火曜日の稽古に、中年女性の体験がありました。
この女性は、福祉関係の仕事をされていて、自制のきかない人からの暴力を受けた経験から、護身術が応用できるるのではということでこられました。
こういう場合の護身術は非常に難しいと思います。応用ができるかできないかというのは、その人の資質に関係があるので、一概に対処できるということが言えませんでした。そこで、素手の状態で暴れる人の対処方法ということだけに限定して、目の使い方、足の運び方を中心に指導させてもらいました。
合気道では、「相手の目を見るな」と指導されます。それをこの女性に指導したところ、「そんな怖いことはできません。相手がどのように攻撃してくるか、目を見て判断する必要があるからです」とおっしゃいました。それを聞いて、「相手の目を見ない」というより余計「相手を見ない」ことが大切だと思いました。
「相手は、フェイントもなしで見たところを殴ってくる」わけで、相手は目で情報を垂れ流しにしているのだから「相手の目を見るのが一番」と素人考えではなるのですが、実際に本能的に動いている相手と目をあわすのは危険極まりない行為なのです。何故なら目をあわすとことで必ずこちらの方についてくるのです。だからこそ、「絶対に相手を見ない」ことが対策となるのです。
これでは意味がわからないでしょう。「相手を見なければよけることもできない」とこれを読まれている人は考えているのではないでしょうか?
実は、「相手を見ない技術」の話のことなのです。正確な表現としては、「相手を見ながら見ない」ということです。「敵を心の中から消し、相手と和合する」と合気道では教えますが、これは教えであるだけでなく技術でもあるということを知っている方は合気道暦20年の人でも案外少ないようです。
合気道の教えは、実は技術と直結していることが多いのですが、教訓とか教えとかにしてしまう人が多いのです。ですから、「敵を心の中から消し、相手と和合する」というのには、純然たる技術も存在するのです。
そこで科学的な説明からいたしますと、「相手を見ない技術」というのは相手を視野にいれないということではありません。人間の視覚は、中心野と周辺野の2つがあることがしられています。中心野は物の認識につかわれ、周辺野は動く物体の認識に使われます。「相手を見ない」というのは、中心野で相手を認識しようとしないということです。
そして合気道の技術に、「中心野を捨てる」技法があるのです。この技術を使うと周辺野が活かされます。その結果、動体が非常に感知しやすくなり、相手の動きがミリ単位でわかるようになります。ということは相手の目の動きさえわかるようになります。
ちなみに、中心野で見た場合は、認識するという脳の活動が入っているため、判断が遅れます。一方、周辺野で見た場合、動きを感じるとすぐに反応が起こります。相手の攻撃をいち早く察知し、対処できるというわけです。これを体験を交えて、説明させていただきました。
また、この見方は、それだけではありません。次のような効果があります。
●「こちらの情報を遮断する」。
要するに相手は「こちらが何を考えているか」がわからなくなり、「どちらに移動するか」さえ判断ができません。
●「恐怖感情が抑えられる」
「脳に認識されない」ということは、恐怖の感情が起りにくいということになります。
面白いことに、初めは目をどうしても見ていたのですが、寸止めですが、本気で殴るつもりで攻撃すると、この方法を知ったこの女性は、恐怖心から自然とこの方法をとってしまうようになったのです。そして間合いの取り方を指導しましたところ、子供がするような、右左のでたらめなパンチをするような動作で攻めた場合、ほぼ確実に捌けるようになりました。
実際、この女性が現場で、即、適用できるかどうかは分かりませんが、何度か、そういう場面になると、恐怖から自然と対処するようになると思います。どうかこのやり方を習得して、職場でがんばって欲しいものです。
今晩は、初めてコメントさせていただきます。
Blogや動画を参考に勉強させて頂いております。
実は私もこの春から福祉の職場になり、全く同じような危険にさらされる可能性があります。
昨年、当職でも別な方が被害に合われ、顔を殴られてた話を聞いており、正直、実戦の時が近づいていると感じています。
更に言わせていただきますと、ノーマル合気道では対処が難しいと思いますので、こういった形でご指導を受けられる方々が羨ましくもあります。
無い物ねだりを言ってもしようがありません。
私も機会があれば直接ご指導頂きたく存じますので、その時は宜しくお願い致します。
コハントさんコメントありがとうございます。
>更に言わせていただきますと、ノーマル合気道では対処が難しいと思いますので、
>こういった形でご指導を受けられる方々が羨ましくもあります。
現在、個人指導でこられている合気道修行者の方も、十年来、今まで貯めてこられた疑問を、毎回私にぶつけてこられています。全国のどこの道場も同じだと思うのですが、「疑問は自ら悟るもので、分からないのは修行が足らない」ということで、中々答えを教えてくれないのが現状だとおもいます。
しかし、それでは一つのことを解決するのに何年もかかります。わからないことはいくら考えてもわかりません。何故なら、その感覚がないからです。ですから、私は、できるだけ生徒の方には感覚を感じていただき、井口師範からお教えいただいた技術を、お伝えしたいと考えています。
是非、機会を作ってお訪ねください。お待ちしております。