皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、最近は手をアンテナにするということをしきりに言っていますが、武道家で手をアンテナという人間も少ないと思います。
しかし、僕はイメージが大切と感じているため、適切なイメージを弟子たちに如何に提供できるか考ているのです。
今日はそのイメージにこだわる理由を話したいと思います。
僕の武器は言語化!
僕は、技に対する言語化が非常に巧いとよく言われます。
でも、僕はずっと昔から、そして現在でも、非常に口下手で、人を説得することがとても苦手です。
何故なら、僕は若いころ言語障害をしているので、今なお常に一つ一つの声を出すということに意識が行くために、中々上手に話すことができません。
そのため、相手を説得するなど、その場その場で臨機応変に内容を変えて話すなんて、とんでもない話です。
ですから弁舌さわやかに雄弁に話すということができません。
そこで僕は、その欠点を補うため、相手に伝えるイメージをどうするかを常々考えています。
そのイメージが非常に伝わりやすいため、言語化が巧いと言われています。
伝えるイメージが大切
多くの人が僕のことを言語化が巧いという理由は、伝えるイメージに対するこだわりがあるためだと思います。
人間は実は非常にイメージの影響を受けます。
与えるイメージで伝えようとすることが上手く伝わらないということを僕は良く経験します。
そのため、常に適切なイメージをどう相手に与えるかを考え続けているのです。
ちなみに、武道の技に関して、日本にはさまざまなセミナーがあります。
そこでの講師は非常に雄弁に納得できるように話します。
でも、家に帰ってみて初めて、結局その場で説得させられただけで、本質がわかっていなかったことがわかるという人もかなりいるのではないでしょうか?
それが言葉での説明の限界だと思います。
ですから、本質を伝えるには、イメージをしっかりしておく必要があると僕は考えているのです。
人によって、同じイメージを与えても間違ったイメージを持ってしまいます。
もっとも伝わるイメージをどう伝えるか、それが本当に難しいと思います。
それで、僕はより本質を表すイメージにこだわっているわけです。
ふたたび、手はアンテナという理由
合気道の師範で同様なことを言う人は、大抵、触覚とかセンサーと例えるのが多いのではないでしょうか?
アンテナなんていうのは僕ぐらいかもしれませんね。
全くどうでもいいようなことですが、僕の指導経験から、アンテナといった方がいいと考えています。その理由は
- 接触、非接触に関係なく相手の気(相手の動向や気配)を感じる
- アンテナは受信だけでなく、送信もできる
指導した経験から、手をセンサーと言ってしまうと、どうしても感覚重視になり、心が受動的になってしまう傾向がでます。
すると、相手を導く動作である相手に乗っていくということができない傾向がでます。
それでは技に切り換えるときタイミングが遅れるわけです。
そのため、僕は敢えてセンサーや触覚と言わず、送受信することができるアンテナと述べています。
以前は罠といっていましたが、罠になると、感覚に向かう意識が薄れ、能動的な動作に意識が行くので、少し受動的な要素のあるアンテナという言葉を使っているわけです。
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