凄い腕力ですね」
と、必ず言われるそうです。
「力を入れていない」
と、いくら言っても
「そんなことはありません。凄い力です」
と、言われ、力を入れていないといってもまったく信じてくれないそうです。

このように、多くの人は、呼吸力というのを「あれよあれよと思う間にやられてしまうモノで、力は感じないはず」と、勘違いをしているのです。

ちなみに、井口師範の技にも、そういう力を感じさせない技があります。呼吸力にはそういった一面もありますが、それとは別に、そういった技が二種類あり、当会では、『皮膚感覚の技術』と『空間感覚の技術』と呼び、稽古しております。

    *  *  *  *  *
ご興味を持たれた方は、一般稽古の無料体験にご参加ください。

なお、個人指導におきましても、20分~30分間技を体験していただいて、もしご興味があれば、その後、原理を有料の指導で行っております。合気道以外の武道をしている方でも結構ですので、ご興味をもたれた方は是非一度ご連絡ください。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

一般稽古スケジュール
http://kenkogoshin.tank.jp/schedule.html

当会ホームページ
http://kenkogoshin.tank.jp/

「真の合気道の実現に向けて」という記事を読んで

先日ネットを検索していると、合気ニュースの論説で、スタンレー・プラニン氏の記事がでてきました。そこには武道性を失った合気道について書かれていました。

私は、この記事を読んで、プラニン氏の考えに共感を覚えました。というのは私の師匠の井口師範の合気道のあり方がプラニン氏の提案する合気道にあったからです。プラニン氏に共感される方はたくさんいらっしゃると思います。合気道を愛するみなさんも、是非読んでいただきたいと思います。

http://www.dou-shuppan.com/aikido_w/134_stan/

合わせの技術

当会で指導する合気道の秘伝である「合わせ」の技術について、少し説明したいと思います。当会で「合わせ」というのは、相手の力の方向と強さ、相手の動き、相手の心理の動きなどを利用する技術をさします。そして、「合わせ」とは、単に相手に合わせるだけにとどまらず、相手の動きに乗ってついにはリードしていく技術で、合気道の達人がいう「相手と一体になれ」という言葉を、技術に表現し直したものです。

当会で指導する合気道の秘伝の基本は次の4つで成り立っています。これは、本ブログで何度かお話したことですのが、とりあえず記載しておきますと、
①骨の技術
②皮膚の技術
③皮膚感覚の技術
④空間感覚の技術

そして、さらに②~④の秘伝の中に、さらに「合わせ」と呼ぶ技術があります。
種類に分けると次の3つに分かれます。
Ⅰ.皮膚の技術の合わせ
Ⅱ.皮膚感覚の技術の合わせ
Ⅲ.空間感覚の技術の合わせ

これを具体的に説明しますと、
Ⅰの皮膚の合わせでは、相手の力の方向を読んで、その方向に緩めるように合わせます。特徴として合わせが成立し、相手をリードできたとき、相手と自分の丹田がつながった感覚がでます。

Ⅱ皮膚感覚の合わせは、入り身で生じた運動エネルギーを相手に送りつつ、送り込む場所を常に変化させることによって相手を崩す合わせの技術です。感覚的には、相手の動きやあるいは圧力の生じる有効点のすぐ横に追従しつつ、リードするようなの合わせとなります。特徴としては、力感覚が殆ど感じられなく、相手の動きにのっていくような感じで、皮膚の技術の合わせと異なり、軽く相手と丹田でつながる感覚があります。

Ⅲの空間感覚の合わせは、相手が狙った場所を移動しつつも、相手の意識を離さないように、まるで、「馬の前につるしたニンジン」のようなイメージで相手を導く合わせです。特徴としては、皮膚感覚の物理的な相手の力に沿うという感じではなく、心理的な相手の圧力に沿うという感じで、捕り(術者)は相手の空間的な隙に入って行くような感覚を持ちつつ、丹田からイメージの棒が出ていて、相手とつながった感覚があり、受けは吸い込まれるような感覚を持ちます。

文章に書くと非常に分かりにくい表現になってしまって、多分わからない人の方が多いかもしれません。何となく感覚を掴んでくださればと思います。どの「合わせ」も、相手の力に沿う感覚と相手と丹田でつながった感覚とあり、慣れると「相手と一体」となる感覚が出てきます。

