師匠へ感謝

先日、合気道の高段者の方の指導を行いました。

その際に、この方に呼吸法に関連する技術を伝授しておりましたところ、
「前に、気をだすには、手を握っても出ると教えていただきましたが、私が会ったどの合気道の師範も、気を出すには掌を開かないとが出ない、握ってはいけないといっています。そう考えると、合気道歴50年以上の師範や高段者方々でも、皮膚の技術の一部しか使えていないのですね。それに比べると、ここではその上の技術を教えてもらえるのでとてもありがたいです。」と言ってくださいました。

そこまで言うのは、リップサービスが入っているのかもしれませんが、この高段者の方も、井口師範の第2の秘伝の皮膚の技術をまったくご存知ありませんでした。

当たり前のようにお弟子さんたちに伝えている秘伝も、井口師範に教わらなければ、この第2の秘伝の皮膚の技術だけでも、才能のある人ですら、半世紀もかけて研究して、その一部がようやく使えるかどうかだということなんだと、私はここに来て改めて納得しました。

才能がなく、片目が見えのない私が、ジークンドーなどのスパーリングでも、少林寺拳法や空手の高段者の人たちとそこそこ戦えるのは、全て井口師範から頂いた秘伝のお蔭です。今更ながら井口師範に感謝でいっぱいです。

ちなみに、皮膚の技術の初伝に関して言えば、体系化できている現在では、非常に才能のある人に伝えると、半時間もかからずにマスターしてしまいます。皮膚の技術の初伝といいますと、それを用いれば秘伝をしらない人相手に座り技呼吸法を行えば、体重差20kg以内であればほぼ100%転がすことができます。

私は、それを、理解するのにかなりの年月がかかりました。師匠は、野球でいえば長島茂雄さんのような感覚的な説明の人でしたので要領を掴むのに苦労したのも事実ですが、才能が無かったのが一番の原因と思います。それでも、あきらめず十年以上も見捨てずにご指導をいただいたお蔭で、井口師範の4つの秘伝をなんとか私は覚えさせていただけました。

合気道修行者の方は、ご存知と思いますが、道場内では、指導者は個人個人に合わせて秘伝を説明している余裕がありません。その点、私は非常にラッキーでした。帰り道が同じ方角というだけで、井口師範の送迎をしていたからです。お蔭で、井口師範を送迎している間、マンツーマンで様々な秘伝を教えていただける機会を得ることができました。

秘伝には、常識で考えていたら絶対に考え付かず、天才でなければ思いつかない発想があります。ですから、「皮膚の技術の一部しか使えていない」といわれている師範の方は、半世紀という途方もない時間をかけて研究し到達したのです。本当にすごい努力が必要だったと思います。その意味では、やはりその師範の方に敬意を払いたいと思います。

今更ながら、貴重な秘伝を教えていただいて、師匠である故井口師範に感謝の気持ちでいっぱいです。

拳で語りあう?

 4月より新しいお弟子さんができましたので、今回の土曜日の稽古は、初歩的な技術を中心に稽古を行いました。

 ところで、今日は、4月に入って急に来なくなったお弟子さんが、半月ぶりに稽古に参加しました。学業が忙しくて、これなくなったのかと思っていたら、生活全般に無気力となったと言っていました。
 確かに、技はかなり正確にこなすのですが、顔の表情が硬いまま稽古を最後まで終えました。

 稽古終了後、
「日本拳法をしていたときのようにまたスパーリングのようなことをしたい」
と彼がいったので、稽古は終わっていましたが、
「じゃあ、少しライトでスパーやるか?」 
といって、互いに防具を付けて、ライトスパーをすることにしました。

 スパーリングを始めた時点では、彼は、かなり表情が硬かったのですが、スパーリングをしている中で、徐々に闘志が出てきて、いい顔になってきました。それに伴い、かなり動きがよくなりました。後半は、合気道的な動きでないと、若い彼にはかなわないようになりました。

その際、「スパーリングで合気道の原理を使うとこうする」など説明をすると、数分のスパーリングでしたが、彼はどんどんと技に取り入れるようになりかなり上達しました。

 スパーリング終了後、「久しぶりに楽しかった」と表情が柔らかになり、顔つきもかなり精悍になってかえって行きました。

 一般に、“拳で語り合う”という表現をつかうことがありますが、力と力のぶつかり合う全力を出し切った喧嘩とは違った意味で、何か彼の心に伝わったようです。今後、彼にとってこのとことがいい方向に向かえばいいと願っています。

