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当身について①

最近、私のブログに合気道修行者の方々が興味をもたれているようだとわかりましたので、そういう人たちのために、少し私の学んだ合気道について述べたいと思います。

まずは、合気道における当身(アテミ)について述べたいと思います。ちなみに当身というのは、パンチや手刀や肘や体当たりなど合気道における打撃技のことを指します。

近年の合気道の稽古では、当身を軽んじる傾向があると聞いています。しかし、当身は非常に大切な技術ですので、少しでも当身に関して興味をもっていただければと考えて、何度かに分けて当身について述べさせていただきます。今回は当身の意義について述べます。

私の師匠である井口雅博師範は、当身を非常に重視され、常に稽古するように言われていました。
それは次の3つの観点から言われたものでした。
①武道としての実用性
②合気道の動きの基礎作り
③対処のためには、原理を知ておく必要性がある

①に対しては、開祖・植芝盛平翁先生は、「合気道の実戦では、当身7分に投げ3分」といわれているのと同等の理由です。

②を指摘すると、多くの合気道家は「?」と思うようですが、実は当身の身体の使い方は、投げに共通するところが多いのです。
当会では、当身を骨の技術という名称で、鍛錬していますが、詳細は後日ご説明できればと考えています。

③に対しては、例えば医療では、人間の体に悪影響を及ぼす要因を研究します。要するに毒となるものを研究する訳です。しかし、それを悪という人は一人もいないでしょう。

でも、悪用すれば、大量殺人も可能な危険なことです。「悪用を考えると研究なんかとんでもない。即刻研究をやめるべき」と言っておられるでしょうか?

人は知らないことに対処しようがありません。当身もそれと同じで、当身に対処しようと思えば、合気道修行者も当身をよく研究し、どんな原理でパンチが飛んでくるかを知っておく必要があります。

最近の合気道指導者は、当身に対して否定的で、指導をされた経験がないという方が増えていると私は聞いていますが、当身の原理を分からずして、当身に対処できるのか私は甚だ疑問に感じています。

私の知り合いに、フルコンタクト空手を少しやったことのある合気道四段の方がいらっしゃいますが、「どこの道場でも、女性が二段にもなると、どんな相手でももう大丈夫と考える」と言っていました。

しかも、その方が、例えば空手の初級クラスでも簡単に捌けるパンチを出してみても、まったく対処すらできないそうです。ところが、女性たちは、「相手が自分より上の四段だから対処ができない。でも、他の武道二段なら大丈夫」と思うそうです。

このような思いこみは当身を知らないから起こることで、指導者の責任ですので、その様な女性をだれも責めたりはできません。

まだ、男性の場合、テレビでボクシングやアクション映画を見たりして、何となく当身の怖さをわかっているので、「自分の合気道は実際つかえるのだろうか?」と考える人は女性に比べてかなり多くいると思います。

そこで、そのように考える男性や女性の合気道修行者の方々は、さらに踏み込んで当身について研究してみては如何でしょうか?

次回は、もう少し当会に伝わる当身について述べてみたいと思います。

第4番目の技術(空間感覚)の応用

最近、空間感覚の技術の応用の稽古ばかりやっています。
空間感覚の技術というのは、当会では第4番目の技術で、第3番目の皮膚感覚の技術の上位技術となっています。この第4番目の技術は、第2番目の皮膚の技術を基本とする技でも効果がでます。

映像は、皮膚の技術でできる座り技呼吸法ですが、これに空間感覚の技術を入れると、もっと力が不要になります。

合気道の秘伝の同時使用

当会に伝わる井口師範の合気道の秘伝は、当会では次の4つに分類して指導しています。
①骨の技術(物理学的な技術群)
②皮膚の技術(生理学的な反応を利用する技術群)
③皮膚感覚の技術(①と②を同時にしようした技術群)
④空間感覚の技術(心理学的なトリックを利用した技術群)

今までは、それぞれ個別に指導しておりましたが、実際使用するのを想定した場合①~④を組み合わせて行います。この組み合わせをお弟子さんたちに説明するのはかなり難しいと思っていましたが、杖(じょう)の稽古を導入してから、お弟子さんたちの感覚が敏感になり、上記の技術を同時に組み合わせて用いても使えるようになっているようです。

