「当会の技術について」カテゴリーアーカイブ

合気道は相手を見てはいけない

合気道では、形稽古をします。そして形稽古で最も大切なポイントは、「相手を見ない」ということです。といいましても、本当に「相手を見ない」わけではありません。それは心構えでもありません。それはいうなれば秘伝の技術の一つです。

相手を見なければ技もかけられません。目を閉じて技をかけるというのは、相手を感じとることができた井口師範のような一部の達人レベルの人の話ですので、能力の問題であって、秘伝とはいえません。

一般的な武道では、相手の目をよく見ろと指導します。それは、相手が攻撃する際に、ほんの一瞬ですが攻撃箇所を見るためです。そして、強い人はこの時間が非常に短く、弱い人は長いという傾向があるようです。ですから、相手の動きを読もうと思えば、相手の目から一瞬でも目を離してはいけないというものです。

ところが、井口師範の指導は「相手の目を見るな」でした。
理由は、相手の目を見ると、相手にこちらの動きが悟られるだけでなく、相手の目を見て戦う武道では、相手が目をみることを逆利用したフェイントという技術が発達しているので、目を見ると相手の術中に嵌ってしまうということでした。

こういう説明だと、なるほどと思われるのですが、それと「相手を見ない」とどんな関係があるのだと思われるでしょう。それを説明するには、「気」という概念で説明する必要がありますので、少し「気」を交えて、説明をしていきます。

私が道場に通っていたころ、井口師範は「気を飛ばさずに攻撃をする(当て身をいれる)」ように指導しました。井口師範に時々「体と気の流れを一つにせなあかんのや。だから気だけ勝手に飛ばしたらあかんのや」といわれたのです。

これブログを読まれている方には、「気を飛ばす」では意味がわからないと思いますので、顎へのパンチの例で「気」がどう関係するかを説明します。ごく一般的な攻撃者の動作を時系列で表すと次のようになります。
①心が「顎へのパンチ」と考える
②攻撃者の目は相手の目から離れる
③攻撃者の目は相手の顎に向かう
④攻撃者の「気」がターゲットである顎に当たる
⑤体が溜めの動作を行う
⑥パンチがそのターゲットに向かって出る

パンチが相手に到着する際には、相手に隙があれば顎に命中するわけですが、相手は攻撃者の目をみていて、「気」の変化を目の動きで読んでいますと、②~④の段階で防御の準備ができます。そこで、相手の目を見ることを指導する武道では、如何に①~⑥の動作を短くすることと、相手の虚を作ってその隙に①~⑥を行うことを研究します。これは運動神経が発達している人ほど有利ということになります。

井口師範はこの目が目標に向かうときに出る「気」を「気を飛ばす」あるいは「気を伸ばす」と表現し、やってはいけないこととしましたが、一般的には、目を見たほうが相手の動向が分かり易いので、相手の目をみろと指導するのです。しかし、相手の目を見る場合、運動神経の良し悪しが、勝つ基準となるものですので、体格・運動神経の優位のものにはかなわないということになります。

以前、松濤館空手の達人・金澤弘和師範が、空手の試合で、まったく目を合わさない伏せ目で戦う格下の選手に苦戦したと書籍にかかれておられました。このことから考えても、目を見ないというのは、相手に動きをさとられない戦法として随分と有効なようです。

さらに、井口師範は「相手すら見るな」と指導しました。この表現は極端ですね。でも、ここまで読まれた方は気がついたと思いますが、「相手を見ない」というのは「相手に気を飛ばさず見なさい」ということなんです。

ですから、見方一つで、技が変るということです。井口師範は、「相手に気を飛ばすな」と指導するだけでなく、「一対一で稽古するときも、多人数でしているつもりでやりなさい」と言っていました。全体的にいきわたるように視野を広く、例え相手が一人であっても、一人だけに固定されることを否定されていました。形稽古、特に二人で稽古する場合に一番陥る悪いところなのです。このブログを読まれている方は、もう少し、相手の見方を研究されてはどうでしょうか。

最後に、合気道開祖・植芝盛平翁先生はおっしゃられています。
「相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまう。
相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。
相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。
真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。
だから私はこのまま立っとればいいんじゃ」

興味のある方は、当会にお越し下さい。

合気道の杖と皮膚感覚の技術

今年から、本格的に合気道の杖(ジョウ)の稽古を導入していますが、お弟子さんたちに指導している中でいろいろと発見がありました。

その中で、一番の発見は、皮膚感覚の技術を即座に理解のレベルまで伝えることができる方法です。本ブログで何度か触れていますが、皮膚感覚の技術については、何度説明しても理解していただくのがとても難しいのです。

皮膚感覚の技術の一つ下に皮膚の技術がありますが、皮膚の技術は、特に合気道経験者に指導すると、その場で理解してもらえることが多かったのですが、皮膚感覚の技術は何度稽古しても理解というところまで至らなかったのが現状でした。しかし、先日の稽古で、本当に理解してもらえたと確信できる言葉をお弟子さんたちから聞けました。