100キロ超級の大柄な体験者が来ました

先日、ボクシング経験者(歴1年半)が入会してくれましたが、それに引き続き、大学生のお弟子さんが、大柄な大学生を当会の体験につれて来てくれました。

この学生さんは、私より身長が高いので、多分180cm以上はあり、体重の方は100キロ超とのことです。また、中学生のころ柔道部に入っていたということですが、見るからに柔道の選手のようで、太っているというより、がっちりしたプロレスラーのような感じを与える体格ですので、たとえ2人組みのヤンキーでも、この人を恐喝しようなんて思わないと思います。

当然、力も強く、私が力だけで対抗しようとすれば、私の両手でも、彼の片手にかなわないぐらいでした。また、中学生のときとはいえ柔道部に所属をしていたので、基本的な投げ技は知っているので、護身術を習う必要もなさそうで、力の要らない護身術を標榜する当会に一番縁の遠いのではという感じの人でした。

日ごろ、お弟子さんたちに、腕の力を抜くように言っても、どうしても入ってしまうことが多々あります。それは、私は身長178cm、65キロなので、皆さんより大柄ですから、お弟子さんたちが口にしなくても、お弟子さんたちを倒しても、「当たり前すぎて、あまりインパクトがないからではないか?」と日ごろ感じていました。それで、今日は非常にいい機会に恵まれましたと内心うれしく思っていました。

先日に入会してくださった会員さんがいましたので、本来は、初心者優先の技術をすべきでしたが、滅多とない機会でしたので、この人を優先させていただきました。新しく入った会員さんには申し訳なく思いましたが、私より一回り以上大きい人を相手に、技が実際にかかるところを皆さんに見てもらえるよい機会でしたので、この会員さんにもいい刺激になると思いそうさせていただきました。

この学生さんは、私より35キロ以上は重いですから、体格的には、皆さんと私との体格差以上のものがあります。元柔道部ということで受身ができるので、この学生さんを相手に、片手を肩ふれて倒す技や、バットで攻撃してくるのを倒す技など、力を使わず倒せる実演を多数でき、皆さんに見ていただけ、井口師範の秘伝の正しさを確認いただけたと思います。

この学生さんは京都の大学生ですから、入会していただくことは出来ませんが、それでも、私は、日ごろ、「体格差は関係がない」と言っているので、それを皆に実際に見ていただけだけでも、本当によかったと思っております。

また、この学生さんも、「自分の知っている格闘技の中で一番すごいと思いました。本当に楽しかったです」と喜んで帰っていかれました。お世辞でもそういっていただけ本当にうれしく思いました。

合気道は相手を見てはいけない

合気道では、形稽古をします。そして形稽古で最も大切なポイントは、「相手を見ない」ということです。といいましても、本当に「相手を見ない」わけではありません。それは心構えでもありません。それはいうなれば秘伝の技術の一つです。

相手を見なければ技もかけられません。目を閉じて技をかけるというのは、相手を感じとることができた井口師範のような一部の達人レベルの人の話ですので、能力の問題であって、秘伝とはいえません。

一般的な武道では、相手の目をよく見ろと指導します。それは、相手が攻撃する際に、ほんの一瞬ですが攻撃箇所を見るためです。そして、強い人はこの時間が非常に短く、弱い人は長いという傾向があるようです。ですから、相手の動きを読もうと思えば、相手の目から一瞬でも目を離してはいけないというものです。

ところが、井口師範の指導は「相手の目を見るな」でした。
理由は、相手の目を見ると、相手にこちらの動きが悟られるだけでなく、相手の目を見て戦う武道では、相手が目をみることを逆利用したフェイントという技術が発達しているので、目を見ると相手の術中に嵌ってしまうということでした。

こういう説明だと、なるほどと思われるのですが、それと「相手を見ない」とどんな関係があるのだと思われるでしょう。それを説明するには、「気」という概念で説明する必要がありますので、少し「気」を交えて、説明をしていきます。

私が道場に通っていたころ、井口師範は「気を飛ばさずに攻撃をする(当て身をいれる)」ように指導しました。井口師範に時々「体と気の流れを一つにせなあかんのや。だから気だけ勝手に飛ばしたらあかんのや」といわれたのです。

