皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、合気道の「合わせる」ということについて先日から色々と述べてきましたが、「合わせる」というのは「調和」だということだという結論になります。
そこで、「調和」ということから「合わせる」ということで技を考えてみたいと思います。
調和から考える合わせ
「合わせ」というのを考えたとき、普通、ある瞬間を想像する人が多いと思います。
これは、前回もいったように、本来の日本語の中に、外国後の要素が知らぬうちに入ってきているため、どうしても、合わせというと、相手と自分とかいうように、主と他というように2つの別々の要素で考えてしまいがちです。
そうすると、タイミングを合わせるといっても、ある時点で合うということを連想してしまいます。
そうすると、非常に合わせるというのが困難で、何分の一秒でも拍子がずれると合わなくなるということが起こります。
ところが調和という点から合わせを考えることにすると、それはもはやある時点という考えが消滅します。
調和ということを考えに入れたとき、いつなのかというと、あらゆる時点で合っている必要があるという考えになってきます。実はこの考えが非常に大切なのです。
すると、はじめも終わりもなく、相手と常にシンクロを起こす必要があるという発想になります。
そなるともはや一点で合わせようとする意識が消え、如何に相手と調和した動きをとるかという問題です。
相手と調和するには?!
ところが相手と調和するだけでは技になりません。それにはイメージが必要であり、さらに「中心が何か? その主体が何か?」という意識が重要になってきます。
先ず、イメージというのは、太極図と呼ばれる白と黒のオタマジャクシが互いに向かい合ったイメージです。
白いのがあなた、黒いのが相手です。あなたは、相手の動きと調和して一体となり、相手の動きを吸収し、そして一つの宇宙となるというイメージが技には必要になってきます。
そして主体は技の掛け手であるあなた自身ということです。
要するに、調和するのが、主体が自分であるという意識が大切なわけです。
さらには、技の中心がどこかという点も大切です。この技の中心というのは、動きの中心でもあり、物理的な中心ということです。
それは、自分と相手とで作り出す宇宙の中心でもあるわけです。
そういったイメージと主体性を持って技を行うと考え方が変わり、技というものをどう構成するかというのが見えてこないでしょうか?
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