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健康護身術を指導している橋本実です。

【人はまるでパソコン】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、僕は今NLPという心理学の分野を勉強していますが、これが非常に武道に役立つと考えています。

そこで、今回は、NLP的にみて、人の行動について述べてみたいと思います。


人の行動は一種のプログラム

コンピュータというのは、もともと人の思考パターンを模倣して作られたものだと聞いたことがあります。

それで、コンピュータは、ある一つの入力に対して、一つの決まった出力が得られる関数を実行する機械ということもできます。

これは、コンピュータだけでなく、人についてもいえることで、一つの入力に対して、一つの決まった出力パターンを持っています。

例えば、モノをつかむという単純な動作でも、まず、目でみて距離感を測り、最短コースでそのものの上に手を進ませ、そしてつかむという行為を順序良くこなさしています。

このようにパターン化された動きだと、見た目も非常に自然で、力の入れ具合も、適切な時に適切な筋力を用いて、最小限度のエネルギーで動きます。

そのパターンを利用すると人をコントロールすることができます。


パターンを見ると対処法はいくらでもある

では、武道でのパターンを見ていくことにしましょう。

武道のパターンを大まかに分けると、打撃系と組技系に分かれます。

目標をロックオンして、攻撃を発射し、当てるというのが 打撃系の典型的なパターンではないでしょうか。

一方、組技系は、相手を捕えてから、技にかけるというのが基本スタンスですから、まずは、どこを捕らえるを決め、目標をロックオンして、目標に手を伸ばし、目標をつかまえ、技への推移となります。

共に共通しているのは、ロックオンする点と目標に向けて攻撃(打撃か捕縛)を実行するところまでです。

ここまでの動作なら、共通した対処ができそうですが、それ以降になる違った対処になるのが分かると思います。

そういった点を考えると、合気道は非常に合理的に稽古できるようになっていると言えでしょう。そのため、打撃攻撃と組技攻撃に対する形があるのです。

このことから、合気道のそれぞれの形でも、どのタイミングにフォーカスするかで、技の掛け方も違ってくるというのが分かると思います。

ですから、合気道の技は一期一会と、井口師範がいったのです。要するに、一つの形でもやり方は何通りもあるということです。


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【距離ゼロからの打撃】

皆さんお元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

今回は本日の一般稽古でのお話しです。


接触打撃法

本日、当会の一般稽古を行いましたが、個人的な都合で30分早めに始めさせてもらったのです。

YさんとIさんは、私が道場に到着するともうすでに来ていました。

そして道場のカギを開けると、Iさんがいきなりパンチの稽古をし始めたのですが、Iさんは打撃系の武道が好きで、キックボクシングや空手をやっていて、それから空手で足を痛めてから、当会にこられました。

彼が打撃の稽古をしているのがいつも楽しそうなのです。今回も打撃の稽古をしているとやっぱり楽しそうにしているので、つい「距離ゼロからの打撃に興味ない?」と聞いてしまったのです。

基本的には僕は、フルコンタクト空手も経験しているのですが、あまり人を殴るという発想が性に合わない部分もあるので、必要な技術以外はあまり出さなかったのですが、つい言ってしまいました。

それで結局、始めの挨拶もそっちのけで、接触した状態からの当て身(パンチ)の出し方を説明することになりました。


基本は体当たり

一般的な常識では、接触している状態だと、衝撃を伝えるのは無理と考えられます。

少なくとも、わずかな隙間があれば、その隙間でパンチを加速し衝撃を相手に与えられますが、接触した状態で、衝撃が相手に及ぶはずがないと思うでしょう。

ところが、この方法はその常識を覆したやり方です。

ではいきなりどうしてそんな衝撃が生まれるのかというと、自分の体の中で衝撃を作り出しているからです。

合気道は基本的に、「相手との接点は相手に与えよ」という考え方があります。

ですから、相手との接触点に衝撃を与えるという発想ではななく、腕すら相手のものとして相手に与えてしまうわけです。

そして、肩関節からが自分として、肩関節の移動量を利用して自分の腕に体当たりをするようします。

例えるなら、狭いところに釘を打つのに、釘のあるところに金属棒を立てて、その金属棒の端を金づちで叩くと、衝撃が釘に伝わり、釘が沈みます。

これと原理は同じなのです。理屈はそうなのですが、この打撃法はポジションの取り方などをかなり厳密に行わないといけないので、実地で指導する必要があります。

この指導を行ってから、Iさんにミット打ちを3度やってもらったら、その内の一つがミットを突き抜けて、僕の肘に入り、かなりダメージを受けてました。決してミットを通さず受けたくないと思ったパンチでした。