これブログを読まれている方には、「気を飛ばす」では意味がわからないと思いますので、顎へのパンチの例で「気」がどう関係するかを説明します。ごく一般的な攻撃者の動作を時系列で表すと次のようになります。
①心が「顎へのパンチ」と考える
②攻撃者の目は相手の目から離れる
③攻撃者の目は相手の顎に向かう
④攻撃者の「気」がターゲットである顎に当たる
⑤体が溜めの動作を行う
⑥パンチがそのターゲットに向かって出る

パンチが相手に到着する際には、相手に隙があれば顎に命中するわけですが、相手は攻撃者の目をみていて、「気」の変化を目の動きで読んでいますと、②~④の段階で防御の準備ができます。そこで、相手の目を見ることを指導する武道では、如何に①~⑥の動作を短くすることと、相手の虚を作ってその隙に①~⑥を行うことを研究します。これは運動神経が発達している人ほど有利ということになります。

井口師範はこの目が目標に向かうときに出る「気」を「気を飛ばす」あるいは「気を伸ばす」と表現し、やってはいけないこととしましたが、一般的には、目を見たほうが相手の動向が分かり易いので、相手の目をみろと指導するのです。しかし、相手の目を見る場合、運動神経の良し悪しが、勝つ基準となるものですので、体格・運動神経の優位のものにはかなわないということになります。

以前、松濤館空手の達人・金澤弘和師範が、空手の試合で、まったく目を合わさない伏せ目で戦う格下の選手に苦戦したと書籍にかかれておられました。このことから考えても、目を見ないというのは、相手に動きをさとられない戦法として随分と有効なようです。

さらに、井口師範は「相手すら見るな」と指導しました。この表現は極端ですね。でも、ここまで読まれた方は気がついたと思いますが、「相手を見ない」というのは「相手に気を飛ばさず見なさい」ということなんです。

ですから、見方一つで、技が変るということです。井口師範は、「相手に気を飛ばすな」と指導するだけでなく、「一対一で稽古するときも、多人数でしているつもりでやりなさい」と言っていました。全体的にいきわたるように視野を広く、例え相手が一人であっても、一人だけに固定されることを否定されていました。形稽古、特に二人で稽古する場合に一番陥る悪いところなのです。このブログを読まれている方は、もう少し、相手の見方を研究されてはどうでしょうか。

最後に、合気道開祖・植芝盛平翁先生はおっしゃられています。
「相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまう。
相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。
相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。
真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。
だから私はこのまま立っとればいいんじゃ」

興味のある方は、当会にお越し下さい。

合気道の杖と皮膚感覚の技術

今年から、本格的に合気道の杖(ジョウ)の稽古を導入していますが、お弟子さんたちに指導している中でいろいろと発見がありました。

その中で、一番の発見は、皮膚感覚の技術を即座に理解のレベルまで伝えることができる方法です。本ブログで何度か触れていますが、皮膚感覚の技術については、何度説明しても理解していただくのがとても難しいのです。

皮膚感覚の技術の一つ下に皮膚の技術がありますが、皮膚の技術は、特に合気道経験者に指導すると、その場で理解してもらえることが多かったのですが、皮膚感覚の技術は何度稽古しても理解というところまで至らなかったのが現状でした。しかし、先日の稽古で、本当に理解してもらえたと確信できる言葉をお弟子さんたちから聞けました。

皮膚感覚の技術は、体験すると非常に不思議な感じがします。「力を受けずに倒されたが、どうして倒されたか分からない」という感じです。ですから、かけられると皮膚感覚の技術であることがわかりますが、自分がかける場合になると、どうしていいのか分からない。私の場合で数年の期間をかけてご指導を頂く必要がありました。

その理由は簡単です。「いつ、どこに、どのように」という目安がわからなかったのです。目安がわからなければ、自分では掛けられる感じがしません。できたとしても、そのとき限りで、たまたまできただけで、理由もわかりません。師範に「そう、その感覚」といわれましても、納得がいかなかったのです。

ところが、今回発見した杖を使った稽古方法だと、簡単にその不思議感覚が作れます。しかも、一度の稽古でその不思議感覚を作ることができ、その目安となる感覚も理解でき、さらに再現もできます。

この目安となる感覚というのは、本当に感覚的なことだけなので、文章に表すことができませんので、実際に受けていただくしかないのですが、それでも、画期的なことには違いありません。文章に表せないからこそ今まで、言葉による説明と演武ではお弟子さんに伝わらず、通いのお弟子さんでも、60%の成功率程度でとどまっていたように思います。

