「気とは?!」その2

昨日、書いた私のブログを読まれた方で、井口師範が言われたかったことがお分かりになった人はいらっしゃるでしょうか?

井口師範は「気は誰でも使っている」ということを言いたかったと答えた人がいらっしゃったら、流石です!

井口師範は、私が攻撃しようと出した「気」を察知し、絶妙なタイミングで私が吹き飛ぶように、その「気」を躱したのです。(実は秘伝にあたるので詳細はいえませんが、この表現には微妙な誤りがあり、合気道のこの辺の気のやり取りに詳しい人が読むと本当に分かっているのかと思われるでしょうから一言添えておきます)

「気は誰でも使っている」ので「気」とはそんなに特別なものではないということです。

では、特別でないなら「何故わざわざ合気道では『気』を重んじるのか?」という疑問がでてきます。

簡単にいうと、井口師範によれば、元々の合気道では誰でもつかっている「気」とどう付き合うかを稽古する武術だからです。言い方を変えると「『気】の特徴を如何に利用して技を仕掛けるか?」を稽古する武術ということです。

そこが分かれば、「なるほど、体格、体力、性別、年齢はそれほど関係がない」とわかります。
ですから、そこを意識して稽古しないと、只の運動にしかならないということです。

現在の合気道の状況を見てみますと、演武に重点を置いて、如何にきれいに形を魅せるかという点に皆さんが意識して技を稽古するのが中心だと思います。ですから取り(技を仕掛ける側)も受け(技を受ける側)も互いに協力して美しく魅せる演武を行っています。

この様に「気」と如何に付き合うかとう点を差し置いた綺麗な形を目指して稽古していても、体格、体力、年齢など超えられるものではありません。

別に私はこの傾向を悪い事といっているつもりも、批判しているつもりもありません。健康のために合気道をしている人を批判するつもりもありません。それどころか袴をはいてきれいな演武している若い女性を見るととても素敵だとは思います。ダンスや運動としてするという選択肢も合気道にはあるということで、選択肢が多いほど様々な人が楽しめるのでそれはそれでいいと思います。

ただ、実際に対処したり、他の武道と対戦できるのは別です。そして、他の武道の稽古の方がかなり「気」をつかっているという現実を把握しておく必要があると思います。

合気道をしている人を多くの他の武道の人はかなり馬鹿にしている現実があります。
「合気道には達人と呼ばれる人は確かに存在するが、それは何万人に一人で、後はクズ」とまでいう人たちもいます。

それは、
合気道修行者は
「空手や拳法、ボクシングなどのパンチは単なる点にすぎないから、その点をさければ対処は簡単」とよくいいますが、そういう合気道修行者と、他の武道経験者が、相手したら「全く話にならない」という経験よくするからです。現状の取りと受けが協力して綺麗に魅せる合気道の稽古では連打やコンビネーションの対策はできません。要するに「点も沢山集まれば、線にも、面にもなる」ということです。これが現実です。

また、現実は、演武のように技を受ける側が掛ける側の技を協力してくれることはなく、むしろ相手はかからないよう逆らってくるということです。

実話ですが、合気道五段の女性の話です。自分は無茶苦茶強いと思っていたある時、日ごろ運動をしていないご主人に手首を思い切りつかまれ、何もできなかったという経験をして合気道の裏切られたと感じ去っていた女性がいます。

彼女は何十年もかかって五段になったのでしょうが、素人のご主人に本気で手を捕せたら何もできなかったことで初めて自分の技がきかないことが分かったわけです。合気道を信じて何十年も稽古をして、その何十年が無駄だったと去っていくというのはあまりにも悲しすぎます。

護身術で合気道をやっているつもりの人には非常に酷なことをお伝えしましたが、合気道を何十年も頑張っても、本当に気が分かる師匠に学ばないと、合気道をやっているだけでは、男女の体力差まではうめることができないのが現実です。

合気道をやっているから「気」のパワーが強いはずじゃなく、「気」を扱うにはそういう技術があるということを理解して稽古する必要があるのではないでしょうか。ですから、現実を知らずに他の武道を批判するようなこと、合気道は気の稽古をしているから他の武道より優れているという考えは全く的を外しているという他ありません。

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