形稽古の「受け」の大切さ1

合気道は形稽古を中心に行う武術ですが、合気道において、形稽古で技を掛ける側を「取り(捕り)」、掛けられる側を「受け」と呼びます。そして、合気道は「受けが極意」と言われることがあります

合気道では、正しい「受け」ができる人はかなりの技がでるとみるということです。正しい「受け」とは正しい感覚を伝えることができる「受け」ということです。だから正しい感覚をしらないと正しい受けはとれないのです。

「受け」名人という言葉を合気道で時々耳にします。「受け」はうまいが、技は効かないということです。こういう人は、本当の「受けが極意」という意味を取り違えているだけです。合気道は演劇や映画の殺陣ではありませんので、いくらアクロバティックに綺麗に受けをとれても、達人といわれることはありません。飽くまでも演武の引き立て役に重宝がられるだけです。

合気道は、形稽古主体ですから、同じタイミングで、同じリズムで、同じ方向に同じように技を繰り返せば、当然受けの人は、逆らうタイミングがわかりますから、逆らおうと思えば、2度目、3度目からは逆らうことができます。そういう意地悪な「受け」と行った稽古では、「取り」に『何故か効かない』という感情を植え付けるだけですから非常によくありません。

一方、効きもしないのに、勝手に倒れてあげるのは、これもまた誤解を生むだけです。その結果、実際の格闘の経験もないのに、他の武道を軽蔑・批判したりする人が現れたり、「相手が屈強な男が複数いても簡単」と誤解してしまう女性が現れたりすることになってしまいます。
「短刀取りを習ったから、包丁をもつ相手でも大丈夫」と、ある女性の初段の人が言っているのを聞いたことがありますが、これも習えばできるというものではありません。形稽古のように決まった軌道で相手は攻撃してくれません。

刃渡り5センチ程度のナイフでもかなり恐怖です。そのことすら経験がないので、からないのです。私が以前やっていたジークンドーでは、かなりナイフ格闘の稽古をしましたが、それでもナイフを相手にするのはできれば避けたいと思っています。合気道の短刀取りとちがって、ジークンドーのダガーナイフは、非常に多岐にわたって行いますし、パンチ、蹴り、目つぶし、急所攻撃なども入っています。それでも、ジークンドー修行者で、刃渡りの長い包丁はまだしも、「ナイフは大丈夫」と言える人はいないでしょう。相手がナイフを持てば、まず武器をとることを考えます。

私は、過去に2度、ナイフで脅されたことがありますが、たまたま相手が弱い人であったからボコることができましたが、それも運が良かっただけだと思っています。というのはお金をゆするのが目的で相手は殺人が目的ではなかったのです。だから、相手はナイフを持つことで隙だらけで、その上ナイフの素人だったから助かったのです。ですから、「これで大丈夫」ということは絶対にありません。やはり稽古は一生必要だということです。

このように間違った観点の「受け」をやっていると修行者に大きな誤解を生むことになりますので気を付けないといけません。

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