皮膚感覚の技術は、体験すると非常に不思議な感じがします。「力を受けずに倒されたが、どうして倒されたか分からない」という感じです。ですから、かけられると皮膚感覚の技術であることがわかりますが、自分がかける場合になると、どうしていいのか分からない。私の場合で数年の期間をかけてご指導を頂く必要がありました。

その理由は簡単です。「いつ、どこに、どのように」という目安がわからなかったのです。目安がわからなければ、自分では掛けられる感じがしません。できたとしても、そのとき限りで、たまたまできただけで、理由もわかりません。師範に「そう、その感覚」といわれましても、納得がいかなかったのです。

ところが、今回発見した杖を使った稽古方法だと、簡単にその不思議感覚が作れます。しかも、一度の稽古でその不思議感覚を作ることができ、その目安となる感覚も理解でき、さらに再現もできます。

この目安となる感覚というのは、本当に感覚的なことだけなので、文章に表すことができませんので、実際に受けていただくしかないのですが、それでも、画期的なことには違いありません。文章に表せないからこそ今まで、言葉による説明と演武ではお弟子さんに伝わらず、通いのお弟子さんでも、60%の成功率程度でとどまっていたように思います。

私の経験から、一度その感覚の目安がわかれば、後は感覚をしらない相手と稽古をしていても、徐々にその感覚を再現できるようになります。一方、この目安がわからなければ、何度稽古しても、掛かったり、掛からなかったりする訳で、その理由もわからないのです。ですから、この感覚を実感し理解させるというのは本当に大変なことだった訳です。

しかも、「感覚の稽古」は、井口師範のようなわかる人にマンツーマンで指導されないとできませんでした。たとえ、井口師範の技を受けてその経験をしていても、感覚が理解できないかぎり、その人同士でいくら稽古してもできません。これは、特別な才能がなく、将棋を知らない普通の二人が、将棋の本でルールだけを覚えて、かなり時間を費やして二人だけで練習を積んでも、プロ並みにはなれないのと同じです。

これらの技術に興味をお持ちの方は、ご連絡いただければと思います。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

一般稽古スケジュール
http://kenkogoshin.tank.jp/schedule.html

当会ホームページ
http://kenkogoshin.tank.jp/

合気道と杖(じょう)

今年になって、当会では合気道の杖(じょう)の扱い方を生徒さんたちに教え始めました。実は、合気道の杖は、皮膚感覚の技術を使って行う上、じかに肌にふれないため、皮膚感覚をより敏感にする必要があるので、皮膚感覚の技術をより高く引き上げる効果があるのです。

ところで、合気道を剣の理合で解釈する師範がたくさんおられます。とくに岩間の斉藤師範は、「開祖は武器法を重視していて、『合気道は剣の理合の体現している』とまでいわれた」といっておられます。

ところが、私は、剣をあまり稽古したことがありませんし、私の師匠である井口師範から、「剣をふるより杖(じょう)を振れ」と言われたからです。

実は、私は、ある合気道関連の本で、「合気道は剣の理合で動く」と書かれていたのを見て、師匠である井口師範に、木剣の素振りの仕方を教えて欲しいとお願いしたところ、
「剣よりも杖(じょう)やなあ。できたら鉄の棒使ったほうがええんやけど。翁先生もいつも鉄の杖を振っていた」
と、言われ、杖の扱い方を教えていただきました。

その際、井口師範がおっしゃいました。
「剣は刃を持っているから、斬るということに意識が行ってしまい、そこにこだわりができる。合気道は自然の理で動くからこだわりがあったらだめになる。剣をするなら、こだわりがなくなってからでないと合気道をするのには百害あっても一利もない。杖は刃がない分、自由であり、変化自在に扱うことができる。それから気の流れを意識することもできる。だから、剣など振らずに杖をふれ」

杖を学んでみて、初めて井口師範がいわれたことが納得できました。また、合気道の武道としての相手との一体感が、素手のときよりも実感できるように感じました。

ところで、一体感というと、合気道では、よく愛をとき、相手と一体になれと教えますが、これが非常に抽象的で、各師範の主張していることが、それぞれ違いがあり、よく分からないというのが実情ではないでしょうか。

ところが、自分の持つ杖が常に相手との境界線となり、確実に相手と自分を隔てています。自分は飽くまでも自分であり、相手は相手であるという認識のうちに、技になっていきますが、常に、相手とツナガリ感があり、相手を導くという感覚と相手との一体感があります。特に、対剣の稽古をやっていると、あたかも太極拳であらわす太極図(白黒のオタマジャクシが向かい合って円を作っているような図)のような感覚を感じます。

すると「相手に侵させず、相手を制す」というのが体で理解できます。この経験をすると、合気道の技に変化ができ、形にこだわらず、相手を倒すという動きになってきます。ですから、合気道を行う人はできるかぎり杖を稽古されることをお勧めします。

このように説明すると非常に難しいように思われますが、師匠が教えてくださった杖術は、非常に単純な技法ばかりです。
一人稽古用には、杖の回し方、突き方、振り方など数種類、二人で行うものとして、合気道でよく見かける投げ技、相手の捕らえ方など数種類しかありません。しかし、師匠はそれだけで十分と言っておられました。ただ、秘伝があり、これがないと多分、いくら稽古をしても役には立たないと思います。

