皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。
さて、今回も「気」の話です。
気を出すな!
「気を出したらあかん!」
あるときの稽古で、正面打ち一教という技をしているとき、突然、師匠から言われました。
「?」
僕は、意味が不明で動きが止まってしまいました。
なぜなら、合気道は「気を出して行うもの」と思っていたからです。
書店で手に入るどの本を見ても、「気を出す」ことは書いていても、「気を出さない」ことについては書いているものはありません。
僕の頭の中は非常に混乱していました。
「気を出してから技に移るから、相手に読まれるんや。ああしよう、こうしようという気を出すと負けや!」
と、師匠はおっしゃいました。
「兆し(きざし)というのは、気が差すこと。気を出したら兆しがでるから、相手はこちらが何をやろうとしているのかわかるんや。相手に教えてやっているようなもんや」
と、師匠は解説してくれました。
そのときは、僕は、なるほどと、納得したものの、言うは易し、行いは難しというように、実際は「気を出さない」というやり方は全く見当がつかなかったものです。
「気を出すな!」の答え
合気道の開祖のお言葉に次のものがあります。
相手の目を見てはいけない。目に心を吸収されてしまう。
相手の剣を見てはいけない、剣に気が把われてしまう。
相手を見てはいけない、相手の気を吸収してしまうからだ。
真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨である。
だから私はこのまま立っとればいいんじゃ
ここに、師匠のいう「気を出すな」の答えがあったのです。
人は行動を起こす際に、わずかな気を出します。それは、武道では殺気とか闘気とかいわれたりします。また、やる気とも言えます。
これが開祖もよくないと言っているのです。意識をどこか一か所に固定すると、そこに気が行ってしまいます。
すると、他の場所がおろそかになります。一対一の格闘技などでは、相手の目を見ていてもよいのですが、合気道は多人数を相手にすることも考慮しているので、一人に拘っていると、他がおろそかになります。
そのため、意識を全体に張り詰めて、周りに向けて放射状に発散したなら、その状態を変えてはいけないわけです。
一度、そういった状態に入った人が、相手の目を見たなら、気は相手の目だけに行きます。
これが一対一の武道なら、それで十分です。なぜなら、相手も目を見て気を出してから、動きますので、相手の目を見ているとあらかじめ相手がどう動くかわかるからです。
しかし、合気道は多人数を目指した武道ですので、多人数の中の一人を相手にしているのではだめなのです。
ここに、井口師範の「気を出すな」という意図があった訳です。
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