最も大切な「合わせ」

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は「合わせ」についてお話しします。

このブログを読むと

今まで指導者に「合わせなさい」と言われて分かった気になっても実際はよくわからないという合気度修行者もいると思います。このブログを最後までお読みいただけると「合わせ」の意味から、実際の技術的なやり方まで理解できるようになります。それによって自身の合氣道の技がより高度になるでしょう。

目次

「合わせ」の概要
骨の合わせとは
皮膚の合わせとは
皮膚感覚の合わせとは
空間感覚の合わせとは

「合わせ」の概要

「合わせ」とは何かと一言でいいますと、相手とのぶつかりをゼロにすることです。ここでいうぶつかりというのは、単に力がぶつかっているということだけではなく、意識のぶつかりや氣のぶつかりなども含まれています。

井口師範は「合わせ」のことを「我宇宙の中心に立ち、宇宙と調和することにより、我を攻める相手は小さな氣のよどみとなり、その氣のよどみすら調和することよって、宇宙である我は相手を完全に巻き込むのである」と表現しています。

井口師範のこの表現は全て「合わせ」を含んだ総合的な表現で、抽象度があまりにも高すぎるため中々理解することは困難でしょう。

そこで、「合わせ」についてより具体的なカテゴリーに分けて説明すると、難解な達人の言葉がしていきましょう。「合わせ」については次の4つのカテゴリーが存在します。

①骨の合わせ
②皮膚の合わせ
③皮膚感覚の合わせ
④空間感覚の合わせ

骨の合わせというのは物理的な力を感覚をゼロにする合わせで、実際は物理的な技術です。皮膚の合わせと皮膚感覚の合わせは人間の生理学上の性質を使うもの、空間感覚の合わせは相手の視覚をコントロールするもので心理学的な性質を利用します。

骨の合わせとは

骨の合わせというのは、物理的なぶつかり消すための技法です。物理的なぶつかりがある場合、自分の骨が相手の力にぶつかっています。ですから骨のぶつかりを無くせば、当然ぶつかった感覚は消滅します。

ただし、「合わせ」は、ただ力を抜くだけの「腑抜けの状態」になるのとは大きな違いがあります。骨の合わせは相手の力方向を読みその方向に骨を合わせますので、いつでも動ける状態は保っています。これは腕などに氣が入っていると呼ばれる状態でもあります。

一方、ただ力を抜くだけであれば、抜いている状態から一旦筋肉に指令を出す必要があるため、こちらに動きが出た時点で相手に読まれ逆らわれてしまいます。実は人は動作を起こすとき必ず最初に氣が出るのですが、その氣を相手が感じてしまうから腑抜けたただの脱力では技がかからないのです。この点が非常に大切で、単なる脱力ではだめだということです。

この骨の合わせを使っているときの氣の感覚は、自身の骨の中に気が流れているような感覚があり、相手の骨に気が連動している感覚があります。

皮膚の合わせとは

皮膚の合わせというのは、生理学的な現象を利用した合わせです。人は皮膚に対して垂直な力は検知できますが、皮膚に対して水平な力に関しては非常に鈍感です。そのため、相手と接触した瞬間、皮膚を水平方向にずらすと相手の感覚が狂います。これを皮膚の合わせといいます。

皮膚の合わせでの氣の感覚は、自身の皮膚を介して気が相手の皮膚を通じて相手の中に入っていくという感覚です。

皮膚感覚の合わせとは

皮膚感覚の合わせも皮膚の合わせと同じ生理学的な現象を利用した合わせですが、違う点は皮膚の合わせは力の調整が必要ありませんが、皮膚感覚の合わせでは殆ど力感を感じないのが特徴です。この皮膚感覚の技術は実際にできる人にかけてもらわないと言葉では十分説明できないので、できる人に指導してもらう必要があります。

皮膚感覚の合わせの氣の感覚としては、接触面と例えば腰など相手を崩そうとしている部分と氣で繋がっている感覚を感じます。

空間感覚の合わせとは

空間感覚の合わせは、相手の視覚を操作する合わせです。これは空間を飛んでくる相手の氣に反応させる技術です。少しわかり易い例で説明すると、私たち人間にはパーソナルスペースという人それぞれの独自の距離感を持っています。相手がパーソナルスペースに顔を近づけると、嫌な圧力を感じるようになっています。この圧力をより敏感に意識して、相手の圧力を離れた距離で感じるようにして、その圧力が相手と衝突しないように操作するのが空間感覚の合わせです。

空間感覚の合わせの氣の感覚としては、顔面で相手の氣を受けつつ、こちらから相手に向けて氣を発しているという感覚で、自身の氣が相手に伸び、相手の氣の強い部分を少し逸らしているというような感覚です。

◆  ◆  ◆

以上、「合わせ」について説明しましたが、僕の師匠の井口師範になりますと、骨の合わせ、皮膚の合わせ、皮膚感覚の合わせ、空間感覚の合わせすべては「すべて同じ氣だ」といわれていました。ですから達人レベルになると違ったカテゴリーの技術でもが、氣という感覚ではすべて同じであるということが言えます。

僕の経験から、多くの人たちに氣で説明するよりもカテゴリーに分けて説明した方がより理解が早く、習得が早いということが分かっています。ですから、氣さえわかればと考えている合氣道修行者の方で中々進歩しないと思われる方は、より具体的なカテゴリーに分けて研究されることをお薦め致します。

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「最も大切な「合わせ」」への3件のフィードバック

  1. 今年になって10人以上の人に合気技を試すチャンスがあって、椅子に座っての合気上げ、床に両手で押し付けられた片腕を上げる、四つに組んだ状態から相手を押していくという三種類を主に試しています。

    100%失敗したことはないのですが、2人ほどは重さと言うか力感を感じた人がいました。
    体重とかマッチョとかは関係なかったように思います。
    他の人は全員ふわっという感じで全く力を抜いたまま上げましたが、二人は重さを感じながら持ち上げるというイメージです。

    そこで考えたのは、その二人はこちらの力をあまり感じない鈍感な感じで、他の人はこちらの力にビックリして(無意識で)自分から手を上げてしまっているのではないかなと思いました。

    そういうのが、氣に反応しやすい人としない人の違いにつながるのでないかと思っています。

    1. > 氣に反応しやすい人としない人の違いにつながるのでないかと思っています

      一括りで一概には言えませんが、基本的に運動神経が良い人の方がふわっとした技に掛かり易い傾向があるように思います。

      ふわっと感じる技では、まずこちらが起こしている運動エネルギーが相手に伝わり、その影響を筋膜が受け筋肉が反応を起こしているように感じています。

      抵抗感があるのは、この筋膜から連動した筋肉が反応した際に筋肉が緊張する人と運動の流れを起こす人の違いと考えています。ですから相手の筋肉の緊張の度合いによって力感を感じたり、感じなかったりするように思います。

      特に運動神経の良い人は、身体を合理的に使っているため、運動エネルギーが筋肉に流れると、自然と運動の流れをおこす反応がでるように思います。

      この運動の流れは氣の感覚と一致するので氣の流れと言ったほうが良いかもしれません。

  2. 返信ありがとうございます。

    やっぱりそうですか。
    もしかしたらそうじゃないかなと想像してました。
    運動神経の悪い人はかかりにくいと言ってた流派の人もいましたし。

    ただ残念ながら合気経験者にかけたことがないので、その反応がわかりません。
    修行途中の合気経験者は合気技に敏感になって過剰反応してしまう人もいるけど、しっかりできてる上級者は反射とか筋肉反応を意図的に抑えて返し技をするのかなと想像してます。

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