一部の合気道家が神道夢想流の杖術を学んでいると聞きますが、合気道の杖術だけで十分だと私は考えています。

私がこう言うと、神道夢想流のことを知らないくせにと思われるかもしれません。過去に、「井口師範は杖術をちゃんとどこからも習っていないのだから、いい加減なものだ」と私に言われた師範もいらっしゃいました。

(その師範のおっしゃるとおりでした。井口師範は翁先生に合気道として杖を学ばれましたので、確かに他のどこからも学んでおられませんので、流派としての杖術はご存知なかったと思います)

私は、本などで、神道夢想流の杖術の使い方を見ましたが、私が井口師範から学んだものとまったく違う気がしましたし、実は、私は神道夢想流の杖術の一日講習会に参加をした経験もあります。たった一日ですが、そこで学んだ杖の技術は、合気道で教える杖術とはまったく異質であると思いました。その上、一日講習会に参加した際、故意ではなく、誤って合気道の杖の使い方をしてしまい、先生の一人を投げ倒してしまったという経験もしました。

断っておきますが、合気道の杖の使い方の方が、神道夢想流より優れているといっているのではありません。神道夢想流と合気道では杖術でも、理合が違うということを言いたいのです。そこで、誤解を避けるために当時のことを少し話しておきたいと思います。

稽古も終盤に近づいてきたころ、先生の一人が、私に
「おお、大分、うまなったな。ホンなら、どこからでも好きに掛かってきなさい」
とおっしゃいました。
私は非常に困りました。好きなようにといわれても、神道夢想流の杖の使い方は不慣れで上手くできそうになかったし、剣道すらやったことが無かったからです。
先生は、
「何、ボーっとしてるんや! 早くしなさい。考えていても上手くなれへん!」
とおっしゃりました。

そこで、何度か、そのとき習った方法で攻めていこうとしましたが、簡単にあしらわれてしまいました。
先生は、簡単に捌けると自信を持ったのか、
「何やっとる、もっと、気合を入れて! もっと本気でかかってこい」
とあおってきました。

私は、そう煽られても、どうしていいか分からず、ふと思わず相手の杖に合わせを入れ、相手の中に入身をしてしまいました。反射的に出たのです。その反動で、相手をしてくださった先生は反り返り、そのまま倒しれてしまいました。こんな公衆の面前で、偉そうに言っていた先生を、あまりにもあっけなく倒してしまった私は、相手のプライドなど考えると、どうしていいのかわからず、
「えっ、えっ、あれ? えっ、何で?」
と言っていたように思います。

相手をしてくださった先生は
「あー、ビックリした」
と連発されていましたが、もう私の相手をせずに、他の人のところに行ってしまいました。

このことからも言えることは、
①その先生は、こちらがまったくの素人と思い、なめて掛かっていたこと
②その先生にとって今までに経験したことのない技術によって、異質の戦い方をされたこと
で、この先生は、対処できなかったのだと思います。

話しは元にもどしますが、合気道の指導者の方で、合気道の杖では不十分と、神道夢想流をされる人が割といらっしゃると聞きます。私は、他の武道を参考にするのはいいが、合気道の杖は飽くまでも合気道であり、他とは異なりますので、合気道の修行者は合気道の杖の使い方を稽古するのが一番いいと考えています。合気道の杖の使い方では、素手で行う合気道の形にも十分応用ができるという点で、皆さんももっと合気道の杖に自信をもって欲しいと思います。

ただ、合気道の杖の扱い方が一部では省略され、高段者になっても知らないという人も増えていると聞きます。もし興味おありの方がいらっしゃったら是非こちらに来てくださればと思います。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

一般稽古スケジュール
http://kenkogoshin.tank.jp/schedule.html

当会ホームページ
http://kenkogoshin.tank.jp/

骨格をずらしてバランスを奪う

明けましておめでとうございます。
皆様、本年もよろしくお願いいたします。

さて、前にも書きましたが、私の合気道の師匠である井口師範が言ったことですが、合気道の修行者の方がよく陥る思い込みは、初心者はもちろん師範や高段者の人も含めて「形を絶対視する」ということです。「形の絶対視」というのは、「形」が完全にできればどんな相手でも対処できるという思い込みです。

合気道の達人・井口雅博師範は、「合気道の技は一期一会。一つとして同じ形はない」といいました。でも、「合気道の投げ技は枝葉。幹さえ分かれば、皆一緒」ともいわれました。これは、「原理は共通」ということを言っているのです。

そして、その「原理」の一つとして、今回ご紹介する「骨格をずらす」という技術があり、当会の分類では反射の技術にあたるものです。これについて、多くの合気道家は、単に「バランスを奪う」というだけであまり触れていないのが普通じゃないでしょうか。今回は映像を撮り、その原理を説明しています。そのポイントは3つです。
① 受けの肩関節をずらす
② 受けの肘の位置を受けの中心軸の後ろに持ってくる。
③ ①②の状態で相手を下方に導く