私の経験から、一度その感覚の目安がわかれば、後は感覚をしらない相手と稽古をしていても、徐々にその感覚を再現できるようになります。一方、この目安がわからなければ、何度稽古しても、掛かったり、掛からなかったりする訳で、その理由もわからないのです。ですから、この感覚を実感し理解させるというのは本当に大変なことだった訳です。

しかも、「感覚の稽古」は、井口師範のようなわかる人にマンツーマンで指導されないとできませんでした。たとえ、井口師範の技を受けてその経験をしていても、感覚が理解できないかぎり、その人同士でいくら稽古してもできません。これは、特別な才能がなく、将棋を知らない普通の二人が、将棋の本でルールだけを覚えて、かなり時間を費やして二人だけで練習を積んでも、プロ並みにはなれないのと同じです。

これらの技術に興味をお持ちの方は、ご連絡いただければと思います。

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合気道の秘伝と中国拳法

先日、中国拳法修行者の個人指導を行った際に、その方が
「合気道の秘伝を学ぶと、内家拳の動作の意味がどんどんと分かるようになってきます」
とおっしゃいました。

その人によると、中国拳法を伝授されたとき、あまり理論的な説明がなされていないため、十分に消化しきれないところがあったそうですが、「合気道の秘伝をやることで、別の角度で学ぶことができるので、その意味がすごく分かるようになってきた」そうです。

実は、かつて、内家拳の達人の方と対談したとき、
「井口師範の秘伝はかなり高度な私たちの技術と一致しています。正直、私たちの技術はもっと奥の深いものはまだまだありますが、井口師範の伝えた技術は、一部の方を除いては、一般に日本で行われている中国拳法の人たちにはまだ伝わっていない技術です。実は、私たちの会の先師が合気道開祖・植芝盛平翁先生とモンゴル遠征の際に接点があり、内家拳を伝えたということが私たちの方で伝え残っています。井口師範の残した秘伝には、翁先生がその際に受け取った技術をかなり完全な形で伝えていますので、井口先生は、翁先生の相当な信認を得ていたのが分かります。理論として残っているのは多分全国でも井口師範だけかもしれません」
と、言っていただいたことがあります。

この話を聞いたとき、井口師範から、非常に貴重な秘伝をお伝えいただいているのだと感謝するとともにとても驚いたのを今でも思い出します。

ここで、中国拳法を知らない人のために、少しふれておきますと、中国拳法を分類すると、外家拳と内家拳に分けられます。外家拳というのは、少林寺の僧が修業した拳法(総称して少林拳)をさします。一方、内家拳というのは、中国独自の宗教である道教由来の拳法で、太極拳、形意拳、八卦掌などがあり、特に気を使った内功(内面の気の力)を重視する拳法のことです。

ちなみに、私が指導している中国拳法修行者は、内家拳である太極拳と八卦掌をそれぞれ別の師匠から教わったそうです。

合気道と中国拳法はまったく関係がなさそうで、非常に近いものかもしれません。

以前、空手家の方が東京から学びに来られたときも、「空手に合気道の秘伝を活かせることができる」といわれましたが、空手は元々は中国拳法から来たものですので、大切なところは同じなのかもしれません。

合気道と杖(じょう)

今年になって、当会では合気道の杖(じょう)の扱い方を生徒さんたちに教え始めました。実は、合気道の杖は、皮膚感覚の技術を使って行う上、じかに肌にふれないため、皮膚感覚をより敏感にする必要があるので、皮膚感覚の技術をより高く引き上げる効果があるのです。

ところで、合気道を剣の理合で解釈する師範がたくさんおられます。とくに岩間の斉藤師範は、「開祖は武器法を重視していて、『合気道は剣の理合の体現している』とまでいわれた」といっておられます。

ところが、私は、剣をあまり稽古したことがありませんし、私の師匠である井口師範から、「剣をふるより杖(じょう)を振れ」と言われたからです。

実は、私は、ある合気道関連の本で、「合気道は剣の理合で動く」と書かれていたのを見て、師匠である井口師範に、木剣の素振りの仕方を教えて欲しいとお願いしたところ、
「剣よりも杖(じょう)やなあ。できたら鉄の棒使ったほうがええんやけど。翁先生もいつも鉄の杖を振っていた」
と、言われ、杖の扱い方を教えていただきました。

