皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、最近になって話題にNLPという心理学を出していますが、その前提に「人は、自分の世界の経験を前提に今直面していることを理解する」というものです。
要するに、人は過去の知識や経験によって世界を認知しているだけに過ぎないということです。
これは物事を学ぶのに非常に大切な前提です。何故なら、人が学ぶというのは常に知識や経験にない新しいことを取り入れるということに他ならないからです。
これは合気道を始め、武道を学ぶのも例がではありません。
今回は学ぶということについて、述べます。
ひたすら稽古をしても達人にはなれない!
「ただひたすら合気道の稽古をコツコツと長年続けておれば、相手の気が見えるようになり、相手の心が読め、相手の意識が手に取るように分かり、いつかは達人になれる」
僕が師匠につく前に、大阪で合気道を学んだときは、先輩によくそう言われたものでした。
しかし、そう言った先輩は達人かといえば、そうではありませんでした。
実は、この「ひたすら技の稽古をする」というのを実行しても達人になれないのは、心理学や脳科学や認知科学でも答えは出ています。
それは、「人間の認知は過去における経験や知識から行われる」というものです。
要するに、自分の知識にないことは、何年稽古してもできるはずが無いわけです。
知識・経験にないことは一流から学ぶ!
では、井口師範の場合は、何故達人になれたか?という問題が出てきます。
そこで、井口師範は合気道を学ぶのにどうしたかというと、和歌山からわざわざ東京本部に毎週にちかいほど稽古に出かけ、常に合気道開祖の後ろを追いかけ教えを乞い、時には、当時の師範部長であり、後の気の研究会の創設者・藤平光一師範に付き従ったと言われていました。
要するに、翁先生や藤平師範といった一流に学ぶことによって、徹底的に井口師範は自分に経験のない知識を補ったわけです。
しかし、超一流の先生につくにも、様々な難関があります。それは、どの先生が超一流なのか?という点です。
また、例え超一流の先生についたとしても、先輩を差し置いて自分だけが教わるというようなことは中々できるものではありません。
幸いにも、井口師範は身に付けた知識や経験を秘伝という形で我々に残してくださっています。
ところが、井口師範の秘伝はかなり抽象度が高いため非常に難解です。
しかし、ものごとを学ぶには、抽象度を下げ、自分達の過去の知識や経験に紐づけて学び、抽象度を上げる必要があります。
そこで、亜流に思うかもしれませんが、当会では、「気」という抽象度の高いものを抽象度を下げて別の表現するかにフォーカスを当てています。
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いつもありがとうございます。
非常時の護身に対しての考え方は理解できました。
では、ちょっと質問を変えて、普段の練習ではどうですか?
全身をほぼ脱力させるように常に努めるか、力が入ってしまってもできるように練習するか、その両方か?
そういう点ではいかがですか?
当会では、脱力とかそういった考えで技の稽古をしていません。
当会では、「気を使うので筋肉を使わない」などという発想はしておらず、体が動くには必ず筋肉を使うという発想のもと、技を組み立てています。
最も基本的な考えとして、骨格の構造上最も強くするにはどうするかという発想で、物理的に強い骨格の使い方を指導することでより効率的な筋力の使い方を稽古します。
その上で、生理学的に相手の弱点を突くことで、相手の力を出させない技術を使うことで、1の力に対して、数倍の腕力差を埋めることを目的に稽古するのです。
当会でも、脱力感というのを指導する場合があります。
それは、自分が力をいれていないと感じる力の入れ方で、そしてその目的を明確にして、どのような時に用いるかということを具体的に示して稽古します。
この当たりはコメントで話すとかなり長くなるので、またブログの記事の方で具体的な内容を話たいと思います。