これだけで、技は随分と効き易くなります。

さらに、秘訣としては、相手にさとられないように、肩関節をずらしたり、肘を軸の後ろにもってくるために、「骨の技術」を使います。映像では「陽」の技術(興味ある人は小説の後半部を読んでください)を使っています。特に重要なのが「相手に自分の意図」を読まれないことで、陽の技術や陰の技術を使うと、読まれにくくなります。これに成功すれば、受けの人にしきりに不思議がらせることができます。

          * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

この「骨格をずらす」ことに関連してですが、以前、Youtubeに「隅落としの原理」の動画をアップしましたが、まだ「隅落とし」が分からなかった人は、上記の点に注意してもう一度見ていただければと思います。

というのは、この動画が、私がアップした動画でもっとも良く見られていて、他の動画の2倍から3倍見られています。このことは、「隅落とし」に対して、多くの合気道修行者が悩んでいる技であるということを示しています。確かに「隅落とし」の原理がわかれば、「天地投げ」も同じだとわかります。

この「隅落とし」の動画は、当会の生徒が見るように作ったものなので、一部のポイントは省いていますので、この動画で説明している通りに動いたつもりでも、多分上手く掛からなかった人が多いのではないかと思いますが、「骨格をずらす」点に注意してもう一度見てください。少し技が理解でき、技が人に掛かるようになった合気道修行者が増えたのではないでしょうか。

なお、完全に逆らう相手にはどうしても「合わせ」を入れてから、「陽の技法」を使わないとかかりませんが、これだけでも、合気道の修行者に十分役に立つのではないかと思います。「合わせ」に関しては、言葉では中々説明がつかない技術です。映像では、皮膚感覚の合わせを行っております。興味のある方は、体験は無料ですので、当会に体験にきていただければと思います。

体格にあった動き

私の身長は179センチあります。私の生徒にとっては、随分大きく見えるようです。

そこで、私の手の動きなども彼らにとっては大きく動いているように見えるようです。ところが、私自身は、まったく無理をしない程度にしか動いていません。

しかし、どうしてもイメージ的に大きく動かしたくなるようです。そうなると、体の動きを手に伝えるという最も大切なことを忘れ、腕や手の筋肉を使って、手をコントロールしてしまいます。

時には、手が伸びきったり、時には腕を極端に曲げてみたりとなります。運動エネルギーを伝えて行くために、自然とそうなるのであればある程度は問題ないのですが、肘が反り返ったり、上腕二頭筋が硬くなるようでは問題があります。

合気道では、常に無理をしていない位置が大切です。師匠は、「腕が伸びすぎると、肘関節を攻撃されたらすぐに折れてしまう。力コブ(上腕二頭筋)が硬くなっているのは、相手に乗られてしまっているから、負けている証拠。何事も八分が大事、伸びすぎず、曲げすぎずがええんや」と言っていました。

無理をした状態にすると、肩関節に無理がでます。すると微妙な感覚を感じることができなくなります。要するに、崩されていても気づかないということになります。

それを師匠は「そこで、気が止まっている」と言っておられました。「気」の考えを用いなくても、脇が開くと、心理学的にも、ある場所に意識が行きますと、他の部位に注意がまわりません。ですから、無理のしない位置を覚えていただく必要があります。

また、初心者の内は無理をしている体勢かどうかというのはわかりませんが、指導者にきっちりとその違いを教わっていると、そのうち、無理しているか無理をしていないかという微妙な判断ができるようになります。

すると、わずかに相手の関節をずらして力を止めてしまうということも出来るようになります。ですから、先ず、「無理をせず、自分が安定しているかどうか」を感じる感性を養っていただくことが大切です。

時間の流れる速さを変える方法?

現在、当会では、正勝吾勝勝速日の秘伝について、学んでいただいています。
合気道では、正勝吾勝勝速日という言葉を使ってよく指導されますが、井口師範から、これを本当に理解されている人は少ないと聞いています。と、いいましても、私自身も、この正勝吾勝勝速日に関して本の入り口しかしりませんが、、私が個人指導している合気道の高段者の方に、この技を伝授したところ、「よくウチの師範がそのことを言っているが、師範も全然理解していないように思う」とおっしゃっておられました。

ちなみに、正勝吾勝勝速日について、開祖は「勝とうと気を張っては何も視えんのじゃ。愛を持ってすべてをつつみ、気をもってすべてを流れにまかせるとき、はじめて自他一体の気、心、体の動きの世界の動きが展開し、より悟りを得た者がおのずから勝ちをおさめている。勝たずして勝ち - 正(まさ)しく勝ち、吾に勝ち、しかもそれは一瞬の機のうちに速やかに勝つ」と説明されています。

井口師範も「早いとか、遅いとかそんなことじゃない。ハッと思えば、たちまちということや。これが分からんと入り身一足の真意もわからん。先とか、先の先とかそんなものじゃなく、時間を越えていることや」と説明されています。

これですと何のことか分かりませんが、これを心理作戦と考え、心理学的な見地から捕らえると少しわかりやすいかと思います。人というのは集団属性を欲する社会的動物といわれています。この正勝吾勝勝速日とは、悪い言葉で言えば「そういう本能」を利用するということだと当会では説明しております。

