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健康護身術を指導している橋本実です。

【護身は予防だけで大丈夫?】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

僕が自団体を勝手に立ち上げて、合気道を指導していることに関して、今日は話したいと思います。


あなたネコ科、それともイヌ科?

NLPでは、人間を4つのカテゴリーで分類することがあります。

基本的には、犬タイプか猫タイプかということで2つに分け、犬タイプも猫タイプも保守的か革新的かということで2つに分けます。

犬タイプというのは、人と交わるのが好きなタイプで、猫タイプというのは一人で行動するのが好きなタイプということです。

僕の場合は、猫タイプで新しい事したり、考えたり、あれこれするのが好きなタイプです。

何故こういう話になるかというと、全国でも合気道の道場は多いですが、僕のように勝手に自分の団体を立ち上げて、勝手に合気道を教えているといろいろと批判があります。

その批判というのは「精神性」という非常に抽象的な批判なのですが、そもそも「合気道精神」ができていないと批判される訳です。

批判主にすると、団体を離れて、団体の方針に従ってするのが和合の精神だということです。

そこでは「わからない」から「他で教わる」というのは悪で、裏切り行為だそうです。

そのため、僕のところに個人指導を依頼する人の多くが内密に来られます。

これは合気道に限ったものではありません。日本の文化の悪い側面で、一度所属した団体であれば、上が少々間違っていてもそれに従うという、閉じた村的な考えが日本人の心のどこかにあるためでしょう。

だから、僕のようなはみ出し者は悪なので、批判する人は僕を許せないのです。


精神性という抽象論

僕はそもそも武道を始めたのは、誰も助けてはくれない理不尽な暴力に屈辱的になる経験を通して、あんな目には遭いたくないという強い感情が柄にもない武道の方に向かわせたのです。

だから、僕の頭の中には、『護身をどうするか?』という考えが常にあります。

そして井口師範の遺された合気道にはそれがあり、僕が見学にいった他の道場にはそれがなかっただけなのです。

以前に、ある合気道の道場の師範が、僕の護身に関するこだわりを聞いて次のように言いました

「あなたの考えは攻撃的過ぎる。そういう低い精神をしているから、そんな攻撃的な考えになるのです。それなら空手のような低俗な武道をやればよい。護身は予防が一番です。予防に勝る護身はありません」

別に僕は空手を低俗な武道とも思いませんし、空手をやったことがあるので、それはそれで素晴らしいものだと思いますが、ただ、僕が経験した中では井口師範の合気道の方が護身にあっていると思っています。

それから、予防ということも少しひっかかりました。というのは予防だけで防げたら、公の場で理不尽な暴力に遭うことはなかったし、全国の多くの通り魔事件が予防で防げたら被害者はでていないと思います。

ところで、消防署では火災時の避難訓練というのを推奨します。予防で、全ての火事による災害が防げると考えていないからです。

そして、僕もその考えに非常に賛成しています。予防も大切ですが、万が一のために避難訓練も大切と考えます。

ですから、僕は「最悪の事態も考慮して、避難訓練はしておくべき」という考えなのです。


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【合気道の遠当て】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今日は合気道の打撃技の遠当てについて話したいと思います。


初めて見た遠当て

たまたま居合わせた四国のお寺で、修験道者(山伏)が里のお寺に下りてきて、外護摩をやっていました。

護摩というのは、インドから伝わった火を使った儀式のことで、日本には、真言宗と天台宗の密教系仏教から伝わっていますが、 日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた修験道では、屋外で焚き上げる外護摩を行います。

この外護摩を焚いた後、行者(山伏)のリーダー格の人が、見学者に「これから不動金縛りの術を施そう。誰か希望者はいないか」と問い、希望者を前にだす。

行者は、手印(右手と左手の指を独自の形で合わせて意味のある形にしたもの) を組んで 、真言(魔術の呪文にあたるもの)を唱え、気合い一閃「エーイ」と発すると、あら不思議、その希望者が金縛りになり、「さあ、動いて」といわれても、足一歩踏み出せなくなっていました。