その際、井口師範がおっしゃいました。
「剣は刃を持っているから、斬るということに意識が行ってしまい、そこにこだわりができる。合気道は自然の理で動くからこだわりがあったらだめになる。剣をするなら、こだわりがなくなってからでないと合気道をするのには百害あっても一利もない。杖は刃がない分、自由であり、変化自在に扱うことができる。それから気の流れを意識することもできる。だから、剣など振らずに杖をふれ」

杖を学んでみて、初めて井口師範がいわれたことが納得できました。また、合気道の武道としての相手との一体感が、素手のときよりも実感できるように感じました。

ところで、一体感というと、合気道では、よく愛をとき、相手と一体になれと教えますが、これが非常に抽象的で、各師範の主張していることが、それぞれ違いがあり、よく分からないというのが実情ではないでしょうか。

ところが、自分の持つ杖が常に相手との境界線となり、確実に相手と自分を隔てています。自分は飽くまでも自分であり、相手は相手であるという認識のうちに、技になっていきますが、常に、相手とツナガリ感があり、相手を導くという感覚と相手との一体感があります。特に、対剣の稽古をやっていると、あたかも太極拳であらわす太極図(白黒のオタマジャクシが向かい合って円を作っているような図)のような感覚を感じます。

すると「相手に侵させず、相手を制す」というのが体で理解できます。この経験をすると、合気道の技に変化ができ、形にこだわらず、相手を倒すという動きになってきます。ですから、合気道を行う人はできるかぎり杖を稽古されることをお勧めします。

このように説明すると非常に難しいように思われますが、師匠が教えてくださった杖術は、非常に単純な技法ばかりです。
一人稽古用には、杖の回し方、突き方、振り方など数種類、二人で行うものとして、合気道でよく見かける投げ技、相手の捕らえ方など数種類しかありません。しかし、師匠はそれだけで十分と言っておられました。ただ、秘伝があり、これがないと多分、いくら稽古をしても役には立たないと思います。

一部の合気道家が神道夢想流の杖術を学んでいると聞きますが、合気道の杖術だけで十分だと私は考えています。

私がこう言うと、神道夢想流のことを知らないくせにと思われるかもしれません。過去に、「井口師範は杖術をちゃんとどこからも習っていないのだから、いい加減なものだ」と私に言われた師範もいらっしゃいました。

(その師範のおっしゃるとおりでした。井口師範は翁先生に合気道として杖を学ばれましたので、確かに他のどこからも学んでおられませんので、流派としての杖術はご存知なかったと思います)

私は、本などで、神道夢想流の杖術の使い方を見ましたが、私が井口師範から学んだものとまったく違う気がしましたし、実は、私は神道夢想流の杖術の一日講習会に参加をした経験もあります。たった一日ですが、そこで学んだ杖の技術は、合気道で教える杖術とはまったく異質であると思いました。その上、一日講習会に参加した際、故意ではなく、誤って合気道の杖の使い方をしてしまい、先生の一人を投げ倒してしまったという経験もしました。

断っておきますが、合気道の杖の使い方の方が、神道夢想流より優れているといっているのではありません。神道夢想流と合気道では杖術でも、理合が違うということを言いたいのです。そこで、誤解を避けるために当時のことを少し話しておきたいと思います。

稽古も終盤に近づいてきたころ、先生の一人が、私に
「おお、大分、うまなったな。ホンなら、どこからでも好きに掛かってきなさい」
とおっしゃいました。
私は非常に困りました。好きなようにといわれても、神道夢想流の杖の使い方は不慣れで上手くできそうになかったし、剣道すらやったことが無かったからです。
先生は、
「何、ボーっとしてるんや! 早くしなさい。考えていても上手くなれへん!」
とおっしゃりました。

そこで、何度か、そのとき習った方法で攻めていこうとしましたが、簡単にあしらわれてしまいました。
先生は、簡単に捌けると自信を持ったのか、
「何やっとる、もっと、気合を入れて! もっと本気でかかってこい」
とあおってきました。

私は、そう煽られても、どうしていいか分からず、ふと思わず相手の杖に合わせを入れ、相手の中に入身をしてしまいました。反射的に出たのです。その反動で、相手をしてくださった先生は反り返り、そのまま倒しれてしまいました。こんな公衆の面前で、偉そうに言っていた先生を、あまりにもあっけなく倒してしまった私は、相手のプライドなど考えると、どうしていいのかわからず、
「えっ、えっ、あれ? えっ、何で?」
と言っていたように思います。