しかも、まだ稽古3ヶ月の初心者の方も、十分ついてこられています。初心者の人の才能も関係があるのかもしれませんが、これは杖(じょう)の稽古によるところが多いものと思われます。合気道にとって杖の稽古は非常に効果が高いので、ブログを読まれている合気道修行者の方も杖を稽古することをお薦めします。

ただし、神道夢想流を稽古されている合気道修行者の方が多いとききますが、神道夢想流は一度しか経験していないので一概にいえませんが、神道夢想流では、このような感覚が身につくかどうか私は疑問に思っています。

今回は、下の映像のような秘伝混合の稽古を行いましたが、映像を見てもわかるとおり、秘伝の同時使用をいきなり求めても、皆さん十分付いてこられているようです。ただ、映像を見て秘伝を見て取れる方以外は、映像を見ただけで再現はかなり難しいと思います。

合気道の幹を育てる

「何事も中心が大事、中心を見失ってはいけない。中心と言うのは、合気道を木で例えれば、幹にあたるもの。幹を育て、大木とならないといけない。枝葉を見て木と思ってはいけない。枝葉とは、片手取り小手返しとか、それぞれの技のこと。落ち葉や落ち枝をいくら集めても木にはならない。根をしっかり張って、大きな幹を育てることこそ肝心」

この前、お弟子さんたちを指導をしていて、井口師範がおっしゃった言葉を思い出しました。

ところで、一般の道場の稽古では、この“中心”すなわち“幹を育てること”を稽古をするのはとても難しいと思います。それは、井口師範が指導されていた稽古でも同じです。

と、言うのは、道場の稽古は、師範の演武を見取り、個々の技を弟子たちが互いに繰り返し稽古を行います。このとき、お互いに技をやりあうのが、“中心”が何であるが理解できていないもの同士であるというのが大きな問題なのです。これでは“中心”となる技術が習得できません。

その点、私はとても幸運でした。私は井口師範の送迎をしていて、お送りする際に、見つけた空き地や閉店したスーパーの駐車場で、井口師範に直々にご指導を受ける機会を持つことができたからです。

このことは非常に大切なことでした。技の勘所が、直々に教えていただけたことで、何が“中心”であるかを理解できました。そして、この“中心”こそが、当会で教えている技術であり、井口師範が言われている秘伝です。

この秘伝は、井口師範より口で伝えるというより、感覚で伝えていただきました。ところが、このように折角師匠が自ら感覚を伝えて頂いても、私のような才能のない人間にとっては、師匠の秘伝は分かりづらく習得するのにかなり時間がかかりました。

ですから、私は当会の会員には出来る限り直接手を取って、この感覚を伝え、常に状態のチェックをするようにするとともに、秘伝を理論的に説明し頭でも理解していただけるようにしています。

それで、会員の方々の“幹(中心)”の成長速度は、私と比べると十倍~数十倍の早さに達しています。女性会員の一年と比較しても、私の合気道歴十年のときではできなかったことを簡単にやってのけていましたので……。

また、この合気道の“幹”は、他の武術でも“幹”になります。先日、東京からこられた空手暦40年の師範も、当会の秘伝を、空手の“幹”として育てつつあるのは、前回のブログで書きました。

合気道を中心に修行してきた私としては、どちらかといえば、空手家の方や中国拳法家の方よりも、できれば合気道修行者に、幹を育てて行っていただきたいと思っています。

でも、現状は、幹を育てようとしない合気道家より、この幹を育てたいと考える他の武道家を応援したいとも思っているのも事実です。

井口師範の答え

合気道を修行していると、合気道に対して様々な疑問が浮かんでくると思います。ところが、その疑問を、師匠なり、先輩なりにぶつけてみますと、禅問答のような煙に巻かれたような回答が来ることがよくあると思います。私も井口師範に師事する前は、そうでした。酷いのになると、「素直に、コツコツとしていれば、その内わかる」とか言われることも多々あったように思います。ですから、ちょっと疑問がでても、形稽古を行う上に支障がなければ、質問はできないという感じになっていたように思います。

ところが、合気道への私の疑問に対する井口師範の答えは非常にシンプルでした。確かに、高度すぎて、まったく意味不明の答えもあったのも事実ですが、それでも本物の雰囲気をにおわす独自の答えでした。