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【相対速度と結び】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、前回では相手との関係させ相対速度をゼロにすると理屈上は止まっているのと同じということでしたが、実際面において後退すると、確実に相手に押し切られてしまうということでした。

今回その点をもう少し詳しく話し、そのためにどうするかを話していきたいと思います。


理論的にはゼロなのに何故負けるか?

相手が前に出てくれば、こちらが後退すると、理論的には相手との関係性はゼロ、要するに相対速度がゼロになるはずであるが、実際に戦ってみると、後退すると相手にやられてしまいます。

これは井口師範は気が後方に向かうからと説明されていました。気の感覚で説明すればそれだけなのですが、そこにはちゃんと科学的根拠もあります。

この理由の科学的根拠は、相手と相対速度がゼロになっても、地面との相対速度は後方に増しているため、足の運動が後方に向かって動いているという事実があるからです。

足が後方に向かうと、運動エネルギーを持っているため、静止状態に比べ、急きょ方向転換をすることが困難になるために、結局自分の足の不自由に動かしているのと同じなのです。

ですから動いている電車の中での相手との静止状態から闘い始めるのとはわけがちがうのです。

人間は後方に動くというのは、日ごろの動作で非常に少ないということの経験不足と後ろに目がないという点から、前に方向に動くのにくらべて、かなり動きが制限されるわけです。


心理的な相対速度

それでは、合気道ではどうするかという問題になりますが、合気道では、心理的な相手との距離感を利用することになります。

要するに、後方に下がるのではなく、相手が相対速度ゼロに感じる動きをするわけです。

具体的には、円運動を想定して、自分が円の中心で相手が円の外側を移動するような動きを取ることで、相手との相対速度がゼロに感じるように動きます。

そのため、相手の前進運動に対して、こちらが後退運動をするという最悪の事態を防ぎます。

ですから、合気道では「引かば、押せ。押せば、回れ」と教えるのがその理由です。

しかし、これは初心の考えで、上級者になると相手の動作に対してどうするかではなく、気に対してどうするかを考えます。そのため、相手の気をコントロールするにはどう動くかという発想をもって動くことになります。


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【結びと合わせ】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、前回は結びということについてお話ししました。

武道の目的は、元々は襲ってくる敵を撃退することにありました。一方、合気道の前提は相手を受け入れることにあり、合気道は、武道であるため、ここに大きな矛盾があり、全国の合気道の道場ではその矛盾に対してさまざまな考えがあるという話が前回の話でした。

今回は、僕の師匠の井口師範のこの矛盾点の解決をどう解消したかという点についてお話しします。


合気道は自然でなければならない

井口師範は「曰く、合気道は自然でなければならない」と言われました。

井口師範の言われる自然とは調和のとれたことです。そのため、「ああしよう、こうしようと思ってはいけない」とおっしゃいました。

それは、対立だからです。誰にとっても、世界は自分(小宇宙)と自分以外の外の世界(大宇宙)という2つで成り立っています。

そうした視点で見たとき、極論を言うと、人がとるべき行動は3つあります。一つは支配、もう一つは服従、さらにもう一つは調和です。

支配というのは、外の世界を自分の意思で何が何でも動かそうとすることで、服従は外の世界から起こってくることを自分の意思を持たずただ受け入れること、調和は自分の意思をしっかりともちつつも外の世界の変化の流れに乗って柔軟に対応しながら世界とともに変化することです。

そして、井口師範は、調和に武道のあり方を見出し、そこから、相手を受け入れ、自分を中心として相手と共に動くことを合気道の極意としました。

そこで、相手と繋がり受け入れる「結び」という意識を重視しています。


結びを技術にしたのが合わせ

では、具体的に「結び」を行うにはどうしたらいいかという問題があります。

「結び」というのは、いわば意識です。相手と結びを作ろうと思っても、実際にどうやったらいいのか分からないのではないでしょうか?