相手をしてくださった先生は
「あー、ビックリした」
と連発されていましたが、もう私の相手をせずに、他の人のところに行ってしまいました。

このことからも言えることは、
①その先生は、こちらがまったくの素人と思い、なめて掛かっていたこと
②その先生にとって今までに経験したことのない技術によって、異質の戦い方をされたこと
で、この先生は、対処できなかったのだと思います。

話しは元にもどしますが、合気道の指導者の方で、合気道の杖では不十分と、神道夢想流をされる人が割といらっしゃると聞きます。私は、他の武道を参考にするのはいいが、合気道の杖は飽くまでも合気道であり、他とは異なりますので、合気道の修行者は合気道の杖の使い方を稽古するのが一番いいと考えています。合気道の杖の使い方では、素手で行う合気道の形にも十分応用ができるという点で、皆さんももっと合気道の杖に自信をもって欲しいと思います。

ただ、合気道の杖の扱い方が一部では省略され、高段者になっても知らないという人も増えていると聞きます。もし興味おありの方がいらっしゃったら是非こちらに来てくださればと思います。

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合気道で技術を教える難しさ

最近、合気道の技術を教える難しさを感じています。自分ではかなり理論を整備して、教えているつもりなのですが、微妙な感覚を伝えるのは難しいように感じます。今回の内容は非会員の方にはあまり分からないと思いますが、そんな技術もあるのか程度でお読みいただければと思っています。

ところで、中国拳法の修行者の人に「合気道を修行者が、ある程度二人で行う通常の形が分かってくると、それを一人で行えるエア合気道ができるようになります。」と、昨年話したところ、「一人で稽古できる形を作ってほしい」といわれ、、皮膚の技術を使った形を制定しました。

ところが、この形を皮膚感覚の技術をメインで稽古する段階になった人にさせると、非常に難しようです。

そこで、私自身で、皮膚の技術を意識して演武したあと、皮膚感覚の技術を意識して形を演武してみますと、手の動きがまるで違う!

どう違うかというと、正面打ちの技を、皮膚の技術で行うと、手の軌跡は、丹田当たりにあるところから、真っ直ぐ額の前の正面に行き、そこで手首の裏が相手側に返りますが、皮膚感覚の技術で行うと、右正面打ちを捌く場合を考えますと、下にあった右手は、一旦、親指が相手側を向いて自分の左顔面をガードする位置を通って掌が返りながら正面にでます。

なぜそうなるかというと、皮膚の技術は直接相手に呼吸力を伝え、皮膚感覚の技術は間接的に呼吸力を伝えるから、皮膚感覚の技術では螺旋の動きが入るためです。

では、どちらか一方の技術に統一した方がわかりやすいのではということになりますが、初心者の人にはいきなり皮膚感覚の技術は難しく、皮膚の技術から皮膚感覚の技術に持っていくのが最適と思われます。

また、護身を考えた場合、修行者の技術が多いに越したことはありません。それに、皮膚の技術も皮膚感覚の技術も非常に大切なベーシックな技術であり、骨の技術の上位技法で、次の空間感覚の技術の基礎となる技術ですので、どちらも重要です。ですから修行者にはどちらも習得していただく必要があります。

ただ、現状を見てみると、学んだ人たちが混乱しているという状況のようです。そこで、今後はこの違いを教えていく工夫が必要だと感じました。

これを読んでいる会員の方も、皮膚の技術と皮膚感覚の技術と違いに十分気をつけて学んでください。

骨格をずらしてバランスを奪う

明けましておめでとうございます。
皆様、本年もよろしくお願いいたします。

さて、前にも書きましたが、私の合気道の師匠である井口師範が言ったことですが、合気道の修行者の方がよく陥る思い込みは、初心者はもちろん師範や高段者の人も含めて「形を絶対視する」ということです。「形の絶対視」というのは、「形」が完全にできればどんな相手でも対処できるという思い込みです。

合気道の達人・井口雅博師範は、「合気道の技は一期一会。一つとして同じ形はない」といいました。でも、「合気道の投げ技は枝葉。幹さえ分かれば、皆一緒」ともいわれました。これは、「原理は共通」ということを言っているのです。

