皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、前回は合気道では霊主体従での技の取り組みが大切とお話ししましたが、霊主体従は霊と体の二元論ではありません。
合気道では対立する二元論には限界があるとし、霊と体の間に氣を考えます。
今回は、合気道では実際にどのように霊主体従を稽古に取り入れているかという点を述べたいと思います。
霊主体従は単なる精神論とは違う
合気道では精神から肉体をコントロールするという部分が大切です。
とっても、単なる精神論や根性論とは違い、飽くまでも、精神を整えることで実際の技に効果がでる必要があります。
根性論や精神論のように、根性さえあれば何でもできるというような側面も武道では必要でしょうが、根性だけでは技術面への極端な変化は望めません。
合気道では、精神(霊)と肉体を結ぶものとして、「氣」を想定しています
精神というかなり抽象度の高い状態と肉体という抽象度の低いモノを結ぶのが「氣」とです。
しかしながら、当会では、「氣」でもまだ抽象度が髙いと考え、 井口師範の秘伝を、 抽象度という点に着目して、抽象度の低いモノから高い状態を目指していきます。
その一例として次項では、横面打ちの受けを例に、稽古の考え方を話したいと思います。
横面打ちの受けでの「氣」の扱い
横面打ちの受けを「氣」で捉えたたとき基本として、3つの基本があります。
単に「氣」といっても、捉え方で3つの方法があるといういい例になると思います。
一つは、「相手の氣に当てる」で、もう一つが「相手の氣に当たる」、最後が「相手の氣を導く」です。
後者になるほど難易度が高くなります。
氣に当てる受け
この受けは相手が攻撃しようと構えたタイミングをみて、攻撃前に相手の打撃を止めるときに使います。
「氣」でいえば「不発の氣を抑える」というやり方です。。
相手が横面打ちをしよう動作したときに、すかさず前に出て横面打ちを押さえます。
そこから技を掛けていくのが、氣に当てるというやり方です。
ただし、これにもレベルがあって、相手の動作の起こりで抑える段階から、兆(氣差し)をとらえる段階までです。
兆をとらえるというのは、動作にまだ現れず、 相手の「氣」が動いたときのことをいいます。
氣に当たる受け
多くの合気道の演武は、タイミング的にはこの受けで行っていますが、実際に氣に当たっているかどうかというのは、受けにしかわかりません。
受けに取りを一瞬見失った感覚が生じた場合、「氣」に当たる受けができているということになります。
基本的には、人が相手を攻撃しようとしたとき、まず「氣」がでて、その後を追うように攻撃がでます。
ですから、この「氣」に当たるつもりで前に出て、寸前のところで体捌きをすると、相手の攻撃が外れ、タイミングがおかしくなったように感じます。
これは人間は、何か動作する際に、必ず脳内のプログラムを使っている証拠です。
ですから、横面打ちで攻撃しようとした瞬間から、脳内では思考を横面打ちをするプログラムに譲り、プログラムが一瞬、自分を支配してしまうわけです。
そのため、相手が眼前からいなくなったと意識しても、既に起動したプログラムは止まらないため、そのまま実行してしまうわけです。
氣を導く受け
これは、相手の空間を伝わる氣を感じる力が必要になります。
相手が攻撃をしようとこちらを狙った瞬間、相手の氣は目標に直接向かいます。
例えば、横面打ちならば、頸動脈やあご、或いはこめかみです。
その瞬間、手で相手の氣をキャッチすることで、相手の目標と定めた氣を押し返します。
すると、相手は押し返された氣の場所にむかって攻撃を出してしまいます。
これが相手の氣を導くというやりかたになります。
以上のように合気道では、氣というものを通じて、精神(霊)の情報のやり取りを制御する稽古を行うのです。
そのため、形稽古が必須になります。ここを間違えた形稽古では意味がなくなります。
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