「力を抜く」意味1

合気道の稽古では、どうしても神秘的な発想を求める人がおられます。しかし、私の経験からすると、一部の才能のある人を除いて、合理的な考えをした方が、そういった発想を求める人にくらべて、かなり上達が早いように思います。

要するに、技の特性や動作の意味、生理的、物理的に強い使い方を知ることで、自分より筋力の上の相手に技を掛けることができます。

ところが、その動作の特性や意味を取り違えてしまうと、全く使えない技になってしまいます。特に一般的に合気道修行者の間で流布している発想には、誤解がたくさんあります。

そこで、合気道修行者の極よくありがちな発想と、それに対する合理的な発想と合理的な発想で稽古したときに得られるメリットを述べていきたいと思います。

合気道では「力を抜け」とよく言われます。
そこで、だらんと力を抜いてやろうとすると全く技ができません。では「力を抜くとはどういうことか?」と、合気道修行者を悩ませます。

そして、修行者各自が「力を抜くとはこういうことだろう」と勝手に判断をしはじめます。最後には、「筋肉を使わず、気を使う」という発想にたどり着きます。確かに「気」といエネルギーで体が動くという考えですと、一切筋肉は不要ということになり、一見合理的な考えのように思われます。

そして、「気」さえ出せばどんな事も可能になると思われます。「気」さえ使いこなせれば、仙人のように空を飛ぶことはおろか、惑星の一つでもつぶせるようなところまで発想まで浮かんできます。漫画ドラゴンボールで表現されている「気」の世界です。

もしそのような「気」が本当にあり、簡単に使いこなせるとすれば、素晴らしいことですし、筋肉を一切使わず、純粋にそのような「気」を使って体を動かすことは可能でしょう。そうすると、己の身体を「気」で動かせるのと同様に、伝説や小説に登場してくる傀儡子(くぐつし)のように、人間と同じサイズの人形を「気」を使って動かすこともできるでしょうし、自分自身が宙に浮くことも可能になるでしょう。

しかし、私は実際に自分の目でそのような人にあったこともありませんし、人どころかそのような気を使って動く生物すらあったことがありません。伝説では、空を飛ぶ仙人、龍や麒麟のように空を駆ける動物などたくさん出てきますが、一般的にも、科学的にも認知されてはいません。例え、そのような人や生物がいるとしても、非常に稀なことであると言わざるをえません。

例えそのような気という存在があるとしても、我々凡人が扱えるものからは甚だ遠いものです。そう考えると、神秘性ばかりを追求するより、自然の法則にしたがった合理的に考えた動きを身につけていく方が確実だと思います。

私は井口師範がおっしゃる「気」について当初は非常に混乱し、ある時は、力強く鋼のようであり、ある時は柔らかく巻き込まれるようであり、ある時は、空気のような捉えどころがなかったり、まったく理解できないものでした。

そのように、教えてくださる井口先生の秘伝を、私は理解できないまでも、何とか覚えなければと、自分なりに理解できるよう、現象ごとに、物理学(自然界の法則)、生理学(反射や反応)、心理学(思いこみ・錯覚・暗示など)の3つの分野で分類し始めました。そうこうしているうちに、そういった判断も間違いではないことが分かってきました。

そして、ある時井口師範いわれた「大自然にも気は宿る。自然を敵にしてはいけない。自然や宇宙の法則と一体になること、自然と調和する動きが正しい動き」という言葉で、私の解釈も誤りではなかったと気づきました。

それは合気道でいう「気」は、一つではなく、あるエネルギーを持った状態だということで、生体エネルギーを「気」と限定しているのではなく、様々な形で存在しているということだとわかってきました。そして、合気道の目的は、さまざまなエネルギーの流れを、流れに逆らわず、自然の法則にしたがって自在に操れるようになることであるということ気づきました。

「気」についてかなり話はながくなりましたが、あらゆる事象と調和し、積極的に、建設的にそれらを利用することが合気道であれば、力を抜くという意味もかなり変わってくるのではないでしょうか。