皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、合気道は和合の武道と言われます。ですから合気道で和を重んじます。
今回は合気道の和と差の話を述べたいと思います。
和と差
和と差といえば、算数を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?
算数では和も差も計算としてはどちらも算数の基礎で非常に大切です。
ところが、合気道的な見方をすれば、和こそが合気道の至高の目的ということになります。
和というのは、早い話が足し算ですが、意味としては全てを一つにして合わせるということです。
一方、差は、違う点に注目してその違いを抽出することです。
要するに、和は無差別にすべてを受け入れ全体として見ることで、差は違いに注目して優劣を付け区別することを表すわします。
そうすると、和と差の違いは単にフォーカスの違いだということが分かります。
ですから、差は、自分と他者を区別するだけでなく、他者と他者も区別し、共に比べて優劣をつける訳です。
また、差は善悪も生みます。善悪というのは、絶対的なものではなくその時代のその環境によって異なります。
このようにフォーカスが差にあるとき、必ず対立が生まれるわけです。
一方、フォーカスが和にあれば、和は差別なくすべてを一つに受け入れることになります。
また、和というのは、全て平均するということではなく、個性のままそのまま受け入れるということを示しています。
例えば、宇宙は悪人だから宇宙から放り出すということはありません。宇宙を考えたとき、善も悪も存在するものすべてを受け入れます。
だから、宇宙的視点に立つ合気道では、技術の面でも対立せずに合わせを行うわけです。
本当に差は悪いか?
さらに、思考という点にフォーカスした場合、差というのは、違いにフォーカスする点から より違り細かい違いを 比べることにより、物事を分析するという意味がでてきます。
そういった意味からは、差というのは抽象度を下げるという意味では非常に大切な考えです。
特に、技が未熟な内は、より抽象度を下げて考える必要があると僕は考えています。ですから、抽象度という点からはより低くなり、逆に和は抽象度が髙くなります。
そのため、合気道を極めた達人では、「氣」という概念一つで、全て事足りるということになります。
ところが、レベルの低い僕たち凡人は、差から始める必要があるのです。
そのため、個々の技を分析し、その差を知り、より多くの差に接することで、技をドンドンと統合して抽象度を上げていく必要があります。
ですから、合気道でも、物理的技法も大切にし、その上で精神性を尊ぶわけで、武道として使えなければ意味がありません。
精神性だけをいうのなら、宗教を純粋に修業すればいいのです。
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