僕はこれをみて、何と凄い力をもった行者なんだろうと感心しました。

また、そのとき聞いた話ですが、ある行者は空中に飛んでいる鳥に金縛りをかけ、撃ち落とすことができると言っていました。

さらには、様々な武道かが自分の弟子に、遠当てを仕掛けて、倒したり、投げ飛ばしたり、気絶させたりするという話も聞きます。

中国では百歩神拳といって、百歩はなれたところから相手を殺すことができるというものもあるそうです。


井口師範の遠当て

ところで合気道では遠当てとはどんなものでしょうか?

僕は井口師範に師事し、当て身という合気道独自の打撃法を教わりました。

そんな中、あるとき、「当て身は、相手を破壊するものではない。相手の気にあてるものや」と井口師範はおっしゃいました。

ところが、実は井口師範から、当て身で相手のあばら骨を折るやり方とか教えてもらっていたので、「あれっ」と思ってしまいました。

僕はてっきり当て身は相手に打撃を与えて、相手にダメージを負わせ、合気道の投げ技は片目技を掛けやすくするためのものと思っていたからです。

それで、不思議そうな僕を見て、井口師範は、「曰く、じゃあ、そこから、僕に攻撃を仕掛けてきなさい」と言われました。

そこで、僕は、横面打ちで井口師範に攻撃をしようと思って、足を出そうとした瞬間、

「イエーイ」と、気合いをかけられたと思ったら、体が一瞬固まり、気が付いたら井口師範の拳が僕の脇腹にありました。

「これが当て身の意味や」とおっしゃいました。

僕は、井口師範の声に驚いて、動きが止まったのかと思ったのですが、「この当て身は、声を出さなくても効く」とおっしゃい、もう一度やってみることにしたのです。

すると、結果は同じことになりました。

「何も不思議やない。相手の気が読めたら、誰でもできることや。要はタイミングだけや」とおっしゃったのです。

これを説明するとこういうことです。人が前に出ようとする瞬間、兆として気がでます。その気にアプローチすると、相手の動きが一瞬止まるのです。ですから、「タイミングだけや」と言われたわけです。

このように僕が学んだものは、相手を投げたり、気絶させたり、など害するような遠当てではなく、相手の動きを一瞬封じるもので、しかも心理学的、科学的根拠があり、タイミングさえ読めれば誰でもできるものとして存在しています。

ですから、井口師範がそれ以上の遠当てができたかどうかは僕にはわかりませんが、僕が経験したものはそういうものです。


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【共通パターンを利用する】

皆さん、お元気ですか? 僕は相変わらずメチャクチャ元気です。

さて、最近はこのブログではNLP心理学と合気道を対応させて話を書いていますが、今回もその続きです。


NLPの「言葉」と合気道の「意図」

さて、NLP心理学では、僕たちは常に経験を五感から獲得した感覚を通じて言葉(言語、非言語がある)によって、パターン化して記憶にとどめて、それを使って反応しているとしています。

合気道では、NLPでよぶ言語というのを意図といいます。

合気道では、人が行動するには必ず意図、目的があるとします。

例えば、正面打ちという打撃なら、相手の眉間を手刀で殴りつける、要は眉間をかち割るという目的というか意図があるわけです。

このように考えると、私たちが合気道の技の稽古で、技を覚えるのは、ある意図にしたがって、どう体を反応させるかをパターン化して覚えるという作業をやっていると言えます。

このように人というのは、ある入力(意図)に対してパターン化した反応を起こすブラックボックスのようなものと捉えることができます。


共通パターンをコントロール

人間の身体で実現できるパターンというのは、日常行う動作からも分かるように限りがあり、しかも人の動作には共通のパターンが存在します。

例えば、自分のサイフが床に落ちたとします。すると、普通の人はすかさず手を伸ばして腰を曲げてそれを拾いあげるでしょう。それが普通の動作です。

ところが、それを突然、空中回転しながら、回った瞬間に拾うことを日ごろからしているとしたら、 たぶんそんな人は決していませんが、 僕たちはその人を異常な人と捉えるでしょう。