その方法というのが、合気道では「合わせ」と呼んでいるものです。

先ず、合わせを行うポイントは次の通りです

  • 対立しない
  • 服従しない
  • 調和する

まず、一つ目の対立しないというのは、心に対立が出来た時点で、概ね相手はこちらの意思が読めるようになります。ですから、相手を無理やり右に倒そうとすると、すぐさま相手は自分の意図を読んで右に倒れまいとします。

ですから、心に相手との対立を起こすことは合気道では最もやってはいけないことです。

次に、服従しないというのは、相手になすがままにされるということです。このような状態だと技を出すことなどできません。

よく「赤子のように、力をダランダランに抜きなさい」という人がいますが、このような腑抜けた状態であれば技は掛けることはできません。

元合気会の師範部長であった気の研究会の故・藤平光一師範の「力を抜きなさい」という意味を間違えて捉えた礼です。

最後に調和すると一言でいっても、どう調和していいのか分からないといわれそうですが、相手が静止状態だと静止した状態でまず相手と一体になることを考え、相手が動いている状態だと相手の動きに合わせて一体になることを考えます。

物理の世界では相対速度という言葉がありますが、相対速度とは、相手との関係性で、相手と自分の間の速度ということで、相手が動いていても、自分が同じように動いていると静止と変わらないということです。

例えば、電車の中を考えると、走っている電車は、外から見ると自分も相手も同じように走っているわけですが、自分達からすると電車の中は止まっています。

ところが、武道の場合、後退すると気が退くので、相手に追い込まれて、結局は相手にやられてしまいますので、実際は理屈通りいかない問題点があります。

そこで、次回はこの問題点を武道ではどう解決するかを話したと思います。


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【結び】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は合気道で「結び」という言葉がよく出てくると思いますが、これについて話したいと思います。


合気道の前提と目的の矛盾

以前にも、お話ししましたが、合気道は相手との対立ではなく、相手の受け入れが前提になっている武道です。

ところが、武道というのは、相手を退けることを目的としているため、合気道のこの前提と目的が矛盾するのです。

そこで、全国の合気道の道場では、形稽古に対する様々な捉え方が存在しています。

例えば、「合気道は和合の精神を体現した武道であるから、形稽古においては、取り(技の掛け手)と受け(技の受け手)がお互いに協力し合って、美しい形を演武するのが大切」という前提だけを重視した考えです。

逆に、「合気道は武道であるから、攻撃してくる相手を退け、攻撃不能にしないといけない」という目的だけを重視した考えもあります。

このように、合気道では、前提のみを重視するか、目的のみを重視するかというように、極端に2つに分かれる矛盾を持っています。

この矛盾の解決が結び!

そもそも、存在という点から、人は自分と他人という点で、既に対立した状態です。

他人は自分が頭の中で考えた通りに動くわけではありませんので、自分の脳で相手をコントロールすることはできません。

ところが、相手の特性を知っていて、それを利用するなら、割合簡単に人はコントロールできます。

そして、自分と他人を隔てる壁を破る技術が、合気道では「結び」と呼ばれる技術なのです。

ですから、相手に協力してもらうのではなく、相手が協力してくれるように持っていくのが、井口師範が教えた合気道でした。

結びの技術というのは、まず自分の感覚を開いて、相手を受け入れ、そして相手との接点を相手に譲って、相手が動く方に導くというものです。

読者の方の中には、言葉でいうのは簡単だが、実際にできるのか?という疑問を持った方がいるかもしれませんが、それができるのです。

次回はその原理について、お話しします。


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【護身は予防だけで大丈夫?】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

僕が自団体を勝手に立ち上げて、合気道を指導していることに関して、今日は話したいと思います。


あなたネコ科、それともイヌ科?