例えば、合気道では試合がありません。それどころかスパーリング的な稽古もありません。それで、実際に護身術として使えるようになるかと言う疑問です。そのことに関する模範的な回答として「合気道の理念に反する」ということがあげられます。「理念に反する」といわれますと、納得できなくても「なるほど、そうですか」と返事するしかありません。
しかし、心の中では
『俺は護身術として合気道を習おうと思ったわけで、別に合気道の理念に感動して、賛同したわけじゃないので、どうも納得いかない。それに、護身術として使えるかと理念とは別問題だ』
と私は思ったものでした。

一方、井口師範の回答として「試合とか段取りは虚虚実実のやり取りするので、そんなことにこだわっていたら勝速日は実現できんからあかんのや」ということでした。確かに何のことかよく分かりませんが、深い意味があるのがわかりますし、煙に巻かれた気はしません。

こう答えられたら「勝速日というのはなんですか」と質問ができます。
「勝速日というのは、非常に速いこと。相手の攻撃にさっと合わせるて動くこと。寸部の狂いもなく合わせてしまうこと。そこには、先とか、先先の先とかそんなものはない。だから、虚虚実実のやり取りもなにもないんや」

ここには、私の疑問に対する答えが全てあります。「勝速日を実現する」ことで護身ができると答えており、その獲得のためには試合やスパーリングではできないと言われているのです。

もう少し具体的にお話ししますと、井口師範によれば、相手が攻撃を出そうとする場合、有効なのは、もっとも攻撃しやすい距離に近づいたときの一瞬しかないということです。ある種の攻撃を仕掛ける場合には、その攻撃が出せる間合いというのがあり、それは相手にとって一瞬であり、その一瞬を相手より先に奪えばよいということで、この速さが勝速日ということになるということです。

このように書きますと、「勝速日の実現」というのはかなり難しく、凡人には不可能に思えます。しかし、ご安心ください。当会は普通の人が使える力の要らない護身術を教えています。ですから、一部の才能のある人しか使えない技術の話ではありません。

実は、ある種の心理学的な原理がそこにあります。しかも、ちょっとしたことを意識するだけです。これがわかると「なるほど、これを使おうとすると試合にならない」ということが分かります。これが井口師範の答えです。

ですから、当会の「勝速日の実現」というのは、井口師範のような達人レベルのように完成されたものではありません。それでも、才能のない上、片目が見えない私でさえ、この原理を使って、50歳を越えて、20代、30代の人と対等にスパーリングをやっていますので、その効果は十分証明できていると思います。

こういいますと、「何だ、やっぱり、試合やスパーリングで使っているじゃないか」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は、私の相手をした方々は、この「勝速日の秘伝」を知らないのです。だからこそ、私がスパーリングで使えるのです。一方、合気道で、これを使うとなると、お互いが「勝速日の秘伝」を知っていることになりますから、やっぱり試合やスパーリングにはならないのです。

合気道は相手を見てはいけない

合気道では、形稽古をします。そして形稽古で最も大切なポイントは、「相手を見ない」ということです。といいましても、本当に「相手を見ない」わけではありません。それは心構えでもありません。それはいうなれば秘伝の技術の一つです。

相手を見なければ技もかけられません。目を閉じて技をかけるというのは、相手を感じとることができた井口師範のような一部の達人レベルの人の話ですので、能力の問題であって、秘伝とはいえません。

一般的な武道では、相手の目をよく見ろと指導します。それは、相手が攻撃する際に、ほんの一瞬ですが攻撃箇所を見るためです。そして、強い人はこの時間が非常に短く、弱い人は長いという傾向があるようです。ですから、相手の動きを読もうと思えば、相手の目から一瞬でも目を離してはいけないというものです。

ところが、井口師範の指導は「相手の目を見るな」でした。
理由は、相手の目を見ると、相手にこちらの動きが悟られるだけでなく、相手の目を見て戦う武道では、相手が目をみることを逆利用したフェイントという技術が発達しているので、目を見ると相手の術中に嵌ってしまうということでした。

こういう説明だと、なるほどと思われるのですが、それと「相手を見ない」とどんな関係があるのだと思われるでしょう。それを説明するには、「気」という概念で説明する必要がありますので、少し「気」を交えて、説明をしていきます。

私が道場に通っていたころ、井口師範は「気を飛ばさずに攻撃をする(当て身をいれる)」ように指導しました。井口師範に時々「体と気の流れを一つにせなあかんのや。だから気だけ勝手に飛ばしたらあかんのや」といわれたのです。

