皮膚感覚1

ここのところ、私は、生徒たちに、井口師範から伝えられた合気道の秘伝である皮膚感覚の技術をつたえるのにどうすればいいかと何ヶ月も考えていました。そんなある日、以前、この技術が分からなく、悩んでいたときのことを思い出し、その頃のことをヒントに新たに皮膚感覚の技術を生徒に伝えるアイデアが浮かんできました。その思い出である「技に悩んでいた当時のこと」を小説風に書いてみたいと思います。

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空一面が、灰色のどんよりとした雲に覆われ、雨がしきりに降っていた。梅雨時期の休日は外に出る気がしない。入梅特有のじめじめとした空気が充満した自分の部屋の中で、俺は、自分のベッドに仰向けに寝転がって、天井を見つめたまま、合気道の師匠・井口師範の言われていた言葉を考えていた。師匠の手が、つっ立っている俺の肩に軽く触れただけで、俺は倒され、そのとき師匠がいった言葉だった。

「合気道では、自分が中心で動かなあかん。自分が宇宙の中心となって自ら動くんや」
「合気道では、相手をどうしようとか思ったらあかん。相手を尊重せなあかんのや」

いくら考えても、2つの言葉は、まったく相反するようにしか思われなかった。
『自分が中心になって動けば、相手と衝突が起こるのは当たり前。どう考えてもおかしい』
と、俺はつぶやいた。

 ところが、あのとき、俺にかけた師匠の技は、ふんわりとしていて、まったく『やられた感』がなかった。
『えっ』
と、思った瞬間に、倒されていた。師匠が俺の肩に手をやり、わずかに師匠が動いたようにみえたその瞬間、俺は倒れていた。

 師匠の技はいつもそうである。師匠が動くと、自然とついていってしまっていることに気づく。だから、師匠の言う言葉を納得せざるを得ない。だから、師匠は、暗に何かを言ったという言葉ではなく、本心からそう思って発した言葉なのは分かる。

 だが、いくら考えても、己の身体で、その言葉を実行するのは無理があるように思われた。
『倒す意思がなくて、技はかけられない』。
と、俺はそう思う。
だが、「『相手を倒そうと思ってはいけない。』とは、一体どういうことなんだ?」
と、つぶやきながら、俺は、まだ天井を睨んでいた。

「ぶつかってはいかん。相手との接点は、相手にまかせておけばよい。相手との接点は相手の力の方向に合わせておけばええんや。それで相手の力は消える。その上で、動くんや。相手とか自分とか考えたらあかん」
と、何年か前に、師匠が、両手取りの技を教えるときに、そう言われていたのをふと思い出した。
「確か、合わせるというのは、『いったんゼロに清算すること』だとも師匠は言っていたなあ」
と、俺はまたつぶやいていた。俺は、両手取りの技をイメージしながら、師匠の言ったことを思いだしていた。

 両手取りというのは、自分の片手首を相手に両手でつかませ、投げ技などをかける技術の総称で、通常は、両手取り四方投げのように、下に投げ技の名称がつく。この両手取りを行うポイントで、師匠は、相手にしっかり掴まれていても、『力感をゼロにした感覚で回りこめ』といったのである。

 さらに、詳しいポイントをいうと、相手との接点、要するに持たれているところだが、相手の力の方向に合わし、決して逆らわず、まるでコンパスで円を書くように、持たれた片手首の一点をコンパスの針とイメージして、体が鉛筆側というイメージで、円を描くように移動するのだ。そうすると、不思議なことに相手が自然とついてくる。

 初めてコンパスを使った小学生のころのように、コンパスで円を描くとき、少しでも針側に力がはいれば、針がずれて、円はかけない。これと同じように、両手取りのときも少しでも無駄な力が入ると相手に逆らわれてしまう。相手を引っ張る意思がなくても、自然と相手がついてくる。だから、正確には、相手がついてくるということは、実際は円ではないのだが、意識では円を描いている。この点が、実際の動きと意識とのギャップなのである。

「そうか。これが『相手を尊重し、しかも自らが動く』理合いか! すべての原理は既に、ここにあったのか。あれは、両手取りの技だけの理じゃなかったんだ! 全ての技に共通する原理だったんだ!」
と、俺は大きな声を上げて立ち上がった。
俺の頭の中に、イメージがドンドンと形成されていく。
『相手との接点は相手に一番近く自分に一番遠い存在。だから接点は相手と一体としつつ、相手と共有するという感覚が大事なんだ。その上で、自分が動き、気の流れ(運動エネルギー)を作る。さらに最終的のは、気の流れを接点に伝える。そうすれば、相手に気の流れが伝わる。そこで相手は動き出す。その時だ。その時、倒れるべき方向に『導け』ば相手は倒れる。これが相手を尊重するということだ!』
と、俺は、大きな声を上げて立ちあがった。

俺は、窓越しに外の景色を見た。いつの間にか、雨が止み、ところどころの雲の合間からは青空が覗き、南西の方角では、太陽の光の束がスポットライトの様に、遠くに見える山の一部を照らしていた。
 「もう、そろそろ、梅雨明けの時期か。明日は道場でこの理合いを試してみよう」
と、つぶやきながら、俺は目を輝かせてこの景色を見ていた。

 翌日の夕暮れ、俺は道場に立っていた。
 俺の足元はに、少し大柄な中学生が驚いたような顔をして転がっていた。

 俺は、その日の夕方、稽古が始まるよりも随分まえに道場に行き、昨日思いついた理合いをイメージしながら一人稽古しつつ、他の道場生の登場をワクワクとしながら待っていた。そこに現われたのが、この中学3年生の良樹だったのだ。俺は、良樹が道場に上がってくるなり、この理合いを試してみた。
「良樹、ちょっと技をかけるけどええか? 投げ技やから、気をつけてな!」
と、言って、俺は、良樹の肩に軽く手を置いた。と、次の瞬間!
 バンー!
良樹は、俺が立っている足元で突然受け身を取った。見事に技がかかった。
俺の足元で、良樹が転がっていた。これが、師匠の摩訶不思議なあの技が、俺にもできた瞬間だった。

良樹は、突然何が起こったのか理解できず、あっけにとられたような顔で、しばらく転がっていた。まだ生徒が集まっていない、稽古前の夕方の道場であった。くもりガラスの窓を通して道場に入ってきた夕焼けのオレンジ色の光が、なんともいえない美しさで、窓ガラスを輝かせていた。

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次回は、もう少し皮膚感覚の技術を踏み込んで説明できればと考えています。

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