当会の稽古には、骨の技術、皮膚の技術、皮膚感覚の技術、空間感覚の技術とありますが、皮膚感覚の技術と空間感覚の技術をある程度使い出せますと、空間感覚の技術に時間感覚の要素をいれるように指導します。

具体的には、時間感覚の要素を入れるというのは、「時間がゆっくりと流れるように意識すること」です。ポイントは「ゆっくりと流れる」ということで、途中で止まってはいけません。同じ早さでゆっくりと流れる時間と動きを意識しないといけません。しかも、皮膚感覚、空間感覚にこの意識を入れる必要があります。これで、ゆっくり動いているつもりなのに、不思議と相手より速く動けるのです。要するに、皮膚感覚、空間感覚の技術がこの技術を誘導する鍵になっていて、それが心理学的な誘導を行います。

ですから、ただ、単に「時間がゆっくり流れる」と意識するだけでは不可能です。でも、こういう意識を持つだけで技に変化がでるところがとても不思議だと思います。

皮膚感覚、空間感覚の技術にこの時間感覚を加えるだけで、「ゆっくり動いているのに、速く動いている相手に対応している」という自覚ができます。また、周りから見ていても、やはり、ゆっくりに見えます。しかし、相手をしている人は、こちらが瞬間に移動しているように見えます。これがこの技術の面白いところです。これを少し前の小説風のブログに井口師範の動きについて書いたのですが、読まれた方は「ああ、あれだな」と思われたでしょう。

また、私がジークンドーをやっていたところの話ですが、何年か前にスパーリングをしたとき、他の武道の高段者の方たちにも、毎年、30歳以上の参加するシニアクラスの大会で何度も入賞している伝統派の空手の師範の方にも有効でした。

さらに、一般人を相手にした場合なら、2年修行している女性にも、十分使え、有効であると私は感じています。ただ、この技術について、井口師範がもう少し生きておられましたら、もっと深いことを教わっていたのかもしれませんが、その入り口であっても、非常に有効なアイデアであることは間違いないと思っております。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

一般稽古スケジュール
http://kenkogoshin.tank.jp/schedule.html

当会ホームページ
http://kenkogoshin.tank.jp/

合気道で「力を抜く」とは?

合気道では、指導者がよく「力を抜け!」といいいますが、
『これが分かるようで、結局は、分からない。分からないのは自分だけなのだろうか?』
と、思いつつ、
「はい」
と、返事してしまうのが日本人の修行者のつらいところではないでしょうか?

ちなみに、布団に寝転がっているときが、大概の人の一番力が抜けているときだと思うのですが、どうでしょうか?

さらに、
「果たして、立ったり、座ったりした状態で、そんな寝転がったときと同じように力をぬくことが可能なのだろうか? でも、師範がいうから間違いがないのだろう」
と、考え込んでしまう人もおられるかもしれません。

正直にいいますと、このように、どこかおかしいと考えられている方は、正常な思考の持ち主だと思います。本当に力を抜いてしまったら、立つことすらできません。筋力を使わずに人間は立つことすらできません。

これに対する反論として、
「ヨガの空中浮遊のように、気のパワーが強ければ、空中に浮くこともできるとのだから、気さえ出せばどうでもできるはすです」
と、反発される人がいるかもしれません。

しかし、皆さんもそのような空中を飛ぶことができる人を実際に見かけたことがあるでしょうか? 私も同様、そのような生身の人物を、生まれてこの方まだ見ていません。

確かに、数グラムのものを触れずに気で動かすというのをテレビで見たことがあります。しかし、直接目の前で見たわけではありませんので、面白く見せるためにトリックがなされていても分かる術がありません。でも、一歩譲って、例え数グラムのものを気で動かせると仮定しましょう。果たして、それだけの力で、筋力を使わず、重たい身体を自由にコントロールすることが可能でしょうか? しかも、それができるのは特殊な人ですから、われわれ凡人にとうていできることではありません。

多くの人は、「気」を、ドラゴンボールを代表とするマンガなどでよく出てくる特別なエネルギーと考えていて、気さえ貯めれば、地球サイズの星でも、ぶつけると粉々にできるといようなものを考えられているようですが、井口師範の示す「気」とは、確かに不可思議なものもありましたが、そのような現実から懸け離れたモノではなく、もっと身近なモノでした。

それには、心の有様や無意識を含む「意識」的な意味が含まれていて、筋力を否定することではありません。井口師範は「『気』が出なければ、立つことすらできない」と話されいます。ですから、井口師範が示した『気』とは、意識で制御できる現象をさすものと考えていただくといいと思います。

そこで、「力を抜く」という話にもどりますが、これは、腕力を使わないということです。要するに、肩の筋肉である三角筋や力こぶの筋肉である上腕二頭筋など腕の筋肉を使わないということです。

「腕を動かそうと思ったら、腕の筋肉を使わないとできないではないか。それに、上で言っていることと反するのではないか」
と、反論がでると思いますが、そこで登場するのが、当会では「骨の技術」という技術なのです。