「相手と一体になる」とはよく達人レベルの方がおっしゃることですが、これは、才能に恵まれた特別な人だけがわかることで、わずかに才能がある人でも難しいものだと思います。ですから特別な才能の無い一般人では、この感覚に辿り着くのはほぼ不可能ではないでしょうか。

ですから、一般人は、「相手と一体になる」ということばだけでは、技の上達は見込めません。私の経験からすると、①~④の技術を理解し、Ⅰ~Ⅲの合わせの技術を理解し、全てを統合し、「相手との一体感」に持っていく方が時間が短縮でき、特別な才能のない人でも少なくともそこまではいけます。

時間の短縮ということですが、私の指導経験から、合気道歴10年以上の黒帯の方たちに、単に①と②の基本技術を伝授しただけでも、「私の○○年はなんだったんだろう」と、口をそろえておっしゃいました。しかも、これらの技術は、合気道をしている人なら一時間~数時間の個人指導でで分かります。ですから、全ての秘伝をあわせると、特別に才能の無い普通人なら20年以上は、近道ができるのではないかと思います。そこから、わずかに才能が有る人なら達人の道に進めるかもしれません。

ちなみに、私が指導した方々が自分の所属道場で座り技呼吸法で、この基礎技術を試されたら、その方々よりずっと長い人でも簡単にあしらえるようになったといっておりました。

少し話がそれましたが、当会では、4つの基本技術に沿った3つの合わせの技術を指導しております。ご興味が持たれた方は、一般稽古の無料体験にご参加ください。

なお、個人指導におきましても、20分~30分間技を体験していただいて、もしご興味があれば、その後、原理を有料の指導で行っております。ご興味をもたれた方は是非一度ご連絡ください。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

合気道上達の秘訣

私の合気道の師匠である井口師範は、よく「相手と一つになれ」と指導されていました。

しかし、私はその感覚がよく理解できす随分と悩みました。「相手と一つになる」という感覚は、技の全ての状況で、非常に適切な表現です。ですから、ある程度わかるようになると「なるほど、その通りだ」と思いますが、出来ない段階の人にとっては、あまりにも抽象的過ぎる表現でまったく理解できないのが当然だと思います。

もう既にお亡くなりになっているのですが、合気道の達人で、たくさん本を出版され、多くの一流のスポーツ選手を育てた氣の研究会の藤平光一師範も、特別才能の無い普通の人の指導には随分と難儀されておられたと聞いています。

このように分かっている人から見ると、当たり前のことでも、普通の人にとっては難解きわまりないのです。

この理由は、「実際」と「感覚」にズレがあるため、指導者が話すことが、実際の動きと違いが生じるからです。

例えば、ある技で入り身で入る場合、感覚的に45度だと思っても、実際はまったく違う場合もあります。しかし、実際できるようになると45度に感じのです。これは円転の理についてもいえます。正確に円に動くと力がぶつかって上手くいきませんが、完全な円を描いているような感覚で動くと上手く行きます。この場合、物理的に見て、実際は円になってはいません。

ですから、ただ指導者の話を聞いて、すぐにそれが出来る人は、その感覚の通り動ける人で、その感覚を理解できる人です。要するに才能が有る人というわけです。一方、普通の人は、言われた通りしていると、全然出来ません。

そこで、自分にできないと思ったら、指導者の言うことを、自分なりに分析・整理することが大切です。そのために、さまざまなヒントになることを、本やネットで情報を集めたり、さまざまな武術の人と交流したりし、徹底的に考え抜き、整理するといいと思います。案外ヒントはその辺に落ちているものです。

「勝手なことをあれこれ考えず、ただ師範のいうことを素直に聞いて、コツコツ稽古していればいつか必ずできるようになる」ということをよく耳にしますが、そういうことをいう人が本当に師範と同じように出来ているかというと、よく観察すれば分かりますが、そうではないことが多いのではないでしょうか。

そして、できるようになった時点で、指導者に技に間違い無いかチェックしていただくことが最もいいのではないでしょうか。

とにかく、合気道で行き詰ったら、情報を集め、取捨選択して、整理し、分析することだと思います。そのためには、合気道にこだわらず、役に立つと思われる情報を集めることだと思います。