NLPでは、人間を4つのカテゴリーで分類することがあります。

基本的には、犬タイプか猫タイプかということで2つに分け、犬タイプも猫タイプも保守的か革新的かということで2つに分けます。

犬タイプというのは、人と交わるのが好きなタイプで、猫タイプというのは一人で行動するのが好きなタイプということです。

僕の場合は、猫タイプで新しい事したり、考えたり、あれこれするのが好きなタイプです。

何故こういう話になるかというと、全国でも合気道の道場は多いですが、僕のように勝手に自分の団体を立ち上げて、勝手に合気道を教えているといろいろと批判があります。

その批判というのは「精神性」という非常に抽象的な批判なのですが、そもそも「合気道精神」ができていないと批判される訳です。

批判主にすると、団体を離れて、団体の方針に従ってするのが和合の精神だということです。

そこでは「わからない」から「他で教わる」というのは悪で、裏切り行為だそうです。

そのため、僕のところに個人指導を依頼する人の多くが内密に来られます。

これは合気道に限ったものではありません。日本の文化の悪い側面で、一度所属した団体であれば、上が少々間違っていてもそれに従うという、閉じた村的な考えが日本人の心のどこかにあるためでしょう。

だから、僕のようなはみ出し者は悪なので、批判する人は僕を許せないのです。


精神性という抽象論

僕はそもそも武道を始めたのは、誰も助けてはくれない理不尽な暴力に屈辱的になる経験を通して、あんな目には遭いたくないという強い感情が柄にもない武道の方に向かわせたのです。

だから、僕の頭の中には、『護身をどうするか?』という考えが常にあります。

そして井口師範の遺された合気道にはそれがあり、僕が見学にいった他の道場にはそれがなかっただけなのです。

以前に、ある合気道の道場の師範が、僕の護身に関するこだわりを聞いて次のように言いました

「あなたの考えは攻撃的過ぎる。そういう低い精神をしているから、そんな攻撃的な考えになるのです。それなら空手のような低俗な武道をやればよい。護身は予防が一番です。予防に勝る護身はありません」

別に僕は空手を低俗な武道とも思いませんし、空手をやったことがあるので、それはそれで素晴らしいものだと思いますが、ただ、僕が経験した中では井口師範の合気道の方が護身にあっていると思っています。

それから、予防ということも少しひっかかりました。というのは予防だけで防げたら、公の場で理不尽な暴力に遭うことはなかったし、全国の多くの通り魔事件が予防で防げたら被害者はでていないと思います。

ところで、消防署では火災時の避難訓練というのを推奨します。予防で、全ての火事による災害が防げると考えていないからです。

そして、僕もその考えに非常に賛成しています。予防も大切ですが、万が一のために避難訓練も大切と考えます。

ですから、僕は「最悪の事態も考慮して、避難訓練はしておくべき」という考えなのです。


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【合気道の遠当て】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今日は合気道の打撃技の遠当てについて話したいと思います。


初めて見た遠当て

たまたま居合わせた四国のお寺で、修験道者(山伏)が里のお寺に下りてきて、外護摩をやっていました。

護摩というのは、インドから伝わった火を使った儀式のことで、日本には、真言宗と天台宗の密教系仏教から伝わっていますが、 日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた修験道では、屋外で焚き上げる外護摩を行います。

この外護摩を焚いた後、行者(山伏)のリーダー格の人が、見学者に「これから不動金縛りの術を施そう。誰か希望者はいないか」と問い、希望者を前にだす。

行者は、手印(右手と左手の指を独自の形で合わせて意味のある形にしたもの) を組んで 、真言(魔術の呪文にあたるもの)を唱え、気合い一閃「エーイ」と発すると、あら不思議、その希望者が金縛りになり、「さあ、動いて」といわれても、足一歩踏み出せなくなっていました。

僕はこれをみて、何と凄い力をもった行者なんだろうと感心しました。

また、そのとき聞いた話ですが、ある行者は空中に飛んでいる鳥に金縛りをかけ、撃ち落とすことができると言っていました。

さらには、様々な武道かが自分の弟子に、遠当てを仕掛けて、倒したり、投げ飛ばしたり、気絶させたりするという話も聞きます。

中国では百歩神拳といって、百歩はなれたところから相手を殺すことができるというものもあるそうです。


井口師範の遠当て

ところで合気道では遠当てとはどんなものでしょうか?

