【当身は気のトレーニング】

皆さん、お元気ですか? 僕はメチャクチャ元気です。

さて、前回は、人体を取り巻く気について述べましたが、今回はさらに深く突っ込んでいきたいと思います。


気と当身の関係

最近の合気道では、ほとんど当身(あてみ)を教えなくなっています。

しかし、僕が学んだ井口師範の道場では当身が非常に大切だと学びました。

当身というと、最近はそうでもありませんが、20年ほど前は、「世界平和を目指す合気道精神において、当身のような暴力を想起せしめる技はふさわしくない」と批判されたものです。

現在、インターネットで見ていると、当身を重視する合気道修行者も増えているようです。しかし、それでも、当身といわれても意味が分からない合気道修行者もいるのも確かなようです。

当身というのは合気道の打撃のことをいいます。打撃に手刀(てがたな)と拳が代表的なものです。さらに、肘、肩、背中、膝、足といろいろな部位での打撃もあります。

今回は、具体的な当身のやり方については述べませんが、当身は気をコントロールするうえで非常に大切な技法のひとつです。


気から見た当身の2つの意味

当身は実際は2つの意味があります。

当身は相手の気を散らすという点と、自分の気の流れを切らずに相手を攻撃できる稽古という点です。

当身が当たると痛いので相手の気を散らすというのはわかると思います。一方、自分の気の流れを切らずに攻撃するという点ですが、これには非常に大きな意味があります。

それは、自分の気の流れを切らずに打撃を入れるということは、実は、相手に悟られないような当身の入れ方をする必要があるのです。それにより、自分の注意力や視野の拡大など武道に欠かせない要素の鍛錬も含まれます。

合気道の形稽古では、注意する事項が多いため、このように難しい当身は心理的負担が大きいため、当身を省略することが多いのです。

ところが、全く省略ばかりしていると、護身術として実際に使う場合、当身が全く出せないという状況になってしまいます。それどころか、当身を出そうとするとタイミングがずれ、技の方にも影響がでます。これは、日ごろ当身を入れていないため、技の気の流れを阻害してしまうのです。

このように、当身を入れようとするだけで気が他所に行ってしまうようでは合気道を護身術として使うことはできません。

やはり、自分の気の流れを切らずに当身を入れ、相手の気の流れを切れるようにする必要があるわけです。


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