皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、昨日は、合気道の形稽古において、絶対的な正解の形などないというお話しをしました。
『そう言われると、形稽古をどういう風にとらえてやればいいのか』という疑問が出てきたのではないでしょうか?
僕も当初はそうでしたが、技を覚えるためには、形稽古をしないといけないが、正解という形はないといわれると、非常に混乱してしまいました。
そこで、井口師範は
「曰く、要は、技の本質をららえることや」とおっしゃいました。
今回は、その点にフォーカスしてお話ししていきたいと思います。
技の本質
僕の師匠でもあった井口師範は
「投げ技や固め技は枝葉、本質を分かって稽古せなあかん」
とよく言われました。
例えば、片手取り一教という形があります。
片手取り一教は、受けの人に片手首をつかまれた状態から、取りの人が腕押さえ(一教)という技をかけるものですから、当然目的は一教をかけることです。
ところが井口師範は、一教自体を枝葉であり、本質ではないと言われました。
そして「本質は、その道中にある」といわれ、「大切なのは一教に導くこと」だと言われました。
井口師範が言われる本質は、一教や四方投げなどの投げ技や固め技といった目に見えるものではなく、その道中、要するにそこまで至るルートだったのです。
引き出しは多いほどよい
「形稽古の本質は道中にあり」ということがわかりましたが、では具体的にどういうことかが分からないと本質に合った稽古ができません。
例えば、山の頂上に登る場合を想定しますと、頂上に至る方法は何通りもあります。
そして山に詳しければ詳しいほど様々なルートを知っています。
一つのルートだけを覚え、そのルートだけを使って頂上に行くばかりなら、もしそのルートががけ崩れで無くなっていたら頂上に行けなくなるわけです。
武道では、そのような状況では死を意味します。ルートが無くなれば、それでおしまいです。
ですから、例えば片手取りの技を考えたとき、このやり方が正しく、他の方法は間違いと決めるのは非常に危険だということです。
片手取りに対する技、正面打ちに対する技、横面打ちに対する技、正面突きに対する技、……、いろいろな対処方法を覚えておく必要があるのです。
要するに、自分から引き出せる技は多いほどよいといえます。
結果に向かうルートは何通りもあるけれど、言えることはどのルートも結果に直結しているということです。
逆にいうと、結果に直結しないルートは本質ではないといえます。
確かに技を決める小技というのもありますが、まずは本質を求めるのが僕を含め合気道修行者にとって大切なことです。
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