【不運は幸福の種である】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、昔からいわれていることに、天命を受けて人は生まれてくるというのがあります。

僕も、長く生きてきて、成る程と感じるものがあります。


天命はある

 

僕は、子どものころから恋愛や結婚は諦めるぐらいメチャクチャ体が弱く、その上片目を失っているので、少年時代、青年時代は一生涯とても武道なんてできることなどないと考えていました。

そして、あるとき、電車に乗っていると、知らない男に言いがかりをつけられ、電車の中で暴力を受けることになりました。

電車のなかでは、誰も助けてくれることはありませんでした。

僕はその経験から、結局は自分の身は自分で守らなければならないと決意し、合気道の師匠・井口師範の門をたたきました。

体が弱かった僕は、青少年時代はスポーツもろくにできませんから、合気道をするのはかなり大変でした。

しかし、井口師範から背骨の調整法を教わっため2年もしないうちに僕は普通に健康になりました。

そして、井口師範から様々な秘伝を教わり、そして今、僕の元に様々な武道をした人たちが集まって、僕の稽古を受けています。

よくよく僕の人生の各地点を線で結んでみると、明らかに合気道をするように結びついています。

正しく天命があると言い切れるのはこのためです。

誰にでも必ず天命があるのですから、読者の方も自分の天命を探すと良いと思います。


天命という側面から見ると不運は必然

 

電車の中で理不尽な目に遭ったお陰で、井口師範の合気道に巡り合いました。

井口師範に巡り合ったお陰で健康になれました。

片目が見えなかったお陰で、井口師範の秘伝を理解できるという場面に遭遇しました。

それにより極端に理解が進むようになりました。

点で考えたとき、不運な出来事も後になれば、お陰になります。

このように天命という目からみると、不運な出来事も必要があって起こっているのです。

不運な出来事というのは、合気道的に見れば、心のぶつかりと捉えることができます。

ぶつかりをなくすことを合気道では合わせといいます。

合わせには3つの原則がありました。「対立しない、逃げない、受け入れる」ということです。

不運を天命だと全面的に受け入れ、その後、自分がどう生きるべきかを見直すと、自分の動くべき方向が見えてきます。

すると何故か確実に良い方向に向かいます。

そのコツは、「何だかわからないけれど、このことが元で必ずよい事が起こる。だから受け入れよう」と決意することなのです。

誰にでも天命という道はあります。その道を進んでいるとあなたは必ず幸せに行きつくというのが合気道的な生き方です。


 

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