皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、今回も「相手の土俵で闘わない」に関連して、意識の持ち方について話したいと思います。
見てはいけない理由
人は、フォーカスした点を思考の中心と据えます。
人は、生まれてから物を認知できるようになると、それ以来ずっとあらゆる行為において、意識するものを視線の中心において生活しています。。
例えば、本を読むという行為でも、情報を取得している文字に視線の中心がおかれます。
絵を見るときも、大切なのはフォロースルーと言って、視線が進むルートです。良い絵は、視線を上手く導き、立体感のある絵なら奥行きを作り出したり、深みを出したりしています。
このように視線というのは常に思考の中心にある訳です。
例えば短刀取りを行うとき、短刀を視界の中心に据えると、意識は短刀に固定され、短刀に関連した情報を記憶から引き出され、それにより意識はさらに短刀に引き寄せられます。
このように、視線の向かうところ必ず思考が伴います。
ですから、片手取りの際に掴まれた手首を見て技を掛ける人がいますが、根本的に間違いです。
見ないとわからないという幻想
このように話をすると見ないと、見ないと分からないという意識が働くと思いますが、全く見ないわけではなく、視界の中心に入れないということです。
そのため、視野を広くして、視界の端に入れておくだけで、判断できるように日ごろから目を鍛えておく必要があります。
そして、意識の中心を相手を攻撃することにもってい行きます。
そこで、当て身という打撃技が必要になります。例え、当て身で相手に直接打撃を与えなくても、攻撃の意図を相手に出すことで、相手には非常に意識的な圧力がかかります。
私の師匠・井口師範は合気道開祖は形稽古においても当て身を用いるようにいつも言っておられたといいます。これが当て身の効用です。
当て身をすることで、意識は相手の攻撃箇所から離れるとともに、相手に圧力をかけるいう2つのメリットがあります。
要は当て身は心理作戦の一環なわけです。
そうすることで、技を掛ける意識は、相手との接点から離れます。意識が接点にあると、コチラのしようとすることを相手は簡単に察知できますが、意識が接点にないと、視覚から判断するしかないため、動作が遅れます。
相手の動作が遅れるということは、技がかけやすくなるということです。これが相手の土俵で闘わないということです。
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