これブログを読まれている方には、「気を飛ばす」では意味がわからないと思いますので、顎へのパンチの例で「気」がどう関係するかを説明します。ごく一般的な攻撃者の動作を時系列で表すと次のようになります。
①心が「顎へのパンチ」と考える
②攻撃者の目は相手の目から離れる
③攻撃者の目は相手の顎に向かう
④攻撃者の「気」がターゲットである顎に当たる
⑤体が溜めの動作を行う
⑥パンチがそのターゲットに向かって出る

パンチが相手に到着する際には、相手に隙があれば顎に命中するわけですが、相手は攻撃者の目をみていて、「気」の変化を目の動きで読んでいますと、②~④の段階で防御の準備ができます。そこで、相手の目を見ることを指導する武道では、如何に①~⑥の動作を短くすることと、相手の虚を作ってその隙に①~⑥を行うことを研究します。これは運動神経が発達している人ほど有利ということになります。

井口師範はこの目が目標に向かうときに出る「気」を「気を飛ばす」あるいは「気を伸ばす」と表現し、やってはいけないこととしましたが、一般的には、目を見たほうが相手の動向が分かり易いので、相手の目をみろと指導するのです。しかし、相手の目を見る場合、運動神経の良し悪しが、勝つ基準となるものですので、体格・運動神経の優位のものにはかなわないということになります。

以前、松濤館空手の達人・金澤弘和師範が、空手の試合で、まったく目を合わさない伏せ目で戦う格下の選手に苦戦したと書籍にかかれておられました。このことから考えても、目を見ないというのは、相手に動きをさとられない戦法として随分と有効なようです。

さらに、井口師範は「相手すら見るな」と指導しました。この表現は極端ですね。でも、ここまで読まれた方は気がついたと思いますが、「相手を見ない」というのは「相手に気を飛ばさず見なさい」ということなんです。

ですから、見方一つで、技が変るということです。井口師範は、「相手に気を飛ばすな」と指導するだけでなく、「一対一で稽古するときも、多人数でしているつもりでやりなさい」と言っていました。全体的にいきわたるように視野を広く、例え相手が一人であっても、一人だけに固定されることを否定されていました。形稽古、特に二人で稽古する場合に一番陥る悪いところなのです。このブログを読まれている方は、もう少し、相手の見方を研究されてはどうでしょうか。

最後に、合気道開祖・植芝盛平翁先生はおっしゃられています。
「相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまう。
相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。
相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。
真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。
だから私はこのまま立っとればいいんじゃ」

興味のある方は、当会にお越し下さい。

合気道の杖と皮膚感覚の技術

今年から、本格的に合気道の杖(ジョウ)の稽古を導入していますが、お弟子さんたちに指導している中でいろいろと発見がありました。

その中で、一番の発見は、皮膚感覚の技術を即座に理解のレベルまで伝えることができる方法です。本ブログで何度か触れていますが、皮膚感覚の技術については、何度説明しても理解していただくのがとても難しいのです。

皮膚感覚の技術の一つ下に皮膚の技術がありますが、皮膚の技術は、特に合気道経験者に指導すると、その場で理解してもらえることが多かったのですが、皮膚感覚の技術は何度稽古しても理解というところまで至らなかったのが現状でした。しかし、先日の稽古で、本当に理解してもらえたと確信できる言葉をお弟子さんたちから聞けました。

皮膚感覚の技術は、体験すると非常に不思議な感じがします。「力を受けずに倒されたが、どうして倒されたか分からない」という感じです。ですから、かけられると皮膚感覚の技術であることがわかりますが、自分がかける場合になると、どうしていいのか分からない。私の場合で数年の期間をかけてご指導を頂く必要がありました。

その理由は簡単です。「いつ、どこに、どのように」という目安がわからなかったのです。目安がわからなければ、自分では掛けられる感じがしません。できたとしても、そのとき限りで、たまたまできただけで、理由もわかりません。師範に「そう、その感覚」といわれましても、納得がいかなかったのです。

ところが、今回発見した杖を使った稽古方法だと、簡単にその不思議感覚が作れます。しかも、一度の稽古でその不思議感覚を作ることができ、その目安となる感覚も理解でき、さらに再現もできます。

