【合気道でいう自然とは?!】

皆さん、こんにちは!
お元気ですか? 私はすこぶる元気です。

さて、今回は合気道における自然観について述べたいと思います。

合気道では自然が一番大切とよく言われます。さて、その自然とは一体どういうことなのでしょうか?

私が学んだ井口師範は合気道の技を「ああしよう、こうしようと考えてはだめだ。それは不自然! 自然を重視する合気道では、相手の中に自然に入っていかなければならない」とおっしゃいました。

具体的には、形稽古を行う合気道では、受け(技を掛けられる側)が取り(技を掛ける側)に攻撃を仕掛けようと行動した時点で、受けがいつ取りに入られ投げられたのかが気付かず、気が付けば既に投げられていたという状況を作れる必要があるということです。それぐらい、己の存在が相手にとって自然である必要があるということでした。

ところで、タオイズム(道教、老荘思想、神仙道)では、自我をなくし自然と心が一体になったときに行う動作のことを、無為自然いいます。心が澄み切っていて、我が無くなった状態ということです。

いわゆる禅でいう無我の境地というものです。それゆえ井口師範は合気道を動く禅であるとおっしゃいました。言い方を変えると、合気道とは無我の境地で技を行えるようになることを目的に自己鍛錬を行う武道ということが言えます。

そのため合気道では形稽古だけを繰り返して行われます。形稽古では技の受け手である受けは技の掛け手である取りがどのように技を掛けてくるか初めから分かっています。だから、受けは取りの技に簡単に逆らうことができます。

ところが、無我の境地に達した取りの技には受けが逆らうことができないのです。合気道ではこのような境地を目指すため、試合などは行わず、ひたすら形稽古を行うのです。

この無我の境地というのは、具体的にいうと、異常に集中力が高まった特殊な状態を示す言葉です。スポーツではいわゆる「ゾーン体験」と言われている状態をさします。

日ごろからかなり鍛錬をするオリンピック選手ですら、ゾーンに入るのはごく稀で偶然に近いといわれるぐらいですから、一流のアスリートすら自在にゾーンに入ることはできません。だから無我の境地とはそれほど難しいものです。

ですから、形稽古のやり方を間違えると、合気道の本来の目的すら曖昧になってきます。よくある間違いは、受けの人が取りを無視して、闇雲に投げられたり、勝手に倒れたりすることです。

それが何故間違いかというと、受けが自然を完全に無視して勝手にやっていることですから、当然取りも無視している訳で、合気道は和合の武道といわれる本来の稽古からかけ離れたものになっているからです。

受けが勝手気ままに行う形稽古では結局取りが受けに合わすようになります。要するに受け取りが入れ替わるということです。飽くまでも取りは主であり、受けは従うものでないといけません。確かに、取りが受けに合わすと、見た目は凄い技を行っているように見えます。

だが、実際の場面を考えたら、それは異常であることが分かります。武道である以上最低限護身ができるということは大切です。そう考えたとき、現実の場面で暴漢が自ら意味もなく吹っ飛ぶようなことは決してありません。

また、このような形稽古ならなら、リーダーとパートナーという関係で行われるソーシャルダンスをしている方が目的がはっきりとしている分まだ自然に到達する可能性高いといえます。

さらに恐ろしい事は、こういう稽古を行っていると、いつしかそれが当たり前になり、大きな誤解をしてしまうことです。例えば、私の経験上、女性に非常に多いパターンですが「もう合気道を十年以上しているから私は達人」「私はもう黒帯だから、男性2人までは大丈夫!」「短刀取りの形を学んだからナイフはもう大丈夫!」なんて言うようになったりすぐのをよく経験しました。

このときが本当に危険です。以前にも述べましたが、合気道の本質をとらえていない女性では、男性の本気の力はとうてい対処しきれません。

しかしながら、合気道で護身術を考えた場合、即効性も必要なのは事実です。何十年もかけて、自然の境地に達するまで、ひたすら努力を続けるというのでは、通り魔やおやじ狩りに代表されるような近年増えている暴力事件への対処はかなり難しいということになります。

禅を専門に何十年も修行してもそのような無我の境地に達する人はごくわずかと聞いています。そして、「いつ投げられたかわからないぐらい自然に相手を投げれる」ようにならないと、合気道は使えないのであれば、やっている意味もないとも思います。

私も、当初は形稽古を行っていて、「こんな形稽古で本当に護身に使えるようになるのだろうか?」という疑問を持っていましたし、実際に使えるようにもなりませんでした。

というのは、自分の技術が如何に役に立たないかが、他の武道をしている人と関わるとよくわかったからです。そのため私はカラテを学んだり、中国拳法の本を読んで研究したりしていました。

ところが、あるときより井口師範より秘伝を授かるようになり、単に闇雲に努力をするのではなく、ある種の規則に沿った合気道には合気道の自然観へ到達する独特の方法があることを知りました。

とは言え、自在に無我の境地に入るのは私では難しいのは確かですが、この方法のいいところは、誰でも無我の境地で行っている状況に近い効果が生み出せるという点です。

次回では、秘伝を完全に公開するわけにはいきませんが、合気道ではこの自然観に到達する方法がどうなっているかをお話ししたいと思います。