皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、前回までいろんな「気」についての考え方をご紹介しましたが、それぞれが気の詳細になるとかなり異なった見解が存在することがお分かりに思います。
概ね一致する点というと、「気」とは精神世界と物理世界の間の繋がりを説明するための半物質としての生体エネルギーと言ったところでしょうか?
しかし、どの思想にしても、気を扱う場合、最終的には宇宙の根本神たる何者かを理解するための技術が中心となっています。
そのため、精神世界と如何につながるかという方向性が重視され、精神世界とのつながりが、最終的に物理世界とのつながりに変化をもたらすという考えです。
武道は物理ファースト
一方、武道を行う場合、出発点は物理世界とのつながりで、相手を如何に制するかという点です。
ここで、ある柔道家(会った当時四段)の方から聞いた話をしたいと思います。
その柔道家の人は柔道が初段のとき、合気道開祖の話を本で読んで、気の世界にあこがれ、柔道に活かしたく合気道を習いだしたそうです。
しばらく習っていると、そこの師範(七段)の方が、「お前、柔道やっているそうやな? 何でもええから技を掛けてきなさい」と指名したそうです。
そこで、彼は本気で師範に組み付くや否や、道場内にバシーンと畳を叩く音がこだましました。
それは、一瞬で背負い投げが決まった瞬間だったそうです。
それ以来、道場に行くのが気まずくなり、合気道を辞めてしまったそうです。
どうやら、その師範は、柔道の経験もなく、組手や乱取りやスパーリングはおろか、人と争った経験が殆どなく、それでいて自分は強いと思い込んでしまたようです。
ですから、「我々は精神性が高い」と他の武道を見下す合気道師範がいますが、やはり物理世界で通用しないなら意味はありません。
せめて、素人相手に技がかかる護身術として使えなければ、何のために必死で汗をながしているのか分かりません。
物理世界で気が使えるのが合気道の秘伝
合気道は武道であり、当然護身術として使えなければ意味がありません。
そのためには、どうすれば技に相手が掛かるかを考えると、人間には物理と精神の2つの世界があり、その要素を使用することを考えた場合、次の方法が考えられます。
- 物理的に崩す
- 生理学的な反応を利用して崩す
- 心理学的な反応を利用して崩す
これら3つの方法のいずれかの方法かあるいは複数の方法が、精神活動と一致したときに人は気が流れたと感じます。
その方法を気と結びつけてツール化して細かい技術にしたものが合気道の秘伝です。
思想は精神世界から物理世界を、武道は物理世界から精神世界へと向っているといえます。
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