というのは、人は最小限度のエネルギーで動作をするようにできているからです。

そのゆえ、人類は体の構造がほとんど同じため、一つの目的を果たす動作は、必ず人類共通のパターンとなってしまいます。

合気道には、この点に注目し、このパターンを理解して、それを利用することで、相手を制する技術を行うわけです。


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【読まれない工夫が必要】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、今回は僕が学んでいるNLPの前提の3つめである「相手のアクションが通信簿」ということについて、合気道の稽古と照らし合わせて話をしていきたいと思います。


相手のアクションが通信簿

NLPは日本語に訳すと脳神経言語プログラミングというもので、心理学の一つです。

NLPでは、人間の思考、行動、人生の考え方というのは、その人がいた環境の影響の結果と捉えます。

それは、本人が認知し、人は自分の環境の中で適応する中、経験を通じて、考え方、生き方、反応の仕方など一定のパターンが出来上がっていているのです。

それらは実は単なるプログラムに過ぎないわけで、人間の思考、行動、人生の考え方というのは、その人がいた環境の影響の結果で、また、そういったものは、書き換えが可能で、それを行うのがNLPの手法です。

しかし、自分の獲得したパターンが今の環境に適しているかわかりません。

そこで、それを判断するのが、自分の周りの人のアクションであるということです。

周りのアクションによって現在の自分のパターンが適切か不適切かを判断し、不適切とわかるとそれを改善する。それがNLPです。


NLPの前提を合気道に当てはめると!

さて、NLPの前提「相手のアクションが通信簿」を合気道に当てはめるとどうなるか?

合気道は形稽古で、場合によると相手が勝手に技を進めている場合があります。

この場合、自分の技が本当に効くかというのが分からない。技を掛けようとすると、相手はどんな技が来るか知っているので、初めから協力してくれます。

これでは自分の技の問題点が中々見えません。

しかし、勝手に相手が技にかかってくれるというのも、実は相手のアクションなわけです。

というのは、技を掛けるのが余りにも下手な初心者の場合、技にかかってあげるタイミングが難しいため、割とその初心者をさける人が多いのです。

そういうことから、相手が勝手にかかるのは自分の技は相手に読まれていると判断されていると分かります。

ところが護身の場面を考えたとき、相手にこちらの動きが読まれると非常にあぶないのです。

ですから、自分の技でどうすれば読まれないかを工夫する必要があるということです。


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【地図は領域ではない】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、僕は今NLP心理学を学んでいるのですが、その前提に「地図は領域ではない」というものがあります。

僕の学んでいるNLPでは、それが分かりにくいということで「カーナビ、時々マップが古い」と教えられています。

それでも、意味が分からないですよね。それについて武道と関連づけて書いていきたいと思います。


常識を疑う

前回のパンチの例で示すと、合気道の当て身は、ボクシングでいう手打ちのようなパンチに見える。

そこで、空手やボクシングをしている人にすると、『そんなへっぼこパンチに何の意味があるのか?」と思います。

実は、僕も空手やジークンドーを学んでいたので、やっぱり打撃系の専門の方が凄いように思えたわけです。

それは、空手やボクシングでは、腰の回転を使って素早く打ち出すのが常識になっているからです。

ところがジークンドーというのは40半ばで学んだので、若い人に交じってそういった打ち方をしていると非常に疲れるわけです。

それで、手を抜いて、合気道の当て身の打ち方をすると、パンチの稽古のパートナーに「急に強くなりましたね」と言われました。

自分は体力の限界を感じて、手を抜いて、楽な合気道の当て身で打ち込んでいるので、そういわれて逆に自分が驚いた訳です。

それまで、腰を素早く切ったパンチが強いと思っていて、合気道の当て身というのは一種の補助であり、実際の闘いで技をつなぐだけのものなので、それほど破壊力は無いと勝手に思っていました。