例えば、相手を押そうとした場合、腕を曲げてから、グッと腕力を使って相手を押すのが普通だと思いますが、「腕を伸ばしたまま相手を押してください」というと、だれでもすぐにできますね。

その場合、腕の力は使わず、足の力で相手を押している訳です。要するに、関節を通じて、骨を骨で押しているわけです。このように、理屈でおいても、腕力を用いない方法が説明できるのです。

ただ、骨で骨で押すというだけでは技術とは言いがたいです。何故なら、それだけですと、少し腕力の上の人に簡単に捻じ伏せられてしまうからです。それ以上に、骨に伝える力の生み出し方、力の伝え方などの問題が次に待ち構えています。

当会では、その方法の一つとして、手で行う当身を「骨の技術」の入門として生徒に教えており、急激な力の生み出し方と伝え方を覚えていただきます。これは、単に相手を打撃するための稽古というのではなく、他の秘伝の技術で活きて来る技術であり、基礎養成も目的も兼ねています。

また、「骨の技術」として、この瞬間的な力の伝わり方以外に、連続的に伝える動作も稽古し、「足の三角」の理論を教えています。このブログでも、気が向けば、当身の理論や、足の三角の理論などお話ししたいと思っています。

今回の話しは、詳細にわたって書くと膨大な文字数になるので、詳細ははぶきましたが、合気道で悩んでおられる方に、少しはヒントになったのではないかと思います。少なくとも力を抜く方向性は理解していただけたと思います。

ただ、力を抜く方向性で、さまざまな技術が必要であるということもわかっていただけたと思います。その点は、後は、ご自分で考えていただければと思います。いくら考えても、さっぱり考え付かない上、どうしても気になる方は、一度ご体験に来てくださればと思います。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

一般稽古スケジュール
http://kenkogoshin.tank.jp/schedule.html

当会ホームページ
http://kenkogoshin.tank.jp/

合気道の呼吸力

合気道では呼吸力が大切といわれています。しかし、指導者により考え方がまちまちで、合気道修行者は、ほとんどその実体はわかっていないというのが実情ではないでしょうか。

井口師範は、「呼吸力を使うと、重いものを軽くひょいと持つことができる」
と、説明しています。

ところで、多くの指導者は、「呼吸力とは、力を使わない技術」というような指導をし、弟子たちに「力を使うな」と指導します。

すると、弟子たちは、「取り(技の掛けて)が呼吸力を出したときは、受け(技の受けて)は、力をまったく感じず、フワッとした感覚になるはずだ」と勘違いをします。これが呼吸力だと、多くの合気道修行者が考えていることではないでしょうか?

ところが、井口師範の呼吸力をまともに受けたときの感じは、まるで軽自動車VSブルドーザーの押し合いのような、こちらの力が圧倒的なパワーにつぶされるという感がありました。
「翁先生(合気道開祖)の呼吸力もすごかった」
と、井口師範は言っていました。

また、
「吉祥丸二代目道主に、座り技呼吸法で、呼吸力で逆らったとき、呼吸力がぶつかって、指が変形した」
と、言って、私に曲がった指を見せて、
「『井口さん、私はまだまだ負けませんよ』と僕を睨んで言っとった。それから、後で、大阪の田中万川(大阪合気会の創始者)が『井口さん、相手は二代目やで、ちょっとぐらい加減せなあかんで』と言われた」
と、笑いながら私に話してくださいました。

このように、多くの合気道修行者は勘違いをしています。
実は私も、井口師範に師事し初めたとき、同じことを考えていました。
というのは、呼吸力というのが分からなくて、いろいろな本を読んで調べたのですが、そのようなことを言っている人が圧倒的に多かったのです。

そこで、
「呼吸力というのは、本などを見ると、人それぞれ言っていることが違うようですが、一体どのようなものなのでしょうか?」
と、井口師範に質問しましたところ、
「曰く、それな、どれも正しくて、どれも正しくない。
何故かというと、それは呼吸力の一面しか捉えてないからや。
呼吸力は、受け手の受け方次第で、感じ方が違う。ある時は、まるで雲か霞を押してるごとくフワフワして力がはいらなかったり、まるで戦車を手で押しているかのように圧倒的な力でやられたりとな。
僕のようにな、時々とはいえ、翁先生や吉祥丸二代目道主に遠慮なく逆らう人は滅多にいないから、呼吸力の実体がわからんモノが多いんや。そやから、皆、まちまちなことを言うんや」
と、応えてくださいました。

ですから、万全の備えをしている相手であれば、呼吸力をまともに受けたなら、相当な力と感じるものなのです。

例えば、私がある道場の方に、呼吸力の出し方を教えましたところ、その方が、自分の道場で呼吸力を出して行うと、
「凄い腕力ですね」
と、必ず言われるそうです。
「力を入れていない」
と、いくら言っても
「そんなことはありません。凄い力です」
と、言われ、力を入れていないといってもまったく信じてくれないそうです。

このように、多くの人は、呼吸力というのを「あれよあれよと思う間にやられてしまうモノで、力は感じないはず」と、勘違いをしているのです。

ちなみに、井口師範の技にも、そういう力を感じさせない技があります。呼吸力にはそういった一面もありますが、それとは別に、そういった技が二種類あり、当会では、『皮膚感覚の技術』と『空間感覚の技術』と呼び、稽古しております。

