【別の土俵で闘う】2

こんにちは!
皆さんお元気ですか? 僕はメチャ元気です。

前に、別の土俵で闘うという話しをしましたが、「世界平和などといいつつ、結局、合気道って本当は卑怯なのですね」ということを指摘された人がいました。そこで、もう少し、合気道の平和思想と一般的な正々堂々に関してお話ししたいと思います。

確かに、漫画やアニメでは、主人公が相手の最も得意な分野で、相手を打ちのめすというシーンが良くあります。とても格好良く描かれています。主人公のすばらしさを表現するためにそう描かれています。

自信満々でくる相手の得意なものよりも、適当にやってる主人公の方が得意だということを表現することで、主人公が得意なものはさらに上で、そんな奴にも余裕で勝てる主人公の何でもできる絶対的な素質を述べているだけです。

でも、実際問題として、少しの時間も惜しんで命がけで何年もトレーニングを積んだことが、何の努力もしない相手に一瞬で負かされたらどんな気持ちでしょう? 

例えば、筋トレを必死な思い出3年間やり、かなり筋肉が付いたと思ったら、日ごろのらりくらりとしている人が、いきなり自分の持てる最大の重量の2倍を軽々と持ち上げたらどうでしょうか? その人は自信を失うのではないでしょうか?

正々堂々というのは別の意味では、相手の自信を徹底的につぶすということと言えます。日本人は正々堂々が好きです。才能にあふれた人が、華の舞台で高得点を取るのが大好きです。

だから、野球などでも、日ごろ必死で頑張って努力した人が、たまたま不調で、大切なところでヒットがでなかったら、ボロクソいいます。どんな不調でも、どんなに体調がわるくても、活躍することを期待します。

合気道についてもそうです。世界平和を目指す武道であるから正々堂々でなければならないという人がいます。
・力自慢に対してはそれ以上の力で対抗する。
・スピードに自信のある人には、さらなるスピードで対抗する。
これで、相手を敬意を示せるのだろうか? 

合気道は世界平和を目指す武道です。それは相手の世界に敬意を示すから実現できると考えます。

でも、相手の得意なことを相手の得意なことをつぶすことは、結局相手の人格を全面否定をしているようなものです。もし、自分の得意なことをすべて否定されたらどんな気持ちをもつでしょう。少なくとも子供なら完全に自信を無くしてしまうでしょう。

真向から正々堂々と勝負するというのは、相手の得意な分野で、それをつぶすということです。正々堂々と勝いうのは、ある意味、できる人間が出来ない人間を否定することです。それは、相手を見下すことになります。それこそ傲慢と思うのです。

確かに、世のなかには何の努力をしなくても、飛んでもない素質を持った人がいます。そういった人に比べると、自分の中の最大の才能は芥子粒のようなちっぽけなものかもしれません。でも、それにかけた情熱は、時間はそんなこと全て無駄に思ってしまうかもしれませんが、人と比べる必要はないと合気道では考えます。

それにつぎ込んだ時間、経験が大切だということです。人生を賭けたその時間、あなたはどんな貴重な体験をしたでしょう。僕も何十年もかけて研究した成果を惜しげもなく、会員に教えるのは、その苦労した経験ができたことこそ自分にはよかったと思うからです。そして、この成果をさらに、合気道を愛する後続の人に研究してもらって、もっと完成させて次の世代に回してほしいと考えているからです。

例えば、数学を例にとると、数学を自分だけのものにして、誰にも教えないという習慣があったとしたら、今日ほど数学は発達しませんでした。学問は後続の人によってより発展してきました。数学を家元だの何のといって、発展させることもなく何千年も前のままで残しておいたらどうでしょう? きっと算術のままで終わっていたと思います。

話は戻りますが、合気道の理想は相手と一つになって、相手を導くことにあります。それは相手の得意なことに合わせるということで、相手に敬意を払いながら、自分の土俵で闘うということを意味します。要するに自分の得意なものの中に引き込むわけです。だから、力いっぱい持たれても、相手にとって心地よく、相手をコントロールできてしまうのです。

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