そして、その「原理」の一つとして、今回ご紹介する「骨格をずらす」という技術があり、当会の分類では反射の技術にあたるものです。これについて、多くの合気道家は、単に「バランスを奪う」というだけであまり触れていないのが普通じゃないでしょうか。今回は映像を撮り、その原理を説明しています。そのポイントは3つです。
① 受けの肩関節をずらす
② 受けの肘の位置を受けの中心軸の後ろに持ってくる。
③ ①②の状態で相手を下方に導く

これだけで、技は随分と効き易くなります。

さらに、秘訣としては、相手にさとられないように、肩関節をずらしたり、肘を軸の後ろにもってくるために、「骨の技術」を使います。映像では「陽」の技術(興味ある人は小説の後半部を読んでください)を使っています。特に重要なのが「相手に自分の意図」を読まれないことで、陽の技術や陰の技術を使うと、読まれにくくなります。これに成功すれば、受けの人にしきりに不思議がらせることができます。

          * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

この「骨格をずらす」ことに関連してですが、以前、Youtubeに「隅落としの原理」の動画をアップしましたが、まだ「隅落とし」が分からなかった人は、上記の点に注意してもう一度見ていただければと思います。

というのは、この動画が、私がアップした動画でもっとも良く見られていて、他の動画の2倍から3倍見られています。このことは、「隅落とし」に対して、多くの合気道修行者が悩んでいる技であるということを示しています。確かに「隅落とし」の原理がわかれば、「天地投げ」も同じだとわかります。

この「隅落とし」の動画は、当会の生徒が見るように作ったものなので、一部のポイントは省いていますので、この動画で説明している通りに動いたつもりでも、多分上手く掛からなかった人が多いのではないかと思いますが、「骨格をずらす」点に注意してもう一度見てください。少し技が理解でき、技が人に掛かるようになった合気道修行者が増えたのではないでしょうか。

なお、完全に逆らう相手にはどうしても「合わせ」を入れてから、「陽の技法」を使わないとかかりませんが、これだけでも、合気道の修行者に十分役に立つのではないかと思います。「合わせ」に関しては、言葉では中々説明がつかない技術です。映像では、皮膚感覚の合わせを行っております。興味のある方は、体験は無料ですので、当会に体験にきていただければと思います。

バランス(重心)を奪う

合気道の投げにおいて、「相手のバランス(重心)を奪う」ことが大切だということは、初心者も含め殆どの合気道修行者が分かっていることです。

ところが、その「相手のバランス(重心)を奪う加減」が問題で、さらにその加減に応じて「どのように奪うか」というと、答えられる修行者は随分と少なくなるのではないでしょうか。

ちなみに、井口師範は、私が「相手のバランスを崩す」と言ったとき、「バランス(重心)を奪う」と言い直されたことがあります。「バランスを崩すというのは、強引に力づくでできるが、バランスを奪うのは微妙なさじ加減が必要」とのことでした。

まあ言葉のニュアンスはここではさほど重要ではありませんが、「微妙なさじ加減」というのはどういうことかと聞きましたところ、「相手に悟られず、安定している状態からぎりぎりバランスが取れている状態にもって行く」のだそうです。

人間は、非常に精妙にバランスを取ることによって、安定して立っています。そして相手に押されたりすると、すぐさまその力に応じて、人はバランスを取ることができます。ですから、無理に相手のバランスを崩そうとしても中々崩れないというのが現状です。

ところが、井口師範の言うように「相手に悟られず」即ち「自覚できないバランスの変化」を起こさせるとどうでしょうか? 自覚できないのであれば、当然ぎりぎりのところまでもっていくのは非常に簡単です。

当会にも、「自覚させずバランスを奪う」方法が、井口師範から伝えられています。それらは、「気」を用いた摩訶不思議な技術ではありません。甚だ科学的な方法です。一つは力学的な方法、二つ目に生理学的な方法、三つ目に心理学的な方法です。

①力学的な方法とは、運動エネルギーを作り、その運動エネルギーを相手に悟られず伝える方法です。
②生理学的な方法は、人の反射を使ったり、生理学的に相手の力が入らない状況を作ったりする方法です。
③心理学的な方法とは、ちょっとした錯覚を相手に与えることによって、心理的にバランスを奪う方法です。

このように書くと、まったくピンとこないと思いますが、これらの技術は実際に手を合わせて、教授しないと中々分からないものですので、もし興味お持ちの人は是非見学においで下さい。

次回は、バランスを奪う理論を映像を交えてご紹介したいと思いますのでお楽しみにしておいてください。

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