    *  *  *  *  *
ご興味を持たれた方は、一般稽古の無料体験にご参加ください。

なお、個人指導におきましても、20分~30分間技を体験していただいて、もしご興味があれば、その後、原理を有料の指導で行っております。合気道以外の武道をしている方でも結構ですので、ご興味をもたれた方は是非一度ご連絡ください。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

一般稽古スケジュール
http://kenkogoshin.tank.jp/schedule.html

当会ホームページ
http://kenkogoshin.tank.jp/

合わせの技術

当会で指導する合気道の秘伝である「合わせ」の技術について、少し説明したいと思います。当会で「合わせ」というのは、相手の力の方向と強さ、相手の動き、相手の心理の動きなどを利用する技術をさします。そして、「合わせ」とは、単に相手に合わせるだけにとどまらず、相手の動きに乗ってついにはリードしていく技術で、合気道の達人がいう「相手と一体になれ」という言葉を、技術に表現し直したものです。

当会で指導する合気道の秘伝の基本は次の4つで成り立っています。これは、本ブログで何度かお話したことですのが、とりあえず記載しておきますと、
①骨の技術
②皮膚の技術
③皮膚感覚の技術
④空間感覚の技術

そして、さらに②~④の秘伝の中に、さらに「合わせ」と呼ぶ技術があります。
種類に分けると次の3つに分かれます。
Ⅰ.皮膚の技術の合わせ
Ⅱ.皮膚感覚の技術の合わせ
Ⅲ.空間感覚の技術の合わせ

これを具体的に説明しますと、
Ⅰの皮膚の合わせでは、相手の力の方向を読んで、その方向に緩めるように合わせます。特徴として合わせが成立し、相手をリードできたとき、相手と自分の丹田がつながった感覚がでます。

Ⅱ皮膚感覚の合わせは、入り身で生じた運動エネルギーを相手に送りつつ、送り込む場所を常に変化させることによって相手を崩す合わせの技術です。感覚的には、相手の動きやあるいは圧力の生じる有効点のすぐ横に追従しつつ、リードするようなの合わせとなります。特徴としては、力感覚が殆ど感じられなく、相手の動きにのっていくような感じで、皮膚の技術の合わせと異なり、軽く相手と丹田でつながる感覚があります。

Ⅲの空間感覚の合わせは、相手が狙った場所を移動しつつも、相手の意識を離さないように、まるで、「馬の前につるしたニンジン」のようなイメージで相手を導く合わせです。特徴としては、皮膚感覚の物理的な相手の力に沿うという感じではなく、心理的な相手の圧力に沿うという感じで、捕り(術者)は相手の空間的な隙に入って行くような感覚を持ちつつ、丹田からイメージの棒が出ていて、相手とつながった感覚があり、受けは吸い込まれるような感覚を持ちます。

文章に書くと非常に分かりにくい表現になってしまって、多分わからない人の方が多いかもしれません。何となく感覚を掴んでくださればと思います。どの「合わせ」も、相手の力に沿う感覚と相手と丹田でつながった感覚とあり、慣れると「相手と一体」となる感覚が出てきます。

「相手と一体になる」とはよく達人レベルの方がおっしゃることですが、これは、才能に恵まれた特別な人だけがわかることで、わずかに才能がある人でも難しいものだと思います。ですから特別な才能の無い一般人では、この感覚に辿り着くのはほぼ不可能ではないでしょうか。

ですから、一般人は、「相手と一体になる」ということばだけでは、技の上達は見込めません。私の経験からすると、①~④の技術を理解し、Ⅰ~Ⅲの合わせの技術を理解し、全てを統合し、「相手との一体感」に持っていく方が時間が短縮でき、特別な才能のない人でも少なくともそこまではいけます。

時間の短縮ということですが、私の指導経験から、合気道歴10年以上の黒帯の方たちに、単に①と②の基本技術を伝授しただけでも、「私の○○年はなんだったんだろう」と、口をそろえておっしゃいました。しかも、これらの技術は、合気道をしている人なら一時間~数時間の個人指導でで分かります。ですから、全ての秘伝をあわせると、特別に才能の無い普通人なら20年以上は、近道ができるのではないかと思います。そこから、わずかに才能が有る人なら達人の道に進めるかもしれません。

ちなみに、私が指導した方々が自分の所属道場で座り技呼吸法で、この基礎技術を試されたら、その方々よりずっと長い人でも簡単にあしらえるようになったといっておりました。

少し話がそれましたが、当会では、4つの基本技術に沿った3つの合わせの技術を指導しております。ご興味が持たれた方は、一般稽古の無料体験にご参加ください。

なお、個人指導におきましても、20分~30分間技を体験していただいて、もしご興味があれば、その後、原理を有料の指導で行っております。ご興味をもたれた方は是非一度ご連絡ください。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

合気道上級者でもやってしまう失敗

合気道の技をかけるとき、中級者や上級者でさえ、やってしまう失敗があります。それは「技をかけ急ぐ」という失敗です。要するに“相手を倒すことだけしか頭にない”状況になってしまうことです。