この目安となる感覚というのは、本当に感覚的なことだけなので、文章に表すことができませんので、実際に受けていただくしかないのですが、それでも、画期的なことには違いありません。文章に表せないからこそ今まで、言葉による説明と演武ではお弟子さんに伝わらず、通いのお弟子さんでも、60%の成功率程度でとどまっていたように思います。

私の経験から、一度その感覚の目安がわかれば、後は感覚をしらない相手と稽古をしていても、徐々にその感覚を再現できるようになります。一方、この目安がわからなければ、何度稽古しても、掛かったり、掛からなかったりする訳で、その理由もわからないのです。ですから、この感覚を実感し理解させるというのは本当に大変なことだった訳です。

しかも、「感覚の稽古」は、井口師範のようなわかる人にマンツーマンで指導されないとできませんでした。たとえ、井口師範の技を受けてその経験をしていても、感覚が理解できないかぎり、その人同士でいくら稽古してもできません。これは、特別な才能がなく、将棋を知らない普通の二人が、将棋の本でルールだけを覚えて、かなり時間を費やして二人だけで練習を積んでも、プロ並みにはなれないのと同じです。

これらの技術に興味をお持ちの方は、ご連絡いただければと思います。

お問合せ先は
http://kenkogoshin.tank.jp/contact.html

一般稽古スケジュール
http://kenkogoshin.tank.jp/schedule.html

当会ホームページ
http://kenkogoshin.tank.jp/

合気道と杖(じょう)

今年になって、当会では合気道の杖(じょう)の扱い方を生徒さんたちに教え始めました。実は、合気道の杖は、皮膚感覚の技術を使って行う上、じかに肌にふれないため、皮膚感覚をより敏感にする必要があるので、皮膚感覚の技術をより高く引き上げる効果があるのです。

ところで、合気道を剣の理合で解釈する師範がたくさんおられます。とくに岩間の斉藤師範は、「開祖は武器法を重視していて、『合気道は剣の理合の体現している』とまでいわれた」といっておられます。

ところが、私は、剣をあまり稽古したことがありませんし、私の師匠である井口師範から、「剣をふるより杖(じょう)を振れ」と言われたからです。

実は、私は、ある合気道関連の本で、「合気道は剣の理合で動く」と書かれていたのを見て、師匠である井口師範に、木剣の素振りの仕方を教えて欲しいとお願いしたところ、
「剣よりも杖(じょう)やなあ。できたら鉄の棒使ったほうがええんやけど。翁先生もいつも鉄の杖を振っていた」
と、言われ、杖の扱い方を教えていただきました。

その際、井口師範がおっしゃいました。
「剣は刃を持っているから、斬るということに意識が行ってしまい、そこにこだわりができる。合気道は自然の理で動くからこだわりがあったらだめになる。剣をするなら、こだわりがなくなってからでないと合気道をするのには百害あっても一利もない。杖は刃がない分、自由であり、変化自在に扱うことができる。それから気の流れを意識することもできる。だから、剣など振らずに杖をふれ」

杖を学んでみて、初めて井口師範がいわれたことが納得できました。また、合気道の武道としての相手との一体感が、素手のときよりも実感できるように感じました。

ところで、一体感というと、合気道では、よく愛をとき、相手と一体になれと教えますが、これが非常に抽象的で、各師範の主張していることが、それぞれ違いがあり、よく分からないというのが実情ではないでしょうか。

ところが、自分の持つ杖が常に相手との境界線となり、確実に相手と自分を隔てています。自分は飽くまでも自分であり、相手は相手であるという認識のうちに、技になっていきますが、常に、相手とツナガリ感があり、相手を導くという感覚と相手との一体感があります。特に、対剣の稽古をやっていると、あたかも太極拳であらわす太極図(白黒のオタマジャクシが向かい合って円を作っているような図)のような感覚を感じます。

すると「相手に侵させず、相手を制す」というのが体で理解できます。この経験をすると、合気道の技に変化ができ、形にこだわらず、相手を倒すという動きになってきます。ですから、合気道を行う人はできるかぎり杖を稽古されることをお勧めします。

このように説明すると非常に難しいように思われますが、師匠が教えてくださった杖術は、非常に単純な技法ばかりです。
一人稽古用には、杖の回し方、突き方、振り方など数種類、二人で行うものとして、合気道でよく見かける投げ技、相手の捕らえ方など数種類しかありません。しかし、師匠はそれだけで十分と言っておられました。ただ、秘伝があり、これがないと多分、いくら稽古をしても役には立たないと思います。