だから、パンチとはこういうモノという概念ができあがっているので、原理の違う打ち方を見ると威力がないように思ってしまっていたのです。

このような思い込みというのは武道をやっているとあるので、こういった思い込みをどんどんと消していく必要があるわけです。

「カーナビ、時々マップが古い」

自分の知っている概念にとらわれていると、技の原理が分からなくなる。概念はどんどんと書き換わるものとしておかなければなりません。


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合気道の当て身は原理が違う

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です

さて、今回は合気道で使う打撃技である当て身ついて書いてみたいと思います。


合気道の当て身は原理が違う

僕は、以前に他の武道の人に合気道の打撃は話にならないということをたびたび言われました。

それで、合気道の当て身を実際にやってみると、大抵は驚かれます。

その理由は2つあって、一つは、基本的に考え方が違うため、初めて受ける当て身に驚かれるのと、見た目ショボいのにあたると思った以上に打撃力があるためです。

原理が違うという点では、パンチの出し方に、陽の当て身、陰の当て身、核の気の当て身と3種類あり、陽の当て身でも4種類のやり方があります。

これらは力の出し方が違うのですが、今回は陽の当て身の基本の一式の形だけを例にとって話してみましてもかなり技術が違うのがわかります。

合気道の陽の当て身の一式の形でのパンチは、どちらかというと体当たりに違い打撃法です。

第一式陽の当て身

そのため、使う軸も違います。

通常は、武道では、打撃攻撃をする場合、頭の天辺から地面に向かう正中線を軸として扱うと聞いています。

そのため、空手やボクシングでは正中線を中心に捻りを加えて打撃を加速します。また、パンチの突き出す方向も正中線です。

ところが合気道の場合は、正中線以外に、正中線に平行に左右に2本の軸を想定します。左右の軸の位置は乳頭の位置にあります。

そして、合気道では、正面突きを行う際も、右拳で突く場合は、正中線の右側の軸を使います。要するに、乳頭のラインに拳を突き出すわけです。

これは、合気道では半身で移動し、パンチには回転軸を使わないため、前方方向に運動する運動エネルギーをパンチに乗せて、まっすぐ打ち出すためです。

そすることでより大きな体当たり効果を実現することができるためです。

実験的に半身になって壁を押してみると分かります。まずは正中線に向くようにパンチを突き出して壁を押して見ます。

次の、右拳なら右半身になって、乳頭の延長線上に拳が来るように壁を押します。

この2つを比べた場合、正中線の延長上に拳をもってくるより、右乳頭上に拳を伸ばした方が、体がしっくりときます。

身体がしっくりくるというのは、骨格構造上、強い角度であるからです。

ですから、合気道の当て身というのは、体当たりを利用した打撃で、空手などの捻りにより生み出す打撃と違うのです。

そのため、合気道の正面突きの当て身では、体の傾斜を使って前進したり、上半身と下半身を一体化させるため、骨盤を後傾にしたりします。

ところが、合気道ではこのやり方を詳しく指導しない道場が多いと聞いていますが、やはり当て身も稽古をする必要があると僕は考えています。


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【意識の持ち方】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です

さて、今日は合気道では如何に意識の持ち方が大切かということを述べたいと思います。


力を受け流す時の意識

合気道の指導者はよく「相手の力を受け流しなさい」と言います。

相手の力を受け流すといわれてもっても、非常に抽象的で分かりにくいのではないでしょうか? 

そこで、「受け流す」を、「受ける」と「流す」と分解して考えていきましょう。

例えば、眉間を目掛けて手刀で打ってきた場合、要するに合気道の基本の正面打ちを仕掛けてきた場合について述べていきます。

先ず大切なのは、相手の手刀が最大速度になった時点で受けないという点です。

相手は振りかぶって、こちらの眉間を狙ってきますので、来るのを待って受けていると、相手の力が乗ったところで受けることになり、強力な手刀なら受けた方がのけぞってしまいます。

そのため、相手が振りかぶって来るや否や、相手の手刀を迎えに行くようにして、前に出て、受ける手の相手の力を感じたら、すぐさま、相手の力の方向をずらすように螺旋に捻ります。