そういう状況になると、相手は逆らいやすくなり、結果として技が決まりません。達人である井口師範は「合気道の技は自然でないといけない。」と常に言っておられました。自然とは、相手が気ついた時点では、もう技が掛かっている状態にあることを意味します。あまり自然なので気づかないということです。

では、「かけ急ぐ」のを解消するのにどうするかという問題になります。
当会では、それを実現するには、技がかかるまで、数ステップの段階があると教えています。具体的には、次の4つのステップで技をかけるように指導します。( )内は井口師範が説明した内容で、当会での指導内容と対比しております。

  • ①合わせ(相手に気が流し易い状況をつくる)
    ②骨の技術により運動エネルギーを作る(気の流れを作る)
    ③運動エネルギーの伝達(気の伝達)
    ④導き(気の流れにそって相手を崩していく)
    ⑤抑え技や投げ技をかける

ただし、①の“合わせ”には3種類あり、当会では次の名称で区別しています。

  • A.皮膚の技術による合わせ
    B.皮膚感覚の技術による合わせ
    C.空間感覚の技術による合わせ

ちなみに、私の師匠である井口師範は、「抑え技も投げ技も、結局は枝葉。肝心なのは、『気の流れ』・『呼吸力』・『螺旋形』で相手を導くことや。枝葉にとらわれていてはいかん!」とよく言われていました。

しかし、いきなり、初心者には「気」と言っても、分かるようで分からないと思います。そこで私は、AとBの”合わせ”においては「気」を運動エネルギーとして説明し、③の空間感覚を使う“合わせ”では、心理学的なトリックによる心理操作と説明しています。

それから、昔、ある技を行っているときに師匠に、「どれぐらいの角度に手を持って行ったらいいのでしょうか?」と質問しました。それに対し、師匠は、「万能な角度とか考えたらあかん。合気道の技は千変万化、そのときそのときで全て変るんや。同じ形など存在せーへん。それやったら皆わからんから、仮に、こうやということで、形というのがあるんや。それでも、受けが変ればやっぱり変る。万能で完全な形なんかないんや」と言われていました。

要するに、合わせを失敗すると、どんな角度に持って行こうとも、腕力でやっているということになるのです。それほど「合わせ」が大切だということです。ただし、テコの原理で、最も小さな力でいける角度はありますが、それは合わせではありません。ですから角度を気にすると、木を見て森を見失うことになりますので、一言添えておきます。

尚、井口師範は「合わせ」とは一言も言われませんでした。井口師範は「技のポイントはコレ。分かるね? コレ! コレが秘伝! それから次がコレ。それで、コレ。こうする! コレ全部、秘伝! いいね? ホンなら、言うたとおりやって見て!」というような感じでしたのた。「コレ」といわれても、だと後で分かりにくいので、私は勝手に合気道関係の本など参考に「合わせ」とか「導き」とかせっせと名前をつけていきました。

師匠は「秘伝には名前は無い。名前があったらこだわる。こだわったら自然とは言えん。合気道は茶道でいう一期一会を大切にせなあかんのや。合気道の本質は一期一会の技や。そやから秘伝には名前はないんや」と言われていました。

しかし、「名前がないと覚えられない」のです。達人にもなると、「あの技をあのようにかける」など思わず、自然に体に動くとのでしょうが、天才でない稽古段階の人は、それを習得するには、名前がないと心に掛かりませんから、覚えられません。

翁先生も「覚えて忘れよ」というような教えで、技の名前さえこだわらなかったようですが、それでは、一部の才能ある天才しか体得はむずかしいのではないかと私は考えています。

少し話がそれますが、以前の話ですが、ジークンドーという武術をやっていたとき、そのセミナー会場で、ある武道をやっている人に、「私は合気道をやっていた」というと、「ああ、合気道ね。俺は合気道は武術と思っていないですわ。柔道や空手は稽古すれば、誰でも、ある程度のレベルになけれど、合気道は、何年やっても、まともに使える人は稀で、殆どが使えない人ばかりで口ばかり。俺が今までにあった合気道の黒帯の人全部、空手や拳法で3ヶ月ぐらい稽古した人のパンチすら捌けない人ばかりでしたよ。 だから、合気道はね……」と言われたことがあります。まあ、『悔しかったら、立ち会ってみろ』とでも言っているようでした。

そこで、その方に、パンチを打たせ、技の説明し、術理がわかれば、簡単に合気道の技が使えるということを納得していただきました。

ですから、「秘伝やノウハウや術理は邪道で、合気道の技は、自然と体得するもの」とおっしゃる方が、合気道をやっているとわりと多く見かけますが、お金を頂いて生徒を持つ以上、わかりやすく教えるのが指導者の義務だと私は考えています。そのためには、やはり、分かりやすく、理をもって説明してあげるのが大切だと考えています。

それはともかくとして、最終的には、術理が体に染み付いて、自然と出なければいけないということで、その結果は「技にこだわらなくなる」ということです。ですから、初めは、こだわるべきところはこだわらないと稽古にならないということだと思います。