【我を出さないとは?】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は合気道で我を出さないというのはどういうことを言うのかについて述べたいと思います。

我の対義語は?

国語では「我」の対義語は「彼」だと教えられますが、合気道的にはそうではありません。

では、少し考えてみてください。合気道的には「我」の対義語はなんでしょうか?

師匠がまだ生きておられたとき、僕は師匠にときどき「技で我(が)を出してはダメだ」「自分勝手な技はいけない」と言われました。

師匠の指示に忠実にやろうとしていた僕にとっては厳しいお言葉に聞えました。

当初は何故そのようにいわれるかなかなかわかりませんでした。

ある時、師匠は「我(が)の反対語は何かわかるか?」と僕にお尋ねになりました。

僕が「他者ですか?」と答えると、「いいや、自然や」と言われました。

合気道では予め「ああしよう、こうしよう」と考えて技を出すことを「我を出す」といい、「我が強い」と指摘されます。

合気道では、自分も相手も自然に感じるように技を出す必要があるのです。

そして技が自然に感じるためには、力のぶつかりや対立があってはいけないということでした。

井口師範は「ぶつかりや対立は相手を敵に回すこと、周りと合わせられたら、自然と相手が自分の思うように動くもんや。それは、人だけでなく、宇宙全てがそうなってるさかい、自然が我の反対語や」 と言われたのでした。

合気道の前提は和合!

他の武道や格闘技の殆どは「相手に如何に挫くか?」を考え、それに基づいて戦略、戦術を練ります。

そのため、相手に気合負けしないようしっかり睨み、自分は隙を作らず、相手の隙を如何に作るかを考え、相手の弱点を狙おうとします。

この様に「相手をああしようこうしよう」と最初に考えて動くのは前提が「対立」にあるからです。

一方、合気道の前提は、相手を受け入れるところから入ります。

とは言っても、受け入れるのは、相手が急所に打撃を加えてもじっと我慢して殴られておくということではありませんし、短刀や刀で切ってきたら、切られてしまうということでもありません。

受け入れると言うのは、飽くまでも気のレベルで話です。

ですから、合気道といって「気に合わせる道」というわけです。

そして、 「我」と「自然」という対立を無くし、自然すなわち全宇宙と合気ができることこそ合気道の最大の目的であり、理想なのです。

これは技の段階(物理)から出発し、技から対立を無くすことで、心の対立をなくし、それを相手を人への適用から自分を取り囲む自然すべて、要するに宇宙への適用と拡大していくことを目指しているわけです。

だからこそ、武道から「世界平和」という発想が生まれるわけです。


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