僕は井口師範に師事し、当て身という合気道独自の打撃法を教わりました。

そんな中、あるとき、「当て身は、相手を破壊するものではない。相手の気にあてるものや」と井口師範はおっしゃいました。

ところが、実は井口師範から、当て身で相手のあばら骨を折るやり方とか教えてもらっていたので、「あれっ」と思ってしまいました。

僕はてっきり当て身は相手に打撃を与えて、相手にダメージを負わせ、合気道の投げ技は片目技を掛けやすくするためのものと思っていたからです。

それで、不思議そうな僕を見て、井口師範は、「曰く、じゃあ、そこから、僕に攻撃を仕掛けてきなさい」と言われました。

そこで、僕は、横面打ちで井口師範に攻撃をしようと思って、足を出そうとした瞬間、

「イエーイ」と、気合いをかけられたと思ったら、体が一瞬固まり、気が付いたら井口師範の拳が僕の脇腹にありました。

「これが当て身の意味や」とおっしゃいました。

僕は、井口師範の声に驚いて、動きが止まったのかと思ったのですが、「この当て身は、声を出さなくても効く」とおっしゃい、もう一度やってみることにしたのです。

すると、結果は同じことになりました。

「何も不思議やない。相手の気が読めたら、誰でもできることや。要はタイミングだけや」とおっしゃったのです。

これを説明するとこういうことです。人が前に出ようとする瞬間、兆として気がでます。その気にアプローチすると、相手の動きが一瞬止まるのです。ですから、「タイミングだけや」と言われたわけです。

このように僕が学んだものは、相手を投げたり、気絶させたり、など害するような遠当てではなく、相手の動きを一瞬封じるもので、しかも心理学的、科学的根拠があり、タイミングさえ読めれば誰でもできるものとして存在しています。

ですから、井口師範がそれ以上の遠当てができたかどうかは僕にはわかりませんが、僕が経験したものはそういうものです。


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【共通パターンを利用する】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、最近はこのブログではNLP心理学と合気道を対応させて話を書いていますが、今回もその続きです。


NLPの「言葉」と合気道の「意図」

さて、NLP心理学では、僕たちは常に経験を五感から獲得した感覚を通じて言葉(言語、非言語がある)によって、パターン化して記憶にとどめて、それを使って反応しているとしています。

合気道では、NLPでよぶ言語というのを意図といいます。

合気道では、人が行動するには必ず意図、目的があるとします。

例えば、正面打ちという打撃なら、相手の眉間を手刀で殴りつける、要は眉間をかち割るという目的というか意図があるわけです。

このように考えると、私たちが合気道の技の稽古で、技を覚えるのは、ある意図にしたがって、どう体を反応させるかをパターン化して覚えるという作業をやっていると言えます。

このように人というのは、ある入力(意図)に対してパターン化した反応を起こすブラックボックスのようなものと捉えることができます。


共通パターンをコントロール

人間の身体で実現できるパターンというのは、日常行う動作からも分かるように限りがあり、しかも人の動作には共通のパターンが存在します。

例えば、自分のサイフが床に落ちたとします。すると、普通の人はすかさず手を伸ばして腰を曲げてそれを拾いあげるでしょう。それが普通の動作です。

ところが、それを突然、空中回転しながら、回った瞬間に拾うことを日ごろからしているとしたら、 たぶんそんな人は決していませんが、 僕たちはその人を異常な人と捉えるでしょう。

