【見ようとしてはいけない理由】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

今日は、「こだわり」について話したいと思います。

武道に限らず、あらゆることで、「こだわりを捨てよ」とよく言われます。

 

特に護身術を行う上で、最も致命的なこだわりとして『よく見よう』と思ってしまうことです。

このよく見ようというこだわりは、目の使い方が十分に分かっていないからです。

今回はその原因について追及していきましょう。

 


見るということの科学

 

 

見るこだわりを取るため、見るということ、特に目の視野についての科学的な知識があると、原因が非常に分かりやすいので、説明をしておきます。

人間の視野は二種類の視野に分類されています。

視野の中心部にある中心視野とそれ以外の周辺視野です。

中心視野の機能は端的にいうと観察するために発達したもので、周辺視野の機能は索敵のために発達したものです。

そのため、中心視野は、静止しているものをより詳しく見ることに適しています。

「文字を読む。遠近感を感じる。細部まで細かく見る。色の違いを見る」など、観察するのが中心視野の役目です。

一方、周辺視野は、原始生活をしていた野生時代は、草をかき分けて迫る敵をいち早く見つけるため、遠くのわずかな動きも感じることができるようになっています。

そのため、周辺視野は色を識別する能力にかけ、また細かい観察にも向いていません。

 

人間の場合よく見ようとすると中心視野が働き、全体的に見ようとすると周辺視野が働きます。

 


視野と動作の連動が問題

 

 

人間の最も大きな問題は、ちょっとした意識の動きで、中心視野が働くことです。

中心視野が働くと、無意識に自分の動きを止めて、静止して、観察しようと体が反応してしまいます。

これが「居つく」という現象の最も大きな原因です。

例えば、相手が殴ってこようとすると、全く格闘技経験のない通常の人は、ついパンチを見てしまいます。

すると、足が居ついてしまいます。まず恐怖で動けなくなるのじゃなく、実は観察しようとして動けなくなります。

そして、次に恐怖が来て全く動けなくなり、パンチに当たってしまうのです。

ですから、合気道では、「相手の武器を見てはいけない」というのです。

私の師匠は「目は気を感じるもの。見るものではない」とよく言われました。

この言葉により、師匠には視野の科学的な知識はありませんでしたが、師匠自身は中心視野と周辺視野を十分に活用していたことが分かります。

このように、中心視野と周辺視野の活用が武道や護身術には大切です。

また、目の使い方については、拙著に記載しています。もしご興味のある方はそちらを参考にしてください。

キンドル版の本「力の弱い人でもできる唯一の護身術
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