皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
先日から「合わせる」ということでブログを書いていますが、今回は本来の倭言葉である日本語について話したいと思います。
合気道では「合わせる」ということを重要視しますが、中々その意味わかりにくく、色々なことを言われる人がいらっしゃいます。
そこで、「あう」という日本語を考えてみたいと思います。
日本語は起原は分からない
最近の言語学における日本語の起原についてお話ししたいと思います。
長い間、言語学では日本語はアルタイ語説が正しいとされていて日本語は朝鮮語と姉妹関係にあり、日本語は古代朝鮮語の単なる方言のような立場で扱われてきました。
ところが、「国際日本文化センター」が中心になって系統論が再び国際的に論議され 始めて以来、比較言語学の研究から、「日本語の系統は不詳」ということが分かってきました。
要するに古代の日本語である倭言葉には、他の言語による影響が全く見えないということです。比較言語学的にみると唯一日本語と親族と言える言語が琉球語であるということです。
ですから、古代朝鮮語と比較しても、世界中の言語に関して使えるはずの既存の比較言語学の常識が役に立たないということが分かっています。
つまり、韓国語と日本語は文法が類似しているものの、基礎言語にあまりにも共通が無さすぎるという点です。
もし、日本語が韓国語の方言というなら、韓国語の基礎言語から日本語の基礎言語が派生している特徴がなければいけませんが、それが無いわけです。
以上の点から日本語は、縄文時代以前から他の言葉と隔離された言葉であり、少なくとも5千年以上前から、日本語の元になった倭言葉は他国の言葉が入っていないということになります。
ということで、日本語は日本独自の文化が数千年脈々と受け継がれた言葉だと言えるのです。
日本語の「あう」と合うは元々異なる
日本語の起原が不詳ということから、日本語が独自のものという観点で、日本語の「あう」という言葉を見ていきたいと思います。
漢字ですが、元々は古来の中国の漢から伝わった文字ですので、日本語と合わせるため、「あう」という言葉を状況によって整理して、「合う」「会う」「遭う」「逢う」「遇う」などの文字にあてはめたのが始まりです。
このように同じアジア民族であっても、日本語の本来の意味のあうとは違うのです。
例えば合気道の合わせは「タイミングを合わす」ことだと言う方がいらっしゃいます。
それを英語で考えると、英語では「タイミングが合う」ことをmeetを使います。ある時点、ある地点で出会うということです。
これは、視点は個人にあり、あくまでもそれぞれの個人がある点で会うということを示します。
一方、日本語では、「合う」と言葉を考えると、「合う」は合計という意味です。すると、合計と考えたると、そこには一点という考えではなくなるのです。
本来の言葉からすると、タイミングが合うは英語と同じ意味である「一点で出会う」という点ですが、本来の日本語の合計という意味で考えた場合、タイミングを合わせるといっても、相手と自分が一体になるという合気道本来の合わせの意味が出てきます。
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