師匠である井口師範から、
「気を出してはいけない。気を出さない稽古をしなさい」と時々いわれました。
【気を出さない】といいますと、合気道は【気の武術】といわれていますので、多くのひとは「???」と思うでしょう。
特に、合気道創設当時、いわば「戦闘隊長」的な役割を担当し、他流試合などで活躍した藤平光一師範は「気を出しなさい」と指導していたので、非常に矛盾したことをいうと思われるのではないでしょうか?
しかし、井口師範は別の機会には
「合気道は気とともにあり、気を離れては合気道ではない」
とも言われていました。
非常に矛盾したことをいう先生だと皆さんも思われているでしょう。しかし、ここに秘密が隠されているのです。
井口師範が「気をだしてはいけない」と言ったのは、あらかじめ相手に向けて気を出すと、相手に悟られるので、いけないといったのです。
そして、「心と体と気を一つにし、あっと思ったら、終わっている」という状態にしなさいといったのです。が、これではわかりにくいとおもいますので、解説しますと、例えばパンチで攻撃をする場合、当たるギリギリのところまで気を出さず、当たる瞬間に気を出すことで、相手に非常に悟られにくくパンチが打てるということです。
ところが一般的な武道では、「相手の目をみなさい」と指導します。この行為は、井口師範によれば、相手に向けてこちらの「気を出す」ことだと言われていました。
確かに、殺気だった目でにらまれると恐怖を起こします。しかし、相手の目に気を送り付けることは、次に自分の行動が相手に筒抜けになるということです。そうなると、結局は、運動神経のよい方や体の大きい方、体力が強い方が勝つということになります。この状況を井口師範は【攻撃の三角】ができるといわれました。
攻撃の三角というのは、殴ろうと思った瞬間、ターゲットに向けて、まず気を送り、次にパンチを送る動作ですが、ターゲットとは攻撃できる未来の瞬間であり、まるでレンズで光を集めるようその瞬間にむけて、「気」「パンチ」「意識」「時間」「空間」が集中するということで、【三角】と言われていました。
実は井口師範は、概ね集中させる動作について常に【三角】といわれていたのです。ですから、以前【足の三角】の話題をだしましたが、ある方向に集中が起こるということである意味、共通の三角ですね。井口師範の場合【気が集中する】ことが【三角】という言葉であらわされたのですね。
さらに、この【攻撃の三角】ができると、攻撃しようと意図した瞬間から攻撃動作が終わるまで心も身体も一切がその三角に固定されてしまいます。云わば『こだわり』が生まれるのです。
井口師範はその三角の外に逃れれば当たることはない。もっとも有効なのは攻撃の三角の両辺のどちらかにはいることだと教えて下さいました。そこがもっとも安全な位置だということです。この理屈で、「入り身一足が完成する」といわれていました。
ですから、合気道修行者はできる限り、【攻撃の三角】の時間を小さくする必要があります。要するに相手に向かって【気を出す】時間が短ければ短いほど、有効です。こういった意味で【気をだすな】と言われたのです。
ところで、当会の女性会員で、この【気を出すな】と最初から指導したものですので、稽古の際もできるかり【気がでない】ので大きな問題がでています。
それは何かといいますと、合気道の稽古は受けと取りがペアになって稽古をおこないますが、受けが全く気を出さなかったらどうなるかといいますと、取りの方が、攻撃される寸前まで予測がつかないということになります。すると、取りは反応が遅れ、受けにやられてしまうことになり、取りの技の稽古ができません。ですから、受けをする人は、絶対に【気を出してあげないといけません】
これが合気道の暗黙のルールになっていますので、初めから外したやる気のない正面打ちや横面打ち、正面突きなどもってのほかだと思います。
武道家の集まりなどで合気道と言えばかなり馬鹿にされた態度をとられます。これは『やる気のない攻撃を捌く稽古をしているからそんな稽古役に立つわけがないし、実際合気道をしている人に口だけの人が多い』という事実からです。
ですから、このブログを読んでいる読者の方には、その点どうか気を付けて頂きたいと私は思います。
『合気道は和の武術、そんなに殺気を出してはだめです』と言われる師範の方もいらっしゃるかもすれませんが、武道という以上、攻撃の気配を出してあげないと、相手の気を流す稽古はできません。
合気道が和の武術であるというのなら、相手を高めるという意味で、気を出して攻撃をしてあげる必要があると私は考えています。