そのためには、自分の皮膚感覚を敏感にし、相手の力を感じたらほぼ自動的に螺旋状に腕を回すことです。

そうすることで、相手の力を受けると同時に流すことができます。

ですから、受けるというのは「相手の力を感じる」までで、それから相手の力の方向を捩じって変えることで流すのです。


気を扱うときに意識

合気道でさらに、相手の力を力学的にベクトルを変えること以外に気を受け流すという技術を使います。相手は必ず攻撃する前に気を出します。その気に対して合気道では、「気に当たる」「気に当てる」「気を導く」と3つのいずれかの動作を行います。

「気に当たる」というのは、例えば、相手が殴ろうと意識した時点で、相手の方に顔を近づけると相手は思わず手を出したくなります。

それでは相手の攻撃に当たってしまうじゃないかと思うかもしれませんが、実は、人間心理の面白いところで、「殴ろう」という意志が起こったときには、まだ目標が定まっていないのです。

そのため、手に気が集まってはいるのですが、拳で殴る場合は、拳の周りの空間にも気が分布している状態です。

この状態で、拳の数センチ真横に拳があると想定して、それに頭をぶち当てるように動いてやれば、相手の気に当たることができます。

但し、このとき、「相手の気に当たりに行く」という意識が大切で、「当たった」あるいは「当てられた」と思ったら 、相手の気に当てられと本当に殴られてしまいますので注意が必要です。

この微妙な感覚が分かると、相手のパンチを誘導しやすくなります。

また、気に当てるというのは、相手が何らかの動作を起こす際にでる「気」に自分の「気」をぶつけます。

さらに、気を導くという場合は、相手の攻撃の目標を相手が気づかないうちに変えるテクニックです。

これらも結局は意識の持ち方によって行うことができる技術で、合気道では意識の持ち方が非常に大切です。


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【護身の最大の敵】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

僕は護身術ということで武術を教えていますが、護身に関する話をするとき、合気道をしている他の人たちと若干のずれを感じるときがあります。

今回はそういった護身について考えたいと思います。


パニックの時でも使えないと意味がない

長年ある武道をやっていた女性が言っていましたが、夜道を歩ていると後ろから付けてくる男がいたそうです。

そう思うと、心臓がパクパクと鼓動をたてはじめ、頭が真っ白になり、必死で走り出して逃げて難を避けたそうです。

もしあの状態で、遅いかかられていたら、日ごろ稽古をしていた技は一つも出せずに、襲われていたかもしれなかったとのことでした。

この様に、長年武道をやっていても、いざというときには心が動揺するものです。

ですから、日ごろ如何にそのような状況を想定して実感をもって稽古をしているかが問題となります。

ちょっと変な話ですが、僕は心霊現象によく出くわします。

それで、お経やお呪いや真言(マントラ)、九字など霊から身を護るためのもの覚えています。

かなり前の話ですが、僕は一度、夜中に鬼に寝込みを襲われたことがあります。息が苦しいと思って目を開けると、目の前に鬼がいて僕の首を絞めているのです。

僕は精神が動揺して、般若心経を唱えようとしましたが、全く思い出しもできません。

それで、もっと短い真言などを唱えようとしましたが、かなり沢山の真言を覚えていたのに、その時は全く思い出すことができませんでした。

僕はもう殺されると思った瞬間に、自分の手が空いていることに気が付き、手で九字の印を組みはじめました。

すると、九字の印を最後まで組んだ時、自分の上にいる鬼が急に苦しみだしました。それで、九字の印を何度も何度も行うと、鬼が、黒い煙を吐きながら真っ赤な光の玉になって逃げて行きました。