というのは、人は最小限度のエネルギーで動作をするようにできているからです。

そのゆえ、人類は体の構造がほとんど同じため、一つの目的を果たす動作は、必ず人類共通のパターンとなってしまいます。

合気道には、この点に注目し、このパターンを理解して、それを利用することで、相手を制する技術を行うわけです。


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【読まれない工夫が必要】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は僕が学んでいるNLPの前提の3つめである「相手のアクションが通信簿」ということについて、合気道の稽古と照らし合わせて話をしていきたいと思います。


相手のアクションが通信簿

NLPは日本語に訳すと脳神経言語プログラミングというもので、心理学の一つです。

NLPでは、人間の思考、行動、人生の考え方というのは、その人がいた環境の影響の結果と捉えます。

それは、本人が認知し、人は自分の環境の中で適応する中、経験を通じて、考え方、生き方、反応の仕方など一定のパターンが出来上がっていているのです。

それらは実は単なるプログラムに過ぎないわけで、人間の思考、行動、人生の考え方というのは、その人がいた環境の影響の結果で、また、そういったものは、書き換えが可能で、それを行うのがNLPの手法です。

しかし、自分の獲得したパターンが今の環境に適しているかわかりません。

そこで、それを判断するのが、自分の周りの人のアクションであるということです。

周りのアクションによって現在の自分のパターンが適切か不適切かを判断し、不適切とわかるとそれを改善する。それがNLPです。


NLPの前提を合気道に当てはめると!

さて、NLPの前提「相手のアクションが通信簿」を合気道に当てはめるとどうなるか?

合気道は形稽古で、場合によると相手が勝手に技を進めている場合があります。

この場合、自分の技が本当に効くかというのが分からない。技を掛けようとすると、相手はどんな技が来るか知っているので、初めから協力してくれます。

これでは自分の技の問題点が中々見えません。

しかし、勝手に相手が技にかかってくれるというのも、実は相手のアクションなわけです。

というのは、技を掛けるのが余りにも下手な初心者の場合、技にかかってあげるタイミングが難しいため、割とその初心者をさける人が多いのです。

そういうことから、相手が勝手にかかるのは自分の技は相手に読まれていると判断されていると分かります。

ところが護身の場面を考えたとき、相手にこちらの動きが読まれると非常にあぶないのです。

ですから、自分の技でどうすれば読まれないかを工夫する必要があるということです。


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【地図は領域ではない】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、僕は今NLP心理学を学んでいるのですが、その前提に「地図は領域ではない」というものがあります。

僕の学んでいるNLPでは、それが分かりにくいということで「カーナビ、時々マップが古い」と教えられています。

それでも、意味が分からないですよね。それについて武道と関連づけて書いていきたいと思います。


常識を疑う

前回のパンチの例で示すと、合気道の当て身は、ボクシングでいう手打ちのようなパンチに見える。

そこで、空手やボクシングをしている人にすると、『そんなへっぼこパンチに何の意味があるのか?」と思います。

実は、僕も空手やジークンドーを学んでいたので、やっぱり打撃系の専門の方が凄いように思えたわけです。

それは、空手やボクシングでは、腰の回転を使って素早く打ち出すのが常識になっているからです。

ところがジークンドーというのは40半ばで学んだので、若い人に交じってそういった打ち方をしていると非常に疲れるわけです。

それで、手を抜いて、合気道の当て身の打ち方をすると、パンチの稽古のパートナーに「急に強くなりましたね」と言われました。

自分は体力の限界を感じて、手を抜いて、楽な合気道の当て身で打ち込んでいるので、そういわれて逆に自分が驚いた訳です。

それまで、腰を素早く切ったパンチが強いと思っていて、合気道の当て身というのは一種の補助であり、実際の闘いで技をつなぐだけのものなので、それほど破壊力は無いと勝手に思っていました。

だから、パンチとはこういうモノという概念ができあがっているので、原理の違う打ち方を見ると威力がないように思ってしまっていたのです。

このような思い込みというのは武道をやっているとあるので、こういった思い込みをどんどんと消していく必要があるわけです。

「カーナビ、時々マップが古い」

自分の知っている概念にとらわれていると、技の原理が分からなくなる。概念はどんどんと書き換わるものとしておかなければなりません。


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