皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、今回は形稽古の取り組み方について話したいと思います。
ぶつかるときはフレームに嵌っている
NLPは心理療法に一番多く使われますが、そこで大切なのがフレームという考え方があります。
このフレームという考えは、合気道においても非常に大切だと僕は考えています。
どんな物事でも、見方にはいろいろな面があり、ある人は右から見て、ある人は上から見てというように、色々な捉え方ができるのは、読者の方々にも異存がないと思います。
フレームというのは、ある物事に対して、人がそれを理解するのにどんな角度で理解するかということです。
そして、人間はその角度で理解したなら、他の角度に関しては理解できなくなるというものです。
例えば、「水筒にお茶が半分しか入っていない」と思うと足らなくなるか急に心配になります。でも「水筒にお茶が半分も入っている」と思うと余裕がでてきます。
このように同じ現象でも捉え方が違うだけで、全く正反対のことに心が支配されるのです。このように一つのフレームに支配されると、別のフレームでの見方が見えてこないということが良く起こります。
形稽古をしていると、相手はこちらの癖やすることが分かるようになると、ワザと相手が逆らってくることがときどきあります。そのとき相手と力がぶつかり、技が効かない状態になります。
これは、自分はこうするというのが相手に伝わってしまっているのです。実はこのとき、自分のフレームが相手に読まれてそれを利用されているということが考えられます。
言い方を変えると、こちらがこうすると認知した相手のフレーム内で戦ているということでもあります。
合気道の前提は「相手の土俵で戦わない」という考え方をしますが、これは言い方を変えると「相手のフレーム内で決して戦わない」と言えると思います。
リフレーミングと一期一会
僕の師匠である井口師範は「合気道の技は一期一会、同じように見えても毎回違う。精密機械のようにに毎回毎回同じように動いていたら、相手はバカじゃなのだから技にかからなくなる」とおっしゃいました。
合気道開祖である翁先生も、合気道の技は千差万別、無限に技があるというようなことを言われています。
ですから、形稽古というのは、同じ動きに見えて、形にこだわらない自由な発想・自由な動きを得るための稽古ともいえるわけです。
私たちは、ついどれが正しいのかと一つのものに答えを求めようとしてしまいますが、答えはその都度ちがうというのが井口師範の回答でした。
要は、一つのフレームで戦わないというのが形稽古の意義というのとになります。そうでなければ、相手にワザと技にかかってもらうのが当たり前という発想は間違いであるということがわかります。
演武では、技の受けを取る人が、綺麗に見えるように大袈裟にわざわざ技を行う人のために飛んであげたりしますが、これを稽古に用いると合気道が武道ではなくなります。
ですから、相手のためには時には逆らって、あなたの動きは読めますよということを教えてあげないといけません。
そうでないと、自分は強いと勘違いする女性がときどきいますが、そんな女性がもし暴漢に襲われたら、冗談ではすまないことになっちゃいます。
そういうことで、自分のフレームが読まれ、相手のフレーム内で戦っているということがなのだから、自分のフレームを変える必要があるということを知らせてあげるのも形稽古だからできるのです。
NLPではそれをリフレーミングといいます。このように形稽古では、常に自分のフレームを観察し、パターンに陥っていたら、新しい視点でリフレーミングしなおすということが必要になります。
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