この経験からも僕は、パニックの時はお経を唱えるといようなあまり複雑なことは向かないと実感しました。

このように自分の身を護るときの最大の敵は、自分自身の心です。如何にパニックにならないかが問題なのです。

そのためには、何とかなるだろうと安易に考えず、パニックが起こることを前提に考えておく必要があります。

護身術のワンデイセミナーなどを依頼されたとき、特に女性に多いのですが、刃物で襲ってくる敵を綺麗に制する方法を教えてほしいという要望がありますが、そんなのは絵空事でしかないのです。

多分、そういったことをいう女性は、今までに取っ組み合いの喧嘩もしたことがなければ、恐ろしめに遭ったこともないのだと思います。だからパニックになるという発想が無いのだと思います。


護身も火災の避難訓練も同じ

学校や職場でも、火災時の避難訓練を行います。これは最悪の事態を仮定して、そのとき取るべき行動を予め覚えておくと、実際に問題が起こっても、パニックを起こさずにすむからです。

このように護身においても、最悪の事態を想定して、稽古しておくことも大切です。

そのため、暴漢に襲われそうになったら、まず考えることは安全の確保です。もし、相手がお金が目的なら、お金を差し出せばいいと思います。

でも、中には、暴力をすることが目的な人間もいます。通り魔のように誰でもいいから殺したいと思う人間もいるわけです。

そんな相手が現れたらどうするかということはある程度考えておく必要があります。

人間が一番パニックになりやすいのは、想定外の出来事が目の前に起こった時です。

ですから、日ごろからそういったことを想定して、そんな場合はどうするかを考えておく必要があります。要するに火災時の避難訓練として意識することで、パニックを少しでも緩和できる準備が必要なのです。

そして、パニックになったときでも役に立つのは、正々堂々と戦うのではなく、あらゆる卑怯なことをしてでも安全を確保することです。

そのためには、武器になるものは使う。無ければ、相手の目や金的やのどなどを突くということする。

しかし、パニックになったときは、絶対に日常使うモノを武器にするという発想はでてきません。日ごろから、周りのものをどう武器にするかと考えておく必要があります。


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【打撃技を受ける】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、合気道では、正面打ちや横面打ち、正面突きというような打撃技に対する形を稽古しますが、技を受けるということに関しては他の武道ぼど注意を払わない人が割合多いようです。

その理由は、試合がないことと、形稽古では決まったフォームから決まった打撃技が来るため、予測する必要もないし、連打を警戒する必要もないため、修行者はつい疎かになってしまいます。

ところが、合気道の技術で次のステップに行くには、この問題と面と向か分ければなりません。

そこで、今回は打撃に対する受け方について話したいと思います。


打撃の受けは手も気も引かない

合気道で指導者はよく「打撃に対して相手の力を受け流せ」と言いますが、具体的な技術が示されないことが多いです。

そこで、修行者はキャッチボールをするときのように、ボールの勢いを止めるように、受ける手をバネにして相手の打撃を引き込むことで受けようとします。

しかし、これには問題があります。その問題の一つは、気持ちが受けるという受けにまわること、もう一つは相手を崩すことができないことです。

投げ技などに移る際には、この2つは非常に問題です。まず気持ちが受けに回ると、連続攻撃があるときは、常に後手に回ってしまい、イニシアティブがとれず、自分から次の技にいけないことと、相手を崩せないと合気道独特の投げ技にはもっていけません。

以上のことを考えると、合気道の受けには、攻める気持ちがないといけないということと、相手を崩す意図がないといけないということです。

気持ちや心構えが受けにまわると、気が引けてしまい、相手に後方へ押しやられてしまいます。

また受けで相手の力を引いて殺していると、次の攻撃の対処ができませんし、ましてや相手を崩すことはできません。


受けは螺旋で受ける

そこで、相手の攻撃に対しては、引いて勢いにブレーキをかけるのではなく、前向きに運動エネルギーを乗せながら、相手の力を巻き込んで逸らせながら、相手の中に入るように受ける必要があります。

