手首取りの技の意義について7

みなさん!
こんにちは、お元気ですか? 僕はめちゃ元気です!
さて、手首取りの技の意義について今回で7回目となりました。前回、「人間は慣れる」という話をしました。要するに、同じことをしていると相手は適応するということですね。

では達人はどうでしょうか?
達人が真剣に行った場合はいくら分かっていても「慣れ」ません。でも、いくら達人でも、相手を舐め過ぎているとやはり適応された動きで実は読まれてしまいます。

井口師範のような達人にも、一教の技の稽古の際そんな場面がありました。それは、井口師範の一教の技に小学6年生の子どもが逆らってしまったのです。さからったというより、井口師範の動きを予測して先に逃れたということです。井口師範も小学生相手だったのでかなり手加減されていたのでしょう。その子どもは見事に井口師範の一教から逃げてしまいました。ところが、それ以降は誰が逃れよう、逆らおうとしても、見事に技がかかっています。達人でも気を抜くとそんなことがあるということです。

私も、そのシーンを見て、もしかすると逆らえるのではと思いましたが、実際に手を取っていただくと、もう完全にコントロールされ、逆らえる状況ではありませんでした。

では、何が逆らえる要因を作っているのでしょうか?
それは、相手にこちらの動こうとする意図が先に読まれるということです。いつ・どう来るかそれさえ分かっていれば誰でも避けられますよね。だから大切なのはこちらの情報を出さないこと。

井口師範はそれを「気を出すな」と言われました。要するに、以前の気の人体図で言えば、「最外殻の気」を動かさないということです。ここで、少し「最外殻の気」の話をします。

「最外殻の気」は、本当のことを言いますと誰でも感じています。例えば、ある人が相手を殴ろうとすると、殴られそうになった相手は思わず身をすくめます。それは全く武道経験のない人ほど顕著です。これは、殴られそうになった相手が、殴ろうとする相手の気(最外殻の気)を無意識に感じ取ったためです。

ですから、「最外殻の気」が動くと、よっぽどぼんやりしてる人以外は無意識で反応します。それが「防衛本能」だからです。そのため、相手の「防衛本能」を潜り抜け、相手に「気」を感じられる入る訓練が必要になります。

それが唯一合気道が他の武道と違う点であり、相手との調和を目指す合気道であるからです。以前もお話ししましたが、合気道では「自然」であることを重視します。それは相手にとって「自然」であるということです。

相手にとって「自然」とは、言い方を変えると「防衛本能」を起こさせないということです。要するに「ああしよう、こうしよう」と考えないことで、「最外殻の気」を動かさず、相手の中に入るということです。これが「相手に合わせる」ということであり、相手と一体になるということです。ですから、「相手に合わせる」とは単に、相手の動きに乗るということだけではないのです。

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