皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です!
さて、今日は、囚われない心について述べたいと思います。
合気道では真の囚われない心を目指して稽古をします。そのため、まずは敵をなくせと指導されます。その意味を今回お話しします。
では、まずは開祖・植芝盛平翁先生の「合気道の精神」について読んで下さい。以下が、その内容です。
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【合気道の精神】
合気とは愛なり。
天地の心を以って我が心とし、
万有愛護の大精神を以って
自己の使命を完遂することこそ
武の道であらねばならぬ。
合気とは自己に打ち克ち
敵をして戦う心無からしむ、
否、敵そのものを無くする
絶対的自己完成の道なり、
而して武技は天の理法を体に移し
霊肉一体の至上境に至るの業であり、
道程である。
植芝 盛平
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非常に難解な文章です。ですから、受取手によって理解の仕方が変わる文章でもあります。
ちなみに、敵そのものを無くするって、実際にそんなことが可能なんでしょうか?
また、世界中の誰からも好かれることって可能でしょうか?
実際問題を考えたとき、どんなに良い事を行っても、どこかで敵に思われていることがあります。
誰かが成功しているだけで敵となる人がいます。まったく見も知らぬ人であり、本人について何も知らないのに、それでも嫉んで、恨んで、敵がい心を起こします。
要するに相手が勝手に敵と思うわけです。これは避けようがありません。
ところが開祖の敵といっているのは、それとは全く違う考えです。
では、敵がいないというのはどういうことでしょうか?
この答えは、その後に続く、絶対的自己完成の道に答えがあります。
自分を完成する道ということ、飽くまでも視点は自分にあり、外部にありません。
要するに、合気道では敵というのは、己が相手を敵だと判断することを言っているのです。
早い話が、自分の心の中に敵を作らないということです。それによって、憎しみなど感情を動かされない、冷静な判断が行えます。
囚われない心になっているからこそ、心が澄んでいて、どんな状況にも即座に反応できます。つまり、明鏡止水の境地ということです。
この境地は禅の境地でもありますから、禅を何十年も積むほど、習得が難しいです。
だから合気道を10年やそこらやったところでこの境地に到達する人はどれぐらいいるでしょう。
ところが、合気道では、完全な明鏡止水の境地ではありませんが、それに似た状況を作り出す秘伝が存在します。
しかも誰でも作れる技術です。その根拠を次回はお伝えできればと思います。
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