そのためには、螺旋を使うのです。螺旋の手を捩じる動きで、相手の力が回転によって別の方向に逃げます。

しかも螺旋は前に動く円運動ですから、相手の手を逃がしながらも、相手の中に入っていくことができます。

そうすることで、自分の運動エネルギーを殺さずにすむため、相手の勢いが止まった時、自分は動いているので運動エネルギーがあるため、相手に運動エネルギーが乗ります。

それによって、相手は捉えられ、バランスを失います。

このバランスを失った状態で合気道の技を掛けるから簡単に相手に技が掛けられるので、盤石の体勢にいる相手に技をかけるのではありません。

この点を意識して、稽古を行わないと、腕試しということで他の武道の人と手を合わせたとき、連打に驚くということはなくなります。


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【三年かけても良師をさがせ】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、例えば、合気道では打撃系の攻撃に対して「相手の力を吸収しなさい」と言われたことがある人は多いのではないでしょうか? しかし、具体的にどうするかというのは合気道では教えてもらえないことも多いと思います。

そのため、師範方は、「黙ってコツコツと稽古していればある時、忽然と悟りが啓けます」と話します。

ところが、悟りを啓くってそんなに簡単なことではありません。そこには師が深いかかわりを持っています。今回は、良し師匠の大切さについて話したいと思います。


ゲシュタルトと悟り

実は、ゲシュタルトといって、人には自動的に情報を分析して統合する能力がそなわっているので、何の前触れもなしに、あるときふと「あっ、そうだ!」とわかることがあります。

いわゆる悟りです。ですから、合気道では「技は自分で悟る必要がある」とされています。

ところが人間は一つのゲシュタルトが出来ていると、他のゲシュタルトができません。

例えば、ルビンの壺という心理学の本ではお馴染みの白黒の模様の絵があります。

これを二人の人物が向かい合っている絵とみることもできるし、花を生ける壺とも見えます。ところが、壺として見ている間は、人物は消えてしまいます。

しかし、実態は白いバックに黒い模様が入った絵にしかすぎないのですが、脳がこの情報を壺と判断すると、黒い部分が壺に見えてきます。これがゲシュタルトです。

そして、一つのゲシュタルトが崩壊して初めて、別のゲシュタルトが作られます。

ですから、人と人が向かい合っているというゲシュタルトは壺であるというゲシュタルトが崩壊しない限りみえないのです。

ゲシュタルトというのはそういった性質があるという理解が必要で、ゲシュタルトの崩壊があって初めて、悟りが啓かれるのです。


自分の技を進歩させるには

ゲシュタルトの形成と悟りの関係がわかったとおもいます。

しかし、技一つに対することでも悟りを啓くには、今までのゲシュタルトを崩壊させる必要があるということも分かったと思いますが、新たなゲシュタルトを形成するには、もう一つ問題があります要があります。

 それは何かというと、人間には安全な今の状況を保とうとするホメオスタシスという原理が働いているため、強く変化を望まないとすぐに元の状況に引き戻されるという問題です。

今の状況というのは、その人にとってその環境に適応した結果なので、非常に慣れた状況で無意識的には居心地が良いと判断してしまうためです。

それをコンフォートゾーンと呼びます。このコンフォートゾーンというのは、その人にとって居心地が良くないと思っていても、その環境に適応した結果なので、精神的なエネルギーの消耗が非常に少ないのです。

ですから、新たな環境に行って新たな適応が必要なことに対しては 無意識は 非常に抵抗します。

ですから、技一つとってもても、悟りを啓くには、淡々と稽古しているだけでは無理だとわかります。

そこで必要なのがゲシュタルトを崩壊する知識と、新たなゲシュタルトを構成する知識です。

それが合気道では秘伝というモノなのです。ですから、現状に不必要な秘伝は実は新たなゲシュタルトを形成するためには不要なのです。

ですから、あっちこっちの先生のところを渡り歩くジプシー修行家は、段階的な指導が受けられないので、結局は悟りが啓けません。

そのためには良い師を見つける必要があります。中国の名言に「三年かけても良師を探せ」という言葉がありますが、僕自身、井口師範のいう非常に良い師に巡り合えたお陰で、運動神経のダメな僕が今胸を張って武道家をなのれているのです。


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