一部の合気道家が神道夢想流の杖術を学んでいると聞きますが、合気道の杖術だけで十分だと私は考えています。

私がこう言うと、神道夢想流のことを知らないくせにと思われるかもしれません。過去に、「井口師範は杖術をちゃんとどこからも習っていないのだから、いい加減なものだ」と私に言われた師範もいらっしゃいました。

(その師範のおっしゃるとおりでした。井口師範は翁先生に合気道として杖を学ばれましたので、確かに他のどこからも学んでおられませんので、流派としての杖術はご存知なかったと思います)

私は、本などで、神道夢想流の杖術の使い方を見ましたが、私が井口師範から学んだものとまったく違う気がしましたし、実は、私は神道夢想流の杖術の一日講習会に参加をした経験もあります。たった一日ですが、そこで学んだ杖の技術は、合気道で教える杖術とはまったく異質であると思いました。その上、一日講習会に参加した際、故意ではなく、誤って合気道の杖の使い方をしてしまい、先生の一人を投げ倒してしまったという経験もしました。

断っておきますが、合気道の杖の使い方の方が、神道夢想流より優れているといっているのではありません。神道夢想流と合気道では杖術でも、理合が違うということを言いたいのです。そこで、誤解を避けるために当時のことを少し話しておきたいと思います。

稽古も終盤に近づいてきたころ、先生の一人が、私に
「おお、大分、うまなったな。ホンなら、どこからでも好きに掛かってきなさい」
とおっしゃいました。
私は非常に困りました。好きなようにといわれても、神道夢想流の杖の使い方は不慣れで上手くできそうになかったし、剣道すらやったことが無かったからです。
先生は、
「何、ボーっとしてるんや! 早くしなさい。考えていても上手くなれへん!」
とおっしゃりました。

そこで、何度か、そのとき習った方法で攻めていこうとしましたが、簡単にあしらわれてしまいました。
先生は、簡単に捌けると自信を持ったのか、
「何やっとる、もっと、気合を入れて! もっと本気でかかってこい」
とあおってきました。

私は、そう煽られても、どうしていいか分からず、ふと思わず相手の杖に合わせを入れ、相手の中に入身をしてしまいました。反射的に出たのです。その反動で、相手をしてくださった先生は反り返り、そのまま倒しれてしまいました。こんな公衆の面前で、偉そうに言っていた先生を、あまりにもあっけなく倒してしまった私は、相手のプライドなど考えると、どうしていいのかわからず、
「えっ、えっ、あれ? えっ、何で?」
と言っていたように思います。

相手をしてくださった先生は
「あー、ビックリした」
と連発されていましたが、もう私の相手をせずに、他の人のところに行ってしまいました。

このことからも言えることは、
①その先生は、こちらがまったくの素人と思い、なめて掛かっていたこと
②その先生にとって今までに経験したことのない技術によって、異質の戦い方をされたこと
で、この先生は、対処できなかったのだと思います。

話しは元にもどしますが、合気道の指導者の方で、合気道の杖では不十分と、神道夢想流をされる人が割といらっしゃると聞きます。私は、他の武道を参考にするのはいいが、合気道の杖は飽くまでも合気道であり、他とは異なりますので、合気道の修行者は合気道の杖の使い方を稽古するのが一番いいと考えています。合気道の杖の使い方では、素手で行う合気道の形にも十分応用ができるという点で、皆さんももっと合気道の杖に自信をもって欲しいと思います。

ただ、合気道の杖の扱い方が一部では省略され、高段者になっても知らないという人も増えていると聞きます。もし興味おありの方がいらっしゃったら是非こちらに来てくださればと思います。

お問合せ先は
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骨格をずらしてバランスを奪う

明けましておめでとうございます。
皆様、本年もよろしくお願いいたします。

さて、前にも書きましたが、私の合気道の師匠である井口師範が言ったことですが、合気道の修行者の方がよく陥る思い込みは、初心者はもちろん師範や高段者の人も含めて「形を絶対視する」ということです。「形の絶対視」というのは、「形」が完全にできればどんな相手でも対処できるという思い込みです。

