皆さん、お元気ですか。僕はメチャクチャ元気です。
さて、フェイスブックの方で、僕の記事を読んだ読者の方からコメントが寄せられました。
その要約としては、
「師範の技がその人に通じなかったそうですが、その師範が『合気道の精神が欠けているからだ』と叱った」ということです。
要は「精神が曲がった奴には儂の技は効かん!」
ということです。
合気道を護身術と考えた場合、暴漢になる人は必ず精神が曲がっている奴ですから、この師範に学んだ技護身には効かないと公言しているようなものなので少し笑っちゃいました。
最高の一つなんて存在しない
多分、この師範の方は、一つの技に対して、アプローチが一つしかないのだと思います。
そのため、自分のアプローチが効かないと、自分のやってきたことの否定になるため、他人を責めてしまったのだと思います。
人は答えをすぐに一つに求めてしまいがちです。
例えば、どの武道が一番強いか? 完璧な技の掛け方は?などです。
しかし、目的地があっても、それに到達する方法はいくらでもあります。
例えば、富士山の頂上に行くにも、登山ルートだけでも何ルートもあります。
また車で行くのか? 電車で行くのか?、高速バスを使うのか?とさまざまです。
井口師範は「合気道の技は一期一会」とおっしゃiいました。
合気道の技は毎度同じであってはいけないのです。
そのため秘伝があり、様々な秘伝を身に付けて自然と使えるようになるのを合気道では目指します。
合気道では、本質は技法ではなく、状態
次に大切な点は本質が何であるかということです。
例えば、片手取り四方投げの本質は何でしょう?
『当然、四方投げでしょう』と思いますよね。
しかし、井口師範は「投げたり、固めたりはほんの枝葉。本質は別のところにある」とおっしゃいました。
師匠によれば、相手を導いて崩して、技をかけるところまで持ってくることが合気道の本質だということでした。
今、その本質に気づいて、そこで最高の技法は何かと考えて他から技法を学ぼうとする人がいます。
例えば、合気道のベースとなった大東流合気柔術で使う「合気」という技法を学ぶ人達です。
しかし、それは、開祖が大東流から離れ、合気道を設立した理由から逆行してしまっています。
合気道では「合気」とは「宇宙の気に合わすこと」であり、言い方を変えれば、合気道精神が具現化したときに自然と相手が技にかかる状態です。
合気道では一つの「合気」という技法ですべてに対処するのではなく、精神が研ぎ澄まされ宇宙と一体となった境地で、体が勝手に適切な動作を行う状態を合気道では「合気」と呼ぶのです。
それを目指すから合気道なのです。
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