皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、今回は合わせるということについてヒントを書いてみたいと思います。
宇宙と合わせる
合気道では「合わせる」ということをよくいわれます。それで「相手の合わせばいいのか」とつい納得してしまうのです。
ところがこの「合わせる」と一言でいってしまっても、それが一体何なのかというのが案外人それぞれ違うようです。
ある人は「タイミングを合わせる」といいますし、ある人は「動作に合わせる」と言います。
さらに、もっとも曖昧なのは「気に合わせる」と言われる場合じゃないでしょうか。
僕は、師匠の井口師範には「宇宙の気に合わせる」といわれました。
「相手の気に合わせる」というならまだしも、話しが宇宙レベルになるともはや意味が不明になります。
井口師範によると「宇宙の気に合わせるというのは自然であるということ」だそうで、合気道の技は、「為さずして為す」というのが一番だそうでした。
僕は、この話を伺って、タオイズム(老荘思想)を思い出し、ある時期は老荘思想にはまったものでした。
結局、そこから得た答えは、 為さずして為すの の意味は、真人(真理を極めた人)が行うことは、凡人と違って、意識せずとも自然と最善が行われるように動くということでした。
要するに武道に置き換えてみると、達人というのは「ああしよう、こうしよう」と考えず、動けば即ち最高の技となっているということです。
これでは、達人と自分の差を自覚するだけでとどまってしまいます。私たち凡人はそこに行く道を知りたくてやっているのに、達人になったときどうなるかという答えでは話になりません。
チャンクダウン
どうしても、その道の最上級の人は、すべて一つの言葉にしていしまう傾向があります。
「合気道は最後は気だけ」「合気道は合わせるだけ」「合気道は神人合一の技」など非常に抽象度が高い表現です。
「気」一つにとっても、非常に抽象度の高い表現です。というのは、その道を究めた人は、武道に限らず、様々な芸術や医学(東洋医学や気功)でも、最後は気だけと言われます。
確かに、武道家の中には書に抜きんでた人が多いのは確かですし、病気の治療を行える人もいます。
ところが、非常に優れた武道家でも武道だけの人もいますし、気功家は医療気功だけの人もいます。また芸術家に至っては、武道を一度も学んでなければ闘うこともできません。
こうした事実から考えると、「気」といっても、人それぞれ得意な分野があるということが分かります。
結局は「気」というのは一つの状態であり、表現であるということが分かると思います。
すると僕たち凡人でも、達人の方向に進んでいくことは可能だと考えられます。それは、初めからすべてを目指すのではなく一つのことに抜きんでることを考えればよいということです。
そこでさらに、チャンクダウン(抽象的なことをより具体的にすること)していくと、僕たちのしている動作を最も最適な状態に変えていくということです。
ですから一つの技を分解して、合わせとは何かを考え、物理学的、生理学的、心理学的により細かくチャンクダウンをしていくことで明確にしていく必要があります。
やるべきことが明確であれば、それを僕たちはやれば良いだけです。それが当会の目指す「世界一わかりやすい武道」です。
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