合気道の達人・井口雅博師範は、「合気道の技は一期一会。一つとして同じ形はない」といいました。でも、「合気道の投げ技は枝葉。幹さえ分かれば、皆一緒」ともいわれました。これは、「原理は共通」ということを言っているのです。

そして、その「原理」の一つとして、今回ご紹介する「骨格をずらす」という技術があり、当会の分類では反射の技術にあたるものです。これについて、多くの合気道家は、単に「バランスを奪う」というだけであまり触れていないのが普通じゃないでしょうか。今回は映像を撮り、その原理を説明しています。そのポイントは3つです。
① 受けの肩関節をずらす
② 受けの肘の位置を受けの中心軸の後ろに持ってくる。
③ ①②の状態で相手を下方に導く

これだけで、技は随分と効き易くなります。

さらに、秘訣としては、相手にさとられないように、肩関節をずらしたり、肘を軸の後ろにもってくるために、「骨の技術」を使います。映像では「陽」の技術(興味ある人は小説の後半部を読んでください)を使っています。特に重要なのが「相手に自分の意図」を読まれないことで、陽の技術や陰の技術を使うと、読まれにくくなります。これに成功すれば、受けの人にしきりに不思議がらせることができます。

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この「骨格をずらす」ことに関連してですが、以前、Youtubeに「隅落としの原理」の動画をアップしましたが、まだ「隅落とし」が分からなかった人は、上記の点に注意してもう一度見ていただければと思います。

というのは、この動画が、私がアップした動画でもっとも良く見られていて、他の動画の2倍から3倍見られています。このことは、「隅落とし」に対して、多くの合気道修行者が悩んでいる技であるということを示しています。確かに「隅落とし」の原理がわかれば、「天地投げ」も同じだとわかります。

この「隅落とし」の動画は、当会の生徒が見るように作ったものなので、一部のポイントは省いていますので、この動画で説明している通りに動いたつもりでも、多分上手く掛からなかった人が多いのではないかと思いますが、「骨格をずらす」点に注意してもう一度見てください。少し技が理解でき、技が人に掛かるようになった合気道修行者が増えたのではないでしょうか。

なお、完全に逆らう相手にはどうしても「合わせ」を入れてから、「陽の技法」を使わないとかかりませんが、これだけでも、合気道の修行者に十分役に立つのではないかと思います。「合わせ」に関しては、言葉では中々説明がつかない技術です。映像では、皮膚感覚の合わせを行っております。興味のある方は、体験は無料ですので、当会に体験にきていただければと思います。

体格にあった動き

私の身長は179センチあります。私の生徒にとっては、随分大きく見えるようです。

そこで、私の手の動きなども彼らにとっては大きく動いているように見えるようです。ところが、私自身は、まったく無理をしない程度にしか動いていません。

しかし、どうしてもイメージ的に大きく動かしたくなるようです。そうなると、体の動きを手に伝えるという最も大切なことを忘れ、腕や手の筋肉を使って、手をコントロールしてしまいます。

時には、手が伸びきったり、時には腕を極端に曲げてみたりとなります。運動エネルギーを伝えて行くために、自然とそうなるのであればある程度は問題ないのですが、肘が反り返ったり、上腕二頭筋が硬くなるようでは問題があります。

合気道では、常に無理をしていない位置が大切です。師匠は、「腕が伸びすぎると、肘関節を攻撃されたらすぐに折れてしまう。力コブ(上腕二頭筋)が硬くなっているのは、相手に乗られてしまっているから、負けている証拠。何事も八分が大事、伸びすぎず、曲げすぎずがええんや」と言っていました。

無理をした状態にすると、肩関節に無理がでます。すると微妙な感覚を感じることができなくなります。要するに、崩されていても気づかないということになります。

それを師匠は「そこで、気が止まっている」と言っておられました。「気」の考えを用いなくても、脇が開くと、心理学的にも、ある場所に意識が行きますと、他の部位に注意がまわりません。ですから、無理のしない位置を覚えていただく必要があります。

また、初心者の内は無理をしている体勢かどうかというのはわかりませんが、指導者にきっちりとその違いを教わっていると、そのうち、無理しているか無理をしていないかという微妙な判断ができるようになります。

すると、わずかに相手の関節をずらして力を止めてしまうということも出来るようになります。ですから、先ず、「無理をせず、自分が安定しているかどうか」を感じる感性を養っていただくことが大切です。